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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

源氏物語内に「いま『交野の少将』という小説が人気ですが」と書かれてるが、その作品が残ってないらしい。【記録する者たち】



司馬遼太郎が多用して、小説らしくなくなり、司馬本人が「小説の作り方なんて、マヨネーズを作るのと比べても厳密にやる必要はない」と開き直った「作者独白」の趣向(笑)。

……最初に感動したのが司馬さんのマヨネーズの話なんです。正岡子規のことをやった時に「坂の上の雲」を読みました。「坂の上の雲」は文庫本では第8巻、一番最後に「あとがき」があります。単行本の時は、一巻一巻の後にそれぞれあったのですけれども。そこで素晴らしいことをおっしゃっていらっしゃるんですね。

 「小説という表現形式のたのもしさは、マヨネーズをつくるほどの厳密さもないことである」。これってね、マヨネーズを作ったことがある人じゃないと絶対に分からないんです。この中でマヨネーズを作った人なんてほとんどいないと思うんですね。特に男性なんて。ああ、お作りになりますか。ああ、珍しい方ですね(笑い)。

 難しいんですよ。味は市販のマヨネーズと比べものにならないぐらいおいしい。大変難しい。なぜかというと、すぐ分離してしまうんですね。

 こういうことを小説の手法として表現できるっていうのは素晴らしいと思うの。この感性が「街道をゆく」でも方々にちりばめられています。
www.asahi.com


余談が、すぎた(これも司馬風)。いや、実際のところ、けっこう古い小説読むと、こういう箇所がけっこうあるのね。漫画もメタは手塚治虫が大好きだったこともあるけど、田河水泡の時代から読者に呼び掛けがあって……作者独白は、フリーにやっていると、どうしたって出てくる趣向なんじゃないかしらん。


まあ、メタ的な記述があるってことより、ちょっと感慨深いものがあるんです。「世界最古の長編小説」的な呼び名もある源氏物語だが、リアルタイムには他の人気作もあった、シャーロック・ホームズのライバルたちならぬ「光源氏のライバルたち」がいたということである。…そして、その小説は今は内容もわからず、写本も伝わらない……というところに、感慨を感じるのです。


まるごとウィキペ記事を転載しよう

交野の少将

『交野の少将』(かたののしょうしょう)は、平安時代に成立したと見られる日本の物語。『交野少将物語』とも呼ばれる。また、その主人公と目される架空の人物(モデルとなったと見られる実在の人物については後述)。作者は不詳。現存する写本はなく、逸書となっている。

概要
「交野」は河内国交野郡、現在の大阪府交野市のこと。「交野少将」は右近衛少将・藤原季縄の通称で、楠葉(現在の大阪府枚方市)に別荘を所有していた季縄自身ないし季縄と交友があり、しばしば交野を訪れていた在原業平らの人物像を基にして、後世に創作された人物が「交野の少将」と見られる。

紫式部が『源氏物語』を執筆し、光源氏を登場させるまでは「交野の少将」が物語の美男子を意味する代名詞的な存在であったことが『落窪物語』や『枕草子』の記述より示唆される。また『風葉和歌集』に作中の和歌が採られており、その詞書から部分的に物語の筋書きを知ることが可能である。

あらすじ
色好みで文才に長けた美男子として都で評判である交野の少将に郡司・宮道弥益(みやじのいやます)の娘が一目惚れする。交野の少将が鷹狩をした折、郡司の館に泊まり娘と一夜を共にする。しかし、恋多き男である交野の少将は娘が待てど暮らせど郡司の館を訪れることはなく、ただ月日が過ぎて行くことに絶望した娘は長淵と呼ばれる淵への身投げを決意する。娘は淵のそばを通りかかった鵜飼いの男に自分の着物の端を引きちぎり、鵜飼いが灯していた篝火の炭で着物の端に辞世の歌を書きつけ、着物の端を交野の少将に渡すよう鵜飼いの男に言い残して長淵へ身を投げた。

かつきゆる うき身のあわと成りぬとも 誰かは問はん 跡の白浪
— 『風葉集』巻14・恋4
参考文献
後藤昭雄『交野少将物語についての一試論』(『語文研究』25号、九州大学国語国文学会。1968年)

ja.wikipedia.org


ひょっとしたら、この幻の小説「交野の少将」の作者は「打倒源氏物語!」との張り紙を張って、読者アンケート(なんだよそれ)で紫式部を抜こうとしゃかりきだったかもしれない。
 
逆に実は、紫式部とかと意気投合して「新宮廷文学党」を旗揚げし、明日はヒノキになろう!とチューダー飲み飲み「ンマーイ!」と気勢をあげていたかもしれない。
 
あるいは「交野の少将」作者は「神様」紫式部の崇拝者で「どーも、紫でーす。あのさ、次の連載に、君の小説「交野の少将」の名前出しちゃったんだけどいいかな?」と電話があり、恐縮しつつも「紫式部先生、僕の作品まで読んでてくれたんですか!」と感激・驚愕する、という話だったかもしれない。

※いちいち元ネタは上げないけど 最後の話だけ… 


くわしくはhttps://m-dojo.hatenadiary.com/entry/20170105/p4 を参照ください。


いや、そもそもが
「あー、ここには記録できる便利な「紙」が大量にあるわ。わかりやすい「ひらがな」も女性を中心に普及したわ(漢文ができても隠さなければいけないからなんだけど…)。せや!この紙に、現実とは別の『おはなし』を、せやけどリアリティのある感じで書いたろ!」
というのが、身近な人からみれば「いったいぜんたい、なにをしようというの?母さん全然わかんないわよ!」的な、とにかく前衛的なポップなカルチャーだったんだと思う。日本で戦前に「推理小説」をかいたり、戦後まもなく「SF」に挑戦したり、1970年代に「男同士の恋愛」を描いたり…そのスケールの大きいやつ。


そこに果敢に挑戦した、戦友にしてライバルだった『交野の少将』という作品は、歴史の無言の審判によって「消滅」という結論に至った。だがそのかけら、そういう作品が平安時代にあったという証は、ライバル「源氏物語」が楽屋オチかメタ技法か、それで一言言及したことによって、歴史にあらがって存在している……
ここに、エモーショナルなものを感じませんか。感じないですか。


こういう話はどこかで聞いたことがあって、古代ギリシャの地動説だが原子論(多分後者)は、教科書に今では載ってるレベルだが、原本は無い。それが残っているのは、ライバル学者の「やつは……というアホなことを言っているが」という記述によってだ、という話があった。
両方…検索して確認するとするか


プラトンアリストテレスの学説に比べてデモクリトスの学説は当時あまり支持されず、彼の著作は断片しか残されていない。プラトンが手に入る限りのデモクリトスの著作を集めて、すべて焼却したという伝説もある[4]。プラトンの対話篇には同時代の哲学者が多数登場するが、デモクリトスに関しては一度も言及されていない。
デモクリトス - Wikipedia


現代に残っているアリスタルコスの唯一の著作である Περί μεγεθών και αποστημάτων Ηλίου και Σελήνης (『太陽と月の大きさと距離について』)は地球中心説(天動説)の世界観に基づくものである。しかし、記録に残されている引用句を通じて、アリスタルコスがこれに代わる太陽中心説の仮説を提唱した別の書物を著していたことが明らかになっている。

アリスタルコス - Wikipedia

また、アイザックアシモフが、蘊蓄雑談トークとミステリーを一体化させた「黒後家蜘蛛の会」にも、「ホメロス詩編はいまでは○○編しか残っていない。この残った作品が、彼の最高傑作だという保証はあるのかい?」という議論を展開する回があったと記憶している。

ペイシストラトスは、紀元前6世紀に最初の公的な蔵書[訳語疑問点]を創設した。キケロは、アテナイの僭主(ペイシストラトス)の命令により、2つの叙事的な物語が初めて文字に書き起こされたと報告した[33]。ペイシストラトスアテナイを通過する歌手や吟遊詩人に対して、知る限りのホメーロスの作品をアテナイの筆記者のために朗唱することを義務付ける法を発布した。筆記者たちはそれぞれのバージョンを記録して1つにまとめ、それが今日『イーリアス』と『オデュッセイア』と呼ばれるものとなった。選挙運動の時にはペイシストラトスに反対したソロンのような学者たちも、この仕事に参加した。プラトンのものとされる対話篇『ヒッパルコス』によれば、ペイシストラトスの息子ヒッパルコス(フランス語版)はパンアテナイア祭で毎年この写本を朗唱するように命じた。

ホメーロスのテクストは羊皮紙もしくはパピルスの巻物「ヴォルメン」("volume"の語源)に書かれ、読まれた。これらの巻物は、まとまった形では現存していない。
ja.wikipedia.org


あとで思い出したんで追記するが(ホントは最初に盛り込もうととおもって忘れてた)セルバンテス「ドン=キホーテ」も、連載?途中から評判になったため海賊版、類似作、二次創作、パロディが著作権も無い時代どっと登場、作者がそれに業を煮やしてDISる場面が出てくる。岩波少年文庫でもその辺の個所の翻訳があったはずだ。


togetter.com
遍歴の騎士が風車を怪物と見誤り、従士サンチョ・パンサが必死にとめるのもきかず、槍をかまえて突進していく―セルバンテス作『ドン・キホーテ』の有名な場面である。作品は発表当初から大評判となり、気を良くしたセルバンテスは後篇を出版すべく執筆に励んでいたのだが、そこへ非常に手の込んだつくりの贋作が現れた。偽物を読まされた作者の反応は、そして贋作者の真意とその正体は。黄金期スペイン文学史を彩る贋作騒動の顛末記。

源氏物語で、楽屋落ち的に言及された同時代のライバル小説「交野の少将」とは?

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