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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「我々は何者か?〜」はゴーギャンの名画と別に『蛮族が壁に…』云々(P1、押井守)とあるが、ホントなのかね?

きょうのこんな話題のツイートから。



この絵ね。魅惑の著作権消失フリー素材。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか ゴーギャン

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(われわれはどこからきたのか われわれはなにものか われわれはどこへいくのか, 仏: D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?)は、フランスの画家ポール・ゴーギャンが1897年から1898年にかけて描いた絵画。ゴーギャンの作品のうち、最も有名な絵画の1つである。絵画の左上にはフランス語で「D'où Venons Nous Que Sommes Nous Où Allons Nous」と題名が書かれ、右上には「P. Gauguin 1897」と署名および年が書かれている[1]。
ja.wikipedia.org

タヒチで描かれた作品で、2020年6月現在は米国マサチューセッツ州ボストンにあるボストン美術館に所蔵されている

この不思議なタイトルが印象的なゆえに、生物学や考古学や歴史などをひっくるめてジャーゴンとして引用されまくり、陳腐化している…というのはさもさもありなんです。


ちなみに自分は星野之宣ヤマタイカ」の宣伝文句として初めて知ったのでした。


かつて、白戸三平「忍者武芸帳」の影丸の台詞
「われらは遠くから来た。
       そして遠くまで行くのだ」
の出典をブログ「漫棚通信」が調査したことがあり、別の人物の台詞らしいという話もあったが最終的に白土三平本人が「元はゴーギャンの絵画」と述べていたことが分かった、という一件もありました。
m-dojo.hatenadiary.com





さて。そこまではいいんだが…このセリフが日本で有名になった、もう一つの経由地がある。
それはこの「全台詞」ページから引用すべきだろう。

ityou.info
ここじゃ過去なんてものには一文の値打ちもないのかも知れんな
俺たちがこうして話してるこの場所だって、ちょっと前までは海だったんだぜ。それが数年後には、目の前のこの海に巨大な街がうまれる。でもそれだってあっという間に、一文の値打ちもない過去になるに決まってるんだ。たちのわるい冗談につきあってるようなもんさ。帆場の見せたかったものって、そういうことなのかも知れんな


我々はどこへ行くのか、我々は何者なのか


何だいそりゃ


大昔ヨーロッパに攻め込んで破壊の限りをつくした野蛮人の隊長が壁に書いた文句

…という台詞がある。だから自分も、元はそういう逸話があり、それをゴーギャンが引用したんかな?と思ってた。
だが、ネット上ではその「野蛮人の隊長」を具体的に特定する向きもあったが、いずれも特定に至っておらず「そんなものはないのでは?」が優勢のようだ。
(だいたい、その称号が「隊長」だということから考えると、オドアケルなんて名前が浮かぶが…たとえばアッティラやガイセリック王を「隊長」とは呼ばんよね)

だいたいは、否定的でしょ

q.hatena.ne.jp
okwave.jp


もちろん俺個人は、空手バカ一代におけるヘミングウェイ」の前例があるから耐性はついてる(爆笑)
m-dojo.hatenadiary.com

ましてや空手バカ一代と違い完全なフィクションなのであるから、「この作品世界の中では、蛮族が壁にそうやって描き残した史実があるんだ」と言えば済む。

ただ、どうなのかね?根も葉もないのか?根も葉もあるのか?

まだこの話「そんな史実は無かった」と断定するにも調査が弱いし、仮にやっぱりゴーギャン絵画の表題が元であったとしても、映画パトレイバー1より先に、印象的なので、ゴーギャンの言葉を借りて、蛮族にそういう行動をとらせた歴史映画や小説があるかもしれない。

そんな謎を提示し、他の人の調査を待つ。
(了)

その後の情報

 この言葉は、実は2世紀に主に小アジア(今のトルコ)で活躍したらしいグノーシス派の教師・思想家 テオドトスの言葉で、それより少し後の人、アレクサンドリアのクレメンス(Titus Flavius Clemens,150年?-215年?)が編集した「テオドトスからの抜き書き集」に収録されている。英訳で引用する。もとはギリシャ語だろうから、ここにあげるのは無理無理。。

Exceptura ex Theodoto
78章2節

But it is not only the washing that is liberating, but the knowledge of/who we were, and what we have become, where we were or where we were placed, whither we hasten, from what we are redeemed, what birth is and what rebirth. '

エレーヌ ペイゲルス ナグ ハマディ写本 白水社での引用和訳では、、
「われわれは何者であったか、また何になったのか。われわれはどこにいたのか、、どこに行こうとしているのか。われわれは何から解き放たれているのか、誕生とは何か、また再生とは何か。」

  ゴーギャンは、どこからこの言葉を知ったのだろう?Wikipedia (日本語版と英語版)によると11歳から16歳までオルレアンの神学校に通っていて、その神学校のモットーがこれだったという。モットーをこれにしたのはオルレアン司教Felix Antoine Philibert Dupanloup (3 January 1802 ? 11 October 1878)だというから、この二世紀の異端とされ排撃されたグノーシス派(ヴァレンチノス派)の教師の言葉が、ガチガチのカトリック教会のなかで伝承されてきたということになる。
reijiyamashina.sblo.jp


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