はてブについてる記事はこれだから、これ使おう
digital.asahi.com
そのブクマ
b.hatena.ne.jp
自分はこう書いた
b.hatena.ne.jp
まず、ここで書いた「木村草太理論」について、実際にリンク先に飛んでみる。
www.okinawatimes.co.jp
表現の自由に対する行政機関の介入問題について検討しよう。
今回、河村たかし名古屋市長や菅義偉官房長官が、展示内容への疑義を表明しつつ、展示や補助金支出に介入する姿勢を示した。もちろん、河村市長や菅官房長官も、個人の立場であれば、展示物を自由に論評する権利を持っている。
しかし、個人の表現の自由は、行政機関としての立場を離れた場所で、個人としての発言であることを明示して行わねばならない。公職としての立場を利用して、特定の芸術表現について介入するのは、憲法上の問題がある。
まず、芸術展の展示の適切さは、芸術の専門家により自律的に判断されるべきものだ。市長や官房長官は行政のプロであって、芸術判断の専門家ではない。市長や官房長官が、表現内容の適切さを理由に介入するのは、越権行為だろう。他方、大村秀章愛知県知事は、展示物の内容について、一切のコメントを避けている。芸術専門職の自律を尊重する態度として、妥当だろう。
なぜ、行政機関が、芸術表現に示された内容を理由に介入することが許されないのか。それは、表現の自由の侵害や、思想・信条による差別に当たるからだ。
もちろん、憲法21条が保障する表現の自由といえども、絶対無制約な権利ではなく、公共の福祉による制約を受ける。
そして、どのような表現を公共の福祉によって制約すべきかを示したのが、刑法や民事上の不法行為だ。わいせつ物陳列や名誉毀損など、犯罪や不法行為となる表現は、芸術表現としての一線を越えたものとされ、刑罰や賠償金の支払いを命じることが許される。逆に言うと、犯罪や不法行為に当たらないにもかかわらず、公的機関が表現活動を規制すれば、表現の自由の侵害として違憲だ。
■発表の場を奪う、思想・信条の差別
また、直接に表現を規制しなくとも、特定の表現内容について、合理的根拠もなく公共施設での展示機会を奪ったり、補助金支出を撤回したりすれば、憲法14条が禁止する思想・信条による差別となる。なぜなら、そうした行為は、「ここで表現された思想・信条は、公的空間での発表に不適切だ」とのメッセージを人々に与えるからだ。
河村市長や菅官房長官は、今回の展示の関係者に刑罰を科したり、損害賠償を請求したりすることを示唆しているわけではないから、表現活動を規制したとはいいがたい。しかし、犯罪や不法行為となる表現でないにもかかわらず、発表の機会を奪ったり、補助金の撤回を示唆したりすることは、憲法14条が禁止する公権力による思想・信条に対する差別となっている可能性が高い。
関連
m-dojo.hatenadiary.com
しっかし、
固有名詞変えれば、そのまま使えるじゃんね。
「実際に見ないと批判もできないだろ」論に立ちますか?
僕は立ちませんが(笑)、この前言ってた人いたじゃんねー。映画「靖国」の上映騒動でも、森達也監督は「まず見てからでないと批判もできない。だから見る場所を奪ってはいけない」と明言してたよ。
今回の、あの愚人の参加する愚団体の催しにもその論を適用するなら、それはそれで一貫性あって立派。違うなら、その論を撤回すればいい。
「問題のあるコンテンツは全体の〇〇%、□点だ。全体を規制してはいけない」論に立ちますか?
トリエンナーレのとき、それ言ってた人いたじゃんねー。上に書いたとおり、自分は催し見てないが、新聞報道やテレビ報道であの愚団体の催しを見る限りでは、かるたがどうこう、とか数点に報道が集中している。
あの愚団体が、そもそも分類できているかわからんけど、結果的に、いわゆる「変更不可能な属性」のほうではなく「権力者(知事は権力者だね)の政策批判」になるものもあるらしい。
トリエンナーレの時に「表現の不自由展は全体の〇〇%にすぎない」という話をしてた論者は、では、かるたその他が撤去されれば、団体の展示の全体そのものは続けていいと考えるのか。
・・・・・・・・・なんて話は枝葉に過ぎず、ここからが本題。
木村草太理論は、やはり修正するしかないのではないか。/会場貸し出しや大会主催者の自治体は「施設権利権」「主催者の権利」を駆使することはできるし、その責任がある
…個人の立場であれば、展示物を自由に論評する権利を持っている。
しかし、個人の表現の自由は、行政機関としての立場を離れた場所で、個人としての発言であることを明示して行わねばならない。公職としての立場を利用して、特定の芸術表現について介入するのは、憲法上の問題がある。
まず、芸術展の展示の適切さは、芸術の専門家により自律的に判断されるべきものだ。市長や官房長官は行政のプロであって、芸術判断の専門家ではない。……表現内容の適切さを理由に介入するのは、越権行為だろう。
もし、この論理を100パー適用するなら、今回の大村知事の発言は、「ブーメラン」になってしまう。
だが、新聞報道によると、そもそも【各施設の利用要領には、「不当な差別的言動が行われるおそれ」がある場合には利用を不許可とする条項がある】となっている。それらは…
矛盾するのか。
矛盾する。
ただ、それはそもそも「その条項が検閲に当たるのではないか?」という方向への矛盾だ。
ただ、(繰り返しは悪文だな(笑))公的施設はしばしば、不当な差別的言動、だけではなく「宗教性」や「政治性」のあるところにも会場を貸し出さなかったり、主催する催しから門前払いしている。こういうのも検閲か、となりえる。
だから、トリエンナーレの木村論とかは多分勇み足で、やはり行政も「主催者」「施設管理者」として、ここには貸す、ここにはこの作品は展示しない、と『言っていい』のだと考えるべきだと思う。「いや違う」、というなら、その主張は『各施設の利用要領には、「不当な差別的言動が行われるおそれ」がある場合には利用を不許可とする条項』を揺るがす、のですよ。そこはどうなさいますか、皆さん?
だからトリエンナーレの一件でいえば、河村市長にもやはり分があったのだわさ。河村市長や大村知事は<主催者>のひとりとして…会場も名古屋市が多少は管理権限あったのかな?、その主催者の権限として、トリエンナーレもトリカエナハーレも口を出すことはできる。他の会場で私的にやることを妨げないのだから、それは表現の自由の侵害ではない。
その前提の上で、大村知事はトリエンナーレについては『たしかに県は主催者として口をはさむ権限はあるが、その上での判断として、その展示を是とする。だから撤去しない』という理路で語ればよかったのだと思う。そうすれば少なくとも、今回トリカエナハーレについて、「特定の芸術表現について介入(※あれは芸術ではない、みたいな意見は論ずるに足らぬ。それを誰が判断するのか、だ)」していることとの矛盾は無くなるのだから。
このへんについては、福岡市長選候補者でもあった紙屋高雪氏が福岡市での議会の論戦を紹介した
kamiyakenkyujo.hatenablog.com
が参考になる。ここでは、上に書いた「問題があるとして、展示の何%なのか」という話も書かれている。
行政は「芸術監督」など『専門家』に委託し、その専門家が判断した、ならどうかについて(書きかけ)
ただ、あとひとつ、トリエンナーレについては、「作品の選定判断は芸術監督に行政は委託、一任したのだ」という議論もあるかもしれない。ただ、これはこれでもっと大きな論点を含む。本当にそういう委任ができるのか、委任したとしたらその委任を受けた者の判断の適格さはどう担保されるのか、美術の専門家ではないジャーナリストもその責を担えるのか(笑)、委任された芸術監督は「行政権力者」なのか、などなど。
さらにいえば「じゃあ施設使用での芸術展示に「不当な差別的言動が行われるおそれ」や「政治性」「宗教性」があるかを判断する、行政者とは別の存在が必要だということになるではないか」ということも言えましょう。
この論点はもう少しゆっくりと書きたかったのだけど、可能ならあとで。
朝日新聞の記事に出てきた「師岡康子弁護士」について。
朝日記事より。
ヘイトスピーチ問題に詳しい師岡康子弁護士は「規則を実際に使うには、こうしたケースが起きた場合には、こう対処するといったことをあらかじめ定めたガイドラインが必要だ。表現の自由を過度に制限する危険性を防ぐ観点からも、制度を具体的に使える形に整えていくべきだ」と指摘する。
(略)
今回の件を巡るツイッター上の投稿では、あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」で展示された平和の少女像などを念頭に「日本人へのヘイトは認められるのか」といった主張も目立つ。
ヘイトスピーチとは、ある人や集団を、その「行為」によってではなく、民族などの変えようのない「属性」を理由に攻撃する言動とされる。2016年に成立したヘイトスピーチ対策法では「在日外国人や子孫らに対する差別を助長、誘発する目的で、生命や身体に危害を加えると告知するか侮蔑するなど、地域社会からの排除を扇動する不当な差別的言動」と定義する。
師岡弁護士は「ヘイトスピーチの本質は差別で、原則的に少数派へ向かう」と指摘する。「そもそも日本国内で、日本人が、日本人という属性によって外国人から差別されることは力関係の上で、基本的にはあり得ない。日本で、属性を理由に差別され、社会の一員として認められてこなかった集団は誰なのか、考えてほしい」と話す。
師岡氏は、このテーマで新書を書いていて、当方も拝読したが
「弁護士であり、こういうテーマを勉強している」以上に「運動団体の”当事者”として、活動している」かたであると認識している。
これな。
www.rokusaisha.com
師岡弁護士は同時に、刑事事件隠蔽指示、被害者M君を「信用毀損罪」と断じる、ほか、「M君リンチ事件」を知りながら、下記の通り弁護士倫理にとどまらず、人道的に絶対に許すことのできない言説を事件直後に発信していた人物であることが、K3(ハンドルネーム)こと金展克氏の暴露により明らかになった。
ある識者はこのメールを見て「嘔吐感を催す」と表現した。「人間の考えることではない」と感想を述べた人もいる。さらに穏やかでない表現も多く聞かれた。
取材班は数年前から、「師岡メール」についての噂をたびたび耳にしていたが、果たして本当に存在するのか? 存在するとしてそれは、注視するほど重大な内容なのか?とやや穿った見方をしていた。しかし、明かされたメールの内容は仰天に値する。このメールのほかにも金展克氏とやり取りのメールが明かされている。
このメールは、完全なる「リンチ事件隠蔽指示」ではないか。そしてその理由は「ヘイトスピーチ対策法」(名称は言及されていないが)立法化のためだと師岡弁護士は明言している。読者諸氏はここで確認されたい。「ヘイトスピーチ対策法」は「M君リンチ事件隠蔽」を踏み台に成立した法律であることを。
そういうかたであり、その立場から論を語っているであろう、ということを知ってほしくはある。
当方の意見と被っているところもあり、異なる論立ての部分もあり。
山口氏は、その後もこれについて発言している。まとめ
togetter.com