司馬遼太郎の「余話として」を、またも紹介する。
今日より正成出づ という町風俗について。
これについては、10年ばかり前、84歳で亡くなられた菅楯彦画伯からきいた。
まだ江戸期のにおいをのこしていた明治10年代から20年代の大阪の下町でのことである。
「そういう貼り紙が、町々に出ます」
といわれたから、私ははじめおどろいた。町々に楠木正成が出るのですか、と聞くと。
「 へい」
と、 品よくうなずかれる 。
菅楯彦というひとは、落款は「浪速御民」というのを用いられている。いかにも婉で古めかしく、古武士のような律儀さを保ちながら生涯大阪の町絵師として過ごされた。
(略)
「町内に長屋々々がごわりますな、そういう町内に必ず一つは寄席がごわりましてな、左様でごわります、別に商売々々した寄席ではごわりまへんで、まあ道楽なひとが自分の家のふた間ほどを講釈師に貸します」
そういうのが、大阪の寄席であったらしい。1年なら1年、ずっと太平記を読み続けるのだという。いまでいえばテレビの連続ドラマのようなものである。
「なにぶん1年は長うごわりますから、途中だれてきて、客の集まりが悪うなって参ります。ところが読み進んで、いよいよ正成が出るというくだりにさしかかりますと、門口に”今日より正成出づ”という張り紙を出します。すると、どっと…」と言われる。読本が太平記なら正成、通俗三国志なら諸葛孔明である。”今日より孔明出づ”といった具合の張り紙が出る。
「なんと申しましても正成と孔明が大変な人気でごわりましたな」
講釈だねで言えば「難波戦記」の真田幸村も、諸葛孔明、楠木正成と同じ系列の人物として受け取られていたに違いない。
楠木正成、真田幸村といった類型の原型は諸葛孔明であったに違いない。 神秘的なほどに巧緻な戦術家で、心術に一点の曇りもなく、さらには教養があり、しかも弱勢の側に立ち、その最後はそろって劇的であるという点で、3人は共通した感じで造形化されている。もっとも実際の人物も奇妙なことにそういう人物であったらしい。
で。
本日3/14(月)発売の
— 『逃げ上手の若君』(松井優征作品)公式 (@ansatsu_k) March 14, 2022
週刊少年ジャンプ15号の#逃げ若 は⁉️
帝殺しの計画に
驚愕する時行たち。
泰家と公宗の正気を疑うが
やる気は十二分の様子💪
時行たちが人通りの少ない通りで
出会った怪しい人物は…⁉️#逃げ上手の若君 pic.twitter.com/2qaXFdf1Cr
hitonoumifatesirin.blog.jp
youngjumpkatan.doorblog.jp
うー--ん……
写真もない歴史上の人物って、ヒットしたドラマの当たり役俳優のイメージがそのまま定着しちゃうって、「あるある」なんだけど、ちょっとギリギリの話でもある(笑) そして、そのギリギリをまったく気にしなかった原哲夫はエライ(笑)退かぬ!媚びぬ!省みぬ!
・・・・・・・なんの話だっけ。そうそう楠木正成だ。
そもそも戦後は政治的な意味をいろいろ背負った末に映像化がままならかかった南北朝時代、「楠木正成役」「足利尊氏役」「後醍醐天皇役」を各種の名優が演じ、イメージを競っていたわけではない。織田信長や坂本龍馬とはちがうのだ。
あの正成役者も、そんなに名優の名演とは個人的には思わぬが、そもそも比較のしようが無いほぼほぼワンアンドオンリーなんでね、平成において。また戦略戦術の天才軍師は、多く「狐」のイメージを投影されるが、彼も赤い狐と親和性のある点ではハマっていたのだろう。
だけれども。
今回の「逃げ上手の若君」では、どうも「若君と同じく「逃げ」の才能がある。むしろその師匠格」というキャラ付けをされるみたい。
そりゃよく考えれば「包囲された赤坂城からの脱出」と「そして千早城で再蜂起」した時点で、「日本史上『逃げ』ベスト10」に入るはず(あとの9つ?知るかよ)
そして、最期の湊川の悲劇を増幅させる…実施されれば足利軍必敗だったろうとも言われる「幻の京都撤退・再包囲作戦」も、大きく言えば「逃げ」なのかな。
…正成畏て奏しけるは、「尊氏卿已に筑紫九国の勢を率して上洛候なれば、定て勢は雲霞の如にぞ候覧。御方の疲れたる小勢を以て、敵機に乗たる大勢に懸合て、尋常の如くに合戦を致候はゞ、御方決定打負候ぬと覚へ候なれば、新田殿をも只京都へ召候て、如前山門へ臨幸成候べし。正成も河内へ罷下候て、畿内の勢を以て河尻を差塞、両方より京都を攻て兵粮をつからかし候程ならば、敵は次第に疲て落下、御方は日々に随て馳集候べし。其時に当て、新田殿は山門より推寄られ、正成は搦手にて攻上候はゞ、朝敵を一戦に滅す事有ぬと覚候。新田殿も定て此了簡候共、路次にて一軍もせざらんは、無下に無云甲斐人の思はんずる所を恥て、兵庫に支られたりと覚候。合戦は兎ても角ても、始終の勝こそ肝要にて候へ。能々遠慮を被廻て、公議を可被定にて候。」
太平記/巻第十六 - Wikisource
しかし
「いったん首都を放棄してでも、そこから反攻できるか」「首都を死守するか」とか、できれば現実と照らしあわせないで済むようにしてほしいよ・・・・・・・・・・
しかし、「正成出づ」はまさに最終兵器登場、みたいなもので…たぶん、人気はまあまああると思うんだけど、何しろ中世日本が舞台だと、暗殺教室で得た多数の外国人ファンは、ついていけなくなっている…との説も聞く。
日本の歴史ファン人気でそれを埋め合わせるかは、「やっと名前を知ってる人が出た!」みたいな反応も出ている、ライトな歴史ファン、普通の読者を、この”逃げ上手版楠木正威”が、掴んでくれるかにかかっているだろう。
そういえば楠木正成は、後世に伝わる「楠公飯」なるものの開祖としても知られてる…ような、そうでないような。
味は…と言うと、「これを喜んで増しあがるとしたら楠木正成様は本当の豪傑だ」
という感想を持たれるほどだった、とのこと。