https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/29641www.kyoto-np.co.jp
一部抜粋
シン・ハルコ @tamalovepoaro
藤原定家という人はその時にあったすばらしい古典をガッと地引き漁する行動力と家族総出での書写の協働と、自らのステータスを利用して有力貴族たちに写本を多く流布させたんですよね。
そのおかけで、生き延びた古典作品は数知れず。源氏物語でさえ、かれがいなかったとしたら。
2019-10-08 19:09:04
シン・ハルコ @tamalovepoaro
定家のすごいところはね、高齢になって老眼で手元の墨色がよく見えなくて、手が震えても家族に口述筆記させず自分の手で歌論書や書写物を書いたの。本当に晩年の定家の字は一目瞭然の「乱筆乱文」。
そのエネルギッシュさと注いだ熱量にわたしもそれを見せてくれた教授も「一番美しい」と言い合った。
2019-10-08 19:15:45
シン・ハルコ @tamalovepoaro
藤原定家、は自分の周りに溢れた古典作品の継承、伝えることが自分の天命である、とよく知った上で学んだこと、出会った人との悲喜交交を血肉にしてきたひとなんですよ。
その内容がいかに簡単に散りさるかもよく知っていた。自分に備わるステータスも存分に活用しきっていたスーパーマンですよ。
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はてなブログで歌詞引用が可能になったとかで堂々と。
風につづるしかなかった手紙 あなただけは読んで
雪でつくるしかなかった形見 あなただけは抱いて
記された文(ふみ)だけがこの世に残ってゆく
形ある物だけがすべてを語ってゆく
叫べども あがけども だれがそれを知るだろう
http://j-lyric.net/artist/a000701/l00f4ce.html
「伝説(中島みゆきカバー)」
これもまた、例によって中島敦「文字禍」。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/622_14497.html
書洩らしは? と歴史家が聞く。
書洩らし? 冗談ではない、書かれなかった事は、無かった事じゃ。芽の出ぬ種子は、結局初めから無かったのじゃわい。歴史とはな、この粘土板のことじゃ。
若い歴史家は情なさそうな顔をして、指し示された瓦を見た。文字の精霊共の恐しい力を、イシュディ・ナブよ、君はまだ知らぬとみえるな。文字の精共が、一度ある事柄を捉えて、これを己の姿で現すとなると、その事柄はもはや、不滅の生命を得るのじゃ。反対に、文字の精の力ある手に触れなかったものは、いかなるものも、その存在を失わねばならぬ。
(中島敦「文字禍」より)
そして過去の「うた恋い。」紹介記事から再掲載そして、この作者も、読者もまた「受け継ぐ者」なのだ。
今も昔も、
どんなに時代が変わっても
みんな同じようなことに
悩んだり、
喜んだりしている。
そう思うとさ、
どんなに今が惨めでも、
何も自分は一人ぼっちとまで感じることはないと…
そう思えるんだよ。和歌は、まるで生きてるみたいに、
いつも僕に寄り添ってくれた。
僕はその命がたえぬように伝えていきたいんだ
そして僕たちが
今ここに先人の和歌を残したように、
僕たちが死んでも、
誰かがまた,
これを伝えていってくれたらいい。
それを後世の人々が見て、
僕たちが感じたのと同じ気持ちを抱いてくれたら…
それはきっと素晴らしいことだ。先人から、われわれへ。われわれから、後世の人へ。
途中で美形化やらファンタジー化やらがあっても、まあ気にするな(笑)
【記録する者たち】伊藤悠「シュトヘル」
歴史と記録は、永遠ならざる人間の、永遠への渇望、無常への抵抗なのだ。
※【記録する者たち】は準タグです。この言葉でブログ内を検索してもらうと関連記事が出てきます