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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

あとで使えそうな小田嶋隆氏ツイート保管所

この場合の「使えそう」とは、あとで「以前、あなた自身がこう言ってたじゃないすかあ」とやれる、という意味である(笑)。















togetter.com


自分への批判は、ライターやコラムニストになりたかった人たちだ

…今回の騒動が勃発して以来、私のツイッターアカウントには、

 「常々右派論壇を揶揄嘲笑していながら、その右派論壇に接近しつつあった『新潮45』に唯々として寄稿していたオダジマのダブスタにはまったくあきれるばかりだ」
 「仕事にあぶれたロートルが休刊に発狂してて笑える」
 「自分がカネもらって原稿書いてたくせに、他人事みたいに編集長をクサしてるのは、オダジマが少なくとも恩知らずのクソ野郎だということだよな?」

 といった調子の攻撃のツイートが多数押し寄せている。
 雑誌の休刊に類する破局的な結末は、ある種の人々を興奮させる。
 もう少し実態に即した言い方をするなら、雑誌の休刊や著名人の転落にエキサイトするような人々がネット社会のある部分を支えているということだ。

 彼らの共通項は、既存のメディアを憎んでいるところにある。
 おそらく、公式非公式を含めた新潮社のチャンネルには、私のところに寄せられたのよりもさらに辛辣かつ残酷なツイートやメールが殺到していることだろう。

 だが、その種のクレームや中傷や非難や嘲笑は、結局のところ、問題とするには足りない。

 というのも、メディア企業に粘着するアカウントの多くは、つまるところ、自分自身がマスコミに就職したくてそれがかなわなかったいわゆる「ワナビー」であり、同様にして、ライターやコラムニストに直接論争を挑んでくるのも、その大部分はライターやコラムニストになりたかった人たちだからだ。

 彼らは、メディアの中で発言している有象無象の低レベルな論客よりも、自分の方が高い能力を持っていると思っている。にもかかわらず自分に発言の場が与えられていない現実に不満を感じている。だからこそ、彼らは何かにつけて突っかかってくる。

 実際、私のツイッターアカウントやメールアドレスには

 「たいして根拠もないことを書き飛ばしてカネを貰えるんだから、コラムニストっていうのは楽な商売だな(笑)」

 という定番のツッコミが、定期的に寄せられる。
 私は、たいていは無視しているのだが、ときどき、

 「コラムニストは楽な商売なので、あなたも転職すると良いですよ」

 だとか

 「たしかに、才能のある人間にとってコラムニストほど楽な商売はありません。毎度ありがとうございます」

 という感じの回答を返してトラフィックの増加に寄与することにしている。
 彼らは恐るるに足りない。

 むしろ私が恐れているのは、何も言ってこない人々だ。


business.nikkei.com

香山リカ氏、室井佑月氏のも収録しておこう







business.nikkei.com

いま、世間では
 「苦情を言う人」
 「抗議する人々」
 「不満を述べる人間」
 「怒りを表明する者」
 「群れ集って抗議行動を起こす団体」
 に対する、忌避感が急速に高まっている。
 「あーあ、めんどうくさい人たちだなあ」
 てな調子で





彼らは、自分たちに向けられた、抗議・告発・怒号が、自分たちの行動や言葉に由来する反応だとは考えない。

 彼らは、それらを、抗議・告発・激怒している側の感情の問題として定義し直す。まるで魔法みたいな論理だ。
 次に、彼らは告発の主客を転倒させる。
 自分が告発者を怒らせたというふうには考えない。
 その代わりに、自分が告発者の怒りの対象になったと言い換えることで、自分を「透明な存在」に置き換えつつ、告発を、相手側の感情の問題として外部化するのである






彼らはあらゆる抗議から身を遠ざけ、すべての感情を他者の理不尽な情動の結果として退け、それらを「お気持ち」と呼んで嘲笑することで、マジメに取り合わない体制を固めている




まっとうな謝罪のテンプレートを世間に示すことができなかった点だ。常日頃は、不祥事に関わった人物や組織に謝罪や弁明を求める役割をこなしている報道機関なればこそ、自分が謝罪せねばならない場面に立たされた時には、世の模範になる百点満点の謝罪を提示せねばならなかったはずだ。

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小田嶋隆「あの人たちはクレームをつけてこないから政治家の似顔絵が一番安全」


 テレビの画面の中で、COVID-19に対して、公の機関が取るべき対策やら予見やら予測やらべき論やらスジ論を並べ立ててみせている素人の顔を見るたびに、正直な話、私は、苦々しい気持ちになる。この気持ちを相対化することは、とてもむずかしい。

 考えを持つことそのものはかまわない。

 かく言う私にだって一定の考えはある。コロナ関連についても、独自の見解を持っていないのかと言えば、いくつか思うところはある。自分では相応にまっとうな見識なんではなかろうかと自負してもいる。

 とはいえ、その自分の内部にくすぶっている独自見解を、私は口外しようとは思っていない。
 少なくともCOVID-19について口幅ったいことは言わずにおくつもりでいる。

 なぜというに、私は感染症の専門家でもなければ、政策立案について勉強した人間でもないからだ。それに、なにより自分の発言に責任を取る義務を負っていない。とすれば、私の言葉は「放言」に過ぎない。そんな人間が、思うところを自由に公言して良いはずがないではないか。


business.nikkei.com

テレビは、ここへ来て
「言いたい放題」
 の出演者が
「思いつきの言葉を拡散して」
 しかも、
「誰も責任を取らない」
 ダメなSNSみたいなメディアに変質しつつあるわけなのだ。
business.nikkei.com

 

とにかく、「朝ナマ!」という稀有な番組は、あれは、実に、ダメな言論人をふるいわけるテレビにとっての天然の濾過器みたいな装置だったわけだ。

 田原総一朗さんが、いつまで達者でがんばってくれるのか、少し不安ではある。ただ、私個人としては、日本のテレビを正常局面に戻すために、ぜひとも「朝ナマ!」の存続と再活性化を希望したい。

 変な結末になってしまった。
 アタマの中で数え上げてみると、「朝ナマ!」に出てきてほしい人はたくさんいる。