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「文春砲」、その伝統と変化~柳澤健「2016年の週刊文春」感想

待望久しい本がついに書店に並んだ。

2016年の週刊文春

2016年の週刊文春

  • 作者:柳澤健
  • 発売日: 2020/12/15
  • メディア: 単行本
いま、日本で最も恐れられる雑誌と、
愚直な男たちの物語――。

花田紀凱と新谷学。ふたりの名編集長を軸に、昭和、平成、令和の週刊誌とスクープの現場を描く痛快無比のノンフィクション。

◎目次◎
序 章 編集長への処分
第一章 会えば元気になる男
第二章 週刊誌記者
第三章 疑惑の銃弾
第四章 花田週刊
第五章 マルコポーロ事件
第六章 殺しの軍団
第七章 二〇一六年の『週刊文春
最終章 文春オンライン
あとがきにかえて――二〇二〇年の『週刊文春

Facebookを時折見ていると作者が「昨日入稿した」「再校直しがたったいま終わった」など、少しずつ進捗状況は伝えられていたので、どっかいいタイミングでこのブログの紹介しようと思ううちに、完成したのである(笑)。


上で「待望久しい」と書いたがそんじゃそこらの待望久しいじゃない。なにしろ書名は「2016年の週刊文春」だが、こちとらその四年前、2012年から待望してたんだっ!

え、どういうことかって?

つまりな、その頃あまりにも週刊文春が衝撃的なスクープを続けてきたから、ある時期までは「〇〇というスキャンダルが、週刊文春に掲載された。」だったのが、 いつしか主語が逆転し、「週刊文春が、XXというスキャンダルを報じた」と、最初に<週刊文春>の名前が来るようになったのだ。
もう、そのまんまずばりのことを書いてるやんけ。

このところ超のつくスクープを連発している週刊文春編集部のほうがすごいわ。いったいどんな体制を敷いているのか・・・のちに「伝説」となるこの年の活躍であることは間違いない
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そして表題になった「2016年」にはこう書いていた

今でこそ「ベッキーが」「甘利が」「清原が」が主語となるのだけど、これが10年後、20年後、30年後に伝説として語られるときは「当時の『週刊文春』が…」と、文春が主語となるのだろうと……。
今から、この時代の週刊文春のノンフィクションを描く準備をしておいてほしいものだ。

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…とにかく疑惑そのものも重要だが、「またも週刊文春か…」という戦慄を覚えずにはいられない。
ふつう、ひとつの編集部がスクープというものを生み出すにしても常識的な相場とかがある。
この雑誌を○年やっていれば、こんな規模のスクープも出るだろう…みたいな。

しかし、この数年の「週刊文春」はこの相場を完全に越えていて……イチローとか、白鵬とか、羽生名人とか…ちょっと常識では考えられないレベルで、スクープを出している。
もう本当に、現在進行形でジャーナリズムにおける「生きる伝説」である。
将来、この時代の「週刊文春編集部」それ自体を主人公にしたノンフィクションが描けるというか、だれか書いてほしい。

春画掲載で編集長が上層部から休養させられた、という一件も、いいスパイスになるだろうし(笑)

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んんん?? ちょっと、待て。
要は、俺がこの本の、企画考えたようなもんじゃん???(違うわ)
ま、だからこそ、自分が読みたいと思っていた本がドンピシャで生まれる幸せ。そして、日本のジャーナリズムの記録としても、それは大いに幸せなことであろう。


ときに、上の記事で俺は「人斬り文春」と書いたけど、たしか「文春砲」というネットジャーゴンが生まれたのは、この時期か、それからしばらくあとだった。
だから自分でオリジナルの異名を作ったのだったな。「文春砲」という言葉を最初に聞いた時、「斬るより撃つ、それぐらいの破壊力ってことか…」とヘンな感想を持ったことを記憶している。






当然ながら、雑誌というのは人と情報の集合体、交差点であるから、
否応なく有名人たちがさっと場面場面に登場しすれ違って行く。まだ自分最初のところを読み始めただけでこれ書いてるんだけど、その部分だけでもさらっさらっと登場する、証言をしてくれる人物名は「あ、あの人!!」と驚くようなビッグネームぞろいだ。
そしてまた、今の週刊文春の活気を論じるなら、必ず触れられるべき時代がある。それは80年代後半から始まった「花田時代」だ。作者はちょうどその頃の文春の社員であり、花田氏の直接の部下でもあった。


そんで、自分の観測範囲、素敵な思い出・幻影の話になってしまうんだけど…、80-90年代の文春は、すなわちインターネットが広がる直前の雑誌ジャーナリズムのど真ん中である。
(インターネット普及は、ウィンドウズ95が出た1995年を起点と考えれば、一般世間的には足りる。)
その当時は、本当に世の中で起きた事件の概要を知るのも、その裏側を穿ちすぎな陰謀論や突飛な推理を含めて推論するのも、左や右で政治論戦を戦わせるのも、ジョークやナンセンスをかわすのも、歴史や最新技術を知るのも……基本的には紙にインクで印刷された文字。あとはテレビとラジオ、これですべてであった。

だからこの時代に花田文春で展開されたキャンペーンや企画スクープは、かなり個人的にも心に残っている。「あの時学校帰りの書店で立ち読みした」とか「図書館のロビーで読んだ」とか。
その雑誌活字が占めていた社会的な重みは、残念ながらいかにスクープを連発する現在の「新谷文春」であっても代替できない、当時の必然であった。



そうだ、自分もいま思い出したんでメモっておくけど、そもそも週刊文春にかぎらず、文春の雑誌を中高生から読みはじめたのは2ルートの理由があって、豊田有恒の自伝エッセイに「雑誌『諸君!』に〇〇が書いてあったが…」とあったがひとつ。
もうひとつはその時代、まだまだ人気絶頂とも言っていい存在だった朝日記者の「貧困なる精神」こと本多勝一氏が、口を極めて文芸春秋全体を罵倒し、あげくのはてはそこに書くからといって、大江健三郎まで標的にしてたのを読んだことだ。
ぼくなりのホンカツ評価から敷衍して「まことに主張がアレなこのひとが、ここまで悪口言ってるのなら、逆に文春って、面白いこと書いてるんとちゃうか?」と判断、読んだら面白かったのでしたよ。
だからホンカツには感謝しないとなぁ(笑)。いま思い出した。



それで、できればその時代…80~90年代のことも知りたい、書いて欲しいものだ…と思っていたら、絶妙の繋がりによって冒頭からその二人のレジェンド編集長が交わるんだよな(笑)
ここから名場面をピックアップしよう… ありがたいことに版元の光文社がいま、冒頭部分を限定公開している。

shinsho.kobunsha.com

密かな人気企画〈淑女の雑誌から〉は、第一〇代編集長村田耕二の発案。新人男性社員が担当する決まりだ。女性週刊誌や女子中高生が読むティーン誌など数十冊を購入し、エロチックな記事を血眼で探して数行で抜粋し、一行の笑えるオチを徹夜で考える。私が担当していた八〇年代半ばのある日、別の部署にいた先輩社員の佐藤敏雄さんがわざわざやってきてこう言った。

「柳澤くんの〝淑女〟はおもしろいよ。淑女をおもしろく作れないヤツは何をやらせてもダメだ。僕は歴代の淑女担当者を毎週採点して通信簿を作っているんだ」

やっぱり、この箇所を太字にしているな(笑)
作者が自画自賛の俺SUGEEEをしている、イヤミか!!
と思う人も一部にはいるかもしれないが、それ以上に、この部分を読んでギャッ!!という悲鳴を心であげる人もいるかもしれない。


そして、その内心の悲鳴通りのことをまさに作者も書いている。

うれしいよりも恐ろしくなった。周囲は新入社員のごく小さな仕事をちゃんと見ていて、こいつはどのくらいできるヤツなのかを値踏みしているのだ。

われとわが身には、敢えて置き換えないようにしよう……

そこから話が飛んで、新谷体制で自民党や政府の問題を次々と暴くと…

官邸との太いパイプは切れてしまったが、新谷は意に介さなかった。「親しき仲にもスキャンダル」が新谷のモットーだ。人間関係があろうがなかろうが、書くべきことは書く。壊れた関係は、いずれ修復すればいい。閣僚を次々に辞職に追い込む新谷班は〝殺しの軍団〟の異名をとった。
週刊文春』が総合週刊誌の発行部数トップに立ったのはこの頃、二〇〇四年のことだ。


いや、確かに。これは新谷氏が直接書いた本にあるが、まさに彼が直接「殺した」に等しい、女性スキャンダル暴かれた山崎拓とその後に酒を酌み交わし…

山崎さんに「新谷さん、わしをやったのと同じように、この男をやってくれんか」と言われて、ある大物政治家の資料を渡された

「週刊文春」編集長の仕事術

「週刊文春」編集長の仕事術

となったのだよ!!!


そして、同書では歴史をさらに遡り、作家としての才能以上に「雑誌づくり」の天才を持ち合わせた菊池寛(同種の天才を挙げるなら、匹敵するのはひとり黒岩涙香のみであろう。)…の「文芸春秋」創作秘話と、その社の発展の歴史を描いている。

このへん自分は…何で読んだんだっけかな。多分、池島信平の評伝が主だったと思うのだけど、見たような話はどこかで聞いたことがある。
会議で次々と菊池が出してくる鮮烈な企画案。
将棋や卓球の相手を社長自身が社内で探す風景。
斬新な入社試験問題などなど…… (ちなみに今では絶対通じないような非コンプライアンス事案も多し。)

「座談会という形式は、今後も永久に残るだろう」という、発案者たる菊地の誇りは、まさにその通りだ。


各種漫画に出てくる、光画部やらSOS団やら企画七課やらを合わせたような、得体のしれない社風。
いまでもNumber編集部は「午後5時までは、冷蔵庫のビールは飲まない」という不文律が…午後5時以降は、どうなるんだっつーの。


しかし、そんな中で新潮社が「週刊新潮」を出し、一種のえげつなさで快進撃を見せる。それを横目で見ていた文春が、自分らしさを出しつつ、対抗軸として立ち上げたのが「週刊文春」だったが…



と、いうところで、自分もまだここまでしか読んでない!!(笑)まだ前半も前半、暑さにして1センチも読んでないや。


とりあえず、同時中継のように、読んだ部分を報告した次第だ。
=本編未完=


ここだけ別枠で。文春ですら、「デジタル化」には苦労する

「(略)…紙で戦えているうちに、会社にまだ体力が残っているうちにデジタルで勝負できる道筋を作る。それが俺の仕事だと思っています。インターネットに無料の情報が無数に溢れる中、カネを払ってまでデジタルの雑誌記事なんか読まないよ、と言われてしまえばそれでおしまい。俺たちは、デジタルでも紙でも、何でもいいから読みたくなるようなコンテンツを作り続けなければならない。困難だけど、だからこそやり甲斐のあるチャレンジなんです」(新谷学)

週刊文春デジタル』は日本最大級のインターネット動画配信サービス『niconico』の「ニコニコチャンネル」と組んで『週刊文春』の特集記事を配信するというものだ。月額八六四円を支払えば過去五週分を購読できる。『週刊文春』は一部四二〇円だからかなり割安だ。その上、無料で閲覧できるスクープ速報や会員限定の動画も見られる。

配信日は紙の雑誌の発売日と同じ木曜日朝五時だ。

週刊文春デジタル』は、少しずつ会員数を伸ばしていったが、会社上層部の反応は決していいものではなかった。

「問題とされたのは訴訟リスク。インターネットの世界は閲覧者数が多い分、非常に高額な訴訟もあり得るのではないか。そんな恐ろしいものはやめておこう、という声は常に聞こえてきました」(『週刊文春デジタル』を担当する渡邉庸三)

新谷編集長はただひとり「リスクはゼロではないが、可能性も大きい」と、未知の領域に踏み込むべきだと主張した。

紙媒体の衰退は明らかだ。『週刊文春』が生き残る道はデジタルしかない。『週刊文春デジタル』をやめろというのなら、業績を伸ばすための代案を出せ。
(後略)

週刊文春デジタル」、同社が総力を挙げて取り組んで企画し取り組んでいるのかと思ったらそうではないという……
「多忙を極める中、新谷学は二〇一四年四月にさらに新しい仕事を増やした」というのはその通りで、仕事が「増える」というのはまさにその通りではあるな。ただ、外野から見ていて「直撃取材などの音声・映像がすべて使える」というのは大きいなぁ、と思う。

果たしてどうなっていくのか。
単行本やコラムと、「文春オンライン」全体としてどう連動していくか、だとも思う。

それでも大したものなのは、SNSから「cdb」氏を抜擢し、その名前のままで寄稿させたこと。
この前もわざわざ1エントリ使って書いたけど、2020年のメディアのネット対応の象徴として「文春はcdb、朝日はDr.ナイフ」というのは語り継いでいきたい(爆笑)
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