ちなみに道三の「美濃のマムシ」という異名はほぼ、小説家・山岡荘八の創作と言い切って良いです。戦国期は勿論、江戸期にもそんな呼ばれ方はしていませんね。 https://t.co/2mq4O7YaDE
— まとめ管理人 (@1059kanri) December 25, 2019
…という論があって、そもそも「当時は言われていない」だけでとても重要なのだけど、
その後にこんなツイートも
ふーむ、この本の該当記述を読めればいいのだけど木下聡『斎藤氏四代』(ミネルヴァ書房)によると、斎藤道三を「マムシ」と呼んだ最も古い例は坂口安吾『信長』だという。江戸時代の軍記どころか、まさかの戦後に驚き。
— さぬきのとねり (@sanukinotoneri) February 24, 2020
そして坂口安吾と言えば、そう、青空文庫収録のパブリックドメインだ…ただねチミ、坂口安吾には長編「信長」と、短編「織田信長」があり、青空文庫には残念ながら短編だけらしいのよね。
長篇「信長」の4年前に発表された短篇。末尾に(未完)とあるので、この時点で長篇化の構想があったのかもしれないが、構成や書きぶりはキレイに短篇の流儀にかなっている。
いよいよ天下取りに王手をかける壮年期の信長が、老マムシ松永弾正と奇妙な交渉に入るところから話が始まり、中間部では斎藤道三との交流など信長のそれまでをざっと概観、再び弾正との不思議な交流で幕を閉じる。
ただ、実際に短編のほうを読んでみると、「蝮」「老蝮」と連呼されているのは、松永弾正久秀のほう。
……老蝮の松永弾正が、信書をよせて、信長が兵を率いて上洛するなら、自分も一肌ぬいで助力する、あなたこそ次代を担い、天下に号令すべき大将だと、うまいことを言ってきた。
天下の執政たる悪逆無道の老蝮もたしかにヤキがまわってはいた。主人に、主人の主人に叛そむかせ、その主人の子供を自分が殺して主家を乗とり、公方くぼうを殺し、目の上のコブを一つずつ取って、とうとう天下の執政にとぐろをまいて納ったが、このやり方では味方がない、味方が同時に敵でもある。公方を殺してからのこの数年は、もっぱら味方の三好三党と仲間われの戦争に追いつ追われつ、おかげで奈良の大仏殿に放火して焼いたり、堺へ逃げて、あやまったり、さすがの老蝮も天下の政治をうッちゃらかして、逃げたり、だましたり、夜討をかけたり、つまらぬことに頭から湯気のたつほど忙しい。
然し、さすがに老蝮であった。彼は信長を見ぬいた。彼は次代を知り、世代の距りを知っていた。…
これが長編になると、斎藤道三のほうに使われたのだろうか。これは要検証です。
※存在を確認できた。この長編では、松永久秀と斎藤道三を同一カテゴリにして「2匹の蝮」。大河ドラマ「麒麟がくる」にも踏襲された枠組みだ
情報を書いたかたのツイートにもこうある。
補足。木下氏によれば、当初は松永久秀を「老蝮」と呼び、キャラが似ているので道三も同じように呼んだ→司馬遼太郎『国盗り物語』でも使われたことで一気に広まった、という流れを想定できると。またシバリョーか。
— さぬきのとねり (@sanukinotoneri) February 27, 2020
かっこよく、イメージにぴったりだからこそ人口に膾炙したのだろうけど、作者または世間が「松永久秀」ではなく「斎藤道三」のほうによりぴったりとした、というのが面白いね
ちなみに斎藤道三を直接描いた「梟雄」という作品もありけり。
このときは、蝮のマの字もない。今日からマのつく大名業。
www.aozora.gr.jp
【繰り返し】歴史上の有名人物は「実像史」と「イメージ史」両方を知りたい!!!
全部紹介したいけれども、このリンク集をまず。(今回の記事も収録しよう)
m-dojo.hatenadiary.com
車輪の再発明か素人大工か、「そもそも調べたのはお前じゃないだろ」か、世間の評価は任せますが、自分的には
「千利休の語られ方の歴史」
「日本における曹操のヒーロー化」を調べてみた記事&togetterまとめが気に入ってます。