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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 報道、記録、文化のために

【完成】「べらぼう」で田沼意次退場、松平定信の時代になりました。「風雲児たち」で追体験し、いろいろ語る

ほとんどは無印版風雲児たち9巻に収録されています。


平賀源内の生と死、
浅間山噴火
蝦夷地調査
印旛沼干拓決壊
などはその前の巻ですが。


そして寛政の改革が本格化するのは10巻となる。




まず画像をUPし、あとから文章(感想)もドラマと合わせて書いていきます。

田沼意次松平定信の「政治抗争」がここまで描かれると思わなかった

田沼失脚
田沼失脚


まずもって教科書レベル、「マンガで読む日本史」レベルだと、「田沼意次の時代がありました(功罪を描く)。ですがのちに失脚し、松平定信の時代になりました」と描かれるのですが、田沼が本当に老中を退いて、権力を失うのか、松平定信が本当に老中になるか、その中でも筆頭の地位を得て実際に権力をふるえるのか……については一時期「宙ぶらりん」の状態になり、まさに「政治抗争」が行われた、という面白い話があったのですね。



ただ、このへんははっきりくっくり公式の歴史に載る話でもなく、裏を推察するしかない面もあり…
風雲児たちでも、要は上の数コマで片付けているんだ。
「べらぼう」の描き方も、そこはいろいろフィクションが多いんでござろうよ。


100年後の歴史教科書に「石破茂首相から○○首相になりました」と1行書かれるのか。それすらないのか。今回我々がリアルタイムで目撃している権力闘争のドラマが、映像で再現されることとかあるのでしょうか。



あと、もうひとつは、我々は定信、意次の名前は挙がるけど、当然同時期に「別の老中」もいるのよね(笑)。彼らは別にモブではなく、彼らなりの識見も権力欲も政策も人間関係もある。本当は彼らもバイネームで考えるべきなんだろう。
つい最近知ったんだけど、江戸幕府の政務って、基本的には老中が「月番制」で執ったんだって。北町・南町奉行もそういえば地域でなく、「今月は北町、来月は南町」の担当制度だっけ。
今の近代政治制度だと違和感があるけど、案外やってみたら面白いかも。「今月は石破、来月は小泉、再来月は高市が首相を担当・・・・・・・」
ぶんぶんぶんぶん。


「打ちこわし」の罪状の軽さについて思うこと。「喧嘩」扱いだから微罪、というのは面白かった。

田沼失脚
田沼失脚


風雲児たちでも印象に残る「打ちこわしはなぜか秩序のある暴力だった」「火事も死者も出さなかった」「その結果、処刑も無かった」という話だが、
べらぼうで
「米屋を打ち壊したあと、そこのカネや金を持って帰ると『盗み』になり、10両で首が跳ぶ」
「だが持ち帰らなければ『暴徒と米屋の”喧嘩”』になるから両成敗。死刑にはならない」という話が出てきて「あ!そういうことだったのか!」と数十年の間を置いて(ホントにそうなのよ、風雲児たちのこの回の発表から…)ようやく腑に落ちた。


江戸時代に限らず古い時代の法律では、一見厳しいように見えて抜け穴がある、というかそこに慈悲がある、というそれこそ”ハイコンテキスト”な文脈が有ります。
たとえば・・・・・・・

武士の切り捨て御免という特権は公式に完全否定されることはなかったけど、
・本当に一刀のもとに切り捨てねばならない。
・相手が手傷を負って逃げてしまった、とか
・相手が丸太ん坊かなんか持ち出して抵抗して、お互い痛み分けになった、とか
そういうのは「士道不覚悟」で切り捨て側の罪になる


同様に不義密通はいわゆる「重ねて四つに斬る」ことが許されるけど
上の斬り捨て御免と同様に、失敗したらその失敗したことが罪となり、不義されて報復し損ねた側が処罰される


……という。「厳しい罰」を重ねることで、実際には最初の重罰を緩和する、そんなからくりみたいなのがあったんです。

このへんを、いまビッコミ連載中の「公事師の弁」でやってるわけですが。
bigcomics.jp

公事師の弁

田安家乗っ取り

田沼失脚
田沼失脚

このへんは「本当にそうなのか」というところは、ちょっと首をひねる部分ではある。
逆に言うとみなもと太郎や「べらぼう」で出てきたものなのか、とも思う。松平定信を悪役側に描く作品自体が少ないわけだから、遡ってみるとその「史観」の出元がわかるかもしれない。山本周五郎栄花物語」とか、あと、全部たどってくと、この辺のものの見方は徳富蘇峰「近世日本国民史」だった、ということもよくある。
山本周五郎のほうは、青空文庫にあるはず…ないや。
彼の著作権は切れているが、途中で青空文庫化は滞ってる。なら俺がやれるかってやれねぇけどさ。
www.aozora.gr.jp

この作品でも「戯作者」が大きな位置を占めていて。

note.com
本の描く田沼は、国家経済がこれまでの古い体制や儒教思想ではとても持たず、ある種の重商主義をとるしかないことを考え、いかに多くの批判や誤解を受けようともその道筋を貫こうとする信念を持った政治家です。彼は松平定信のような政治家を、単なる精神主義で事態が乗り越えられると信じる「守旧派」に過ぎないとみなしていました。

「幕府の経済はもとより、武家生活の全体がしだいに窮迫していく。そのもっとも根本的な問題は商業資本の膨張だ。しかも、それはもう政治的な圧迫などでは抑えきれない状態になっている。彼らに対抗し、幕府百年の経済的安定を計るには、幕府そのものを商人会所にする勇気が必要だ。」

「あの人たち(幕府の保守派)にはそこがわからない。(中略)復古、あの人たちの歴史はいつもそれだ。この世にあるものは絶えず新たに、休みなく前へと進んでいる、元へ返るものなどありえない」(栄花物語

しかし、その田沼の政策は、同時に汚職と格差を生み出したことも事実でした。山本は特に、町人文化の発展や商業の発展の一方、生活が破綻し苦境に落ち込んだ庶民のくやしさや悲しみも描いています。当時は福祉制度もありませんし、新たな時代に乗り切れない人たちの中には、田沼の政治は金持ちだけを優遇し貧しいものを破滅させる、と信じ込む人たちも出てきました。
(略)

そして、田沼への怒りや憎悪をあおったのは、誇張やデマに満ちた文章を書き、ばらまいた戯作者たちの影響でした。すぐれた知識人、かつ世慣れた遊び人でもあり、同時にお金をもらえば平然と田沼政治へのデマに満ちた批判を書きなぐる人物、信二郎は、同時に大衆を蔑視しつつこう語ります。

「眼のある人間が読めば、それらの戯文が虚構だということはすぐにわかるだろう。しかし世間に目のある人間がどれほどいるか。千人が千人愚かで、盲で、蒙昧だ。現に田沼父子に対する汚名は一般的で、それが虚構だといっても信じる者はいない。世間というものは不合理な噂を好む、ありそうもない事であればあるほど、それを喜んで信じようとするものである。」

土山宗次郎処刑

土山宗次郎処刑


風雲児たちでは上の画像のように「公金横領の(無実の)罪をかぶせた」となっているが、これは漫画的演出に思える。

ウィキペディアとかでも、無罪説、冤罪説はない。

吉原・大文字屋の遊女誰袖(たがそで)を祝儀などを含めると1200両を払い身請けしたことで派手な生活ぶりが評判となり、親交のあった大田南畝から、狂歌で「我恋は天水桶の水なれや。屋根よりたかきうき名にぞ立つ」と詠まれた[2]。

天明6年(1786年)8月に第10代将軍・徳川家治が死去すると、台頭した松平定信ら反田沼派が老中・田沼意次を罷免する。同年11月に富士見御宝蔵番頭となる。その後、買米金500両の横領が発覚し、その追及を逃れるため逐電し、武蔵国所沢の山口観音に平秩東作が匿ったが発見され、天明7年(1787年)12月5日に斬首されている。
土山宗次郎 - Wikipedia


しかしまぁ、元の資料がたしかに田沼失脚後の権力闘争の結果であることも事実だが
だから不正をしていない、とも言えない…

……(前略)……七年十二月五日行状よろしからず、遊女を妾とし、かつ先年娘病死せしところ、これをつゝみをき、他家の女をもらひうけ、実子同様にいたすべき心底にて、親族をしるしてさゝぐる書にも娘二人と書のせ、しかのみならず、御勘定組頭勤役のうち、御買米の事にあづかりしとき、公よりいださるゝところの金子を私に融通して、五百両餘を貪取、剰御買米ののこり滞りしを糺明せらるゝにいたりて逐電せしことも、其罪軽からずとて死刑に處せらる。

※『寛政重脩諸家譜』巻第千四百二十八 藤原氏(秀郷流) 安藤 土山

田沼失脚

ただし蝦夷地政策がここで、思わぬ足踏みを余儀なくされることでもある。





定信政権発足!のあとも、「べらぼう」と「風雲児たち」は伴走しつづけるだろう。その時にまた改めて。

あと、その時に紹介すればいいのかもしれないけど



ここで「識りたがり重豪」の桝田道也氏が、ファクトチェックも含めた9,10巻解説をしている。

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