国宝の藤原定家「源氏物語」注釈書、欠損1枚が掛け軸に貼られた状態で発見
4/20(水) 5:00配信
読売新聞オンライン
発見された「定家筆源氏物語奥入」の一部鎌倉初期を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が手がけた源氏物語の注釈書「定家筆源氏物語奥入(おくいり)」の一部が見つかった。注釈書は国宝に指定されているが、少なくとも10ページ以上が欠損しており、今回見つかったのはそのうちの1ページ。池田和臣・中央大名誉教授が東京都内の古美術商から掛け軸に貼られた状態で購入し、定家筆源氏物語奥入の一部と確認した。
定家筆源氏物語奥入は、定家が家中の女性たちに源氏物語全54帖(じょう)を写させ、その際に各巻末に記した注釈部分だけを後に切り出して1冊にまとめたもの。今回発見されたページは縦16・7センチ、横14・9センチで、池田名誉教授が2年前、古美術商から「定家筆かもしれない」と聞いて掛け軸ごと購入した。調査すると、現存する奥入原本の近接ページにも、このページと同じ形の虫食い痕があったことや、書体も定家独特のものであることなどが分かり、定家筆と…(略)
https://news.yahoo.co.jp/articles/88e4f63d4f0160b7824ce9ed4785d15551e41202news.yahoo.co.jp
しょうしょうの回り道になったが、本の状態ならちゃんと後世に伝わったという保証もない。掛け軸にしてくれていたおかげで、今まで伝わることができたのかもしれない。
ときに以前学んだことですが、藤原定家は歌人としても知られるが、写本や保存、そして今回のような注釈のマニアであり、彼がいったんそこで「中継」してくれたから、その文章が後世に伝わった、というものも数多いのであるそうです。
以降は、この記事の再掲載で。
『藤原定家が写本したおかげで残った古典は数知れない』【記録する者たち】
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/29641www.kyoto-np.co.jp
一部抜粋
シン・ハルコ @tamalovepoaro
藤原定家という人はその時にあったすばらしい古典をガッと地引き漁する行動力と家族総出での書写の協働と、自らのステータスを利用して有力貴族たちに写本を多く流布させたんですよね。
そのおかけで、生き延びた古典作品は数知れず。源氏物語でさえ、かれがいなかったとしたら。
2019-10-08 19:09:04
シン・ハルコ @tamalovepoaro
定家のすごいところはね、高齢になって老眼で手元の墨色がよく見えなくて、手が震えても家族に口述筆記させず自分の手で歌論書や書写物を書いたの。本当に晩年の定家の字は一目瞭然の「乱筆乱文」。
そのエネルギッシュさと注いだ熱量にわたしもそれを見せてくれた教授も「一番美しい」と言い合った。
2019-10-08 19:15:45
シン・ハルコ @tamalovepoaro
藤原定家、は自分の周りに溢れた古典作品の継承、伝えることが自分の天命である、とよく知った上で学んだこと、出会った人との悲喜交交を血肉にしてきたひとなんですよ。
その内容がいかに簡単に散りさるかもよく知っていた。自分に備わるステータスも存分に活用しきっていたスーパーマンですよ。
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はてなブログで歌詞引用が可能になったとかで堂々と。
風につづるしかなかった手紙 あなただけは読んで
雪でつくるしかなかった形見 あなただけは抱いて
記された文(ふみ)だけがこの世に残ってゆく
形ある物だけがすべてを語ってゆく
叫べども あがけども だれがそれを知るだろう
http://j-lyric.net/artist/a000701/l00f4ce.html
「伝説(中島みゆきカバー)」
これもまた、例によって中島敦「文字禍」。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/622_14497.html
書洩らしは? と歴史家が聞く。
書洩らし? 冗談ではない、書かれなかった事は、無かった事じゃ。芽の出ぬ種子は、結局初めから無かったのじゃわい。歴史とはな、この粘土板のことじゃ。
若い歴史家は情なさそうな顔をして、指し示された瓦を見た。文字の精霊共の恐しい力を、イシュディ・ナブよ、君はまだ知らぬとみえるな。文字の精共が、一度ある事柄を捉えて、これを己の姿で現すとなると、その事柄はもはや、不滅の生命を得るのじゃ。反対に、文字の精の力ある手に触れなかったものは、いかなるものも、その存在を失わねばならぬ。
(中島敦「文字禍」より)
そして過去の「うた恋い。」紹介記事から再掲載そして、この作者も、読者もまた「受け継ぐ者」なのだ。
今も昔も、
どんなに時代が変わっても
みんな同じようなことに
悩んだり、
喜んだりしている。
そう思うとさ、
どんなに今が惨めでも、
何も自分は一人ぼっちとまで感じることはないと…
そう思えるんだよ。和歌は、まるで生きてるみたいに、
いつも僕に寄り添ってくれた。
僕はその命がたえぬように伝えていきたいんだ
そして僕たちが
今ここに先人の和歌を残したように、
僕たちが死んでも、
誰かがまた,
これを伝えていってくれたらいい。
それを後世の人々が見て、
僕たちが感じたのと同じ気持ちを抱いてくれたら…
それはきっと素晴らしいことだ。先人から、われわれへ。われわれから、後世の人へ。
途中で美形化やらファンタジー化やらがあっても、まあ気にするな(笑)
【記録する者たち】伊藤悠「シュトヘル」
歴史と記録は、永遠ならざる人間の、永遠への渇望、無常への抵抗なのだ。
※【記録する者たち】は準タグです。この言葉でブログ内を検索してもらうと関連記事が出てきます
古(いにし)へも 今もかはらぬ 世の中に 心のたねを 残す言の葉
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