(略)…春先の緊急事態宣言では市民が過剰に監視し合う「自粛警察」現象が起き、標的にされた店には「いわれのない非難が、再び自分たちに向けられないか」と不安が広がる。同調圧力が生み出す「空気の暴走」を今回は止められるだろうか。
「コロナで国が自粛を求めていることをご存じでしょうか? ニュースみていますか?」「何故、街中に移転しないのでしょうか? 儲(もう)かってるでしょ?(中略)繁盛=公害であることを忘れるな」
大阪府東部にあるラーメン店に5月、匿名の封書が郵送された。中にはワープロ打ちされたA4判の手紙が1枚。近隣住民として、店の営業で新型コロナに感染しないかと懸念し、移転を迫る内容だった。
春先の「第1波」では国が4月7日、東京や大阪、兵庫など7都府県に緊急事態宣言を発令した(同16日に全国に拡大)。大阪府は同14日午前0時からバーやナイトクラブ、カラオケ店などに休業を要請。居酒屋を含む飲食店には営業時間を午前5時~午後8時とし、酒類の提供は午後7時までにするよう求めた。
「危害加えられないか」不安拭えず
このラーメン店の閉店は本来午後9時だが、春は新型コロナで客が落ち込み、時短の要請前から1時間早めていた。だが、手紙が届いてからは恐怖を感じ、3週間ほどは営業を持ち帰りに限定。男性店主は「ルールは守っていたのに。あの日から毎日、店に危害を加えられないかという不安を拭いきれずにいる」。
それにこうブクマした。
『権力者でない一般人による批判は単なる批判であり、自由を侵害はしない。批判する自由はある』という命題(…それ自体の論理は確かに堅固なんだよ)を念頭に置いて文中(無料部分のみ)を見ると、少々厄介。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4695008514341170914/comment/gryphon
「私人の批判は問題にならない、『批判する自由』がある」との主張の材料。
「歌詞が気に入らない」と感じ「歌うな」と発言することもまた「言論」「意見」「表現」であるということがどうしてわからないのか。「表現・言論の自由」は、あくまでも公権力が国民の表現・言論を弾圧することからの自由を保障したものであって、国民同士の意見の対立はむしろ自由の成果だぞ。 https://t.co/bWHis6Es6g
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2018年6月13日
表現の自由は「誰からも批判されない権利」ではないので的外れ。仮にそういう権利を想定するなら「思想の自由市場」の基盤を掘り崩すことになるので自己矛盾である。
— 弁護士神原元 (@kambara7) December 2, 2020
表現の自由は、国家等による法規制が出てきた時初めて問題になる。
私人による批判はむしろ「表現の自由」の行使に他ならないのだ。 https://t.co/E0jlMNLUmF
魅せに郵送された封書は匿名だったそうだから、権力機構によるものかどうか最終的にはわからんかもしれんが、とりあえず無料部分の記事文面を読む限りは、職業選択や幸福追求の自由に基づいてラーメン店を営業する店側を、私人?が「批判」している内容にとどまる、とは言える。
では「自粛警察」(そもそもこれ、「弓道警察」とかの流れをくむネットジャーゴンに過ぎなかったのに、言葉としてはオーソライズされちゃったね(笑))ってのはアリなんだろうかね。
これはホント、けっこう難題っすよ。
とりあえず外形的に「脅迫」や「誹謗中傷」があるか、ないかで判断するしかないところもあるが、一方で憲法学者の木村草太氏は、「不特定多数の力」「中止させようとする意図」みたいなものの存在を認める。
…電話での抗議についてはどうか。今回、多数の抗議電話により、事務局や愛知県の業務はパンク状態にあったという。通常、一人一人が電話で意見を伝えること自体は、脅迫などを伴わない限り、禁止されるべきものではない。
しかし、今回、抗議電話をした人たちは、抗議メッセージを伝えることを超え、不特定多数の力によって、展示会を中止させようとする意図があったのではないか。
(略)
法律家たちは、個人による意見表明の自由を確保しつつ、展示主催者や行政機関の業務遂行を妨げないようにするにはどうするべきかについて、新たな理論を提示せねばならない。
※もとは沖縄タイムスのニュースサイト内コラム。下から孫引きした
m-dojo.hatenadiary.com
ちなみに、こういう話題を特集する「みる・きく・はなす」という企画は朝日新聞の長期企画シリーズで単行本になっているけど「権力の規制」と「私人による批判」をあまり明確に分けてはいないですよね。

言論の不自由―朝日新聞「みる・きく・はなす」はいま 十年の記録
- 発売日: 1998/03/01
- メディア: 単行本
資料
「自由な表現の場の狭まりを深く憂慮し、関係者の猛省をうながす緊急声明」
報道によると、4月12日公開予定の靖国神社をテーマにしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」(李纓監督)の上映が、当初予定していた映画館の自粛措置により中止が相次いでいるという。さかのぼって2月には、グランドプリンスホ テル新高輪で予定されていた日本教職員組合(日教組)の教育研修集会が、受験生等への配慮からホテル側の会場使用拒絶により中止せざるを得なくなった。さ らに年始めの1月には、茨城県つくばみらい市で開催予定だったドメスティックバイオレンス(DV)をテーマにした講演会が中止する事態が発生している。
表現の自由はいうまでもなく、情報流通の自由であり、その自由が保障されるためには、意見表明の「場」が確保され、伝え手から受け手に表現が伝達されなけ ればならない。情報流通を担う者には、そうした民主主義社会に不可欠な表現の自由を守る社会的責務がある。にもかかわらず、先に挙げた事例以外も含め、担 い手側が十分にそうした自らの役割を自覚していないのではないかと思われる事例が続いていることを深く憂慮する。
確かに、映画館としては観客の安全やスクリーンの保護を考えなくてはならないだろう。ホテルが他の宿泊客や近隣の影響を考える気持ちも大切だ。しかし、一 度集会を断り、映画の上映をやめれば、そうした動きは必ず連鎖反応を起こし、私たちが大切にしてきた「自由」を徐々に蝕み、周囲に気兼ねしながら当たり障 りのないことしか表現できない社会になってしまうことをおそれるのである。
映画館もホテルも、それぞれの私的な営業の自由があるにせよ、自らが情報流通の担い手であり、それを実現するための公共的施設であって、言論公共空間を確 保する社会的責務を負う者であるとの認識をもつことを強く求める。ましてや自治体が、反対意見のあることを理由に集会をしないのであれば、どのような集会 が認められるのか想像さえできない。
日本ペンクラブは、このような、他人の意見に耳を傾け、多様な意見をたたかわせることで、より良き社会選択を実現するという社会の基本ルールが壊れていく 状況を、深く憂慮する。とりわけ、暴力によって強引に反対意見を封じ込めるだけでなく、反対意見の発露という形をとりつつ実質的に意見交換の機会を奪う動 きや、面倒ごとを畏れて自主的自発的に場の提供を渋る雰囲気が蔓延してきている傾向を看過できない。ここに、言論の自由や集会の自由をはじめとした、民主 主義社会を支える精神的自由の重要性と、そのための公共言論空間を社会として守る決意をここに改めて訴えるとともに、関係者の猛省をうながしたい。同時に 私たち日本ペンクラブ自身も、いっそう表現発露の場の確保に、今後とも努力していく所存である。
2008年4月3日
社団法人 日本ペンクラブ
会長 阿刀田 高
ちなみに左派傾向が強い日本ペンクラブが「民間の言論弾圧」に対しての回答なら10年ほど前に「完璧な満点解答」をしている。
— もへもへ (@gerogeroR) January 10, 2021
なぜか・・・・。この主張を・・・・最近左派リベラルや表現規制派が否定するんだよな。https://t.co/RWC1O8UGSS