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遠方から付け狙い、敵の反撃には距離を取る…「パルティアンショット」やベドウィンの怖い戦術について

天下の少年ジャンプに登場したゆえ、ちょっと話題になった単語「パルティアンショット」。

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パルティアンショット



捨て台詞
ここでは、捨て台詞としての "parting shot" および "Parthian shot" について解説する。

「(立ち去る前に発せられる)捨て台詞[注 2]」を意味する英語の慣用句 "parting shot(日本語音写例:パーティングショット)" は、上述の英語 "Parthian shot" と同根語の関係にある。ここに見られる "parting" は、「パルティア」の古代ギリシア語名に由来しており[ E: parting < part < L: Parthus (="Parthia") < grc: Πάρθος (Párthos. ="Parthia") ][注 3]、つまりは "Parthian shot" と同じ語源から発しているわけである。そしてまた、"Parthian shot" のほうも、"parting shot" と同じ意味をも持っている。

"fire [leave] a parting shot" は、「(立ち去る直前に)捨て台詞を吐く」を意する慣用表現である[5]。"deliver a parting shot" は前者より意味が心持ち柔らかい。his parting shot was "drop dead". を和訳すれば「彼の捨て台詞は『消えうせろ』だった」となる。
ja.wikipedia.org


自分がこの「パルティアンショット」という言葉を、比喩的な用法の「捨て台詞」を含めて知っていた経由は覚えている。アイザック・アシモフの書いたローマ通史だ(具体的な署名を失念…翻訳された選集の一冊)。
なぜそんなに印象的だったのか、やはり歴史の「主役級」である古代ローマの「(カルタゴ亡き後の、二代目の)ライバル役」というとこで注目したんだろうな。
そしてまた、鎧と剣と盾と投げ槍の重装歩兵のローマ軍を、機動力と遠距離打撃でほんろうする遊牧民の軍隊、というビジュアル、そしてそれが現代の用語になっている面白さ、みたいな。
まあ日本語(に移植された漢語)だって、苦肉の策から背水の陣まで古代の軍事的な故事が慣用句になっているので、あちらの文明圏の方から見ればナニソレおもしれー、なのかもしれんな。


しかし、遊牧民族はその生活様式と文明ゆえに、弓と馬術は「必須教養」であり「必需品」だった(これはこれでハードで、どっちもへたっぴだったらおそらく社会の落伍者、リアルに生命すら保ちがたい、であろう)わけだが、それはすなわちそのまんま「無双」「ウルトラスーパーデラックスマン」なわけですよ。馬に乗って弓を射られるってことは、自分が体高2.5メートル、体重600キロ、時速は最大70キロ、遠方の敵を倒すビームを放てる超人……に変身するに等しい。
そうなったら、正義の味方にもなり得るだろうが「ヒャッハー、この力を使えば金銀財宝から奴隷まで略奪のし放題だぜ!!」てな発想になっても前近代ではおかしくない。
ましてや、農業民は草原に鍬を入れ、モンゴルのほうの言葉で言えば「緑の大地を黄色くする」、利益相反の関係だ。
そこで対立する連中、かつては俺たちの馬パワーにかなうはずもなかったが、こざかしくも鉄の剣や鎧で武装するやつらは確かに手ごわい。なら、まともに相手して「馬体突撃」で蹴散らしてやってもいいが、奴らは長槍を構えたり、「方陣」を作ってきやがる。そうだ!なら遠方から矢を射るのはどうだ。奴らが走って間合いを詰めようとするなら、その分だけ馬を駆って離れて、同じ距離を取り続ける…。


この「自分だけが攻撃できる遠距離にいて、一方的に軽いジャブ…相手をそれだけでぼこぼこにする」
といえば、我らがセーム・シュルトK-1を蹂躙した時の戦法ではないですか。
www.youtube.com


ちなみに鎌倉から戦国時代にかけての武士は、鎧に乗って太刀・槍を持ちつつ、そしてメイン武器は和弓なので、あれを「重装騎馬弓兵」という普遍的な呼び方に言い換えるとその戦法の理解も進む。
突撃力も、遠方射撃力も両方もつ訳で、それがかなり軽装の形で弓だけに特化する騎馬弓兵や、槍だけ持ち頭からつま先まで鎧に包んで、突撃力だけに振り切った西洋の騎士たちと比べて、「どっちの能力も備えていて有利」か「中途半端で劣っている」かは、まさに運用の妙でしょうな。



そして時代は下り、フランス革命からナポレオン戦争時代に移る。
この辺になると、かつてオスマントルコの脅威に怯えていた欧州も徐々に非西洋世界との武力の差を広げていき、後の帝国主義への扉を開くことになる。この時のナポレオンのエジプト遠征も結局この戦闘では、かの地の前近代的武装をナポレオン軍は次々に撃破。カイロを開城と降伏に追い込む。

だが…そんな状態であっても、地の利を生かしたエジプト土着の軍隊にフランス軍は散々悩まされる場面もあった。
つまりは画像のようなやり方だ。

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ナポレオン軍を付け狙う、ベドウィンの戦術は怖い(池田理代子エロイカ」)
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ナポレオン軍を付け狙う、ベドウィンの戦術は怖い(池田理代子エロイカ」)



これは行軍していくだけである程度の兵士がも脱落しそうな、過酷な環境がないと有効でない戦術だろうし、射程距離がナポレオンの時代より伸びてしまえばさらに難しくなるのだろうけど…ただかなり怖くないですか?

勇猛果敢なベドウィン武装集団が、自分たちの軍隊を常に見張っている。どうにも目障りでも、こちらの火力の射程外におり、そいつらを追いかけていったら自分たちの行軍が足止めされるだけ。
そして厳重な警備体制を構えながらの行軍中、わずかに歩き遅れてその勢力圏からはみ出ると、ここぞとばかりに少数の ゲリラ的ベドウィンが突撃、半月刀でその首をはねてまた再び離脱、再度敵の軍隊につきまとう…。


ナポレオンの強さの秘密は機動力…簡単にいえばこの時代は特に「徒歩の時代」なわけで「兵士を急き立てて、かなり早く移動させる」ことができればそれ自体が大変な軍事的優位。
だからフランス軍は行軍でかなりのムチャをしたし、脱落者も多かったのだろう。

日本語では端的な名称がありますね、「送り狼」と。

ただ本当に送り狼なる風習があるかと言うと非常に微妙で伝説・俗説の類らしい。

上に言ったように行軍自体のかなり過酷な環境と、そもそも圧倒的な機動力の性あって初めて成立する戦法なので、軍略として成立するかは分からないけど、
それでもいろんな連想が繋がってこんなことを考えたのでメモしておきました。