ちょっと意外な展開になってきた…
18分30秒から
ここに、文字起こしがある。
…この表現の不自由展については内容を事務方から聞いたのは6月の半ば、その段階で「これ本当にやるのか?」と津田監督を通して「この点についてはやめてもらえないか?」「実物じゃなくてパネルにしてくれたらどうか?」「写真はダメだ。見てもらうだけだ」とか、強い要望希望は申し上げました。ただその一線を超えると憲法21条の話になってしまう恐れがある。ましてや事前ですからね。途中段階でそういう話をしたら「それだったらこの企画をすべてやめる」という話もされた。そうなるとまさに憲法21条の話になってしまう。強い要望はしたが我々としては施設の管理運営を円滑に…
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「やめてもらえないか」と「強い要望希望」…はしてもいいが、そこから「一線を越えてはならない」というのは、憲法的には、そういうものなんですかね?
あと、ちょっといまだによく分からんのは、この場合、愛知県知事とか名古屋市長とかは、この展示会全体の「主催者」でもあるということで。主催者とは、たとえばAという作品は展示して、Bという作品は展示しない、とかを決める権限があるし、きめる責任がある。
しかし政治家(行政の職にあるもの???)が、それをすると、検閲になる…??から、「芸術監督」というひとにいったん委任をしたら、このひとの決定に対して口をはさめない…ということでいいのかね?
曽我部教授はこういう「専門家への委任」論だ
www.bengo4.com
…あいちトリエンナーレは、県や市が入った実行委員会が主催し、公立美術館等で開催される芸術祭ですが、一般に、このような展覧会であっても、専門家が芸術的な観点から企画したものであれば、国・自治体はそれを尊重すべきだというのが、表現の自由論の一般的な理解です。公立図書館で、どのような書籍を購入するのかが、専門家である司書に委ねられるのと同じ理屈です。
しかし、それでも、要望希望として「やめてもらいたい」とは言える???
あと、政治家(行政職???)が、いったん委任をした後は、芸術監督は全て決める権限がある、政治家は(主催者であっても)口をはさめない、で本当にいいのだろうか。また、芸術監督は、どこまで現場のキュレーターを指揮監督する権限があるのだろうか。
強い要望希望、これが本当なら河村市長と同じでは?
— a-la-saint (@AtmofuD) August 13, 2019
左翼の方は河村市長の発言を検閲だと騒いでいるが、当然事前にこれはやめてくれとか口を出していた大村知事も検閲だとして批判するんだよね。 https://t.co/Wg6j4va6Kl
大村氏
— Snowflakes (@Snowflakes5963) August 5, 2019
「展示の内容に私が知った段階でダメだから辞めろと言えないが、強い、希望・要望は言わせて頂いた。希望要望はご想像に任せる」
河村市長には「検閲だ!」と言いつつ、大村知事からは希望要望は伝えた。
河村市長も主催者側のはず。何が違うというのだろう。 pic.twitter.com/OrVi1ybhf6
いくつか、このへんで整理したいことが多々あるんだよね。
大村知事
— ヨッティ (@ztb023061) August 5, 2019
写真はOK、SNSはNGにしてほしいと要望し張り紙したけど拡散されてしまった。 pic.twitter.com/fo7vMJH15Z
表現の不自由展問題について
— BEI (@Osaka0010) August 13, 2019
大村愛知県知事「作品の中身は芸術監督の責任。お任せした。私は『本当にやるのか?辞めてくれないか?』と強く要望した!しかし『それならこの企画展全部辞める!』と言われた」
遂に津田氏に全てを被せ逃亡態勢に入った。リーダーとして最悪の対応 pic.twitter.com/5RmzG8XIMk