のココロだァー。(意味なくTBSラジオ「小沢昭一的こころ」調)
今日は昨日書いたDREAMの流れで、格闘技サイトを読めない日だから、格闘技の記事は抜きにして漫画論をトップ記事にしちゃう。
【創作系譜論】
まず荒川弘の新連載「銀の匙」について一席
荒川弘が北海道の農業高校を舞台に描く、少年サンデーの「銀の匙」が好調です。初連載だった「鋼の錬金術師」がそのまま世界的大ヒット、大長期連載になった人で、往々にしてそういう人の次の作品(※ああ、正式には中国武侠漫画が2作目か)は、プレッシャーもあったりとかで難しかったりもするんですけど、まあおまけ漫画その他で「この人、相当幅広い作風を描けそうだなあ」と思っていたので今回の連載の好調も驚きは無い。
現在、この作品を自分勝手に翻訳し、カテゴリ分けをするなら「変人・特殊集団の”常識ズレ”もの」だと思ってます。
以前、「プラネテス」のロックスミスを紹介した時に書いた一節を再録。
自分はキャラクターやストーリーの中で、自分がどの部分に惹かれるかを”因数分解”する癖があるんだが『「おいおい、ちょっとその価値観は普通の常識とずれてるよ」というのをみんなが平然と『俺(たち)の常識』として展開する、というのがツボであるらしい。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090817/p5
ジョークでいうと「弁護士ジョーク」「医者ジョーク」「エンジニア(理系)ジョーク」なんかがそれに類似しているイメージがある。特に”理系くん”といったカテゴリ-をつくって「理系的な発想(もちろん誇張・戯画化されている)を、さも一般的な常識のように確信してごり押しするヒトビト」をユーモラスに描くというのは、ここでも何度か紹介したように近年ちょっとしたブームでした。まあその当事者や配偶者がやってるんだから、エスニックジョークのように怒られる事はあるまい。
うっぷ、満腹だ。というか、これだけでタイトルのテーマを論じ切れるな…まあそれは後述。
あるいは何度も紹介しておりますが、「長屋の花見」前半で「家賃なんてのは払わないのが普通だろ?」という転倒した常識を共有する長屋住民の、あまりにずれたやり取りの面白さ。これは落語初心者をもひきつける、非常に面白いやり取りです。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/6684/nagayanohanami.html
金 たなちん? 大家が店賃をどうしようてぇんだ?
月番 どうしようったって、決まってらぁな、みんなから店賃を取ろうってぇんだ
金 店賃を? 大家が? そりゃぁ、図々しい話しだ
(略)
月番 じゃぁ、おめぇはいってぇ、いつ持ってったんだい?
留 まぁ、月日の経つのは早ぇって云うが...あれはおれがこの長屋に越して来た月のこったから、指折り数えて十八年くれぇにゃぁなるかな?
月番 十八年? 仇討ちじゃぁないんだよ!
(略)
辰 その、店賃、ってぇのは、何だ?
月番 おいおい、店賃、知らねぇやつがいたよ! しょうがねぇなぁ...寅さんとこはどうだい?
寅 何が?
月番 何が、じゃないよ。店賃だよ
寅 店賃だぁ? そんなもん、未だにもらったことがねぇぞ!
月番 あれ、この野郎、店賃、もらう気でいやがる。図々しいにもほどがあらぁ...店賃てぇものは、おめえが大家に持ってく金じゃぁねぇか
寅 おれから? へぇ、そいつぁ、初耳だ
月番 無茶云うねぇ...六さんは? おめぇさん、なかなかきちんとしたとこがあるから、店賃は持ってってるだろう?
六 いや、そう云われるてぇと恥ずかしいが...確かに持ってってる
月番 えらい! これだよ、感心だ。いつ持ってった?
六 そうだなぁ...おれが、おふくろの背中におぶさって...
月番 ...あきれたねぇ...そりゃぁ何十年前の話しだ? 古過ぎらぁ...
と、いうような話のように「銀の匙」ではとある事情で、普通の進学コースから外れて、全寮制度の農業高校に通いはじめた主人公をツッコミ役として、広大な農場の中で先輩や教師、農家が実家の同級生たちが共有する「オレら的常識」にツッコミまくるところが序盤の読みどころです。
もちろんそれは、ただ面白くするためにやっているわけではなく、実際に農家出身・農業高校出身の作者が実体験で得たおかしみ、そしてそこにある「意味」をちゃんと伝えることになっています。
というか、そもそも荒川弘さんはこれをテーマにした「理系の人々」の中でも特殊というべき「農系の人々」的エッセイ漫画をすでに著している。
非常な傑作ではあるんですが、ただ「銀の匙」が始まった今では、同書収録の、著者の実体験を昇華させて「銀の匙」のエピソードになっているところがちらほら見られるので、やや”ネタバレ”の一冊になってしまう可能性もある。でもそれを気にしなければ「食と農」を考えるお勧めの本です喃(のう)。
なぜ虎眼先生風なのだ。ただのダジャレだ。
もともと荒川氏が「ハガレン」を書くとき、その命と死、というテーマを考える中では常に牧場を経営し、実家で牛を育てていた自分の体験が基となっていた…という話は何度もインタビューでしているし、同作品では生死観に加えて、「現場」で「労働」に直面してカラダひとつで自分の義務を果たしている人々への圧倒的な信頼感、連帯感というのは常に描写されている。 (※実は自分は今後の「銀の匙」について、こういう面がやや過剰になり「食べ物を作る農業は正義!」というプロパガンダ臭が強くなることに一抹の不安はある。「現場」や「農業」の今が生む…悪というか「矛盾」というのも今の日本では必ずあるわけで、逆にそれをこの作品では直視できるかどうか。実はその「矛盾を見つめる」気配も少なからずあり、そういう点では丁半どっちにころぶかドキドキ)
こっちでも新連載当時、話題になったようで
http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-1438.html
「動物のお医者さん」や「じゃじゃ馬グルーミンUP!」について
さて、たぷりと「銀の匙」について語り続け、はっきりいってこれでコンテンツとしては十分成り立つと思うのだが、ようやく本題に入る。(自分でもちょっとしんどい)
「銀の匙」(及び「百姓貴族」)の舞台は北海道です。これは荒川氏の実家、及び母校が実際に北海道で、ばんえい競馬など、そこならではの特徴もあるのだから当然のトンカツ(意味不明)なのですが・・・。
【おもしろ漫画クイーズ。】
Q1:「特殊な専門教育機関を舞台に、一般常識とちょっとずれた『そこならではの常識』を平然と生きる、愛すべき変人集団たちをユーモラスに描いた漫画は?」
Q2:「北海道の雄大な自然を背景に、偽善的な競争社会に疲れたやや頭でっかちのひ弱なインテリ少年が、馬などの家畜と、それを育てる人びとのふれあいの中で、生と死に直面して人間的にも成長する漫画は?」
いずれもテン年代の若者たちには、今後「銀の匙」一択になるのでしょうけど、今はまだ引っ掛け問題が通じる時代だな。
【1の答え】
[asin:B002DEKBQO:detail]【2の答え】
さて、そこで先行作品とか類似作とか、ジャンルという、タイトルの話になるのだ。
誤解を生むといけないから念押ししますが、銀の匙が、上記3作品のパクリだなんだということでは絶対にない。まだ連載10回にも満たないものだが、そのオリジナリティと独自の世界観は間違い無く伝わってくる。
しかし、ただ”因数分解”を重ねると、上のような共通点も間違いなくあるのだす。
それはこの前「銀魂」と「SKET DANCE」の相互コラボが、両者に確実に存在する共通点を浮き彫りにしながらも、同時に「スケットダンスはパクリ漫画じゃ絶対に無いよ、確実に自分の世界を作っているよ」という証明になっているのと同じなんですな。
【参考】「銀魂」&「SKET DANCE」のコラボが、コラボを越えた相互批評となった傑作の件。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110416/p4
しかーし、漫画家当人もけっこう先行作は気にするらしい。
最近「ドリフターズ」の流れで読みはじめたヤングキングアワーズには、クラシック音楽の世界を描いた
つう作品がある。この1巻のあとがきだったと思うが「編集さんからクラシック音楽漫画の企画を提案されたけど『そのジャンルには”あの作品”があるでしょう!』とそうとう躊躇した」といった趣旨の記述がある。
あの作品とはもちろんこの作品でしょうな…
とり・みきテーゼ「パクリが続けばそれは『ジャンル』になる」
ただ、こんな類似作、先行作を廻る話題の中で、燦然と輝く金字塔的な批評文がある。
上に紹介した「じゃじゃ馬」の作者でもある、ゆうきまさみ氏のエッセイ漫画「はてしない物語」で、盟友とり・みき氏の言葉として紹介されている。
当時物議をかもした「ディズニーのライオン・キングは、手塚治虫『ジャングル大帝』のパクリじゃないか?」という話題に関して、ゆうき氏は「話の大筋はともかくとして、ディテールがあそこまで似てるってえのはやっぱ問題あるよなあ」と語っているのですが、とり氏は盗作であることは認めつつ、こう言ったらしい。
あれは2作目だから盗作だけど、だれか3作目、4作目をつくれば「ジャングル大帝もの」というジャンルが確立するのだ
がははは、だが「うーん」と納得する深いテーゼだ。
ゆうきまさみ氏本人も印象深いようで
http://twitter.com/#!/masyuuki/status/58036199071293440
@masyuuki ゆうき まさみ
「ジャンルとしてのジャングル大帝もの」とか「魔界転生もの」とか、その辺の名言が生まれたのはあの頃じゃなかったかなあ(^^)
これに収録
というか、自分でも今検索してびっくりしたが、2005年にこれ紹介してたわ。6年越しの再論かよ■アイデアと「手」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050701/p2
「ライオンキング」がジャングル大帝に似てる似てないの話のとき、とり・みきが「これが類似作品が一作だから『盗作』といわれるが5作6作と続出すれば『ジャングル大帝もの』という”ジャンル”になる」と書いていた(笑)。
そういえば、俺も”ブラックジャックもの”とか呼んでるものな。タイムマシンも、ウエルズがすべてアイデア独占権を主張していたら、タイムマシンものというジャンルは無かったわけだし。
つまり「ブラック・ジャックもの」とは…
とかとか。経験則的にいえば、やっぱり柳の下にはドジョウは3、4匹ほどはいるらしい。だから、ある大ヒット漫画を見たら(丸写しでは無く、世界観とかアイデア部分で)それを真似しようとする編集者ってのはいて当然だろうけど漫画家側では「天にひびき」の作者のように躊躇することもままありそう。
その時、編集者としては上を応用した説得をしてみてはどうだろう。
「XXXという漫画は僕も大好きだ!!そして、あんな傑作を単独作品としてはいけないと思う!!僕らが似た作品を作ることで、『XXXもの』というジャンルを築き、発展させたいんだ!!そのために君の力が必要なんだ!!」ってね(笑)。
ただ、笑い話ですまないのは。類似した作品が玉石混交多々あることで、確かに発展していった「ジャンル」も、確実に存在している気がすることだ。「七人の侍もの」というのはもう間違い無く著作権だ裁判だなんだを越えた1ジャンルだし、傑作愚作あまた存在し、またこれからも登場してくるでしょう。
映画芸術の最高到達点!映画の歴史を変えた超大作!「農民に雇われた侍が野盗と戦う。侍は七人で幾人かが死ぬ」。世界映画史上に残る傑作「七人の侍」とは、これ以上でもこれ以下でもない。今日のゴテゴテと飾り立てられた映画に比べて、なんとシンプルなストーリーだろうか。しかしこの骨太さが映画というものだ。まずはただ息もつかせぬ207分を楽しめばよい。そしてこの創造の奇跡の秘密が知りたいのなら、同梱の書籍をひもといてほしい。
「七人の侍」が出来上がるまでには計り知れないほどの創造と破壊があった。シナリオ段階で、2本の映画の企画が生まれては消え、その苦闘の果てに「七人の侍」が出来上がるまでの経緯を、「七人」の脚本の共同執筆者で今日も健在の橋本忍がインタビューで克明に語る。また撮影に入っても、この映画を決して妥協しては造らないという黒澤監督はじめスタッフのこだわりにより、製作費も撮影期間も巨大化していく。絶体絶命の製作中止の危機も乗り越え、ついにクライマックスの村での死闘を迎えるその製作過程の緊迫のドキュメントを、記録係野上照代氏がエッセイで書き下ろす。世界の映画界の風景を以前と以後で一変させた傑作「七人の侍」。日本には「七人の侍」があるのだ!
この前からこのブログでマターリと触れ続けている「涼宮ハルヒ」シリーズと、あ〜るやら何やらの類似点というのも、そういう文脈で捉えてみてください。
【参考】http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110527/p3
もう一つの「類似作だが傑作」な漫画を紹介。村上もとか「ミコ・ヒミコ」
さて大体「類似作」について長年思ってたことは書きつくせたかな。いろいろ雑多になってしまい、読みにくさはもとよりそもそも分量が多すぎて読むのは大変だと思うが気にしない(笑)。
んで、最後に「JIN〜仁」の世界的ヒット(海外であのドラマの輸出が好調)で、再度注目が集まっている村上もとかの隠れた名作を紹介したい。
ヤングサンデー版のコミックスだと全2巻だが、1999年に全一巻の文庫になった。タイトルだと分からない状態だが、これです。
だが…うーん技術の進歩はすごいねえ。
ネット上で公に「立ち読み」までできるサイトがある。
http://comics.yahoo.co.jp/shogakukan/murakami01/mikohimi01/shoshi/shoshi_0001.html
イントロダクション
神子上陽見子(みこがみひみこ)は小学校6年生の女の子。両親は、不思議な能力を持ち、代々神社に仕えてきた神子上一族の出身。とくに巫女さんとして働く母・月子は霊能力バリバリで、陽見子もその血を濃く受け継いだ。悩んでいる人の声が聞こえるという能力を発揮して、今日も周囲の人々をハッピーにしてゆく!!
いま、ネット立ち読みしました?
んで…これは思うに、どう考えても藤子・F・不二雄「エスパー魔美」の影響を強く受け継いでいる、のではないかと。
超自然的能力を持った少女、それを秘密にしつつも有効に生かして「人助け」をしようとするもおっちょこちょいのために失敗したり、でもそれが逆にめぐるめぐって思いがけない「成功」になったり。
細かい点で言えば、彼女が問題を知って動くきっかけは「人々の悩みが自然にテレパシーで自分に伝わってしまうので、おせっかいな主人公がそれを助けようとする」という点も同じだし、お母さんは外で働くしっかりもの、お父さんは家でアーティスティックな仕事に携わり、おっとりとして気弱に見えるが締めるところではきちんと娘を導く…という点も共通しているわ。
しかし!「ミコ・ヒミコ」が「エスパー魔美」の影響を受けている、ことには個人的に確信を持っているが、『だから「ミコ・ヒミコ」は安易なパクリ漫画で読む価値が無い』、というように受け取られるとしたらこれまた違うのである。今も、もっとも真摯に作品と向き合い続けている巨匠にしてベテランが、全身全霊を込めて「エスパー魔美」テイストの作品を描いたら、それは読む価値がある作品ができるに決まっている。
今、上で紹介した「村上もとか傑作線(2)−ミコ・ヒミコ」は絶版で、マーケットプレイスに繋がっているが、かなり低価格の今のうちに購入しておいたほうがいいわ。
上のネット購読のほうは…「80日間の期間読めます」?
やる気のない商売してるな。
というか、ある作品のファンってさ…この「魔美」と「ヒミコ」の関係や「じゃじゃ馬」「銀の匙」で実感したんだけど、実はその作品が母胎となって「ジャンル」に発展、そして類似作が次々出てくると、実は嬉しいんじゃないか(笑)?藤子先生はことに後期、自分の中で「オバQ・ドラもの」転じて「異世界からの居候もの」という、まさに”ジャンル”を作り上げ、その中でのバリエーションを工夫し続けた人だから、その人のファンとして余計にそう思うのかもしれないけどね。
ということで、漫画家や小説家は、夢はでっかく「俺の描いた作品が『ジャンル』になることを目指す!!」とやっちゃってください。
…というのが、長々と「類似作」を考えてきたこのエントリーの結論でありました。
おしまい
・・・の前に追加!!!これ忘れてた!!尋ね人
実は星新一が、とり・みきテーゼの発表の前にコラムで書いてたと思うんだけど「H・G・ウエルズの『その次』にタイムマシン(機械で時間を移動する)小説の2作目を書いた人は相当SFに貢献している。その強心臓も含めて偉い」といった内容の話があったはず。
確かにその通りだ。
だれか「SF界のタイムマシン2作目」をご存知の方いますか? 誰の作品なんでしょう? (ウィキペディアあたりには載っているかもしれないけど、敢えて今は見ない)
実際にその小説を読んだことありますか?
さらに追記
この記事は、その後、この記事につながりました。
ぜひこちらも合わせてお読みください。
■相原コージのゾンビ漫画「Z」などから「設定共有の上でのオリジナル性」を考えたりしてみる。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130522/p4