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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「俺の爺さんは人間でなかった(奴隷だ)」「奴の先祖は戦わなかった。俺たちは違う」…米空母で黒人と先住民が、日本人に語った重い言葉(月刊「正論」)

かなり久しぶりに月刊誌「正論」を手にとる機会があった。
ここにこういう論文が出ていた。

http://seiron-sankei.com/recent

月刊正論 2015年4月号

月刊正論 2015年4月号

特殊部隊の本懐 邦人救出論議に思う
海上自衛隊特別警備隊初代先任小隊長 伊藤祐靖

特に名前をしってる人でも、このテーマに興味あるわけでもないのでこの記事には軽く目を通していただけだったのだが、いきなり釘付けになった。米空母で1カ月ほど暮らした時の経験談が、あまりに重く、深いものだったからだ…
申し訳ないが、あまりにここが衝撃的でメモを必死で取ったりしたので、本題と結論まで読まなかった(笑)。あと図書館の閉館時間が迫っていて(笑)。
だが、ここだけでも皆さん読む価値があるかと思う。
その経験談は、こんな話だ・・・(できる限り正確性にも配慮しつつ、適宜要約もしています)

【前提】
・約四半世紀前、筆者が幹部3年目、26歳のとき
・英語があまり得意でない指揮官の通訳的な立場で、いわゆる中尉。アメリカ軍空母に1カ月乗り込んだ。
・3人部屋が与えられ、一人は西部劇好きの白人大尉(この人は話に関係ない)、一人はひと年下の黒人中尉。すぐに親しくなった。
・だがあるとき、ひょんなことからこの黒人と口論になった……

ひょんなことがきっかけで 彼とは口論になった。
中尉「日本人は黒人の歴史を知らないからな お前のおじいさんは人間から生まれただろ」
私「ああ、当たり前じゃないか。お前の爺さんは違うのか」
中尉「俺の爺さんは人間から生まれたんじゃない」

おたがい喧嘩ごしになってきていたので アメリカ人特有のジョークで場をなごますつもりなのかと思い、問い返した。
私「へえ〜 じゃあ何から生まれたんだ」
中尉「 俺の爺さんは人間じゃなくて奴隷から生まれたんだ。鍵ってものは内側から自分で閉めるもんじゃない。外側から白人が閉めるもんだ。 食べたいもの、 好き、嫌い、そんなもんない。白人から与えられる餌を食べるんだ!」
(略)
中尉「日本人は知らなくてもいいんだ、関係ないからな。 でもオレが生まれる100年前だ」

すっかりしゅんとなった筆者の伊藤氏。100年前なら、たしかにおじいさんの代だ…
一方で、その黒人中尉は「それでもその孫の自分は中尉となり、白人に命令をする立場だ」といささかの誇りを持ち「そのうち黒人の大統領だって出るかもしれない」と夢を語る。18年後にそれが実現した。


ここまでなら、重いながらも…
なかなかに希望がある話なんだよ。
 
だが…ここからもう一段、重くなる。
そういう話が苦手だ、という人は読まないほうがいいかもしれない。

その次の日、昼飯を食べていると仲良しのネイティブアメリカン(以下NA)が私の隣に座ってきた。

NA「お前は、なんであんな奴(※上の黒人)と一緒にいるんだ?(略)あいつは黒人だ」

前日、奴隷の話を聞いて衝撃を受けていた私は、似合わない正義感が湧いてきた。
私「黒人だから何だ!」

ここまでは、いかにもドラマ的な勧善懲悪、理解しやすい展開だ。
しかし、ここからそうはいかなくなるぞ。

ネイティブ・アメリカン(NA)「あいつは、黒人だ。黒人っていうのは生きていたいからって奴隷になったような奴らなんだぞ」
私「………」
NA「俺たち黄色人種はそんなことしない。日本人だってしないだろ」
私「しない…」
NA「そうだろう。誇りがあるんだ。ネイティブアメリカンは奴隷になることより、死ぬまで戦うことを選んだ。だからほとんど生きのこってない。日本人だって屈服することよりも、死ぬまで戦うことを選んだじゃないか…(略)」
 
(略)予想だにしない展開に混乱した。黒人を差別するのかと思ったら、たしかに差別だったが切り口が違った。(略)
 
NA「その国の戦士のお前が、何で黒人と仲良くなれるんだ!
彼はどんどん興奮して喧嘩ごしになってきた。

しかし、「奴隷の話を聞いた翌日に、黒人を蔑むような言葉を聞き逃す気にはなれなかった」という伊藤氏は、こう反撃する。

お前は黒人の悪口言ってるけど その黒人と同じアメリカ海軍に属して同じく空母に乗ってるじゃねーか。インチキアメリカ人なんかやってねーで、独立戦争しろ

むちゃくちゃな暴論だが、伊藤氏本人も
「頭が混乱して、喋るのが面倒になったのでコブシのケンカに持ち込むつもり」で敢えてこう言った、と回想している。お前らなあ(苦笑)……。
 
だが…

NA「そうなんだ…」
今まで身振り手振りで振り回していた手をテーブルに置いたかと思うと、その手に彼の涙が滴り落ちていた。私も彼に触発されて血の気が上っていたが、急に胸を締め付けられるような苦しみを感じてもらい泣きしそうになった。
私「すまなかった…」

この後、執筆者はさまざまに自己反省をしていき、自分と自分の祖国の歴史を振り返っていった末に表題のような話を考えていく(らしい)のだが、…んな結論よりともかくも、この証言の緊迫感、インパクトは相当なものだ。

25年前というと、単純計算すればほぼ冷戦が終わろうか、そしてアメリカ一極世界の中で「湾岸戦争」が始まろうか、という時代だ。
そして、このおそるべき思想劇、会話劇がすべて「アメリカ海軍の空母の中」で米国の軍人と、日本の自衛官によって行われたという象徴性。


蛇足をする必要は無いが、敢えて3点。

・自分はこれ最初、70年代後半ぐらいの話かと思っていた。あらためてメモを確認したら、25年前と書かれていたのだ。
この話の事実性にも疑問を持つ人がいたとして調べるなあら、話の骨子は個人的なやり取りなので最終的な確認は難しいだろうが、執筆者の身分は明らかなのだから「米空母に1カ月乗り込んだことはあるか」「当時同室の米軍人はいたか」などは資料を追跡していくことで明らかになるかもしれない。ただその結果、このNAや黒人の米軍人が、アメリカで不利な状況におかれるかもしれないが。
 
・もし、これを「ヘイトスピーチを誰が誰にしているのか」という視点で考えるとどうなるか……ふつうに機械的判断をすると「全員アウト」だよな(笑)。彼らは、場所、国が違えば、全員法的に罪を負ったり、賠償責任を背負ったりするだろう。そしてこういうやり取りや感情は、その法の規制によって、表に出ることはなくなるだろう。
読者がこれを読んで反応することも、考えさせられることも無い。良くも悪くもそういうものだ。
 
・70年代?と誤認した理由だが…よくいう「日本人が海外で尊敬されている、賞賛されている」という話。別に今の「日本SUGEEE」だけじゃなく「尊敬されていたのに、今の政府の行動でその尊敬が失われてけしからん」も含めてだが、その「尊敬、賞賛」の一部にはかなり長い間「負けたとはいえ、アメリカと大戦争した国」という方向性が含まれていたのであった。平和憲法も優秀なトランジスタラジオもカラテ、ジュードーもあっただろうけどさ。少なくとも、上の回想によれば、ネイティブアメリカンの米軍人がそう見なしていた、のだから。(そしてその軍人が所属する合衆国の「公式見解」として、こんな見方が語られる可能性は全く無いのだろう)

というか、世界全体では60年代からかなりのところに「まず”反米”ならヤッホー、その反米の質やそれ自体の正義は問わない」という流れってあったじゃないすか(笑)。というかわが国でもそういうのあったんだから。忘れてないっすよ。

その誤解による賞賛も、実益に繋がるなら敢えて否定はしないけど、まあそれでいい気になる必要は無いよね、という話。


なんにせよ、おそろしく重い、感情を揺さぶられる体験談だったことは間違いない。
まだ書店で発売中だし、かなり多くの図書館にも置かれているだろうから、興味を持った人はご自身で目を通されるといいだろう。

月刊正論 2015年4月号

月刊正論 2015年4月号

資料を追記しておきましょう(3/16)

https://www.wako.ac.jp/organization/research/touzai96/tz9608.html


戦争責任とマイノリティ アメリカ黒人の戦争観
ジョン・G・ラッセル 岐阜大学助教

 戦争に関してさまざまな神話があります。その一つは、戦争によって国民の意思を統一し、外敵を倒すという共通の目的で参戦したという神話であります。しかし、第二次世界大戦に対する、アメリカ人の戦争観はさまざまであり、人種によって戦争の意味と意義が違っています。つまり、アメリカの少数民族、いわゆるマイノリティの人たちは参戦することに、非常に複雑な気持ちを抱いていました。自国でまだ自由を獲得していない少数民族にとって、自分たちを迫害している国家のために、海外で命を落とすことに強い疑問を抱いていたからです。今日は、第二次大戦とベトナム戦争を中心に、アメリカのマイノリティの一つである黒人の戦争観についてお話ししたいと思います。

(略)
……スローガンの裏には、忘れられた醜い事実が潜んでいます。つまり、アメリカ人によっても、そして日本人によっても、太平洋戦争を「人種戦争」として捉えようとしていたという事実です。当時のアメリカ側の戦争宣伝では、日本との戦争は、正義と自由を大切にする西洋白人と不可解な未開の、人間以下の「黄色人種」との戦いであるかのように描かれました。一方、日本の戦争宣伝では、西洋白人はアジアを侵略し、植民地化した野蛮な鬼のような民族として描かれていました。これによると日本の主張は、いわゆる鬼畜同然の西洋白人支配者からアジアを解放する「有色人種の味方」であるというものでした。どちらにしても、敵国の国民を非人間化し、自国の国民の優秀性を宣伝したのでした。

 では、多種多民族国家であるアメリカにおいて、アメリカ社会の一員である黒人はどのように第二次大戦、とくに太平洋戦争を見ていたのでしょうか。同じ有色人種である日本人が傲慢な白人に立ちむかい、白人優越主義の神話の崩壊を実現したと歓迎する黒人がいる一方、アメリカで酷い差別を受けながらもアメリカに忠実な姿勢をとり、反日感情を抱いていた黒人もいました。

 戦争中に黒人が日本人に対する同情を考えるとき、アメリカにおける人種差別問題を別にしては考えられません。長年アメリカ黒人の日本人観を研究した神田外語大学のレジナルド・カー二ー教授の『二○世紀の日本人−アメリカ黒人の日本人観一九○○〜一九四五』によりますと、戦前からアメリカの黒人が、日本人に対して好意的な態度をもっていることがわかります。日露戦争の勝利によって、白人による植民地支配に挑戦して二○世紀初の唯一の非白人の国として、日本にかなりの関心を示し、尊敬する国として考えていました。しかも、戦前から白人が抱いていた人種差別的な日本人観に対して強い疑問を抱き、日本人を自分と同じように抑圧された有色人として見ていました。アメリカ白人と同様に、黒人も日米戦争を「人種戦争」として捉えると同時に、善し悪しは別として、日本人を同じ有色人同士として捉え、同情的な見方を持っていたのです。

 とくに、アメリカの戦争宣伝における日本人の描写には、白人の日本人に対する偏見がはっきりと現われていました。当時の宣伝ポスター、漫画、映画などには、日本人を野蛮な獣、有害な虫、つまり人間以下の存在であるかのように描かれました。白人社会に自分の人間性が認められていない黒人たちは、このような人種差別的な描写に対して違和感を覚え、非難的でした。反日感情を煽るところから、むしろ日本に対する同情を一層強めていました。残念なことに、日米戦争が白人対有色人の戦争という見方を抱いた黒人は、有色人である中国人や韓国人、東南アジア人が日本の帝国主義の犠牲者だという事実から目をそらすことになりました。しかし、アメリカ黒人の日本に対する好意的な見方は、親日感情というよりも、むしろ反白人感情として捉えた方が正しいかもしれません。同じように、日本の戦争宣伝に見る黒人を含む有色人に対する連帯感は、親黒人感情というより反白人感情の現われだったと言えるでしょう。なぜなら、日本側のレトリックは別にして日本帝国には、肌の黒い民族を日本民族より劣等で未開な民族と見下し、平等に扱う意図の全くなかったことが日本に支配された非白人の待遇によって証明されていたからです。

 勿論、すべての黒人が日本人に対して同情を抱いたわけではありません。戦争が黒人の社会的、経済的地位を向上させる絶好な機会、と見ていた黒人もいました。さらに、アメリカ社会の反日感情日系人排斥運動の流れに影響された黒人も少なくありませんでした。

 例えば日系アメリカ人の強制収容所に関しても、黒人の見方はわかれていました…(後略)

20世紀の日本人―アメリカ黒人の日本人観 1900‐1945

20世紀の日本人―アメリカ黒人の日本人観 1900‐1945