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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

本能寺の変は、武田と内通してた光秀が「あ、穴山梅雪が許され上洛?…バレる前に殺るしか!」との説(綿考輯録)

※6月20日にテレビ朝日「謎解き!伝説のミステリー」でこの説が紹介されたそうですが、この記事はその前に、別の資料から紹介したものです。
番組もTVerで見られるようですね。





北野武の新作映画「首」は、カンヌに出品されるらしい。
最初、概要を聞いた時は「そのアイデアは既出!」と思ったけど、詳しく聞くと面白そうだね、普通に見たくなる。

ところで余談だが、この記事は、直接的な記事かコラムか、ややわかりにくい。
最近スポーツ新聞ってこういう形式が増えているような気がする。
それは、直接的な情報ではネットにかなわないから、必然的にコラム化していくのかもしれない

「首」は、北野監督が初期の代表作の1つ「ソナチネ」(93年)と同時期に構想し、温めてきた企画だ。世界の映画史に残る名作「七人の侍」で知られる黒澤明監督も生前「北野くんがこれを撮れば、『七人の侍』と並ぶ傑作が生まれるはず」と期待した。それが、北野監督が会見で「構想30年というのは3週間の間違いだったらいいんだけど」と口にしたように、温め続けた末、念願の映画化が実現した。

まず、北野監督は19年12月に「首」を、初の歴史長編小説として書き下ろして出版した。帯には「信長を殺れ! 天下を奪え! 誰も読んだことのない『本能寺の変』がここに!」と記され、同監督は「戦国時代小説を楽しめ! 北野武」との、直筆のメッセージを記している。

小説版は、羽柴秀吉千利休に雇われ、謀反人と逃げ延びた敵を探す旅をしていた曾呂利新左衛門(そろり・しんざえもん)が、織田信長に反旗を翻して有岡城から逃走する荒木村重を、雇われスパイの甲賀者チビとデカブツとともに偶然、捕らえ…
www.nikkansports.com

そして
本題。


大河ドラマがあれば、関連書籍が次から次へ作られるのが世の常で、磯田道史も多忙だなんだと言いながら、新書やら文庫を出している。
粗製乱造を心配する向きもあろうが、磯田氏はそもそも古文書から逸話を抜き出して紹介する手腕が優れていて、次から次へと誌面で紹介していく。そこから読者が役に立つ知見を抜き出していけば問題なかろう。


そんな作品の、上記「〜弱者の戦略」に、「本能寺の変の、明智光秀の動機」について、ちょっと踏み込んだ記述がある。これも、実際にそういう文書があり、証言者がその内部事情を知りえる立場に実際あった……と言われると、幾種もある(一説には80説?)陰謀論よりはちょっと格上かもしれない。

それは…要約すると
明智光秀は織田vs武田の抗争が続く中、ひそかに武田と内通(とは言わずとも、パイプの保持を)していた。そして、最終的に武田は滅んだが、明智との関係も含めて武田の内情を知る最高幹部の一人、穴山梅雪は許されて生存。その穴山が、上洛して信長と対面?? これは…もう殺るしかねぇ!!」という。

これがただの推理なら、「君は小説家にでもなるべきだったな」と、名探偵を前にした容疑者のようにとぼけることもできるが…
(140-142P)


本能寺の変です。なぜ明智光秀は信長を裏切ったのかについては、これまでありとあらゆる説が唱えられてきました。誤解のないように言っておきますと、私は「本能寺の変の黒幕は武田家だった」と主張したいのではありません。そもそも本能寺の変天正十年(一五八二)六月二日。すでに武田家は滅びています。


武田はそれよりもずっと前から、徳川同様、織田の家中にも離間工作を盛んに仕掛けていました。
そのなかで重要なターゲットになった一人が、明智光秀だったと考えられます。もともと光秀は、織田方の有力武将として、さまざまな外交関係を結んでいました。
そのなかには武田や長宗我部といった、信長と敵対する勢力や微妙な関係の集団も含まれていました。光秀は強い野心を持ったしたたかな人物といえます。イエズス会の宣教師フロイスは光秀のことを「過度の利欲と野心が募り」(『日本史』)と書いています。そこまで悪く言わなくても、と思うのですが、光秀は一筋縄ではいかない有能さで、ひそかに独自の外交もやっていた形跡があります。
武田による光秀への工作がうかがえる史料があります。熊本藩細川家の『綿考輯録(めんこうしゅうろく)』です。前にも述べましたが、細川幽斎明智光秀らとともに語らって、信長に足利義昭の将軍擁立を持ちかけて以来、光秀の盟友であり、その息子の細川忠興正室ガラシャは光秀の娘という深い関係にありました。
光秀の謀反のあと、明智家の主だった人物はほとんど殺されてしまいましたが、わずかな生き残りは、細川家に縁を頼って来ました。その一人が、光秀の筆頭家老だった斎藤利三の子どもの一人、三存です。年齢が若かったせいもあり生き残って、のちには徳川秀忠にも仕えました。『綿考輯録』には、その三存の次のような証言が記されています。明智方の枢要の地位にいて、生き残った人物の証言は大切です。
武田家滅亡に際し、武田家の一門でもあった有力武将の穴山梅雪が信長、家康の軍門に降ります。そのとき光秀は、穴山の口から信長に、「内々の逆意が露見するのを恐れて」、つまり武田に通じていたと暴露されるのを恐れて、「取り急ぎ謀反心を起こされた」というのです。つまり光秀は武田との内通を武田の一族である穴山に知られており、それが信長に伝わる前に、先手を打った。そう『綿考輯録』は示唆しています。全てを信じることはできませんが、こうした証言がある以上、考慮しないわけにはいきません。

武田は信長方の重要人物たちの間にさまざまなくさびを打ち込み、信長との離間をはかっていました。そうした調略の毒は、武田家が滅びたのちにも効いてきて、ついには信長をも殺してしまった可能性があるのです。

本能寺の変は、穴山梅雪上洛で光秀が「俺の武田との内通がバレる!」と


もちろん、未発見の新資料でも無く、これが定説扱いされないのは様々な事情があるのだろう。当時は若年の『筆頭家老だった斎藤利三の子どもの一人』だと、どれぐらいの信用度があるかはいろいろ議論もあるだろうし、「本能寺の変の真相」は今と同様……いや今以上に大きな関心事、ひとつ前の記事の「手塚治虫の無理難題」じゃないけど、次々に尾ひれがついてドラマチックになったり、変な教訓や因縁話を含んだものになったりする。


それでも、「細川家を頼って生き残った、明智光秀筆頭家老の息子が証言した内容が、熊本藩細川家のまとめた史料に残っている」と言ったら、もっと知られていいと思うんだよね。
そんなわけで紹介した次第だ。
「どうする家康」今が三方ヶ原だとすると、案外このあとは早いうちに「本能寺の変」やることになるのかなー。


しかし、この説だと、完全なとばっちり、歴史の脇役…だったとされた穴山梅雪が、実は主役、キーマンだったことにもなって、なんとも皮肉な話だ。

「○○が無きゃもう描けません(神様談)」のイラスト・逸話競演(唐沢なおき、吉本浩二、高千穂遥)がなんか楽しい

「神様」の絵だから、これも宗教画というのだろうか。

唐沢なをきの描く「神様手塚治虫の無理難題」
吉本浩二の描く「神様手塚治虫の無理難題」

まあ、「最後は母親が無理難題を止めた」みたいな落ちも含めて、どんどん逸話が洗練されて面白くなっていき、物語風になる所も含めて神話、伝説っぽいのも”神様”にふさわしく。

補足としての「落語家師匠・無理難題列伝」

映画「メジャーリーグ」が17日、BSPで放送/主題歌は今や「邪道」の象徴…(笑)

メジャーリーグ

5月17日(水)午後1時00分〜2時47分 

大リーグを舞台に、個性豊かな選手たちが大奮闘するスポーツ・コメディーシリーズ第1作。伝統こそあるが30年以上も優勝から遠ざかっている弱小球団となってしまったクリーブランド・インディアンス。亡き夫の跡を継いだ新オーナーは、本拠地をマイアミへ移転させることを画策し、落ちこぼれ選手ばかりを集めてチームの最下位をねらっていた。オーナーの狙いを知った選手たちは一致団結、やがて奇跡の快進撃を開始するが…。

www.nhk.or.jp


この時、日本でもヒットした人気の映画だったはずだけど、日本にとって野茂がメジャーリーグを一般的なものにした…のはこのあと、1990年代か。
というか、野茂が入団してつけた背番号って「メジャーリーグ2」からとったんだって!
その前に桑田の挑戦とかあったものな。にしても、現実が芸術を模倣した、ともいえる(その後もピッチャーなら大リーグ入りは可能だが、野手じゃ無理だろう、と言われた時期も長かった…)

1995年2月13日にロサンゼルス・ドジャースマイナー契約を結ぶ。契約金200万ドル(約1億7000万円)[20]、年俸は10万ドル。近鉄時代の1億4000万円からわずか980万円になった。背番号16は、親交のあったとんねるず石橋貴明が、映画『メジャーリーグ2』で日本人選手役として付けていた背番号であることから選んだ。
ja.wikipedia.org


自分、よく考えたら見たことないんだけど、まあ肩の凝らないコメディで、いわゆるアカデミー賞とかベネチアで金獅子をとるとか、そういう映画でもなさそうではある。
だけど、同時にこの映画主題歌が、回りまわってプロレスの中で雑草を越えた「煮ても焼いても食えない毒」の象徴となり、いまだに生き続けていたりするわけだな。


www.youtube.com


www.youtube.com


おお、和訳付きなんてのもめっけた

www.youtube.com

ぜんぜん、深くないな歌詞の内容(笑)

「壁は友達」という諺を、弥益ドミネーターが言うてた。壁レスリングの重要性を伝える言葉だとか

DEEP配信がU-NEXTで入ったのは実にありがたい。
で、この前の同プラットフォーム配信初回はDEEPフライ級決勝戦で、解説は弥益ドミネーター聡志であった。
彼はこのトーナメントの時に継続して解説をしていたらしく、非常にこなれている。

MMA解説は大沢ケンジ高阪剛がなんとも二大巨頭ぽい感じだが、宇野薫とか青木真也とか水垣偉弥とか、そういう新しい才能がけっこう登場している。
この前、何かの大会で堀口恭司が副音声解説して好評だったな。


その解説において、テイクダウン後の、金網際の攻防でドミネーターがタイトルにうたったように「壁は友達」という諺を、我々の間で言っていることば、として紹介してた。


もちろん解らん人には面くらう言葉で、ひょっとして困難を愛せよ、みたいな人生訓に思うかもしれないが、MMAファンには言うまでもない。「壁」=金網(あるいはリングではコーナーやロープだろう)、そして金網とマットの間の垂直な空間をうまく使って、そこに相手を押し込めば動きを封じて有利になる、ということである。もちろん壁=金網を足で蹴って、下から脱出するとかもできる。そういう想定や練習を怠るな…ということでもあろう。

実際、これは非常な大発見でありました。
おそらく世界中の伝統的な格闘技、レスリングなどで、壁を利用した技術体系なんてひとつもなかったろう。競技場をそういうところで想定していたんだからしょうがない。
しかし、第一回UFCで、見た目なども考慮して映画監督上りの人間が考案した金網のオクタゴンがひとつの標準になると、そういう技術体系が生まれる。

9年前に「ウォールウォーク」という言葉を知って、感動して紹介したことあったっけ。

m-dojo.hatenadiary.com
近年のMMAにおいては、レスラーがテイクダウンを奪っても、相手のウォールウォーク(ケージに背中を押し付けながら立ち上がる動き)を許してスタンドに戻ってしまう場面が目立ちます。しかしあなた(ベン・アスクレン)は一度上を取ったら非常にキープ力が強い。違いはどこにあるのでしょう?

これもまた新概念とそれを踏まえた技術体系の進歩。

そして、これまた教義の立場からは、この部分を考えるのは邪道だと言われるかもしれないが…おそらく路上、街中の現実としては、この「壁レスリング」が有効な場合が、無効なときよりずっと多いでしょう。
町で暴れる酔っ払いなどを、平本蓮vs斎藤裕よろしく、とりあえず壁に押し付けて動きを封じれば駅員なり警官もやってくるでしょうし。

ただまあ、それが「壁は友達」なる不思議な言い回しで諺化している、というのは一寸おかしかったな。
キャプテン翼の影響下で成立したんだろうけど。

カンガルーは水辺の近接戦闘に強く、チョークを極めて水に引きずり込む(いきものがたり)

松本ひで吉の動物紹介コラム漫画「いきものがたり」はイブニングで連載されていたが、同誌が休刊。
まあそれこそ職人気質のプロレスラーじゃないが「どのテリトリーに行っても食っていける」ようなスキルとクオリティなので心配してなかったが、案の定、最大のメジャー団体「モーニング」に正式な移籍(不定期連載)が決定したという。


その一回目にはカンガルーも登場していた。
comic-days.com
そこで語られた意外な事実!
カンガルーは実は泳ぎもうまく、水辺の王者。正確に言えば、水辺での戦いの王者…。

カンガルーは水辺で強い (松本ひで吉「いきものがたり」)

サメなんて映画の中だけで強い、人気だけのショーマン。オーストラリアでは真の実力者カンガルーの挑戦から、逃げ回っているようだゼ……


そう、水辺の戦いでは水を味方に、武器にしたものこそ最強。
アトランティス?だけじゃないけど、なんか肺活量にすぐれた、泳ぎの達者な相手が、戦闘力だけではかなわない相手を水中戦闘に持ち込み「息が続くかの競争」に”ゲームのルール”を強制的に変更、相手をやっつけるor 苦戦させる…ってパターンの漫画とかドラマって、結構読んだような気がする。


カンガルーは体形やサイズ的にも、「われ、人間と闘わば」的なふいんきがあり、実際自分も打倒カンガルーを掲げたことがあるが、実のところやつは無駄な肉のない全身凶器。打撃のキレはいうまでもないが、組み技でも相当の実力とくれば穴はない。
かつて、こう論じている流派があったが、彼はカンガルーも同様に柔術を学んで、対処していたこと、水辺で水を武器にしていたことを知っていたのか?
こうなると正直、やや楽観的すぎると判定せざるを得ない。

7 名前: 絵本作家(豪)[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 21:30:27.96 ID:9IffxjqE0
カンガルーまじ強いぞ
豪在住の俺が言うんだから間違いない


101 名前: 教員(大阪府)[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 21:34:47.52 id:WeEF5EtQP
カンガルーは強いというより難しい。
人間と骨格が違いすぎるからだ。戦闘力自体は高くない。

ファーストコンタクトが全てか。

カンガルーvs人間

そこで……
ブレイキングダウン参戦を一部で熱望され、そのわずらわしさに「参戦してほしいとか言う人はミュートします」と語る元アウサイ王者の佐野哲也氏だが、

…もし、カンガルーとのシングルマッチをオファーされたら、その闘志に火は着くだろうか。


※たぶんこの佐野哲也オチ、11回目ぐらい。

その他、対どうぶつ記事。
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なお、動画をもらう


www.youtube.com

「我々は何者か?〜」はゴーギャンの名画と別に『蛮族が壁に…』云々(P1、押井守)とあるが、ホントなのかね?

きょうのこんな話題のツイートから。



この絵ね。魅惑の著作権消失フリー素材。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか ゴーギャン

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(われわれはどこからきたのか われわれはなにものか われわれはどこへいくのか, 仏: D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?)は、フランスの画家ポール・ゴーギャンが1897年から1898年にかけて描いた絵画。ゴーギャンの作品のうち、最も有名な絵画の1つである。絵画の左上にはフランス語で「D'où Venons Nous Que Sommes Nous Où Allons Nous」と題名が書かれ、右上には「P. Gauguin 1897」と署名および年が書かれている[1]。
ja.wikipedia.org

タヒチで描かれた作品で、2020年6月現在は米国マサチューセッツ州ボストンにあるボストン美術館に所蔵されている

この不思議なタイトルが印象的なゆえに、生物学や考古学や歴史などをひっくるめてジャーゴンとして引用されまくり、陳腐化している…というのはさもさもありなんです。


ちなみに自分は星野之宣ヤマタイカ」の宣伝文句として初めて知ったのでした。


かつて、白戸三平「忍者武芸帳」の影丸の台詞
「われらは遠くから来た。
       そして遠くまで行くのだ」
の出典をブログ「漫棚通信」が調査したことがあり、別の人物の台詞らしいという話もあったが最終的に白土三平本人が「元はゴーギャンの絵画」と述べていたことが分かった、という一件もありました。
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さて。そこまではいいんだが…このセリフが日本で有名になった、もう一つの経由地がある。
それはこの「全台詞」ページから引用すべきだろう。

ityou.info
ここじゃ過去なんてものには一文の値打ちもないのかも知れんな
俺たちがこうして話してるこの場所だって、ちょっと前までは海だったんだぜ。それが数年後には、目の前のこの海に巨大な街がうまれる。でもそれだってあっという間に、一文の値打ちもない過去になるに決まってるんだ。たちのわるい冗談につきあってるようなもんさ。帆場の見せたかったものって、そういうことなのかも知れんな


我々はどこへ行くのか、我々は何者なのか


何だいそりゃ


大昔ヨーロッパに攻め込んで破壊の限りをつくした野蛮人の隊長が壁に書いた文句

…という台詞がある。だから自分も、元はそういう逸話があり、それをゴーギャンが引用したんかな?と思ってた。
だが、ネット上ではその「野蛮人の隊長」を具体的に特定する向きもあったが、いずれも特定に至っておらず「そんなものはないのでは?」が優勢のようだ。
(だいたい、その称号が「隊長」だということから考えると、オドアケルなんて名前が浮かぶが…たとえばアッティラやガイセリック王を「隊長」とは呼ばんよね)

だいたいは、否定的でしょ

q.hatena.ne.jp
okwave.jp


もちろん俺個人は、空手バカ一代におけるヘミングウェイ」の前例があるから耐性はついてる(爆笑)
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ましてや空手バカ一代と違い完全なフィクションなのであるから、「この作品世界の中では、蛮族が壁にそうやって描き残した史実があるんだ」と言えば済む。

ただ、どうなのかね?根も葉もないのか?根も葉もあるのか?

まだこの話「そんな史実は無かった」と断定するにも調査が弱いし、仮にやっぱりゴーギャン絵画の表題が元であったとしても、映画パトレイバー1より先に、印象的なので、ゴーギャンの言葉を借りて、蛮族にそういう行動をとらせた歴史映画や小説があるかもしれない。

そんな謎を提示し、他の人の調査を待つ。
(了)

その後の情報

 この言葉は、実は2世紀に主に小アジア(今のトルコ)で活躍したらしいグノーシス派の教師・思想家 テオドトスの言葉で、それより少し後の人、アレクサンドリアのクレメンス(Titus Flavius Clemens,150年?-215年?)が編集した「テオドトスからの抜き書き集」に収録されている。英訳で引用する。もとはギリシャ語だろうから、ここにあげるのは無理無理。。

Exceptura ex Theodoto
78章2節

But it is not only the washing that is liberating, but the knowledge of/who we were, and what we have become, where we were or where we were placed, whither we hasten, from what we are redeemed, what birth is and what rebirth. '

エレーヌ ペイゲルス ナグ ハマディ写本 白水社での引用和訳では、、
「われわれは何者であったか、また何になったのか。われわれはどこにいたのか、、どこに行こうとしているのか。われわれは何から解き放たれているのか、誕生とは何か、また再生とは何か。」

  ゴーギャンは、どこからこの言葉を知ったのだろう?Wikipedia (日本語版と英語版)によると11歳から16歳までオルレアンの神学校に通っていて、その神学校のモットーがこれだったという。モットーをこれにしたのはオルレアン司教Felix Antoine Philibert Dupanloup (3 January 1802 ? 11 October 1878)だというから、この二世紀の異端とされ排撃されたグノーシス派(ヴァレンチノス派)の教師の言葉が、ガチガチのカトリック教会のなかで伝承されてきたということになる。
reijiyamashina.sblo.jp


日本人研究者による待望の入門書、登場! 世界を創造した神は〈善〉か〈悪〉か? 「人間は<偽りの神>が創造した偽りの世界に墜とされている。われわれはこの汚れた地上を去り、真の故郷である<天上界>に還らなければならない」――誕生間もないキリスト教世界を席巻した<異端思想>。膨大な史料を博捜し、その実像に迫る。(講談社選書メチエ

「全体的に独裁、強権、権威主義国家だけど、選挙だけはガチ」な国もある。トルコ大統領選、接戦

ウクライナ情勢で仲介役を買って出るなど存在感を増す中東のトルコで14日に行われた大統領選挙は、現職のエルドアン氏と野党の統一候補クルチダルオール氏との間で接戦……20年にわたって政権を率いてきた現職のエルドアン氏と、6つの野党の統一候補として初めて立候補したクルチダルオール氏との事実上の一騎打ちとなりました。
(略)
エルドアン氏は最大都市イスタンブールで投票を行った後、「トルコの民主主義を示したい。よりよいトルコになるように願っている」と述べました。

一方、クルチダルオール氏は首都のアンカラで投票後、「私たちは民主主義を失っていた。この国に春が来てそれが永遠に続くだろう」と述べました。

政府系通信社アナトリア通信によりますと、日本時間午前6時時点の開票率は92.98%で、得票率はエルドアン氏が49.68%、クルチダルオール氏が44.58%と接戦となっています。
(略)

www3.nhk.or.jp

表題の話だけど、自分がそういうのの存在に気付いて「あれ?」となったのはイランだった。保守派のアハメジャデネド(正確に覚えてないや)が当選した時、たしかリベラル派との一騎打ちで「候補者討論会が過熱して互いに罵り合った」という記事がどこかに載ってね。あれ?選挙なんてお飾り形式じゃないのあの国は??と思ったのが最初だった。

その後も中南米や東南アジアを中心に、どう考えてもまぁ民主主義的ではないな、という振る舞いをする国が、選挙だとかなりの接戦になったり、実際に負けて下野したり……があった。
その逆もあったな。「ここまで、国のトップを決める選挙が実質を伴って行われているなら、まあ民主主義の方向に進んでいて、いまは十分でなくても徐々に……」と思った国が、全然その方向性に進んでいないという……トルコは、むしろその国といえるだろうか。


結局、反体制派もそれなりのボリュームの勢力=つまり実力を持っているので、選挙まで100%デタラメのことを現政権がやったら、本当の意味での「内戦」すら勃発しかねないという緊張感があるから、という面もあるだろう。


このテーマが、最近ホットなトピックになっているようなのだ。

民主国家で台頭する二つの権威主義
―― 選挙権威主義非自由主義的民主主義の脅威
ダン・スレーター ミシガン大学教授

After Democracy
What Happens When Freedom Erode?

Dan Slater ミシガン大学教授(政治学)。専門は独裁制と新興民主主義。最近の著書にOrdering Power: Contentious Politics and Authoritarian Leviathans in Southeast Asia.

民主国家で台頭する二つの権威主義 ―― 選挙権威主義非自由主義的民主主義の脅威

2018年12月号掲載論文


民主主義が劣化していくにつれて、権威主義化していく。特に、選挙で勝利を手にするためなら何でもする「選挙権威主義」体制、そして選挙後に支配者が法を無視して思うままの行動をとるようになる「非自由主義的民主主義」が主流になっていくだろう。例えば、超法規的殺人を特徴とする麻薬戦争を展開しているフィリピンのドゥテルテは、選挙で選ばれたが、権力を乱用している。(権力を思うままに行使して)非自由主義的民主主義を実践しているトランプも同様だ。より厄介なのは、選挙で有利になるように、ゲリマンダー議員定数の不均衡などのあらゆる政治制度上のトリックを利用しているマレーシアの統一マレー国民組織(UMNO)と米共和党が似て…(後略)
www.foreignaffairsj.co.jp

強権化第3の波で民主主義を装う 「選挙権威主義

2021/10/25 06:00


「複数の政党による選挙が行われているから、自由が保障された民主主義国」とはいえない時代になった。民主主義について研究する学者やグループから「民主主義を装った権威主義国家が多くなった」との指摘が相次いでいる。「選挙権威主義」とも呼ばれる体制だ。スイス公共放送のグローバル・デモクラシー特派員、ブルーノ・カウフマン氏によると、最近の動きは「強権化の第3の波」ともいわれ、軍事クーデターなど力による権力の奪取という従前型の手法ではなく、「やんわりと段階的に、ときに法改正によって進められる」特徴があるという。

www.sankei.com

そしてつい最近、こんな本が出た。

近年、権威主義体制の政治指導者の中に選挙を巧妙にコントロールし、あたかも民主主義の手続きに則っているように自分の統治を正当化する者が現れている。独裁体制研究のフロントランナーがそのからくりを解き明かす。

【目次】
第1章 現代の独裁体制
第2章 政治体制と独裁選挙の歴史的変遷
第3章 選挙権威主義の原理と論理
第4章 独載制と選挙不正
第5章 独裁制下の制度の操作
第6章 独裁者によって操られる経済政策
第7章 独裁者に牙をむく選挙
第8章 選挙操作から利益の分配へ
第9章 選挙操作から体制の崩壊へ
第10章 権威主義民主化のゆくえ


書評が数多く書かれている。

民主主義とは競争的な選挙を行う政治体制を指す。この定義が政治学の世界で定着したのは、米ソ冷戦の時代だった。野党の参入の有無という基準には、ソ連を明確に独裁体制として分類できる利点があった。
 だが、本書によれば、この定義で民主主義と独裁体制を区別できた時代は過去のものだ。米ソ冷戦が終結して30年、今日では独裁体制の8割が選挙を実施し、野党の参加を認めている。
 こうした独裁体制は、暴力的な威嚇や選挙制度の操作によって、最初から与党が選挙で圧勝するように仕組む場合も多い。しかし、一部の独裁体制は、あからさまな選挙不正からは距離を取り、大衆的な支持基盤を固めることを重視する。
 では、なぜ独裁者が選挙を操作しない場合があるのか。この謎を解くため、本書は「選挙のジレンマ」という視角を提示する…(略)
book.asahi.com

ただそもそも、トルコは事前の報道では野党系候補のほうが人気だったはずだが……エルドアンが49%台の得票で、決選投票もしないで勝てるかも、というこの結果は果たして信頼に足るだろうか。


エルドアンも確かに経済的な実績はあるし、ケマル・アタチュルクが成し遂げた政教分離の世俗国家は、逆に保守的な地方一般大衆の感覚や願望とズレたものでもあったろう(それを保持したのが軍部の力、というのも望ましいものではない)。それを福祉党のエルドアンイスラム寄りにしたのは、おそらく民意には支持されていた…だが、おそらく今回再選されたら、エルドアンはさらに独裁方面に舵を切り、最終的には西側陣営の離脱、あるいは半歩身を引いてロシアや中国と関係を強化する、非常に危うい存在になり得る、という懸念もあるのだが。

トルコで私も考えた」は「新」シリーズが始まり、2023年版も出ているな…