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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

本日「徹子の部屋」は永六輔氏追悼特集/永氏の想い出

http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
7月12日(火)
緊急追悼 永六輔さん


さようなら永六輔さん 黒柳との名場面で偲ぶ
ラジオ・テレビ番組の企画・演出から、作詞家、ラジオパーソナリティ、随筆家など、多彩な才能で活躍した永六輔さん。駆け抜けた83年を珠玉の映像で偲ぶ。黒柳とは、テレビ放送初期からの盟友。放送40年の「徹子の部屋」には、これまで39回ご出演し、臨場感を大切にするためにも、毎回、事前の打ち合わせは全く無く、ぶっつけ本番でトークに挑んできた。また、亡き愛妻・昌子さんとの夫婦秘話や、娘との心温まる書簡など、親交の深い2人だからこそ聞けた名場面を集め、永六輔さんを追悼する。


自分はラジオをあまり聞かないので、永氏との接点もあまりないが、それでもとある縁で、直筆はがきをもらったことがある。きちょうめんな人だった。


        
それは別にして、過去のプレイバック(読売新聞「編集手帳」)

永六輔高田文夫の手紙のやり取り(編集手帳
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110913/p3


これも編集手帳の切り抜きから(日付不明…だったが今検索で分かった。7月23日)

7月23日付 編集手帳
 放送作家高田文夫さんは学生だった20歳の頃、永六輔さんに弟子入り志願の手紙を書いた。便箋20枚の熱烈なものだったという。当時30代半ばの永さんから、短い文面の返信があった。「弟子はとりません。友達ならなりましょう」◆15年たったある日、売れっ子の放送作家となっていた高田さんのもとに、永さんから1枚のはがきが届く。「今からでも遅くありません。高田先生、是非共弟子入りを」。祝福の心をこめた15年後の追伸であったろう◆〈手紙というのは、こういうドラマが生まれるからいい〉。高田さんが自著で回想していた (後略)

これ、音声ファイルにもしてみています。


晩年のTBSラジオは時々、車に乗っていると聞くともなく聞いていたのだけど、話術やテーマは一昔前の感覚ではありつつ、だから高齢者には絶大な人気があってもおかしくない、とは感じさせられた。
ただ、そのぶん、ラジオの人にとっては致命的なまでに、口調というか滑舌というか、それがもう聞き取りづらいものになっていった。それでも番組が成り立つほどの熱狂的信者、ファンがいたのだろうし、それはすごいことなのだけど、本人自身も不満で残念だったのではないか。

「入れ歯を作ったあとの桂文楽は、文楽ではない」という色川式大氏の言葉を思い出す。
しかしそのあやふやな滑舌でも、必死に番組をつくろうとする姿もまた、ちょっと感動的だった。