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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「全体的に独裁、強権、権威主義国家だけど、選挙だけはガチ」な国もある。トルコ大統領選、接戦

ウクライナ情勢で仲介役を買って出るなど存在感を増す中東のトルコで14日に行われた大統領選挙は、現職のエルドアン氏と野党の統一候補クルチダルオール氏との間で接戦……20年にわたって政権を率いてきた現職のエルドアン氏と、6つの野党の統一候補として初めて立候補したクルチダルオール氏との事実上の一騎打ちとなりました。
(略)
エルドアン氏は最大都市イスタンブールで投票を行った後、「トルコの民主主義を示したい。よりよいトルコになるように願っている」と述べました。

一方、クルチダルオール氏は首都のアンカラで投票後、「私たちは民主主義を失っていた。この国に春が来てそれが永遠に続くだろう」と述べました。

政府系通信社アナトリア通信によりますと、日本時間午前6時時点の開票率は92.98%で、得票率はエルドアン氏が49.68%、クルチダルオール氏が44.58%と接戦となっています。
(略)

www3.nhk.or.jp

表題の話だけど、自分がそういうのの存在に気付いて「あれ?」となったのはイランだった。保守派のアハメジャデネド(正確に覚えてないや)が当選した時、たしかリベラル派との一騎打ちで「候補者討論会が過熱して互いに罵り合った」という記事がどこかに載ってね。あれ?選挙なんてお飾り形式じゃないのあの国は??と思ったのが最初だった。

その後も中南米や東南アジアを中心に、どう考えてもまぁ民主主義的ではないな、という振る舞いをする国が、選挙だとかなりの接戦になったり、実際に負けて下野したり……があった。
その逆もあったな。「ここまで、国のトップを決める選挙が実質を伴って行われているなら、まあ民主主義の方向に進んでいて、いまは十分でなくても徐々に……」と思った国が、全然その方向性に進んでいないという……トルコは、むしろその国といえるだろうか。


結局、反体制派もそれなりのボリュームの勢力=つまり実力を持っているので、選挙まで100%デタラメのことを現政権がやったら、本当の意味での「内戦」すら勃発しかねないという緊張感があるから、という面もあるだろう。


このテーマが、最近ホットなトピックになっているようなのだ。

民主国家で台頭する二つの権威主義
―― 選挙権威主義非自由主義的民主主義の脅威
ダン・スレーター ミシガン大学教授

After Democracy
What Happens When Freedom Erode?

Dan Slater ミシガン大学教授(政治学)。専門は独裁制と新興民主主義。最近の著書にOrdering Power: Contentious Politics and Authoritarian Leviathans in Southeast Asia.

民主国家で台頭する二つの権威主義 ―― 選挙権威主義非自由主義的民主主義の脅威

2018年12月号掲載論文


民主主義が劣化していくにつれて、権威主義化していく。特に、選挙で勝利を手にするためなら何でもする「選挙権威主義」体制、そして選挙後に支配者が法を無視して思うままの行動をとるようになる「非自由主義的民主主義」が主流になっていくだろう。例えば、超法規的殺人を特徴とする麻薬戦争を展開しているフィリピンのドゥテルテは、選挙で選ばれたが、権力を乱用している。(権力を思うままに行使して)非自由主義的民主主義を実践しているトランプも同様だ。より厄介なのは、選挙で有利になるように、ゲリマンダー議員定数の不均衡などのあらゆる政治制度上のトリックを利用しているマレーシアの統一マレー国民組織(UMNO)と米共和党が似て…(後略)
www.foreignaffairsj.co.jp

強権化第3の波で民主主義を装う 「選挙権威主義

2021/10/25 06:00


「複数の政党による選挙が行われているから、自由が保障された民主主義国」とはいえない時代になった。民主主義について研究する学者やグループから「民主主義を装った権威主義国家が多くなった」との指摘が相次いでいる。「選挙権威主義」とも呼ばれる体制だ。スイス公共放送のグローバル・デモクラシー特派員、ブルーノ・カウフマン氏によると、最近の動きは「強権化の第3の波」ともいわれ、軍事クーデターなど力による権力の奪取という従前型の手法ではなく、「やんわりと段階的に、ときに法改正によって進められる」特徴があるという。

www.sankei.com

そしてつい最近、こんな本が出た。

近年、権威主義体制の政治指導者の中に選挙を巧妙にコントロールし、あたかも民主主義の手続きに則っているように自分の統治を正当化する者が現れている。独裁体制研究のフロントランナーがそのからくりを解き明かす。

【目次】
第1章 現代の独裁体制
第2章 政治体制と独裁選挙の歴史的変遷
第3章 選挙権威主義の原理と論理
第4章 独載制と選挙不正
第5章 独裁制下の制度の操作
第6章 独裁者によって操られる経済政策
第7章 独裁者に牙をむく選挙
第8章 選挙操作から利益の分配へ
第9章 選挙操作から体制の崩壊へ
第10章 権威主義民主化のゆくえ


書評が数多く書かれている。

民主主義とは競争的な選挙を行う政治体制を指す。この定義が政治学の世界で定着したのは、米ソ冷戦の時代だった。野党の参入の有無という基準には、ソ連を明確に独裁体制として分類できる利点があった。
 だが、本書によれば、この定義で民主主義と独裁体制を区別できた時代は過去のものだ。米ソ冷戦が終結して30年、今日では独裁体制の8割が選挙を実施し、野党の参加を認めている。
 こうした独裁体制は、暴力的な威嚇や選挙制度の操作によって、最初から与党が選挙で圧勝するように仕組む場合も多い。しかし、一部の独裁体制は、あからさまな選挙不正からは距離を取り、大衆的な支持基盤を固めることを重視する。
 では、なぜ独裁者が選挙を操作しない場合があるのか。この謎を解くため、本書は「選挙のジレンマ」という視角を提示する…(略)
book.asahi.com

ただそもそも、トルコは事前の報道では野党系候補のほうが人気だったはずだが……エルドアンが49%台の得票で、決選投票もしないで勝てるかも、というこの結果は果たして信頼に足るだろうか。


エルドアンも確かに経済的な実績はあるし、ケマル・アタチュルクが成し遂げた政教分離の世俗国家は、逆に保守的な地方一般大衆の感覚や願望とズレたものでもあったろう(それを保持したのが軍部の力、というのも望ましいものではない)。それを福祉党のエルドアンイスラム寄りにしたのは、おそらく民意には支持されていた…だが、おそらく今回再選されたら、エルドアンはさらに独裁方面に舵を切り、最終的には西側陣営の離脱、あるいは半歩身を引いてロシアや中国と関係を強化する、非常に危うい存在になり得る、という懸念もあるのだが。

トルコで私も考えた」は「新」シリーズが始まり、2023年版も出ているな…