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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「入場テーマ曲」文化、その先駆と定着〜ビリー・グラハム逝去の報と合わせて


WWEは、元WWWFWWE)ヘビー級王者でWWE殿堂者のスーパースター、ビリー・グラハムさんが死去したと発表した。79歳だった。

 米ニュースサイト「TMZスポーツ」によると、グラハムさんの家族が17日(日本時間18日)に生命維持装置を外された後に死去したと語ったと報じた。
(略)
〝狂乱の貴公子〟リック・フレアーも自身のフェイスブックで「スーパースターのビリー・グラハムが我々のもとを去った。私のキャリアに影響を与えてくれてありがとう」
news.yahoo.co.jp

正直、試合をみたことない。
同タイプのジェシー・ベンチュラとよく頭の中で混同したりもする。


だけど、筋肉をガンガンに鍛えて、髪をブロンドに染めて(これが重要らしい)、ド派手なガウンとコスチュームを付けて、言動や戦いぶりがとてもナルシスティック……「カッコいいかもしれないが、とても鼻もちならねぇやつだぜ!」という形での悪役として、男性観客のヒートを誘い、一部女性ファンはクラクラ………というのは、元祖というよりもリバイバルルネッサンスらしく、実のところ悪役としてのスタイルでは”古典”というべき存在……らしいんだな。魂やすらかなれ。


さて、スーパースター・ビリー・グラハムには、もうひとつの称号が付く。

74年9月にIWA世界ヘビー級王者として国際プロレスに初来日した。

 入場時には、ロックミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」のテーマ曲が流され、これが日本マット界の入場テーマの草分けとされる。


その通りなのだけれども、それが広がりを欠く、いわゆる『孤例』であり、本格的に入場テーマ曲というものがプロレス界で生まれ、定着し、そして他分野に広がるまでには、また別の動きがあったわけです。この辺の歴史が、研究者によって地道な研究がなされ、明らかになっているので、自分の知っている範囲でまとめてみよう。


といっても、まぁ有名な話です。グラハムの例もあるし、一般的な「ファンファーレ」が鳴り響く中の入場なんて演出はあったけど、テーマ曲人気に火をつけたのが、ミル・マスカラスと「スカイ・ハイ」であることは、まあ常識に属する(何の常識だよ)

www.youtube.com



www.youtube.com

なにしろ当のジグゾ―のほうで
「なんかこの曲の印税が、ずーっとジャパンからたくさんもらえるんだけど…」
「何かのテーマソングになってるらしい…会場で流れてる…スモー・アリーナだったか…」
「そうだ、スモーだ!!相撲でこの曲が使われてるらしい!」

と、ちょっと誤解されつつ誇らしげに語ったりしているそうだ(笑)



これはテレビ局主導の演出、アイデアであって…本来なら裏方の一仕事であるから、語られず消えてもおかしくない。
しかし昭和・平成プロレスのことをしつこく調査し続けるアレな雑誌「Gスピリッツ」等が多くの取材をする中で、この裏方の中に、まず定年後もお元気で頭脳・記憶が明晰、さらに超詳細な記録を残しているひとがいた。
その人に詳しく資料を出してもらい、話を詳しく聞く聞き手もいた。
その結果、とんでもなく面白く、重要な歴史書が最近生まれている。


この本は、全体像をあとで紹介したいが、今回は入場曲に限って。


この中で、バイネームとして、令和の今は「文化」として定着した「入場曲」「入場テーマ」(彼がいなかったら、こういう二語の合わさった言葉は誕生していないかも…)の考案者が歴史に刻まれたのだ。
それが、「梅垣進」ディレクター。新日に押されていた感のある全日本プロレスを盛り上げるためにあれこれ頭をひねっていた彼は、博多出張の夜に訪れたディスコで、「スカイ・ハイ」を耳にする。

「ディスコでこの曲が流れた時、僕の中で「この曲はミル・マスカラスにぴったりだな』と思ったんです。それで、マスカラスが来日する次期シリーズの参加選手を予告するVTRにこの曲を流すことにしたんです。僕は映画が好きなので、映画の予告編をイメージしてVTRを作りました」
昭和52 (1977)年。2月19日に後楽園ホールで開幕する「エキサイト・シリーズ」でミル・マスカラスの来日が決まると、前のシリーズ「新春ジャイアント・シリーズ」の放送でマスカラスの映像に「スカイ・ハイ」を乗せ、まさに映画のように次期シリーズの来日を告知した。……「スカイ・ハイ」は視聴者から大きな反響があった。

「これがオンエアされると視聴者の方から大変な反響をいただきました。だったら、この「スカイ・ハイ』をマスカラスが入場する時に流せば、会場もテレビも盛り上がるんじゃないかと思って原さんに相談しました」
原(※梅垣の上司、原章プロデューサー。この人も日本プロレス史の最重要人物。)は、梅垣に選手の入場時に音楽を流したいと言われたことを覚えていた。
「私は『いいねぇ。それ面白いねぇ。やったらいいじゃん』って、そんな感じで許可しましたよ。私は、自分が野球中継で企画したカメラの配置が通らなかったことがありますから、スタッフが『これをやりたい』と言ってきた企画はほとんど反対したことはありません。面白いものはどんどん通しました。ディレクターが中継のセオリーを守りながら自分の好きなことがやれるのがプロレスの面白さでした。梅垣はいろんなレコードを引っ張って来てテーマソングを選んで好きなようにやっていました」

こうして2月19日、「エキサイト・シリーズ」開幕戦の生中継を迎えた。馬場、デストロイヤ1組と対戦するロン・バスと組んだマスカラスが入場した時、後楽園ホールに「スカイ・ハイ」が流れた。
中継車の中で梅垣は観客が大きくどよめいたことを確認した。
「ファンが喜んでくれて、ホッと一安心しました。そしてこれは行けると思いました」
テーマソングに心を揺さぶられたのは観客だけではなかった。放送席で実況した倉持も高揚した。
「この日の放送で打ち合わせの時に梅垣から『今日、マスカラスの入場の時にこれを流します。曲の名前はスカイ・ハイです』って言われました。私が『いいねぇ、華やかになるね』って返したら、彼は『テーマソング』って実況してください』と言いました。

客席は「これは、何だ!」っていう感じで一瞬静まり返りましたよ。それから大歓声と拍手ですよ。凄かったですねぇ。画期的なことを梅垣はやりました」
テーマソングがなかった時代と比べ実況は変わったのだろうか。
「それは変わりますよ。テーマがかかると、こっちも乗っていきますから。全然、気持ちが違いました。特に私は、ブッチャーのテーマは乗ってしゃべりました」


梅垣は、「スカイ・ハイ」から全日本に参戦する外国人、そして馬場、鶴田ら日本人選手のテーマソングを付けることに熱中した。「スカイ・ハイ」やスタン・ハンセンの「サンライズ」のように自らが聴いた中からの選曲もあれば、ブルーザー・ブロディレッド・ツェッペリン「移民の歌」、アブドーラ・ザ・ブッチャーピンク・フロイド「吹けよ風、呼べよ嵐」などのように「ファンの方がはがきで『この曲を使ってください』と投書してくれて、そこから使ったものもあります」と明かした。



国内のプロレス団体で選手に入場テーマソングを付けたのは国際プロレスが昭和44年に来日たスーパースター・ビリー・グラハムの「ジーザス・クライスト・スーパースター」だが、時は定着せず、他の選手へ波及することもなかった。現在、プロレス興行で選手の入場テーングは当たり前となっている。この演出を本格的に実行したのは、まさにこの時の梅垣と言って過言ではないだろう。

過不足ない説明で、しかも臨場感や回想者の高揚感にあふれている名場面なのでついつい長く引用してしまった。

ただ、ここに既に歴史を語る難しさがある。
資料を見て、機械的に年号を比較するなら仮面貴族ミル・マスカラスより、確かに”スーパースター”ビリー・グラハムのほうが日本のプロレス会場で個人の入場曲を鳴り響かせた時期は早い。
だけど、それが連鎖的に影響し、ファンに受け入れられ、他の選手に波及していき、文化になる流れの元祖、といえばやっぱりマスカラスになる。
こういう歴史描写の微妙さというのはあるんだろうね。このへん、またもうひとつ後述すべきことがある。



なるほど、「入場曲」と「テーマ曲」を別用語として使っているのか。



さて、その入場曲(テーマ曲)文化は、いつの間にかアメリカン・プロレスにも広まる。
何しろ普通に、レスラーは日米を行き来している。ジャパンの会場じゃこんなことをやってるんだぜ!というのが茶飲み話になったり、それじゃあうちもやってみるか!となったりしても全然おかしくないだろう。ウメガキのアイデアは太平洋を越えたか…と思いきや、実はほかの資料では、意外な…彼らを源流としている


斎藤文彦氏の新書「忘れじの外国人レスラー伝」より。

アメリカンプロレスの「入場曲」は、日本経由というよりフリーバーズのアイデア?(斎藤文彦

まだ15歳だったゴーディと17歳のマイケル・ヘイズが出逢ったのはテネシー州メンフィスで、ふたりは旅のパートナーとなり、それから1年後の77年にタッグチームを結成した。ヘイズも14歳のときにハイスクールをドロップアウトし、フロリダ州ペンサコーラのローカル団体でリング屋のアルバイトをはじめ、16歳でプロレスラーになった。ファビュラス・フリーバーズというゴージャスなチーム名――伝説のロックバンド、レナード・スキナードLynyrdSkynyrdの名曲“フリーバードFreeBird〟から拝借したーーーを思いついたのはヘイズだった。
ヘイズがナッシュビルのプロモーターのニック・グーラスに「入場のときにスキナードの“フリーバード”をかけていいか」「アリーナのなかを真っ暗にして、楽屋から出てくるオレたちにピンスポット照明をあてるってのどうだ」というアイディアをぶつけた。グーラスの返事は「お前ら、ドラッグで頭がイカれたか?」だった。


ヘイズはこの企画をテネシーのもうひとりのプロモーター、メンフィスのジェリー・ジャレットのところに持っていった。ジャレットは共同プロデューサーのジェリー・ローラーと相談して「おもしろそうだからやってみろ」と答えた。サザン・ロックの音とプロレスのライヴの雰囲気は驚くくらいマッチした。音は大きければ大きいほどよかった。
(略)
フリーバーズが“フリーバード”で入場してくるようになったら、南部のほとんどのレスラーたちがBGMを使うようになった。ひとつのトレンドが誕生した。
"自由な鳥たち"フリーバーズは、メンフィスからルイジアナオクラホマミシシッピアーカンソーミッドサウス・エリアへ流れていった。ゴーディとヘイズにとってフリーバーズはただのタッグチームではなくて、ロード・ムービーのようなライフスタイルだった。


www.youtube.com

フリーバーズ、ただのプロレス・スターウォーズでやられた相手ってだけじゃない(笑)

南軍旗を振りかざす悪役フリーバーズ、テリー・ゴディマイケル・ヘイズ(プロレススターウォーズ、)


これまた、時系列を機械的に見たら、日本のプロレスの入場曲の演出がアメリカに伝わり…と誤認しかねないところだが、そう言う文脈もあるんだ。



自分の認識はこんなものだったけど、ところが……さらに遡る!!それも一気に!!!

1940年代~1950年代、これはテレビの黄金時代であったといわれている。
日本ではこの時代に力道山が日本の英雄として持てはやされていたが、同じ頃別のレスラーがアメリカを騒がせていた。

その男の名前は「ゴージャス・ジョージ」。
名からわかるように、ゴージャスな姿を持ち味にしていた。
入場の際にはエルガーの「威風堂々」、そして執事とマネージャーを連れ執事がハンカチをひかないと入場しない…
(略)
彼は「威風堂々」をエントランステーマとして取り入れた。

これは「入場曲」を設定した世界初のレスラーでもあったのだ
note.com

入場
ジョージの最大の見せ場でもある入場シーン。入場曲を使った最初の選手と言われる。

まず赤絨毯が用意される。『威風堂々』が流れ、ピンスポット照明を浴びながら執事と女性マネージャーに先導され登場。観客を挑発しながらゆっくりと進む。
執事が香水(銘柄はシャネルの『10番』という架空のもの)でリングを消毒するまで、リングサイドでシューズを拭きながらペアピンや花束を観客席に投げ込む。
レフェリーや相手を見下しながら紹介を受け、試合が始まれば反則一辺倒。
『威風堂々』は、後にランディ・サベージも入場曲として愛用した。
ja.wikipedia.org


斎藤文彦の上記文章でも、省略部分に「ゴージャス・ジョージの例もあるけど…」という趣旨の一文がある。

そもそも当時…テレビ黎明期のアメリカで、ジョージは大スター中の大スターであり、上に書いた
『髪をブロンドに染めて(これが重要らしい)、ド派手なガウンとコスチュームを付けて、言動や戦いぶりがとてもナルシスティック……「カッコいいかもしれないが、とても鼻もちならねぇやつだぜ!」』
というスタイルは、その継承者でスタイルを完成させたバディ・ロジャースをさらに遡って、正真正銘の『真祖』であると言ってよさそうだ。最近書いたばかりだけど、悪役として悪目立ちして、あいつがぶっ倒されるところを見てえ!と観客を呼び込んでフルハウスにさせるそのスタイルは、モハメッド・アリにも継承されたりしたのだから。




だが…そんな黎明期に「入場テーマ曲」は生まれていたのに、そこからの発展はなかった。エジプトのピラミッドか、ギリシャの民主政治か……
自分の推測だが、ビリー・グラハムの入場も周囲に拡大、波及しなかったのと同様で
『ナルシスティックな悪役のあいつだから、ただの入場にお気に入りの音楽をかけて、自己陶酔して入ってくるんだぜ!いやだねーーー』という文脈で『入場曲』が使われたが故に、清く正しい正統派のベビーフェイスレスラーや、ナルシシズムより狂気と野生の本能が先に立つ、みたいな野獣タイプの悪役には、波及させようもなかったんじゃなかろうか。


こういう、文脈の複雑さも、ごく単純な「入場曲文化の歴史を調べる」だけで生まれてしまうのだなぁ……



そして月日はながれ……いまや個別の選手や芸能人に関して「入場曲」とか「テーマソング」はおなじみの演出。お堅い公的スポーツにも採用されたりしてる
(自分の知ってる限り、水泳、フェンシング、レスリングで使われてたと思う…)


米大リーグの野球選手ラーズ・ヌートバーが、2023年のWBCの記憶をこう書き残している。

…バッターボックスに足を踏み入れると、球場全体の5万人ものファンが、僕の応援歌を歌い始めてくれる──お祖父ちゃんから受け継いだ僕のミドルネーム、達治のコールとともに。今考えても、感情が込み上げてくるよ。

大会が始まる前、母さんはその応援歌がどれだけ特別なものかを教えてくれたよ。「日本のファンがあなたに敬意を示して歌ってくれるかどうか、私にはわからないわ。あなたは日本のプロ野球選手ではないから。それでも、彼らは歌ってくれるかもしれないけれど」と彼女はずっと言っていたんだ。

そして彼らは僕の第一打席から歌ってくれた。母さんとお祖父ちゃん──オリジナルの達治だ──が、スタンドから見守ってくれていたなかで。

僕は初球を打ち返し、このマジカルな冒険がどんなスタートになるか試してみた。すると、クリーンヒット。よし、やっちゃおうぜ!

いやほんとに、あの応援歌と初打席は人生でもっとも光栄に感じた瞬間のひとつになった。絶対に忘れないよ。

www.youtube.com


かくのごとく、今後も広がっていくだろう入場曲・テーマ曲の文化。
その立役者のひとりの訃報とともに、おもいつくままメモした(にしては長文なのは許してくれ…)

(了)

関連
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「解体屋ゲン」遂に1000話到達。扉絵や表題がそれっぽいが、最終回では無いよ(笑)


「解体屋ゲン」、ついに1000話到達

ここで紹介した「正気とは思えないセール」もまだ実施中。
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こんな記念トークショーがあるよ

「解体屋ゲン」100巻&1000話達成記念 限定トークライブ!

視聴期限: 2023年6月3日(土) 23:59 まで

阿佐ヶ谷よるのひるね21年目、「杉作J太郎詩集」等発売中。
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2003年に連載開始の「解体屋ゲン」は今年で連載20年、そしてご5月には連載1000回と電子書籍100巻の発売を迎えます。そこで読者のみなさんと一緒にお祝いすべく、トークライブを開催することにしました。奮ってご参加ください!

 「解体屋ゲン」作者 石井さだよし(作画)・星野茂樹(原作)

 場所・阿佐ヶ谷よるのひるね

 配信料金1500円
 
 2023年5月20日土曜 13:00より二時間程度
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【最速レビュー】世代を超えた友人とは。ゆうきまさみが読切「バネが来た」でビッグコミックオリジナル初登場


ゆうきまさみ「バネが来た」〜世代を超えた友情を描く

以下、twitterに連続投稿した文章を、少し整えて再録。

【長文】ゆうきまさみビッグコミックオリジナル初登場、の「バネが来た」を読む。
予告時に、老境の小説家が主人公とのことで時間ループか生まれ変わり?と予想したが外れて…
ある意味直球でオリジナル読者に響く「老境の男性に、世代を超えた友人ができる」話でした。


「偶然接点ができた人(ここではある商品のセールス)は、実は以前から自分の仕事を評価してくれていたファン。それでも通り一遍の興味とか、損得がらみのおべっかではなく、むしろ一番世間で人気の仕事には辛口評価を(うっかり)するなど、本気で向き合っている」という設定。

ゆうきまさみ「バネが来た」 世代を超えた友情を描く

これは、主人公が創作家(小説)だから非常に端的だし、「でぃす×こみ」など創作にまつわる悲喜こもごもを描いたゆうきまさみならお手のものだろうけど、むしろそれ以外の人々にも染み渡る普遍性がある。

ゆうきまさみ「バネが来た」 世代を超えた友情を描く


だけど日本人的というか…それでも、一気に人間関係が深まる訳じゃなく、作中でも「セールスマンと客の関係はこんなものさ」と言うように、ある意味淡々とした関係が続く。実はこの点こそ、リアルな共感呼ぶんじゃないか、と思う。
ゆうきまさみ論でしばしば「上品」「品がいい」と言われるのは、こういうところだろう。
だからドラマがなかなか進展しないとも言われるのだが…そこは読切なので、打破されねばならない(笑)。
そして、それを打ち破る時に「商品」の設定が生きてくる。

ゆうきまさみ「バネが来た」 世代を超えた友情を描く

藤子・F・不二雄的、というとあれだけど、うまい作りだった。
といいつつ、この商品設定はあるSF的な意味があるけど、この話にそのSF的設定を消して、今のリアルな社会を舞台にしてくれ、と要求されたらたぶん可能な設定なのね(笑)。それでも敢えて、商品が近未来的な設定なのは…これは推測だけど、作者がやっぱり「SF的空気を入れたい。だから、意識的にSF的にした」という点があると思う。

ゆうきまさみ「バネが来た」 世代を超えた友情を描く

そのへんが、やっぱりゆうきまさみだ!と信頼できるブランドでした(笑)


…これまた邪推だが、あの商品を作ってる企業って「篠原重工」か「シャフト」の子会社では(笑)?

ん-、一気呵成に読み直さずに書いたので、そこはスルーしちゃったな。前者か(匂わせ)

「バネが来た」社名はシノテック


(了)


追記
「シノテック」はパトレイバー世界にダイレクトに登場する社名でした!

【大人のおとぎばなし】カテゴリに認定

このブログ内で、勝手にカテゴリ化している【大人のおとぎばなし】に、この作品を認定しておきたい。
これは準タグです。この言葉でブログ内を検索すると、関連記事が読めます

MASTERキートンとか、そういう話が多い。
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「文民」「戦力」〜日本国憲法の用語にまつわるメモ

憲法記念日前後に、メディアやネットで知った新知識のメモ

文民」という言葉は元々存在せず、日本国憲法制定時に造語された。

朝日新聞2023年5月3日、蟻川恒正氏インタビュー記事より。
文民憲法制定時の造語

朝日新聞2023年5月3日 蟻川恒正氏インタビュー 文民憲法制定時の造語


1946年9月の貴族院憲法改正案特別委員小委員会に、この議事が載っているから探せば見つかるかな?あとで探すか。誰か見つかったら教えて。



なぜ憲法9条は「戦力」という一般用語を当てはめたか(篠田英朗氏)


同性婚をめぐる憲法24条の「両性」や「夫婦」、あるいはオンライン国会をめぐる「出席」など、憲法…に限らず、法律を論じる時に、その「言葉」が意味するものが変われば、それが自然と改憲、法改正と同じになるという、そんな裏道がある。
だから、法律をめぐる「用語」の問題には興味があった。そんな観点から2題メモしておきます。

【朗報】ついにメディアが「主催者発表人数」と「スマホ実測数」の比較開始!次は…沖縄集会?

少なくとも、自分にとっては記念碑的な記事です。

松本潤さん騎馬武者行列の68万人ってホント? 浜松・来場者数に疑問の声

2023年5月18日 05時09分 (5月18日 05時09分更新)


 松本潤さんら大河ドラマ「どうする家康」の出演者を迎え、浜松市中心部で繰り広げられた五日の騎馬武者行列を巡り、ユースク取材班に「来場者は六十八万人もいなかったのでは」という声が寄せられた。関係者に数字の根拠を尋ねると、実態との隔たりが浮かんできた。 (高橋雅人、木造康博、鈴木弘人)
 「観覧定員の二万二千人を含め、沿道などに六十八万人(主催者発表)が詰めかけた」…(略)警備に携わった関係者も「五、六万人じゃないか。多くても十万人ぐらいだろう」と推察する。
 浜松市観光・シティプロモーション課によると、発表は市職員の調査に基づく。行列出発前に観覧席外の歩道で実施。二十分間で、四十平方メートルの範囲を何人が通ったかを数えた。これに中心市街地の沿道面積と時間を掛け合わせるなどし、観覧席の約二万人を加えた。
 同課の担当者は「実数を測るのは現実的には難しい」と認めた上で「調査方法は日本観光協会(現日本観光振興協会)のガイドラインにのっとったもの」と説明する。「一定面積の最盛時の利用者×回転数(時間)×全体の面積÷一定面積」で求め…(略)


 一方、十二日付の本紙は大型連休中の人出として「浜松は、前年からの伸び率が28・8%増の十四万人だった」と報じた。こちらはIT企業のクロスロケーションズ(東京)がスマートフォンアプリ利用者から得た匿名の位置情報を基に分析した数字だ。(略)…スマホを持っていない人を考慮し、同じ人を何度も数えないように計算上の工夫をするなど実数に近づけている…(略)

 木村拓哉さんらが出演した昨年十一月の「ぎふ信長まつり」の来場者は四十六万人。ディズニーのパレードが行われた二〇一三年の浜松まつりは四十三万人が訪れた。いずれも主催者発表で実数は不明。ただ、同社の担当者は「そこを突き詰めても誰も幸せにならない(略)」と話している。
www.chunichi.co.jp


あまりにもおそい、遅かった…が、ようやく追いついた、人類がわたくしに。ツィオコルフスキーのロケットのように。ジェール・ベルヌの潜水艦のように。

2020年のコロナ時代が始まったら、そもそもデモ・集会自体が防疫という別の理由で開催されなかったのだけれども、その時には毎日のニュースで何度も目にしていたじゃないか。

殆どの人が一人1個持って身に着けているスマホを基に調査すれば、客観的な形でその場の人出がわかる、と。


もう何度も書いた。最初は「スマホ」でなく「携帯電話」であった時代から、ぐらいだ。

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再掲載。

人数が、携帯電話情報の分析で詳しく、正確にわかるじゃん!! それを報道各社は知ってるんじゃん!!


これがめちゃくちゃお金がかかる、とかなら分かるけど、コロナと人流報道では毎日毎週のようにこういうデータと報道が出てたからな。
集まった人数…(多数が集まったか、少ないか?)に、かなりニュース価値があるだろうと解ってる話題なら、この携帯電話位置情報サービスでの分析結果を、報道各社はぜひ「主催者発表」と、少なくとも並列して記してほしい。
いわゆる「警察発表」とかに頼るより、よっぽど独立性があっていいでしょ。主催者発表と乖離してるかどうかは、それはまあ集会次第ということで(笑)


…というふうに、予言、提案、指摘をしていたのだけど、ついにメディアによる「人数を、主催者発表スマホでの計測で比較してみた」報道が、現実のものになったのですよ。
さあ!惜しみない賞賛を浴びせて!

で、…いったん、これが現実となれば、あとはスタンダードになるのを待つばかり。



この記事に、自分はこうブクマコメントした。

【大朗報】自分が10年前から言ってた「スマホ情報を使えば『人数報道』は一番正確になる」を遂にメディア側も認め、実践してくれた!/…でも…大丈夫か?6月には『沖縄反基地集会の人数報道』があるぞ!(苦笑)
https://b.hatena.ne.jp/entry/4736644882945336357/comment/gryphon

ryukyushimpo.jp

www.okinawatimes.co.jp

もちろん、上のリンクにもあるが、「安倍国葬」の献花人数を、実に雑な牽強付会で水増ししようとした評論家がいたように、この刃の切っ先が向くところは右でも左でもなく「嘘」である。


「愚か者のみが、真実に傷つく」___カール・ゴッチ


【確認メモ】すべて政治的議論を呼ぶような「あの催しの人数はどれぐらい?」問題は「クロスロケーションズ(東京)」が正解を知る!(よね?)

www.x-locations.com

2023年05月15日
メディア
IBC岩手放送「ニュースエコー」2023GW盛岡の人出調査に当社の人流データが紹介されました

2023年05月12日
メディア
共同通信社、全国地方紙にてゴールデンウィークの人流変化の調査について当社のデータを取り上げていただきました

2023年05月12日
メディア
【メディア掲載】 ENCOU(エンカウント)、Yahoo!ニュースで弊社代表インタビューが掲載されました

2023年05月06日
メディア
朝日放送テレビ「news おかえり」に2023年GW人出の変化に当社の人流データが紹介されました

2023年05月06日
メディア
テレビ朝日報道ステーション」に2023年GW人出の変化に当社の人流データが紹介されました

ここは「人流アナリティックス」ってのもやってる。
www.x-locations.com


もう、ここの数字が正解だってわかってるじゃん。メディアも利用してるじゃん。
一番「本当の人数はいくつか」が話題…というか政治的対立の不毛な戦場になっている「政治的集会」「デモ」「献花参列者」など、ここに聴けば正解なんだよ!
みんな分かってるけど、使ってないだけなんだよ!!

…そう思いながら、いろんな報道を今後見ていただければ幸いです。

腕が折れるう!! 横綱の『地獄極め出し』。被害者翔猿「わかっていても吸い込まれた…」

「わたしの怒りは 頂点に達した! ファンのみなさんに ハッキリ申し上げておくが、わたしは正統派の技の相撲を愛するにせよ、ルール無用のケンカの方が むしろ地上の誰にも負けぬ自信がある!たとえば手足を折る気になれば…どんな相手でも 一瞬に折ってみせる!(照ノ富士(談))」
…などというのはプロレススーパースター列伝の猪木の談話(もちろん梶原一騎の創作です)の改変だが……

プロレススーパースター列伝 アントニオ猪木 ルール無用の喧嘩 腕をヘシ折る


立ち合い様子を見て立っていった照ノ富士。すぐに翔猿の両腕を抱え込むと、一度は抜かれるも、再び極めて抱えていった。そのまま照ノ富士は極めて吊りながら前に出ていく力強い相撲で圧倒し、翔猿に隙を与えず極め出しで初日から4連勝となる白星を挙げた。敗れた翔猿は3敗目を喫した。

 照ノ富士の豪快な取り口に、ABEMAで解説を務めた元関脇・隠岐の海の君ヶ濱親方も「横綱相撲だった」と驚嘆。「万全で極めていった」「攻略が見つからないような取り口ですよね」と称賛すると、翔猿の両腕を極める場面に「もう本当に折れる寸前じゃないですかね」とコメントしていた。

照ノ富士、翔猿の腕を完璧に極める

news.yahoo.co.jp

いや、それより、やられた当事者の談。

●…翔猿(照ノ富士にきめ出され)「あれだけは駄目だと分かっていたが、吸い込まれた。全く動けなかった」
www.sanspo.com

相手が警戒していたらかからないような必殺技は、必殺技とはいわない、と言われるが…


「歴史探偵」三蔵法師の回(配信中)に、闘病中の夢枕獏出演。ひとまずお元気そうで……

オッス!おら三蔵 西遊記の世界

初回放送日: 2023年5月17日

西遊記」は、唐の時代の僧・玄奘がモデル。往復で約3万キロという天竺(インド)への旅を調査。後半は、玄奘の実録がどうやって3人の妖怪を従えた話に変化したのか調査

www.nhk.jp

いやいやいや。
放送16分ぐらいから、空気枕ぶく、いやちがった夢枕獏先生がご出演だったのでございます。
自分の公式サイトでああた、出演をPRしていたのでございます。

www.yumemakurabaku.com
歴史探偵 オッス!おら三蔵 西遊記の世界 
【司会】佐藤二朗 【ゲスト】夢枕 獏
[総合] 5月17日(水) 午後10:00 ~ 10:45(予定)
西遊記」は、唐の時代の僧・玄奘がモデル。
往復で約3万キロという天竺(インド)への旅を調査。
後半は、玄奘の実録がどうやって3人の妖怪を従えた話に変化したのか調査。

漫画やアニメなど今も大人気の「西遊記」は、唐の時代の僧・玄奘をモデルにした奇想天外な物語。
実は日本は本場・中国に勝るとも劣らない西遊記研究の最前線。
玄奘の舎利をはじめ、記録「大唐西域記」の最古の写本も日本の寺にある。
番組前半では、往復で約3万キロという玄奘の天竺(インド)への旅を調査。
後半では、玄奘の実録がどうやって3人の妖怪を従えた話に変化したのか調査。中国にも調査を拡大し「西遊記」成立の謎に迫る。

https://www.nhk.jp/p/rekishi-tantei/ts/VR22V15XWL/?
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2023年05月12日23:23
カテゴリ
歴史探偵にゲスト出演します!
歴史探偵「オッス!おら三蔵 西遊記の世界」に夢枕 獏がゲスト出演致します。
NHK総合 5月17日 午後10時ー午後10時45分


https://www.nhk.jp/p/rekishi-tantei/ts/VR22V15XWL/


こういう著書でも、玄奘に一章を割いて語りまくるのでございます。

玄奘三蔵空海安倍晴明阿倍仲麻呂河口慧海シナン、平賀源内。知的好奇心から、危険をかえりみず時代に抗した7人の評伝


つい仰天文体になってしまうのでございます。

インタビュー記事で、体調のことが詳しく書かれたものを読んだのが昨年でございました。

今月23日、北海道内の空港に降り立った姿は、数年前とは別人のように痩せていた…(略)
 2020年11月、人間ドックで胸に異常が見つかった。

 翌21年3月の診断で、告げられた病名は「悪性リンパ腫」。約6カ月にわたって抗がん剤治療が続き、体重は10キロ以上減った。それでも治療のおかげで、10月には医師から病状が治まったことを意味する「寛解」と言ってもらえた。

 ところが、その後もせきが止まらない。精密検査を受けると、今度は心不全と診断された。抗がん剤治療の副作用だった。

 医師から告げられた悪性リンパ腫の5年生存率は50%。そして、この心不全の5年生存率も50%だった。

 「両方とも5割って一体どうなっているんでしょう。もう来年のことは考えないようになりました」
m-dojo.hatenadiary.com


最近、アスリートの肉体作りに関する本の書評を書いたときも、自身の体調と引き比べて書いているのでございます。

www.bookbang.jp

本書『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』(平松洋子)を興味深く読ませていただいた。

 ぼくの好きな格闘技系――相撲やプロレスの話題が多かったことがひとつにはあるが、この一年ほど、筋トレやリハビリ、食事などに気をつかう日々をずっとすごしていたからである。

 実は、この一年あまり、病気の治療や手術で四回ほど入院をし、そのたびに歩行器などを使用するリハビリから始め、筋トレをして少し元気になったら、次の手術で入院。またリハビリをして入院ということを繰り返していたのである。

 血液ガンや心不全などをわずらって、ガンは寛解心不全の方はひとまず落ち着いているのだが、食事は減塩、有酸素運動はこまめにやらねばならない日々をすごしているのである。そんなわけで本書に書かれているメッツ(METs)などという単位がどういうものか、現在のぼくは知っているのである。メッツというのは、安静時の単位を1とした時の「運動強度の単位」である。ちなみに、メッツ「4~5」というのは、ぼくの手元にある医者からもらった資料では、「軽い大工作業」、「軽い草むしり」、「入浴」、「10kgの荷を持っての歩行」とある。メッツ「9~10」は、「ボウリング、アメリカンフットボール」ということになる。ぼくのメッツは「3~4」で、家事一般や、ラジオ体操、カートありのゴルフはやってもいいが、それ以上の運動は心臓に負担がかかるため、やってはいけないことになっている。

あの、獏がだよ(※通常の文体に戻る)

今回の番組にまさに関係しているが、三蔵法師玄奘の旅を追体験したいと、天山山脈を実際に馬に乗って旅し、ヒマラヤ登山体験を「神々の山嶺」に結実させた、ある意味で超肉体派のタフネスぶりを示した夢枕獏が、草むしりすらやってはいけず、ラジオ体操までならまあやってもいい、という現状なのだ。


だが・・・まさに若い時分の、その天山山脈踏破の写真を持参して番組に提供、にこやかにしゃべる姿は、少なくとも手塚治虫藤子・F・不二雄氏の最晩年に、テレビに出た時の、素人目にも激やせしている!的な感じではなく、体型的にも声の張り的にも、それほどの衰えは感じなかった。

それは実際に配信動画を見てほしい。

まずはそんなわけで、そんな元気な姿の報告。