…炎上を語るためには、炎上を覚悟しなければならない。
ところが、いまの自分には、炎上を引き受けながら、炎上の本質をえぐる原稿を書くための精神の準備が整っていない。こんなふうにして、炎上は、ものを言う人間から気力を奪っていく……
(略)…「たとえばこのケースの炎上では」
と、具体例を引いて紹介するつもりでいた3つほどの事例が、どれもこれもガソリンくさいので、書き起こす気持ちになれないのだね。つまり、君たちの勝ちだということです。
手に手にトーチをたずさえて、燃え上がる話題に殺到するもぐらたたき趣味の匿名ネット民の炎上圧力が、発言者の意欲を鎮火させたということです。
話題を変える。
私が炎上を恐れるのは、自分自身が炎上後の焼け跡処理の面倒くささに辟易しているからでもあるのだが、それ以上に、同じ枠組みの仕事にたずさわっている仲間に余計な心労と迷惑をかけたくないからだ。炎上はそういうふうに仕組まれている。つまり、処理する人間の心労を最大化するメソッドとして企画され実行され繰り返されているのである。
そして、炎上を煽る者たちは、燃え上がっている発言を糾弾すること以上に、その発言の周囲にいるすべての人間に「迷惑」をかけることで、炎上を物理的な圧力に変換する方法を日々洗練させている。彼らは、発言主の所属先の企業や教育機関に通報することで、発言主の経済的な背景を無効化しようとたくらむ。あるいは、番組や記事のスポンサー企業に問い合わせをすることで、炎上の主を「二度と使いたくないタレント」の位置に固定しにかかる。そうやって、面倒なクレーム処理に従事する人間の数を増やすことで、発言者にとっての「迷惑をかけた人数」の最大化をはかることが、焼身者の気持ちをくじくことになる。なんとなれば、多くの日本人は自分自身が火あぶりになることよりも、何の罪もない自分の同僚や関係先のスタッフが迷惑をこうむることの方をより強く恐れるからだ。
手法としては、暴力金融の取り立て人が、本人を脅す一方で、勤務先に押しかけて無関係な同僚にあることないことを吹き込んだり、親戚縁者の家の前で騒ぎ立てたりする作業により強く注力するのと同じことですね。
3行ほどの愚痴で済ませるつもりだったものが、80ラインも書いてしまった。
(後略)
ほほう、名論卓説、流れるような文章です。
ちなみに、何の事例に関してかをぼかしているので、数年たったり単行本になったりすると背景がわかんなくなるかもしれない。
ほぼ確実に、白井聡氏の「ユーミン死ねばよかった」に関連したコラムであるということを、ここで状況的に示しておきます
アーティストの社会的な発言に失望するとか失望しないとか以前に、われわれがわかっていなければいけないのは「才能はときどき間違った人間に宿る」ということです。たぐいまれな才能に恵まれている一方で、いけ好かない趣味を持っていたり、人間としてクズだったりする例は珍しくありません。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2020年9月1日
「間違った人間に才能が宿ったケース」の実例なら、いくらでも挙げられます。でもあえて沈黙を守ります。「才能のあるクズの話」は、ファンを怒らせるからです。特定の誰かの才能に惚れ込んでいる人たちは、彼または彼女が才能に見合った立派な人格者であることを期待するものなのですね。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2020年9月1日
典型的な「悪意ある誤読」の事例として晒しておきます。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) September 1, 2020
「才能はときに間違った人間に宿る」という私の元twは、「才能は、人々が期待する人間にだけ宿るわけではない」ということであって「自分と考えの違う人間は才能があっても間違った人間だ」という意味ではありません。当たり前です。 https://t.co/uPNwlarp2X
以上のツイートを9月1日に投稿。コラム発表日は9月4日。
…で、ネットの炎上が「物理的な圧力」になることを憂える小田嶋さんのコラムのわきに、ちょこんとこれをトッピング。
特定の言論あるいは表現に対して、それを批判する言論なり表現が対抗的に登場することは、むしろ言論・表現の自由を体現している状況だ。「弾圧」という言葉は、行政当局なり警察組織なりの公権力が介入した場合に限って使うのが普通だと思う。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2018年6月13日
「歌詞が気に入らない」と感じ「歌うな」と発言することもまた「言論」「意見」「表現」であるということがどうしてわからないのか。「表現・言論の自由」は、あくまでも公権力が国民の表現・言論を弾圧することからの自由を保障したものであって、国民同士の意見の対立はむしろ自由の成果だぞ。 https://t.co/bWHis6Es6g
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2018年6月13日
テレビ経由で拡散される言葉は「発言者本人の意図」とは別に評価されるべきだ。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2019年6月18日
「愛情をこめて『バカ』と言った」
「親しいからこそ『手首を切るブス』と言った」
は通用しない。
メディアに乗った言葉は、発言者の「つもり」を超えて、拡散され利用され社会に害を与え、他者の尊厳そ毀損する。
いやー、コラムの文章が引き立つ引き立つ。
こういうことができるのは、ここでの地道な積み重ねの成果です(笑)。もっとも、ブロックされてからは収集がむつかしいんだけどね…
m-dojo.hatenadiary.com
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クロスワードパズルのようなもので、おだじまんは思い付きとその時の立場でツイートしたり文章書いたりしてるから、状況が違う時のを探せば、必ず矛盾した、というか正反対のピースがある筈…と理解した上で探すと、ほんとにパズル的にあてはまるのが見つかるんでおもしろいですよ。
ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」2015-2019
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