ひとつが、もう始まってる(午前9時から)なんで大急ぎでまずラインナップから
- 発売日: 2017/10/25
- メディア: Blu-ray
ひとつが、もう始まってる(午前9時から)なんで大急ぎでまずラインナップから
「いよいよ、あの“平蜘蛛”の登場です。第1回から登場した松永久秀。平蜘蛛にまつわる最高の台本をいただき、僕自身、思いきり演じることができました!ぜひ、ご覧ください」(吉田鋼太郎)#麒麟がくる
— 【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」毎週日曜放送 (@nhk_kirin) January 10, 2021
今夜放送!
[総合/BS4K]夜8時 [BSP]午後6時 pic.twitter.com/jV5OwZHjdX
吉田鋼太郎さんが語る、
— 【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」毎週日曜放送 (@nhk_kirin) 2021年1月10日
松永久秀の最期。#麒麟がくる #松永久秀 #吉田鋼太郎
▼コメントはこちら pic.twitter.com/nhLPlsY5XY
そこで…だ。
これはあれか、日本が誇る絵師、池上遼一の筆によるものか。
信長 文庫版 (池上遼一) コミック 1-5巻セット (MF文庫 )
それでさ、2014年(「軍師官兵衛」の年だね)にこのtogetterをば作ってたわけよ。
松永久秀は名物「平蜘蛛」を打ち壊した?爆破した?本郷和人、ゆうきまさみ氏らが考える
togetter.com
ゆうきまさみと本郷和人の両氏が、松永久秀をめぐって議論してるなんて超豪華じゃね??
そして信長が執着し、それを譲れば助命するとまでの条件をつけていた「平蜘蛛」に火薬を詰めてもろともに爆死…というのはさすがに出来過ぎているからお話として、その「お話」が語られたのはどんな経路だったんだろう?と調べる、考えることの楽しさですな。
過去に、こう書いた。
…松永といえばゲーム「信長の野望」のときに、個人的に散々痛い目にあわされた(笑)。
で、思うのだが、松永は信長包囲網の戦力的にはかなり小さいもので、数字的にはそんなに特筆大書するものではない。
しかしそれにしてはエピソードやキャラがやたらと立っているシトで、この人が織田信長もの、戦国物に登場するとピリリと辛い、物語を締めるアクセントになる。
浅井長政反逆の際には圧倒的ピンチの信長を守る側だったというエピソードもいろいろ解釈できるしね。
こういう人物が戦国絵巻にいてよかった。
俳優でいえば、大物が「特別出演」「友情出演」するときにぴったり、みたいな。
前にも何度も書いた話だが歴史の人物の中には「実際のその人物の生涯」より「その人物の語られ方・イメージの変遷史」のほうが面白いやつらがある。
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信長の語られ方=キャラクターを論じた「信長名鑑」が一冊の本になり以前、評判になった。
なら、それよりスケールは小さく、せいぜい小冊子だろうが「松永久秀名鑑」が作れるのではないか、そういう立ち位置のキャラクターではないか…と思えるのです。
名作「へうげもの」第一話も、思えば松永久秀と平蜘蛛にまつわる一件だった。
comic-days.com
そのほか、過去の松永久秀話。
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日本集中治療学会の1月8日の集計
— 多摩の総合診療医 (@uN0ApywvOw9iQax) January 9, 2021
では、重症者がE C M Oを離脱して生還した割合が67.4%と素晴らしい結果を出しているようです。呼吸器から離脱して軽快された方々も78.9%に昇っています。従事された医療者に敬意を表するとともに、心から感謝いたします。
twitter.com
良き結果あれ。
とある先生からお手紙をいただきました。
— Kan Kimura (@kankimura) January 9, 2021
以下は抜粋。
「こんど「先見をあやまった人々」という本を出そうと思っています。
幹ちゃん、どうしてそんなに何ッてなってしまったの?
向上心がひどかったのだね。
xxxx先生のいうように、「典型的にな京大の田舎者」。(続く)
全国模試八位で東大不合格。
— Kan Kimura (@kankimura) 2021年1月9日
もう君には何も残されていないのかな。」
だそうです。因みに東大受けたことはないんですけど、何をどう勘違いしておられるんでしょうかね。
しかし、こんなメールまで送りつけて来て、他人に言う事を聞かせたいんですかね、某先生。そのうち訴えられても知りませんよ。
— Kan Kimura (@kankimura) 2021年1月9日
まあ武士の情けでお名前は出しませんが、これ以上やると裁判沙汰になっても知りませんよ。周囲の方は忠告してあげた方がいいと思います。
— Kan Kimura (@kankimura) 2021年1月9日
でも、それなりに一時期は評価される著作を書いていた人がこういうふうになるのは情けないね。
— Kan Kimura (@kankimura) 2021年1月9日
まあわかっている人は既に誰かわかっていると思いますが。
— Kan Kimura (@kankimura) 2021年1月9日
該当の大学の先生方は名誉教授の行為とは言え、問題が大きくなると大学の名誉にも関わりますから、いい加減対策を打った方がいいと思うんですけどね。
— Kan Kimura (@kankimura) 2021年1月9日
そういやこの人の尻馬に乗って、僕を含む他人を嘲笑していた人、ツイッター上にもいましたね。いい加減、自分自身の生き残りのためにも、手を切った方がいいですよ。一緒に馬鹿なことやっていると、いろいろと終わっちゃいますよ。
— Kan Kimura (@kankimura) 2021年1月9日
まあ改めてこんな世界で俺、あれくらいのメンタルのダメージで済んだもんだわ。こういうのをそれなりの業績がある、有名大学の名誉教授が平気でやって、それで何のおとがめなしだもんね。
— Kan Kimura (@kankimura) 2021年1月9日
だれなんだろうか。
昨日の某先生からの嫌がらせのお手紙。何と言っていいかすらわからないのですが、彼って右端の雑誌に韓国関係の愚にもつかない文章を書いているだけじゃなくて、「トランプ圧勝」みたいなことも言ったりしているんですね。という事はワシントンDCであんなことがあったから、うちにお手紙来たのかも。
— Kan Kimura (@kankimura) 2021年1月9日
すでに文中に、
ヒントは出ているらしいのだが
ちなみにその後、2020年1月10、11日にも関連ツイートはある(あとで調べられるように資料)
もうたくさんありすぎて収録しきれん
ずっとこうだったんだなぁ。 https://t.co/T00BN8g1JN
— Kan Kimura (@kankimura) 2021年1月10日
朝になってもまだたくさん来てる。正確にはダイレクトメッセージではなくて、ショートメールでしたね。 pic.twitter.com/MFzR0pX62z
— Kan Kimura (@kankimura) 2021年1月10日
【まとめ・重要】うちの業界のハラスメント関係の問題点。一昨日からお見せした嫌がらせ、業界の人のかなりは「誰がやっているか」わかりましたよね。でも、そのうちだれか一人でも「自分が動こう」と思った人がいましたか。きついことは言いたくないですが、あなたたちの問題はそういうところですよ。
— Kan Kimura (@kankimura) 2021年1月11日
※最初のタイトルが文章としてわかりにくい、との声あり、改題しています
わかる範囲では、4件ということかな?
なんか計8人、という情報も読んだのだが・
昨年の11月、津田大介氏から、名誉毀損で訴えられました。訴状を見て、呆れかえりました。
— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2021年1月8日
津田氏は、それとは別に「虎ノ門ニュース」のレギュラーたちも訴えています。もちろん、そこに私の名前もあります。
次回のニコ生「百田尚樹チャンネル」で語ります。https://t.co/lo1iWgvtr9
虎ノ門ニュースで「津田のバカチン」って言ったら、偉大なる「芸術監督」の津田大介様から名誉毀損で訴えられた。30万円払えだとw
— 竹田恒泰 (@takenoma) 2021年1月7日
こんなつまらないことで裁判起こすなんて、よほど時間が余っていらっしゃる? 自分が批判されることに耐えられなかったか? ならば言論人などやめればよい。
登場人物がそろいもそろって「濃い」なぁ。(そして、たとえば積極的に著書を読みたいと思うような人もあまりいない・・・・・)
にしても、なんでこんなに訴訟が集中的に行われるのやら。
あと、みんなyoutube、youtube、youtube・・・・・・・・・・・・・・・
ときに、訴訟内容の詳細はまだわからないけど、少なくとも上念司vs津田大介の訴訟は、「左翼活動家」という表現は名誉棄損か、という争点があるらしい。
津田大介さんからの訴訟支援企画「左翼活動家は社会的地位が低い」さすがにそれは言い過ぎじゃない?送られきた訴状に活動家を侮蔑する表現が、、、│上念司チャンネル ニュースの虎側https://t.co/GwQ0VtAEsK#あいちトリエンナーレ #訴訟 #名誉毀損 #RT支援よろしくお願いします
— 上念 司 (@smith796000) 2021年1月1日
今回、被告じゃなくて(笑)、その状況を論評して取材依頼メールを津田氏に送ったりしているのが、山本一郎氏。
www.youtube.com
のだけど、今回の一件でいろいろ回っていたら山本一郎氏の、文春オンライン記事の中に
そもそもが【左翼活動を行うアクティビスト(活動家)である津田大介さん】を特に芸術的なバックグラウンドもないのに芸術監督に選任し
bunshun.jp
という一節があることを発見しました。これもいつか、訴訟対象になるのか????
代理人として、小倉秀夫氏が関わっている裁判もあるとか(全部かはしらぬ)
わざわざ説明する必要もないでしょうが、ある発言に対しそれが自分の名誉を既存しているものと思った場合、まずはその発言を非公開にするよう投稿者に要求し、聞いてもらえなければ運営者に削除を要請するのでは。どうしてやらないのですが小倉秀夫弁護士。
— がんびーちゃん (@gumbie0406) 2021年1月2日
香山リカ氏のツイートから考えると、津田大介氏の担当弁護士は小倉秀夫弁護士らしい。https://t.co/tsa8sdDmNphttps://t.co/33y66d5hOx pic.twitter.com/6n9EDeCgoM
— axJpbO0O (@ax_jpb) 2021年1月2日
その後の情報
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この前紹介した、この本について再度。
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いま、日本で最も恐れられる雑誌と、
- 作者:柳澤健
- 発売日: 2020/12/15
- メディア: 単行本
愚直な男たちの物語――。花田紀凱と新谷学。ふたりの名編集長を軸に、昭和、平成、令和の週刊誌とスクープの現場を描く痛快無比のノンフィクション。
◎目次◎
序 章 編集長への処分
第一章 会えば元気になる男
第二章 週刊誌記者
第三章 疑惑の銃弾
第四章 花田週刊
第五章 マルコポーロ事件
第六章 殺しの軍団
第七章 二〇一六年の『週刊文春』
最終章 文春オンライン
あとがきにかえて――二〇二〇年の『週刊文春』
この本、表題は表題として(笑)菊池寛による文芸春秋創刊から描かれる、トータルの文春の物語であることは前に述べた通り。
で、文春の報道を扱う以上、それに対するリアクション、要は抗議や妨害についてもいろいろ書かれている。いくつかは「そりゃ怒られるわな」、ってのもあるんだけど(笑)、理不尽な抗議妨害も数多い。
ただ、出てくるメンツが、全盛期のPRIDE-GPか、ジャイアント馬場が本気出したチャンピオンカーニバルを越える「グランド・チャンピオン・カーニバル」かってぐらい豪華なんだよな。
いきなりラスボスやん。後年、文芸春秋でも関連書籍が多数出たりして必ずしも関係が悪かったわけじゃないけど、実はこんな剣呑な状況があったのだ。
ガラ刷りが編集部に届いてまもない九月三日、堤堯編集長のところに内閣官房長官から電話があった。 当時の文藝春秋にダイヤルインはなく、社内用の直通電話以外はすべて交換が受けていた。 《交換嬢が言う。 「ゴトウダさんからです」 「どこのゴトウダ?」
「内閣官房長官・後藤田正晴さんと名乗っていらっしゃいます」
おいでなすったかと電話に出る。
「エー、後藤田ですがね、ナニか藤尾さんがオタクにエライことをしゃべりよったらしい」
「いや、たいしたことはありませんよ」
「それについてだね、外務省がエラク心配しとる。アジア局長の藤田がそちらに伺いますが、ひとつ話 を聞いてやってくれませんか」 「結構ですよ」
という次第で、ほどなく藤田某(引用者注・藤田公郎のこと)が来社した。見ればガラ刷りを手にし ている。
「あんた、それ、どこから手に入れたんですか」
この「後藤田密使」は、実にダイレクトに
「何とか掲載を取りやめていただけませんか」
「どうしても掲載するなら問題の個所をスミで消して…」(そっちのほうが目立つがな!!)
とか、はい言論弾圧、アウト―!!
な要求に及ぶ。要求だけならともかく、
「何と言われても、是非ともお願いしたいんです。土下座しろと言われれば、これ、この通り土下座もいたします」
ほんとうにやった!らしい。外務省の局長といえば、交渉事、ネゴシエーションのプロやろ?それがジャパニーズDOGEZA???こんなんで国際交渉してたの?
あんのじょう、これはドゲザ損。何の意味もなかったし…
どげせん コミック 全3巻完結セット (ニチブンコミックス)
後藤田正晴といえば、後年は筑紫哲也のニュース番組などにも何度も登場(筑紫哲也編集長時代の、朝日ジャーナルの後藤田評をふくめた論調とか言ってやるなよ…)し、自民党ハト派の理想的に伝説化し扱われている。
だけれども、ハト派はハト派だけど、実のところその根っこにあるのは、「戦前の旧内務官僚の立場から」、軍部の横暴と対立したバックボーンであり、ゆえに「平和のためには、民を管理し支配しコントロールしなければならない。民主主義は我々(内務省エリート的な存在)によって管理することが暴走を抑えるのだ」みたいなものがあったのであろうと思う。そういう点で、ある意味でまことにリベラルの正反対であった。
公平を期していうなら、ちょうのつく子供心に、藤尾正行の発言や思想を報道で見た(あとでこの文章自体も読んだはずだ)けど、実にどうにもレベルが低い、自民党の中でも「溶岩石のように凝り固まったアタマ!」の時代錯誤な放言であり、論ずるに足らぬ低レベルの、まさにどこに出しても妄言な妄言だった。
だが、だからこそ、「質の高い言論や表現は何もしないでも守られることが多い。そうでない言論や表現がどこまで守られるかが自由の試金石だ」というセオリーに、見事なまでに合致した一件であった。
おどろくべきことに、藤尾発言はたしかに大問題になり彼は文部大臣(当時)を罷免され、当時の中曽根康弘内閣も野党と言論機関から多くの批判にさらされたけど、明々白々な証拠があり、当事者から公式の抗議も来ていたこの「言論弾圧」は、みごとにスルーされ、最強官房長官の首はちーとも寒くならなかった。
まあ人呼んで「日本のフーシェ」、後藤田氏は当時のメディアを完全にコントロールしていた、とも言われる。野中広務も菅義偉も、彼に比べりゃひよこ同然なのであった。そして今では「保守ハト派の理想」のアイコンなんだから、ねえ…
……朝鮮総連の猛烈な抗議については松井清人が語ってくれた。 「パチンコ疑惑の第一弾が出た直後から、堰を切ったように文春に抗議にきた。当時の朝鮮総連は強硬だったからみんなが震え上がっていた。支部ごとに五、六人ずつがチームを作り、毎日毎日、朝の10時から夕方の五時まで三〇分おきに交替で抗議にくる。一二時から一時はきっちり休むんだよ(笑)。 (抗議の) 内容は全部同じで、罵声というか、怒鳴り声でガンガンやる。それが一カ月続いたんだ。
抗議に対応したのは花田さん。全部ひとりで相手をした。担当デスクは俺だったから『お疲れでしょう、代わりましょうか?』と言ったんだけど、花田さんは『いや、自分でやる。君たちは絶対に前に出さない』って。
花田さんも最初のうちは元気だったけど、一週間もするとグッタリしちゃった。五時になってようや く総運が引き揚げると、花田さんはテレビの前の大きな机に座って、大量にくる郵便物を開封し…(略)
「抗議がじゃんじゃかと寄せられる。それは言論の自由の侵害か」という話、以前木村草太氏などの論考を引いて紹介考察したが、
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しかしあきらかに組織的で、ほぼ同一の内容を、罵声、怒鳴り声でずっと、連続するようにスケジュールを立てて……だと、上の問いをするまでもなく明らかではないか。
それがかつての武闘派集団にして、主体思想を信奉し、金王朝三代の全体主義体制の下部組織として絶対の忠誠を誓い続ける「朝鮮総連」の、全盛期の力と方針であった。
そりゃ、文芸春秋社にすらこれだけ組織的な攻撃を加えるんだから「身内の裏切り者」に対しては、集会ぐらい直接乗り込んでぶっつぶすわな。
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しかし、そうであっても、腐敗した資本主義の毒が回った面もあるようで、「一二時から一時はきっちり休むんだよ(笑)」だってさ。
千里馬運動の精神はどこへ行ったっ。苦難の行軍を経て、100日戦争にウリ式社会主義で勝利しなければなりませんっ。
東労組の "ドン" 松崎明が組合費で買った「ハワイ豪華別荘」》(二〇〇五年一二月二二日号)は、 「週刊文春」にとっても特別な記事だ。 一九九四年六月に『週刊文春』が〈JR東日本に巣くう妖怪〉を連載したことは第五章で触れた。 世界最大級の公共交通機関JR東日本の最大の労働組合を革マル派が支配し、JR東日本の経営権に まで介入しているという記事の内容は概ね正しかったが、JR東日本は管内にあるキヨスクにおける 『週刊文春』の販売を拒否するという前代未聞の言論弾圧を行う。雑誌販売の生命線ともいうべき流通 を約一カ月半にわたって断たれた結果、『週刊文春』は三分の二ページ大という異例の大きさでJR東 日本への謝罪広告を掲載した。全面降伏である。以後、JR東日本の革マル問題はメディアにとってタ ブーとなってしまった。
それから一一年が過ぎた二〇〇五年、『週刊文春』はタブーに挑戦しようとしていた。 「二〇〇三年秋くらいに、JR東労組を牛耳る松崎明が組合費を横領してハワイに別荘を買ったという 話が入ってきた。極左の革マルのくせにアメリカに別荘買うたんか。反帝(反帝国主義)でも、反スタ (反スターリン主義)でもあらへんやんけ、と呆れましたわ(笑)。JR関係者の中に、東日本の労組を 何とかしないといけないという危機感を持つ人物がいて、情報を提供してくれたんです。 ただ、ガサ(家宅捜索)が入らない限り我々は動けなかった…(後略)」※西岡研介氏のコメント
上にちょっと触れられているが、文春にとっては実はJRとJR労組に一度「敗北」したあとのリベンジマッチなのである。
JR労組の”鬼の松崎”は、当時巨大販売網であるキヨスクと組んでものすごいパワーを持ち、文春が戦った時も、他メディアからの「援護射撃」は皆無。もと読売の精鋭「黒田軍団」の敏腕記者であり、弱者の味方然としていまもテレビの露出が多い、大谷昭宏氏が「(JR対文春は)強者同士の戦いだから興味を惹かれない」と洞ヶ峠を決め込んでいたの(週刊宝石の連載コラムだったと記憶している)は、なるほど賢明な保身やな、と当時読んで思ったのでありました。JRのパワーはなにも別に組合=左派の影響力ではなく、のちに財界の重鎮となる東日本の松田昌士社長(当時)は、文春は「わが駅では永久に販売しない」と言い放ったりしたのである。松崎氏、大きいところから本を出したりしているし。
そして西岡研介氏は、神戸新聞を経て「噂の真相」に入った記者で、その縁でウワシン界隈との人脈が強いのだが、このJR記事を取材し書いていくと「公安情報で記事を書いている!」「権力の手先になった!」とかつての仲間からたいそう批判されたとか。
こうやって見ると、日本において総理大臣が一番強くてタブーで…とはならない。むしろ、総理…時の政権と闘う、対立する中間集団こそ、強固なタブーや鉄のカーテンが敷かれていたりする。
実はみんな、このへんのことは分かり切ってる話ではあるんだが、それすら”可視化”しにくいカーテンもあるので、いちおう。
そんなわけで、この本は登場する「敵役」もまあ超大物がそろっていて、そちらを見ても楽しめる、ということでした。
ベトナム戦争に関する米国防総省の秘密報告書(ペンタゴンペーパーズ)を入手したNYタイムズのニール・シーハン記者が死後の公表を条件に語ったこと。エルズバーグ博士からコピーの提供を受けたのではなく、彼の家から勝手に持ち出して無断でコピーしたのだという。https://t.co/mEp72yxA9i
— 奥山俊宏 (@okuyamatoshi) January 8, 2021
ほんとかいな。
Now It Can Be Told: How Neil Sheehan Got the Pentagon Papers
It was a story he had chosen not to tell — until 2015, when he sat for a four-hour interview, promised that this account would not be published while he was alive.
By Janny Scott
Jan. 7, 2021, 5:50 p.m. ET
There was one story Neil Sheehan chose not to tell. It was the story of how he had obtained the Pentagon Papers, the blockbuster scoop that led to a 1971 showdown between the Nixon administration and the press, and to a Supreme Court ruling that is still seen as a milepost in government-press relations.From the moment he secured the 7,000 pages of classified government documents on the Vietnam War for The New York Times, until his death on Thursday, Mr. Sheehan, a former Vietnam War correspondent and Pulitzer Prize-winning author, declined nearly every invitation to explain precisely how he had pulled it off.
In 2015, however, at a reporter’s request, he agreed to tell his story on the condition that it not be published while he was alive. Beset by scoliosis and Parkinson’s disease, he recounted, in a four-hour interview at his home in Washington, a tale as suspenseful and cinematic as anyone in Hollywood might concoct.
今それは語ることができる:ニールシーハンがペンタゴンペーパーを手に入れた方法
それは彼が話さないことを選んだ話でした—彼が4時間の面接に座った2015年まで、彼が生きている間はこのアカウントは公開されないと約束しました。
1972年にニューヨークタイムズがペンタゴンペーパーズの報道でピューリッツァー公務員賞を受賞した日のニールシーハン。 シーハン氏がエピソードの中心でした。
1972年にニューヨークタイムズがペンタゴンペーパーズの報道でピューリッツァー公務員賞を受賞した日のニールシーハン。シーハン氏がエピソードの中心でした。クレジット...バートンシルバーマン/ニューヨークタイムズ
沿って ジャニー・スコット
2021年1月7日、東部標準時午後5時50分
ニール・シーハンが話さないことを選んだ話が1つありました。それは、彼がペンタゴンペーパーズ、ニクソン政権とマスコミの間の1971年の対決、そして政府とマスコミの関係のマイルポストとして今でも見られている最高裁判所の判決につながった大ヒットスクープをどのように入手したかについての物語でした。ニューヨークタイムズのベトナム戦争に関する7,000ページの機密政府文書を確保した瞬間から木曜日に亡くなるまで、元ベトナム戦争特派員でピューリッツァー賞を受賞した作家であるシーハン氏は、説明するためのほぼすべての招待を断りました。正確に彼がそれをどのようにやってのけたか。
しかし、2015年に記者の要請により、彼は生きている間は公開されないという条件で彼の話をすることに同意した。脊柱側弯症とパーキンソン病に悩まされた彼は、ワシントンの自宅での4時間のインタビューで、ハリウッドの誰もが思いつくのと同じくらいサスペンスと映画のような物語を語りました
一般的に信じられていることに反して、エルズバーグ氏はタイムズに論文を「与えた」ことは決してなかった、とシーハン氏は強調して言った。エルズバーグ氏はシーハン氏に、それらを読むことはできるがコピーを作ることはできないと語った。そこでシーハン氏は、エルズバーグ氏が書類を隠していたマサチューセッツ州ケンブリッジのアパートから書類を密輸した。それから彼はエルズバーグ氏がしたようにそれらを不法にコピーし、タイムズに連れて行った。
(略)
「それで、私がしたように、あなたはそれを盗んだ」と彼はエルズバーグ氏が言ったことを思い出した。「いいえ、ダン、私はそれを盗みませんでした」とシーハン氏は答えたと言った。「そしてあなたもそうしませんでした。それらの論文は米国の人々の所有物です。彼らは国宝と息子たちの血で彼らにお金を払った、そして彼らにはそれに対する権利がある。」
ちょ、ちょ、映画と、ちゃう???
ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 (字幕版)
(347)
IMDb
7.2
1時間56分
2018
G
1971年、ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国内には反戦の気運が高まっていた。国防総省はベトナム戦争について客観的に調査・分析する文書を作成していたが、戦争の長期化により、それは7000枚に及ぶ膨大な量に膨れあがっていた。 ある日、その文書が流出し、ニューヨーク・タイムズが内容の一部をスクープした。
まさに最近、ニール・シーハン記者が亡くなったらしい。
www.nytimes.com
これの倫理的評価は
色々難しいのだが、
ある意味で「本人が、死後の公表を条件とした」ということで一種語るに落ちてはいる。
(だが、それでもそういう形で事実を残そうという発想も、ある意味ですごい話で、記者魂というべきかもしれない。)
尖閣映像流出事件、なんてのも思い出したり
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自分はニール・シーハンという名前を聞くと、別の著書を思い出すのです。
これもベトナム戦争の話で、直接読んだわけでもないのだけど、表題が面白かったので印象に残っているのだ。
それは「輝ける嘘」という・・・・・・