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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

木村草太氏の「あいちトリエンナーレ事件」評への感想、疑問

出た


headlines.yahoo.co.jp

読んだ。このへんはまとめて論じるべき話なのだが、、膨大になるので目につくところからやっておき、最後にまとめればいいや。ということで、この文章を引用し感想

一般論として、主催者が、外部からの意見に説得された結果として、自律的に展示を見直すことは当然あり得る。個人には、公共施設での催しを自由に批判する権利がある。また、公共施設の運営者には、批判が理にかなったものであると判断したなら、それを受け入れ、催しを中止したり、内容を修正したりする権限がある。

 例えば、公立大学の施設を利用する講演会で、講演者が「差別や名誉毀損(きそん)発言をしない」と約束しなかった場合、「差別や名誉毀損を防ぐべきだ」との批判を受け、主催者が講演会開催を取り消すこともあろう。

はじめ、ぶふっと噴き出したよ。「ひゃくたなおきーのことかーっつ!!」って(笑)

名前は挙げずに、予防線を張っていると。
ただ、その大学の話に勝手につなげるけどあの時も理由の中に「そのままだと混乱が起きる」「その防止のための警備が非常に膨大になる」(つまり木村氏があいちで中止理由にした『万全の警備体制を敷くことは難しい。このため、主催者は中止の判断に追い込まれた』と類似系)などは入っていて、さらに抗議・中止要請側も「講演開催の事実や内容にショックを受け、自殺する人が出たら賠償責任を取れるのか」といった言い方をしていたらしいが。


・脅迫が論外の犯罪行為であることは言うまでもなし。異論は当然ながらない


・さて、今回の目玉はこれ。k数位号を便宜上ふっておく

A:電話での抗議についてはどうか。今回、多数の抗議電話により、事務局や愛知県の業務はパンク状態にあったという。通常、一人一人が電話で意見を伝えること自体は、脅迫などを伴わない限り、禁止されるべきものではない。
B:しかし、今回、抗議電話をした人たちは、抗議メッセージを伝えることを超え、不特定多数の力によって、展示会を中止させようとする意図があったのではないか。

まず、先に「B」だが……こりゃいわゆる「ゲスパー」論で、「…という意図が有ったのだろう」だったらねえ、たとえば上の100田さんの話でも『抗議メッセージを伝えることを超え、不特定多数の力によって、百田氏の講演会を中止させようとする意図があったのではないか』となりますしねえ。


そして「A」が今回、わざわざ記事を書いて紹介する理由である。こう、非常に重要な見解を述べている。

 ■抗議を拒否できる正当な理由とは

 法律家たちは、個人による意見表明の自由を確保しつつ、展示主催者や行政機関の業務遂行を妨げないようにするにはどうするべきかについて、新たな理論を提示せねばならない。例えば、抗議を受け付ける方法を手紙やメールに限定したり、匿名での抗議を拒否したりしても正当と言えるのはどのような場合なのかを、理論的に整理する必要があろう

そう、つまり、「抗議の電話、ファクス、メールがじゃんじゃか寄せられてくる」ことに関して、それが表現の自由を脅かすかどうか、どうも憲法の専門家の中でも、まだ未整備未議論の状態だ、と木村氏は認めたのだ。
ここが重要。頑張って論じてほしい。そして「憲法学」は、その結果をあなた方の上司である「法哲学に伝えて、法哲学の側もフィードバックしてほしい。

そして

「今回の展示中止がテロ事件だ」との大前提を確認したところで、表現の自由に対する行政機関の介入問題について検討しよう。

 今回、河村たかし名古屋市長や菅義偉官房長官が、展示内容への疑義を表明しつつ、展示や補助金支出に介入する姿勢を示した。もちろん、河村市長や菅官房長官も、個人の立場であれば、展示物を自由に論評する権利を持っている。

 しかし、個人の表現の自由は、行政機関としての立場を離れた場所で、個人としての発言であることを明示して行わねばならない。公職としての立場を利用して、特定の芸術表現について介入するのは、憲法上の問題がある。

 まず、芸術展の展示の適切さは、芸術の専門家により自律的に判断されるべきものだ。市長や官房長官は行政のプロであって、芸術判断の専門家ではない。市長や官房長官が、表現内容の適切さを理由に介入するのは、越権行為だろう。

これらは多様な論点を含む。箇条書きにしつつ、本格的に論じるのは後日にしたい
・「主催者としての判断権限」と「外部からの圧力」の違いについて。
・「行政が主催者」の場合は。また主催者が今回のように実行委形式で、複数の集合体なら。
・「芸術展の展示の適切さは、芸術の専門家により自律的に判断されるべき」とは何か。「芸術監督」のことか。「現場現場のキュレーター」のことか。
・展示の適切さの判断権限が「専門家」にゆだねられるなら、それはいわゆる「専門家支配」ではないか。その場合、行政の「民主的コントロール」はどこで担保されるのか
・実際に憲法学の中では、このへんの、「美術や学術の選定などでは、行政であっても専門家に権限がゆだねられ、政治家(行政の長)も介入できない」という理論はあるらしいのだが(曽我部氏も)、
・「芸術の専門家」は本当に、外部からの美術芸術評価の声より判断力が高いのか。専門家か否かは、試験によるのか資格によるのか。津田氏はどんな資格があるのか。
・要は行政のえらいひとは、あるいは議員職にあるひとは感想や賛否を「はい、一個人として言います」とつけくわえればいいのか。

・・・・・などなどの論点を、あとで広げて論じよう。とりあえずの感想

木村草太の憲法の新手2

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憲法問答

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