まず、ネットで自主的に発表したものがアニメ映画として命を吹き込まれ、全国一般公開まで至ったという快挙を喜びたい。「バクマン。 」のサイコーとシュージンに、またも「ネットに発表して、こんな成果になるんじゃ、プロ漫画家の俺達が審査する新人賞の意味がないよなあ」とぼやかせてください(笑)
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バクマン。 より /持ち込みや応募より、ネットに発表し「掲載場所はありませんか」のほうがいい この作品はハリウッドをもじった「ニャリウッド」が舞台ということで、おそらく企画が上がった時から、 Netflix などを通じた海外での視聴というものを視野に入れていると思う。どこにも映画にのめり込み映画の(作り手の)世界を 垣間見てみたいと思う層は一定数いるだろうから、そういう人に届いてみてほしいものだ。「映像研には手を出すな!」も海外で相当に人気があったそうですし。
原作と比較してみると、主人公ジー ン君の行う、撮影した素材の「編集」の場面が相当に膨らみ、そこからオリジナルストーリーが生まれていった。
確かに元々原作では主人公が「楽しい楽しい編集の時間だ!」と腕まくりしながらも、その実、編集の部分はちょっと駆け足だった感じはある。どの場面も費用と時間をかけ、そして実際に素晴らしい場面が撮れているのに、主に上映時間の関係で切る切らないという、運命を分ける話になる……たしかにこれは映像作品の普遍的な問題なんだよな。
かわぐちかいじ の俳優漫画「アクター」では、黒澤明 がモデルの主人公が、まさに黒沢の名セリフとして知られている…映画会社、プロデューサーのほうから、主に上映時間(それは劇場の上映回数、ひいては興行収入 に直結する)の問題で「もっと場面をカットしろ!」と命じられた時「これ以上切るならフィルムを縦に切れ」と啖呵を切る場面が描かれ ていた。
「これ以上切るなら、フィルムを縦に切るか」かわぐちかいじ 「アクター」、元は黒澤明 のセリフ
一説には、「ポンポさんは、ストーリー内のある事情で『上映時間が〇〇分』というのが絶対的な条件であり、それで調整のためにオリジナル部分を付け加えたりしたのじゃないか」という指摘も。ふふふ、ありそうな話だがこれはネタバレにも絡んで来るので略す。
ただそのオリジナルストーリーというのは、…主人公ジー ン君が、友人のいない孤独な青春時代を送ってきた(ここは原作でも描かれ、とても重要な意味を持つ部分)というのに対比させるような「学生時代は何でもうまくいき場の中心だった、リア充 の同級生がいた。だがその彼は大企業(銀行)で歯車としての下積み仕事を送っていて毎日がつまらない。その彼が、今では一生の生き甲斐に満ちた仕事をしているジー ン君と再会。逆に彼が、ジー ン君を羨み、憧れ、銀行という立場で映画作りに協力する」 といったお話なんですな。
うーん、こういう形で本当に良かったのかな?ちょっとさすがに 、何かに「媚びてる」んじゃないかな?ご都合主義じゃないかな?と思ったんですよ。
そしてその銀行員の彼が、主人公の映画に融資を決めるためにおこなった”無茶”は、まさにハリウッド映画で出てくるような、関係者から「無茶しやがって …だがそれがいい !」というようなレベルに収まらず、どう考えても『負の大反響』が起きるような、コントロール できない大暴走 なんじゃないかなあと思うんだけど…
原作と映画情報を見た皆さんは、このオリジナルストーリー部分、どうご覧になられたでしょうか。
※現実の、あのクラウドファンディング を考えれば…という見立て
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…というところで映画感想はおしまい。
そこから発展させた、もっと別の話に。
外国(風)の舞台だけど、懇願する時「頭をふかぶかと下げる」「土下座する」ってありなんかな?~「仕草の描写はうっかり、日本風になりがちではないか問題」
と、言うことなんですよ。
原作にも主人公ジー ン君が、無敵のプロデューサーたるポンポさんに土下座するシーンは何回か登場し、それは映画作りのためなら全てのプライドを投げ捨てても平気な…と言うか、映画づくりに勝るようなプライドなんてそもそも存在しないジー ン君の特異さを際立たせる効果もあって、自分がふつうに読み流していた箇所。
だが今回、イケメンリア充 の銀行員がそれに近いことをしたんで気づいたんだよ(笑)。
上に書いたように、銀行として非常にリスクの高い案件である「映画作りに融資するか」を決める会議で、彼はふかぶかと役員達に頭を下げて「どうかお願いします」と懇願 する。
で、気付いたんです
「あれ、これは一応、名称こそ変えてるけどハリウッド=アメリ カ(的などこか)が舞台でしょ?そもそも懇願する時に『頭を下げる』習慣がない んじゃないかな?」と。
結局日本人は、なんだかんだ言って「頭を下げる(最敬礼)」、さらには「土下座」に対して…ことに後者には、敬意や謝罪の意味も汲み取るけど、「絶対に、なんとか、何をしてでも、〇〇してください!!!わかってんだろうなオイ!!」という強要に近いような圧力を感じ取る。その共通認識があるからこそ、土下座に意味が出てくる。
外国人は……実は17世紀、19世紀を通じて
外交使節 が将軍ら日本高官に「土下座」をするかは大問題になってきた。
お隣中国では三跪九叩頭だから、もっとたいへん。
このへん「風雲児たち 」で描かれただけでも、何度も時代を変えて、問題が勃発していました。
カイジ 土下座論それを漫画にした板垣恵介 ……、やはり「強いとはわがままを通すこと」と喝破した慧眼が、そのまま土下座を見る目にも適用されたのだろう。
この辺は、確信犯であるのか、それともうっかりミスなのか……ただ自分も原作の土下座をスルーしたように、 本当にボディランゲージはついつい、そこが問題だと気にしないレベルで、自分達の文化を描いてしまいがちなんじゃないでしょうか?
この辺の話はですね、異世界 話で毎回のように登場する「異世界 ”南無三”」「異世界 ”サンドイッチ”」「異世界 ”じゃがいも”」のようなものに近いんじゃないですかね。
日常的に自衛隊 と接していた在日米軍 上がりならアリ?
SNS でも「土下座」をアメリ カ人(っぽいどこか)がして通じるのか?の違和感は何人か表明していました
最後のに、思わず返信。
偶然なんですけど、ちょっとその「しぐさ」についてのやり取りを、ライトノベル作家 の方とさせてもらう機会がありました。
「中指立て」の意味が日本に伝わった歴史は、以前も素人考察をば。
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こんなふうな、外国風が舞台なんだけど、つい「しぐさ」などに日本的な意味や価値観が紛れ込む例、ほかにもありそうですね。「俺の宇宙では音が出るんだよ(ジョージ・ルーカス )」のように「俺の〇〇国(ニャリウッドその他)では土下座が一般慣習なんだよ」、でいいのかもだけど……
追記 ブクマより。監督も、この問題に自覚的であったらしい。
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――最初のプロットから、再撮影のエピソードやアランは存在したのですか。
平尾:どちらもありました。あったんですけど、アランが銀行マンという設定は途中までなかったです。最初のプロットだとアランは最後会社を辞めるっていう終わり方だったんですけど、「置かれた場所で咲いたほうがいい」というアドバイス を受けて、じゃあ銀行マンにしようかというふうになっていったと記憶しています。「2」でいちばん影響をうけたのはジー ンの土下座だった気がします。
――あ、なるほど。たしかに原作「1」のジー ンは土下座をしていませんね。
平尾:アメリ カで土下座はあまりないだろうけど、原作で土下座させているんだったらやっていいかな と思いまして(笑)
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追記シーン 「2」での土下座シーンに関する作者の回想
かなりの”アドリブ”だったという。アメリ カ風?の外国?が舞台での「土下座」というしぐさには意識していなかったのか、意識して敢えてだったのかはわからぬが…
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