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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

『表現の不自由展が「入場の不自由展」になった』/河村市長の「公開質問状」原文読めます

…という、ピリリと風刺のきいた辛口発言を聞いてちょっと笑った次第です。こういう面白いことは自分が発案したかったが


とはいえ、不自由展が再度開催されたことは、はっきりとよろこばしいことであります。暴力脅迫は、強大な警察力や手荷物チェックなどで対応していければ一番よろしかろう

名古屋市長から愛知県知事への公開質問状、読んでみましたか。


今回の騒動を受けて、いろいろ情報収集していたら、確かにニュースに出てきた「公開質問状」の原文があったがや。
しかし、名古屋市がたわけなのは、掲載形式が「pdf」なだけで、閲覧者ががくっと減るのがわかってないんだがや。そんだから、ちょっと平場の、ブログに勝手に載せて、論評するぎゃあ。


http://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/cmsfiles/contents/0000121/121114/190920.pdf



公 開 質 問 状
令和元年9月20日
あいちトリエンナーレ実行委員会会長
愛知県知事 大村 秀章 殿
名古屋市長 河村 たかし
(あいちトリエンナーレ実行委員会会長代行)



貴職は、2019年9月10日付けで、「あいちトリエンナーレ2019『表現の不自由展・その後』について」と題する文書(以下「大村意見」といいます。)において、当名古屋市長の見解を公表した文書に対し、「日本国憲法を解釈する上でいくつかの疑義が散見されました。」と述べた上で、「このような間違った情報を
市民に発信されている」などと聞き捨てならない、著しく不穏当な誹謗記事を公表されております。
しかしながら、当名古屋市長の方では、貴職の日本国憲法の解釈の方こそが、その趣旨を明らかに曲解されており、「あいちトリエンナーレ実行委員会」(以下「実行委員会」といいます。)の会長として、また、愛知県知事としての職権を適正に発動せずして、これを懈怠し、現時点でも、あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」(以下「本件企画展」といいます。)の適正な運用を懈怠し続けている疑いがあるものと考えております。
ついては、「実行委員会会長代行」として、また、名古屋市長として、貴職に対し、後記の諸事項について質問いたします。速やかに書面での回答を賜りたい。

1.愛知県知事・大村秀章殿の「芸術」についての見識を問う。

【問1】本件企画展では、愛知芸術文化センター(公共施設)で、昭和天皇の肖像写真を、意図的にバーナーで燃やした上で、その灰を靴で踏みつける動画作品が展示されてありましたが(以下「肖像画・焼損映像」と言います。)、貴殿は、「一県民として」、このような「日本の象徴であり日本国民統合の象徴」である天皇の肖像写真を明らかに冒瀆・陵辱する暴力的なモチーフの作品についても、「芸術性」があるとお考えか。「あり」「なし」で、端的に回答されたい。
【質問の趣旨】貴職は「大村意見」でも、「首長としての行為や発言」と「個人的な行為や発言」とは「厳に区別されるべき」であることを主張されており、当名古屋市長としても、この貴職の見解に異を唱えるものではないが、「健全な良識」をもった名古屋市民(愛知県民も同様)の圧倒的多数は、「肖像画・焼損映像」の如き暴力的な作品には激しい嫌悪感・不快感を抱き、心の深いところで傷つくことは必定であると考えられるので、上記作品の「芸術性」の有無・評価について、「一県民として」、すなわち「大村氏個人として」の見識を是非とも伺いたい。なお、上記の作品は、あくまでも例示であり、「展示物」の「芸術的な価値」を云々する以前の問題として、そもそも公的事業として、公共施設で展示する「芸術」の範疇に属する展示物であるか否かについて重大な疑義があるので、愛知県知事ご自身の公的立場を離れた「個人的見解」を問(https://www.youtube.com/watch?v=5A4Qhr1UAfo より引用。動画の一場面を静止画像として抽出し、説明文を付加し一部黒塗り修正)うものである。

2.「作品」のもつ反社会性・害悪性の評価と、「芸術性」の評価とは、別次元の問題ではないか。

【問2】ある特定の作品、例えば「肖像画・焼損映像」のもつ「芸術的な価値」の有無・程度の評価と、その反社会性ないし「害悪」性(むしろ、「反芸術的」ともいうべき性質)の有無・程度の評価とは、全く別次元の問題であり、後者の評価については、「県立美術館の安心・安全な管理運営」上の必要性の観点、又は、公共団体が実施主体となる公共事業の性質からくる表現の内在的制約の観点から、「芸術」的評価とは別異に法律判断が可能であり、本件企画展の主催者代表である貴職の責任において行うべき性格の「法的」判断ではないか。
【質問の趣旨】憲法21条1項が保障する「表現の自由」については、「公共の福祉」(憲法12条、同13条参照)の制約が及ぶか否かについては、異論のあることは承知しているが、「公共の福祉」による制約を認めない見解においても、表現の自由も無制限のものではなく、「内在的な制約」があることは異論のないところであると思料される。そして、本件企画展の場合、「肖像画・焼損画像」のような健全な良識をもった日本国民の「心」「魂」、あるいは一部には「(戦後の)皇族に対する畏敬の念」、「自尊心」が深いところで傷つけられ、それ故にこそ、愛知県及び愛知芸術文化センターに抗議が殺到することが「事前に」当然に予想され、県立美術館における「平穏で静寂な館内環境」を保持できないことが当然に想定される作品については、「県立美術館の安心・安全な管理運営」の面から規制することは貴殿の当然の職責であり、現に、貴職は、問題が顕在化した後になって、(芸術監督と相談の上)貴職の責任において本件企画展を独断で中止させている。貴職は、「公人が特定の作品の芸術的な価値について当否を判断すること」は、厳に慎むべきであるとの立場であり、当名古屋市長も、全く同様の立場であるが、このような「県立美術館の安心・安全な管理運営」の見地からの「作品評価」、当該作品の表現内容に内在する「暴力性」、「反社会性」等の害悪の面に向けられた「作品評価」は、当該作品の「芸術性」評価と全く関係のない別次元の評価であり、公的な立場からも十分に評価できる「法律上の判断」であると考えるが、いかがか。

3.実行委員会会長代行として実施検証して、特に疑問に思った次の作品について、芸術監督(津田大介氏)の見解を問う。

【問3】次の二つの作品⑴⑵について、各々について、①過去に美術館から排除された理由、及び②芸術監督(津田大介氏)が、今回の愛知県主催の国際芸術祭の展示品として相応しい「芸術的な価値」があると考えた根拠(「芸術性」を認めた理由)について、説明を求める。
⑴ 「平和の少女像」
左の少女像は、韓国ソウル市内で、慰安婦が旧日本軍に「強制連行」されたという虚偽の歴史認識を前提として、旧日本軍の従軍慰安婦被害を 思い起こさせるという反日感情をかき立てる目的で、日本国大使館前に立てられた造型と同じ、意匠・形状の造型である。
当該少女像の英語の説明書には、「Sexual Slavery(性奴隷)」と明記されていたとの報道もあるところ、歴史的事実に反し、日本国及び日本国民を侮辱するものであるとの批判が出されることが当然に想定される作品である。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48186080T00C19A8CZ8000/より引用)

⑵ 「時代と きの肖像―絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳―」
左の作品は、「愚かな日本人の墓」という意味を含む題名の作品であり、かまくら状の造形物の天頂部に、出征兵士のために寄せ書きした日の丸を貼り付けられ、その周囲に「憲法9条を守れ」という新聞記事や、靖國神社参拝の批判記事等が貼り付けられ、底部には、米国の星条旗を敷かれている。
多くの県民は、先の戦争で戦死された方々への侮辱を含む趣旨の作品であると認識するものと考えられる。
【質問の趣旨】本件企画展の各展示物は、過去に美術館等から、その「芸術性」に関する疑義を理由に「排除」された作品を集めたものと承知しているので、芸術専門家・学芸員らの専門的判断のもとでも、「芸術性」に対する否定的評価が前提にあるものと理解される。もとより、「芸術性を否定された作品」について、「芸術性の否定」自体を理由に「芸術」作品として扱うことは背理であり、「芸術概念の自殺」である。本件企画展の如く、「芸術」作品に関する企画展の主催者が、地方公共団体の首長である場合は、もとより、個々の作品の「芸術価値の評価」自体は、芸術監督ら専門家の判断に一任されるべきものであるとしても、多くの県民から作品の芸術性について疑問提起がなされた作品については、貴職(大村知事)には、「国際芸術祭」(「国際表現祭」ではない)の総責任者として、芸術監督(津田大介氏)に対し、同人の「芸術」ないし「芸術性」に関する一般的な評価基準と、同人が各作品について「芸術的価値」を認めた根拠について具体的に説明を求め、その説明内容を県民に公開すべき説明責任があると考えられる。
そこで、名古屋市民からも疑問提起が圧倒的に多かった上掲⑴⑵の二作品(https://twitter.com/hiro_resistanceより引用)について、芸術監督(津田大介氏)が、単なる政治的イデオロギー的主張にとどまらない、「芸術性」を認めた根拠・理由について、具体的に説明を求める。

4.「検閲」概念を誤用・濫用しているのではないか。

【問4】「大村意見」では、本件企画展の規制の問題について、憲法21条2項が禁止する「検閲」概念をもちだして論じられているが、本件は「検閲」とは全く関係のない問題であり、「検閲」概念をもちだすのは不相当ではないか。
【質問の趣旨】「大村意見」では、「憲法21条2項にいう『検閲』の解釈については様々な解釈がありますが」云々と述べられているが、「検閲」概念は、最高裁大法廷判決によって、明確な定義されており、既に社会的に確定・定着している。すなわち、憲法21条2項にいう「検閲」とは、「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるもの」(最高裁昭和59年12月12日大法廷判決・民集38巻12号1308頁)という解釈が確定しており、本件企画展の場合、「県立美術館の安心・安全な管理運営」の面から、本件企画展に寄せられた「肖像画・焼損映像」のような作品の展示を中止したとしても、他県の美術館での展示や、「作者自らの資源を用いて表現活動を行う」ことを何ら妨げるものではないから、「検閲」に当たらないことは、上記大法廷判決の趣旨に徴して明らかであると考えられる。
「大村意見」に記載のある、「もし事前に展示内容を審査し、そのような理由(本件展示の内容が「日本国民の国民の心を踏みにじるもの」といった理由)で特定の展示物を認めないとする対応をとったとすれば、その展示物を事前に葬ったとして世間から検閲とみられても仕方がなく」云々との見解は、貴職独自の見解であって、現に、「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」(以下「検証委員会」という。)の委員であり、京都大学大学院法学研究科の曽我部真裕教授(憲法学)も、インターネット上で公表されている「弁護士ドットコムニュース」で、河村市長が、貴職に中止を申し入れた行為は、「憲法でいうところの『検閲』にはあたりません。」と明言されている。
以上のとおり、貴職のように憲法21条2項の解釈を歪曲して、「検閲」概念を誤用することは、「検閲」概念の歴史的意義を見失い、その禁止の絶対性を相対化させてしまう危険があることから、厳に慎むべきものと考えるが、いかがか。

5.「表現の規制」と「表現の援助」との違いについての理解を問う。

【問5】私人の「表現行為」について、行政がこれを「規制」する場合と、これを「援助」する場合とを分けて考察する憲法解釈があることを御存知か。もし御存知だったとした場合、貴職は、このような見解を否定されるのか。【質問の趣旨】「芸術活動(表現活動)」に対する国家・行政の関わり方については、外側から「規制」する場合と、これを内側から「援助」(財政的援助、展示場の提供等)する場合とがあり、後者の場合は、公共事業として、公的資金(税金)を投入することになるとともに、当該「芸術活動(表現活動)」の社会的な意味の「構築者」として行政権力が立ち現れる側面がでてくる。したがって、後者の場合(本件企画展はまさにこの場合に該当する。)は、行政資源の有効な配分の見地から、当該援助を行うか否かの問題は、住民自治に委ねられ、憲法問題(「表現の自由」の侵害の問題)は生じないという憲法的解釈も当然ありうる。例えば、アメリカ合衆国最高裁判所のスカリア判事は、「言論に対する『制限(abridging)』と言論に対する『援助(funding)』の区別は基本的なものであり、後者に対して(合衆国憲法)修正1条(注:「表現の自由」を規定し、日本国憲法21条に相当する)は適用されない。」との意見を述べておられる(阪口正二郎著「芸術に対する国家の財政援助と表現の自由」法律時報74巻1号参照)。貴職は、当名古屋市長が貴職に対し前掲「肖像画・焼損映像」の如き暴力的で著しく不適切な「作品」群の存在を理由に中止を求める文書を発出した際、このような憲法的解釈があることを承知されていたか。また、当名古屋市長が、上記憲法理解を前提に、8月8日付けで名古屋市民向けに当職の理解を説明した文書を名古屋市のホームページに掲載したことについて、「大村意見」では「間違った情報を市民に発信されている」と一方的に断定されているが、貴職は、上記憲法的解釈を否定される趣旨か。
貴職が、上記情報について「間違った情報」と誹謗された部分とその理由について、明確に説明されたい。

6.本件企画展の「中止を解除」の適否を実行委員会に諮らないのは何故か。

【問6】貴職は、「テロの如き加害行為を想起させる脅迫、嫌がらせ」があったことを理由に、本件企画展を中止されたが、「ガソリンを散布します」などと書かれた脅迫のFAXを発信した脅迫犯は、既に威力業務妨害罪で検挙されており、有能な愛知県警が、厳重な警戒態勢を講ずれば、「安心・安全な運営」は十分に確保できるはずであるにもかかわらず、その中止を解除しないのは何故か。少なくとも、中止解除の適否を実行委員会に諮らないのは不適切ではないか。
【質問の趣旨】当名古屋市長(実行委員会会長代行)の立場としては、貴職が、実行委員会に相談もなく、芸術監督・津田大介氏と相談の上、「独断で」本件企画展の中止決定をされたことは、手続的観点からは不適切であった、という理解であるが(貴職は、「緊急避難的な対応」だったといわれるが、当名古屋市長は、実行委員会を緊急で招集し、実行委員会に諮るべきであった、と考える。)、本件企画展の中止措置の適否は憲法問題ではなく、前掲「肖像画・焼損映像」の如く、公共団体が実施主体となり、公共事業として実施される-県立美術館での展示に相応しくないとの理由から、本件企画展から排除することについて、正当な理由(憲法15条2項「全体の奉仕者」、地方自治法244条1項)のある作品群が大半を占める本件企画展の中止はやむを得ない、との理解である。しかしながら、もし仮に前掲「肖像画・焼損映像」の如く愛知県主催の国際芸術祭に相応しくない作品であっても、貴職の如く憲法21条1項の「表現の自由」の保護の対象であるとの理解・前提に立脚されるのであれば、たとえ「脅迫や嫌がらせ」があったにしても、「暴力に屈する形で」の本件企画展の中止は、それ自体が憲法違反の疑いが濃厚であると考えられる。
しかるに、貴職は、「大村意見」(9月10日付け)において「現時点では安心・安全な運営の確保についてまだ確信を持てる状況に至っていません。」と述べられているところ、何を根拠にそのように述べられているかが趣旨不明であり、愛知県警に警備要請を打診しているのかどうか、といった基本的なところで実行委員会内部でさえも情報が共有されていない。特に、「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会第1回会議」における「判治トリエンナーレ推進室長」の説明によれば、「8月2日にはガソリンテロを予告するFAXが届きました。」ということが、本件展示会の中止に至った直接の原因であるから、貴職の見解によれば、8月7日、当該脅迫犯が検挙された後は、本件展示会の中止を継続させる「憲法上の」理由(「明白かつ現在の危険」等)が失われたことになるものと理解される。少なくとも、貴職の独断で「表現の自由」を制約したままでよいのか、中止を解除する余地があるか否か等の諸問題を協議すべく、緊急で実行委員会を招集し、同委員会において、中止継続の適否について検討・判断するのが本件企画展の設営のあり方として適切であると考えるが、これらの点に関する貴意について、説明を求めたい。また、当名古屋市長から貴職に対し、9月4日付けで、実行委員会運営会議の開催を求めているが、当該運営会議を開催されないのは何故か、その理由についても、併せて説明を求めたい。

7.実行委員会が本件企画展の作品を「隠して出す」と言って、作者に出品を勧誘したのは事実か。

【問7】「Abema TIMES」が配信するインターネット記事によれば、作品「時代の肖像―絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳―」(直訳:「馬鹿な日本人の墓」)を出展した中垣克久氏(造形作家)は、当該作品を本件企画展に出展した経緯について、⑴「最初、表現の不自由展実行委員会から私(中垣氏)のところに(作品を)出してくれと。ただし、普通には出さない。隠して出す。そう言われた時に、『それはおかしいんじゃないか。堂々と出したらどうか』と言ったら、(実行委員会の方から)『中に慰安婦の像がある。これは今出したら問題だから』と言われた」と記載されているが事実か。
また、⑵中垣氏が津田氏(芸術監督)に電話をかけた際「我々出品者の名前・情報が事前に出ていない。こういうことはあり得ないぞと言ったら、『必ず後で..出す』と」の返答があったと書かれているが事実か。
各々、事実の有無について、実行委員会事務局、及び津田大介氏に事実を確認の上、実際の事実関係を明らかにされたい。

【質問の趣旨】「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会第1回会議録」によれば、貴職は、当該会議の席上、「今回私が大変大事だと思いますのは、県民の皆様(名古屋市民も当然含む。)への情報公開と県民参加が芸術祭の一番大事なポイントだと思います。」と高言されている。しかるところ、本件企画展については、「芸術の専門家」が「専門的な観点から」、各作品の「芸術性」をきちんと判断・評価した上で、作品の選別を行っているとは到底思われず、実際、国際芸術祭に相応しい作品の選別について、疑問を差し挟む上記【問7】の事実が報道されている。もとより、貴職には、愛知県知事かつ実行委員会会長として、本件企画展の設営内容・設営状況について、十分な説明責任があると考えられる。
よって、貴職の尊重される情報公開の見地より、合理的な調査をされた上で、その真偽を確認し公表されたい。
以 上


論評

たとえば「問2」の
【健全な良識をもった日本国民の「心」「魂」、あるいは一部には「(戦後の)皇族に対する畏敬の念」、「自尊心」が深いところで傷つけられ】なんてのは、小泉環境相ではないが、またこういう比喩をするのは比喩例に申し訳ないが「ポエムまがい」としかいえまい。「心」「魂」を勝手に定義されてもどうしようもないのだが。

逆に、非常に面白いのが「5」と、おまけすると「6」です。

私人の「表現行為」について、行政がこれを「規制」する場合と、これを「援助」する場合とを分けて考察する憲法解釈があることを御存知か。もし御存知だったとした場合、貴職は、このような見解を否定されるのか。【質問の趣旨】「芸術活動(表現活動)」に対する国家・行政の関わり方については、外側から「規制」する場合と、これを内側から「援助」(財政的援助、展示場の提供等)する場合とがあり、後者の場合は、公共事業として、公的資金(税金)を投入することになるとともに、当該「芸術活動(表現活動)」の社会的な意味の「構築者」として行政権力が立ち現れる側面がでてくる。したがって、後者の場合(本件企画展はまさにこの場合に該当する。)は、行政資源の有効な配分の見地から、当該援助を行うか否かの問題は、住民自治に委ねられ…憲法問題(「表現の自由」の侵害の問題)は生じないという憲法的解釈も当然ありうる。例えば、アメリカ合衆国最高裁判所のスカリア判事は(後略)

これは確かに問題であって、そこを解決するために、芸術監督のような専門家(今回のT氏が「専門家」かどうかはおいておく)と、行政の長との権限の分離、といったややアクロバティックな解釈が出てくる面もあるのだろう。ここは今回の騒動でも非常に面白い部分なので、みなさまもご一考ありたい。


問6は、内部の手続きの問題なのだけど、いや実際、なぜ「実行委員会」は回避されているのかはよくわからん。「緊急事態だったから」とはいうらしいけど、事後的な承認を求めての開催もあるだろうし、再開にかんする実行委もあってもいいのじゃないか。緊急事態を口実に、異論の出る場所を回避して独裁的な行動を行うのは安倍首相より先に大村知事が先例となった(笑)では洒落にならん。

というか、そもそもこの質問状も実行委の中でやれや、である(名古屋市長は、それはわいの責任じゃにゃーがね、とかいうのだろうけど)


そもそも、こんな質問状は河村氏の知識や教養の及ぶところでなく、大半は法曹の専門家の「中の人」の手と頭によるものであろう。(といいつつ、多少は市長の見解に合わせて質が落ちたと推測される部分も散見される(笑))
これに対する大村知事の反論も、法曹の「中の人」に任せればいい話なので、はやいところそういう反論を読んでみたいものである。
法学雑誌には、けっこう論文とか載っているかな?