黒人優位思想に傾倒、「警察嫌い」が顕著に
http://www.yomiuri.co.jp/world/20160710-OYT1T50013.html【メスキート(米南部テキサス州)=田原徳容】警官ら14人を襲撃したマイカ・ジョンソン容疑者(25)は、中流家庭に育ったスポーツの得意なアフリカ系の少年だった。
だが、近隣住民によると、次第に黒人の優位性を主張する思想に傾倒…(後略)
この新聞の、見出しで十分だろう。
別に、以前から黒人優位思想やそれにもとづく組織、その組織による暴力行為があることは知られていた話。
当然、それは米国でも批判され、司法の裁きもある。
というか80年代以降、反ユダヤ主義の発信地のひとつが、アフリカ系米国人団体による反ユダヤ思想で、米国大統領選の予備選にも出馬し、一定の影響力を保っていたジェシー・ジャクソンも、たびたび反ユダヤ的言動が批判されたりしていた。
http://www.ic.daito.ac.jp/~uriu/thesis/2005/fukaya.html
3―3 黒人による排斥運動アメリカのユダヤ人問題で、最も特徴的だと思われるのは、黒人による反ユダヤ主義である。第一次大戦記に、南部農村から黒人達が北部大都市にある移民集住地区に移住した。移住先で黒人達が出会ったのは、公民権運動に尽力してくれたエリート層のユダヤ人とはまったく別のタイプのユダヤ人で、自身の経済的基盤を築くことのみ専念し、弱者をかえりみるゆとりなどないユダヤ移民達だった。このようなことから、反ユダヤ主義へと転化するのは時間の問題だった。
1960年代中期以降、キング牧師をはじめとする主流派黒人指導者の考えは、黒人だけの解放運動には限界があり、北部ユダヤ人に代表されるリベラルな白人達との幅広い連携が必要である、というものだったが、これを真っ向から否定する考えが急速に台頭しはじめた。それは、黒人は自分達以外の者に頼るべきではなく、自力で解放を達成せねばならない、リベラルな白人との連携など幻想にすぎない、という考え方だった。これは、いわゆるブラック・ナショナリズムの台頭だった。これ以後、黒人社会に若年の知識層を中心に反白人色、反政府色が急速に広まり、ブラック・ナショナリズムの指導者達は、ユダヤ人社会との関係を最も損なう結果を招いた、「黒人居住区の学校経営は黒人の教師が行う」という要求をした。このことはユダヤ人社会にとっては大変な脅威だった。それは、1960年代初めのニューヨーク市内の公立学校では、教師の50%、校長クラスにいたってはその大半をユダヤ人が占めていたからだった。これを機に身分保障を求めるユダヤ人と黒人教員の採用を求める地域住民との対立が激化した。
(略)
また、1970年代以後、黒人とユダヤ人の関係を悪化させたもう一つの背景には、黒人指導者達が反ユダヤ主義を政治的に利用しはじめたことが挙げられる。彼らは反ユダヤ的発言をすることで黒人大衆の注目と支持が集められることを発見し、大衆動員の手法として反ユダヤ的発言を繰り返すようになったからだった。例えば当時、若手指導者の一人だったジェシー・ジャクソンは1970年代を通じて、自分の支持者に向かって反ユダヤ的発言を繰り返してきた。彼が次第に、全米屈指の黒人指導者の地位に登りつめてきた1984年の大統領選挙で、彼は黒人として史上初の民主党大統領候補の指名獲得をめざし、予備選挙に出馬した。(結果は落選)この選挙戦の最中にも、彼は70年以来の「お家芸」を披露し、84年2月、彼はニューヨーク市のことを「ハイミータウン」と呼んだ。「ハイミー」というのはユダヤ人に対する蔑称であり、ジャクソンは慌てて謝罪はしたものの、大半のユダヤ人有権者それを許すことも忘れることもなかった。そして、1991年8月19日、ニューヨーク市ブルックリン地区でアメリカ史上、ユダヤ人に向けられた黒人による集団的暴力行為のなかでも、最悪ともいえる事件が発生した…(後略)