モーニング 2026年6号 だんドーン97話

「長崎丸事件」はウィキペディアでも単独項目がなく「下関戦争」の中で書かれている。
ja.wikipedia.org
このほか、文久3年12月24日(1864年2月1日)には、関門海峡を航行中の薩摩藩使用の洋式船「長崎丸」(幕府より貸与)を、長州藩の陸上砲台が砲撃し、薩摩藩士24人が死亡した。当日は視界不良で薩摩藩の船と認識しての砲撃であったかは不明であるが[12]、長州藩の謝罪で一応は解決した。しかしながら、翌年にも長州藩兵が薩摩藩の御用商船「加徳丸」を焼き討ちし、乗員を殺害する事件が起きている[13]。
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長崎丸へ砲撃は長州藩の誤認か故意か
2017/7/28 07:02
地方
薩摩藩士ら28人を弔う長崎丸殉難者招魂碑=北九州市門司区の高輝山大蔵院北九州市門司区田野浦に、薩摩藩士ら28人を慰霊している寺院がある。高輝山大蔵(こうきざんだいぞう)院という。同院には、位牌と彼らが乗船した「長崎丸」の船板がまつられている。また、大正10(1921)年8月、境内に招魂碑が建立された。題字は同藩出身で首相も務めた松方正義による。住職によると、以前は12月に鹿児島県人会の方々が来て、供養の歌を詠んだとのことである。
文久3(1863)年12月24日深夜、薩摩藩士ら68人が乗った蒸気船「長崎丸」が、小倉藩領の豊前国白野江村(現北九州市門司区)の部埼(へさき)沖で炎上、沈没した。28人が焼死、溺死した。
で、その結果。

以前も書いたが、本とか小説マンガに、歴史上の歌や詩が出てきたら、間髪入れずに書き留めておく、メモする方がいい。
その一環。



















