ひとつ前の記事は、週刊誌記事の何気ない紹介だったが、当ブログ史でも屈指の反響でうろたえた(笑)
m-dojo.hatenadiary.com
だが、その結果として、そもそもの元記事がネット上に掲載され、広く読むことができるようになった。
ありがとうございます。取材の最後に「これまで本がどう生まれるか、どう生かすを考えてきたけれど、今は本が”どう死ぬか”、処分されるかに関心がある」というお話をされたのですが、やはり皆さんもご関心があるのだと……。反響を受け、記事をネットでも公開しました! https://t.co/oubiqxY3jB
— 日本一の書評 (@bookreview_wg) October 15, 2025
予想外の大反響にお応えして、荒俣宏さんのインタビュー記事を公開いたしました。
— 現代ビジネス (@gendai_biz) October 15, 2025
こちらのリンクからお読みいただけます!https://t.co/w8nhPUpQRx https://t.co/CLnIlDccCp
そこまでくれば、あとは自分の手を離れた話である。元の記事を読んで、皆がいろいろなことを考察し、思いを馳せて頂けばいい。
ただ、その途中で。
自分も知っているような、荒俣宏に負けない蔵書家、愛書家、またさまざまな知的生産、創作者が、やはり生前、あるいは死後にどう蔵書の行方を定めたかについての断片的な情報などを得ることができた。
それを、
手持ちの情報と合わせて、ちょっと一覧化してみたい。
(つづく…1,2日かかるかも。)
その、前触れ的なものとして……こんな連想をされた方も
東島丹三郎は仮面ライダーになりたいがアニメになってここが放映されたタイミングでこんな話が… https://t.co/PgfPkJpi6Z pic.twitter.com/BLuSO0oby0
— タイラー・ススム (@Tyler_Casion) October 15, 2025
本題 いろんな人の「蔵書のゆくえ」一覧 あいうえお順
荒俣宏
今回の件の前にも、寄贈や処分はしてきたとのこと
荒俣さんの蔵書の話題。氏は自分の仄聞する限り、今世紀に入ったあたりから幾度にも分けて蔵書を含むコレクションの処分を続けてきたはずで、今回、2万冊を処分したというのは"最後まで手元に残っていたひとかけら"なのだと思われる。この四半世紀で手放した蔵書は、さらに数万冊に及ぶでしょうね。
— 森瀬 繚@セーフモード (@Molice) October 15, 2025
つい数年前にも、角川武蔵野ミュージアムに3000冊を寄贈されているわけでして。ともかくも、2万冊だなんて"少ない蔵書数"であるはずがないのです。
— 森瀬 繚@セーフモード (@Molice) 2025年10月15日
氏が博物画のコレクションを手放しはじめて、話題になったのが2005年。その後、武蔵野美大などにまとまった数のコレクションが寄贈されていますね。 https://t.co/H1Gb2S8tSg
— 森瀬 繚@セーフモード (@Molice) 2025年10月15日
https://art.parco.jp/acr/web/archives/logos/aramata_2005/index.html
「2万冊だなんて"少ない蔵書数"であるはずがない」というのは、盛期のお話です。(2万冊という数に驚いている方が結構いるようでしたので、何年もかけて減らしてきた結果がその数なのだろうというお話)
— 森瀬 繚@セーフモード (@Molice) 2025年10月15日
井上ひさし
「遅筆堂文庫」
遅筆堂文庫は、川西町出身の作家・劇作家の井上ひさしが約7万冊の蔵書を町に寄贈し、1987年(昭和62年)8月15日にオープンした図書館です。
1994年(平成6年)川西町フレンドリープラザの完成に伴い、図書館1階に移設されました。その後も井上ひさしから資料・蔵書が遅筆堂文庫に贈られ、その数は現在では約22万点に及びます。特徴的な蔵書のジャンルとしては、言語や辞書類、江戸文学、忠臣蔵、宮沢賢治に関する資料等、有数のコレクションがあります。
現在、蔵書資料の一部は川西町交流館「あいぱる」に保管されています。井上ひさし展示室は、井上ひさしが亡くなった2010年(平成22年)に開設されました。
www.kawanishi-fplaza.com
井上靖
記念館に蔵書と目録がある
もう本当に衝撃…「あの」荒俣宏氏が「あの」蔵書2万冊を処分。半分は『産業廃棄物』扱い…一戸建てからマンションに。もちろん「終活」【記録する者たち】 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-b.hatena.ne.jp井上靖記念館には蔵書と目録が遺されているが、それは極めて稀な事例なんだろうな(冊数がそこまで多くないというのもあるか・展示されているのは3,000冊くらい)。荒俣宏記念館はいずれつくられると思うけれども…。
2025/10/15 11:51
井上靖記念館について
井上靖記念館は井上靖が旭川で生まれたことを記念して、1993(平成5)年7月24日に開館しました。この記念館には、自筆の取材ノートをはじめ、直筆原稿、愛蔵品など、井上靖の83年の生涯を紹介する貴重な資料を展示しております。
また、国内外から多くの客人を招いた応接間や数々の名作が生み出された書斎が、東京・世田谷の旧井上靖邸から移転され、再現されています。
井上靖邸の書斎・応接間
2012(平成24)年5月から、東京都世田谷区にあった井上靖邸の書斎・応接間を移転し、公開しています。井上靖が実際に使用していた家具、小物類、書籍の他、生涯大切にしていた陶芸家・河井寛次郎の壺や灰皿、抹茶碗など、当時のままに再現し展示しています。
www.inoue.abs-tomonokai.jp
池田信夫
もう古本屋という産業が成り立たない。本はピカピカの新しいうちにブックオフとかバリューブックスに売らないと、1冊10円にしかならない。
— 池田信夫 (@ikedanob) October 15, 2025
私の書庫も一杯なので、読んだ本は(学問的価値のある本以外は)原則として捨てる。必要になったら書庫でさがすのは面倒なので、アマゾンでまた買う。 https://t.co/Y0mEA3LuSY
植草甚一
「植草甚一のレコードコレクションをタモリが全て引き受けた」「蔵書は沢木耕太郎」
もう本当に衝撃…「あの」荒俣宏氏が「あの」蔵書2万冊を処分。半分は『産業廃棄物』扱い…一戸建てからマンションに。もちろん「終活」【記録する者たち】 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-b.hatena.ne.jpこれって散逸させるより一手に引き受けたほうがよく、散逸するなら処分したほうがマシって考え方もある。植草甚一のレコードコレクションをタモリが全て引き受けた話は有名だが、二人はさほど面識が無かったらしい
2025/10/15 11:53
植草はモダンジャズを愛し、チャーリー・ミンガス、セシル・テイラー、マイルス・デイヴィス、アルバート・アイラーを尊敬した。植草の死後、多数のレコードコレクションの散逸を防ぐために、高平哲郎の仲介で、ジャズを愛好するタモリが約4,000枚すべてを買い取った[2]。蔵書の数は約4万冊にのぼり、「古本屋を開くのに最低5000冊は必要だというけれど、3軒は開ける」と植草は自ら豪語していた。終の棲家となった経堂のマンションでは、自宅の他に2戸を借り、2戸すべてを書庫として使用していた。これらのコレクションの大半はオークションと生前から親しかった古書店の手で委託販売された[3][4]。
ja.wikipedia.org
約2万冊の大半が「ゴミ」に…荒俣宏の蔵書処分b.hatena.ne.jpこの話で思い出したのが、植草甚一のレコードをタモリが引き取った話だが、蔵書はと調べたら沢木耕太郎が一部引き取ったそうだ。が、沢木自身の蔵書も増え事態はカオスになった模様 <a href="https://nunocha.exblog.jp/33327053/" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://nunocha.exblog.jp/33327053/</a>
2025/10/16 07:47
この本の最終章「本を売る」」にJ・J氏の蔵書にまつわる話が出てきます。J・J氏こと植草甚一は1979年12月に亡くなったのですが、
長らく小田急線の駅ビルともいうべき「経堂アパート」に住んでいました。
しかもそこに部屋を3区画持っていて、一つを住居に、
残りの二つを書庫としていたというから、蔵書の量たるや推して知るべしです。亡くなって一年ほど経ったころ、その建物の前を通りかかった沢木は、
ロビーに大量の洋書が積み上げられているのを見かけます。これはもしかしたらJ・J氏の蔵書ではないかと思って、
管理人に聞くとまさにその通りだったのです。
あらかたの本は知人や業者の手によって整理されたのですが、
どうしても引き取り手のない嵩張る雑多な洋書は行き先が決まらず、
焼却処分のため山積みされていたのです。
nunocha.exblog.jp
大江健三郎
「大江健三郎アーカイブ」。※ただし「蔵書」については触れられていない。参考までに
大江健三郎文庫は、小説家・大江健三郎(1935-2023)に関する、多彩な資料を有する文庫です。
1)「自筆原稿デジタルアーカイブ」
2)「関連資料コレクション」
3)「書誌情報データベース」
1)「自筆原稿デジタルアーカイブ」は、生前大江氏から寄託していただいた、自筆原稿・校正刷など、約1万9千枚のデータが閲覧できるアーカイブです。「死者の奢り」(1957年)から「晩年様式集(イン・レイト・スタイル)」(2013年)にいたる、すべての年代の小説作品に加え、評論作品等の原稿も幅広く収録しています。
2)「関連資料コレクション」は、大江氏の著書(初版本)、作品が掲載された雑誌、また研究書・関連書籍等を網羅的に所蔵するものです。その多くが、『大江健三郎書誌稿』(私家版)の編著者であり、大江研究者でもある森昭夫氏からの寄贈資料で…森氏から提供していただいた『大江健三郎書誌稿』のデータを基礎とし、大江氏の著書、初出となる雑誌の掲載情報ならびに自筆原稿に関する情報を組み合わせ、多様なアクセス方法を提供する画期的なものとなっています。大江健三郎に関する論文・新聞記事の検索が可能な「論文・記事データベース」も、2025年9月に公開しました。
大塚英志
僕の場合は稀覯本でさえなく多くが国会図書館でデジタル化されたものや退官した研究機関に寄贈して断られて残った一次資料だから当然、粗大ゴミなんだろう。 https://t.co/SkueXRWcx2
— 『「日本文化論」はどう創られてきたか』 発売中です (@MiraiMangaLabo) October 15, 2025
大宅壮一
「大宅壮一文庫」
www.oya-bunko.or.jp
大宅壮一文庫について
About OYA SOICHI LIBRARY公益財団法人大宅壮一文庫は日本で初めての雑誌図書館です。評論家・大宅壮一(1900-1970)の雑誌コレクションを引き継いで、明治時代以降150年余りの雑誌を所蔵しています。
大宅壮一文庫では雑誌記事索引データベースを作成しており、主な所蔵雑誌の記事を検索することができます。また、雑誌原本の閲覧や複写もできます。
大宅壮一は「本は読むものではなく、引くものだよ」と言っています。評論活動のかたわら、執筆のために資料収集と整理に力を尽くした大宅壮一らしい言葉です。
生前、大宅壮一はことあるごとに古書市や古書店に通い、約20万冊の蔵書を遺しました。そのコレクションのほとんどは雑誌で占められており、自ら“雑草文庫”と称して、知人に惜しみなく開放していました。
大宅壮一没後の1971年、大宅壮一文庫はマスコミはじめ各界の援助により設立されました。「蔵書は多くの人が共有して利用できるものにしたい」という故人の遺志により、雑誌図書館として一般に開放され、現在では年間約10万人の利用者を数え、多くの皆さまに活用されています。
草森紳一
「草森紳一氏のように3万冊の本に埋もれたまま、行方知れずで亡くなる」
拙著「本で床は抜けるのか」にも記したが、蔵書家が遺した凄まじい数の本をどうするかは、遺族にとって悩みの種。荒俣宏さんのように生きているうちに自ら終活をされるというのは、家族にとって助かること。
— 西牟田靖@万博パビリオン全制覇済み (@nishimuta62) October 15, 2025
草森紳一氏のように3万冊の本に埋もれたまま、行方知れずで亡くなると家族が大変。 https://t.co/hzBwZnuLrk
桑原武夫
京都市立図書館に寄贈⇒誤廃棄され問題となった
posfie.com
フランス文学者で元京都大教授、桑原武夫さん(1904~88年)の遺族から寄贈された蔵書約1万冊を、京都市が2015年に無断で廃棄していたことが、遺族側関係者などへの取材で分かった。利用実績が少なかったことから「保管の必要はない」と判断したという。市教委は判断が誤りだったと認め、遺族に謝罪した。
(略)
蔵書は、和漢洋の古典や文学、哲学、風俗など。学術的価値の高い一部は京都大などが保管しているが、市は名誉市民でもあった桑原さんの幅広い関心を物語る貴重なコレクションとして88年に寄贈を受けた。
堺三保
こちらは、前にもアップしたような気がするけど、在りし日の我が蔵書約2万冊の一部。3LDKにスチールの本棚30本無理矢理入れて、本を前後2列に並べてました。 pic.twitter.com/SWNXCpVPmG
— 堺三保/Mitsuyasu Sakai (@Sakai_Sampo) October 15, 2025
今思えば、本なんか中身を読むことが大切で、実体なんかなくても、すぐ慣れます。というわけで今は、献本いただいた本は読んだ端から処分、欲しい本は電書購入、電書化されてない本は仕事の資料以外はあきらめる、の三原則で。 pic.twitter.com/rPdBgTLw1K
— 堺三保/Mitsuyasu Sakai (@Sakai_Sampo) 2025年10月15日
結局、年間数百冊読む生活は変わってないから、全然オッケーかと。電書は法的には所有物じゃなくて借り物だけど、ま、人生だって言ってみりゃ神様からの借り物だからさ。😆 pic.twitter.com/elBSmVv2ze
— 堺三保/Mitsuyasu Sakai (@Sakai_Sampo) 2025年10月15日
司馬遼太郎
「司馬遼太郎記念館」(6万冊の蔵書中、2万冊を「イメージ展示」)
大書架
高さ11メートルの吹き抜け空間に、大書架が広がります。自宅にある約6万冊の蔵書世界をイメージしてもらうため、約2万冊の蔵書をイメージ展示しています。
大書架のテーブルには、来館者が感じたこと、考えたことを自由に綴ることのできる「対話ノート」をおいています。
www.shibazaidan.or.jp
鈴木智彦
俺も蔵書は3分の1にした。CDもほとんど売った。バイクやカメラや腕時計は、スクラップにしようと思ってる。本はどうにでもなるだろうけど、実話時代とBULL、実話時報だけ国会図書館に引き取ってもらいたい。警察資料とかヤクザの名刺、葉書、名簿や芳名録は、燃えるゴミの日に捨てるよ。
— 鈴木智彦/SUZUKI TOMOHIKO (@yonakiishi) October 15, 2025
捨てるなら下さいとリプライをもらいましたが、スクラップにするのも捨てるのも、価値がないからじゃない。とても大事で、金と時間と手間をかけ苦労して集めたもので、誰にも奪われたくないからこの世から消したいんです。平蜘蛛の釜を抱いて爆死した松永久秀と同じです。だから誰にもあげないですよw https://t.co/U0hWmmUjfu
— 鈴木智彦/SUZUKI TOMOHIKO (@yonakiishi) October 16, 2025
実話時代の発行人・酒井信夫と俺には遺恨がある。ヤツは死ぬ時、一切合切を捨てろと指示した。なので俺は復讐のため何十万円もかけて実話時代のバックナンバーを集めてる。ヤツが捨てたモノを後世に残して俺の復讐は完結する。なので実話時代を寄付する件は、実際に問い合わせをして調べてあります。
— 鈴木智彦/SUZUKI TOMOHIKO (@yonakiishi) 2025年10月16日
立花隆
自分の蔵書を保管するためだけに通称「猫ビル」をぶったてたことが有名だが、死後、妹?が相続し、本は処分されたらしい
もう本当に衝撃…「あの」荒俣宏氏が「あの」蔵書2万冊を処分。半分は『産業廃棄物』扱い…一戸建てからマンションに。もちろん「終活」【記録する者たち】 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-b.hatena.ne.jp
- [book]
- [blog]
以前 古本屋で、共産党関係の書籍を買ったら、取引が成立した後、「実は立花隆氏の蔵書でした」と言われた。生前の本人の希望で、読んでくれる人間の手に渡るようにしたという事らしいけれども…
2025/10/15 16:31
もう本当に衝撃…「あの」荒俣宏氏が「あの」蔵書2万冊を処分。半分は『産業廃棄物』扱い…一戸建てからマンションに。もちろん「終活」【記録する者たち】 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-b.hatena.ne.jp
- [book]
立花隆氏も猫ビルの蔵書は処分されたというし、鮮やかな引き際ともいえばよいのだろうか。
2025/10/15 12:13
立花隆さんの蔵書5万冊、遺志で古書店に譲渡
社会・調査
2022年4月12日 10:55書棚に囲まれた事務所の書斎で、インタビューに答える生前の立花隆さん(2013年、東京都文京区)=共同
2021年4月に死去したジャーナリストで評論家の立花隆さんの5万冊を超える蔵書が、立花さんの遺志で古書店に譲渡されたことが12日までに分かった。妹で秘書だった菊入直代さん(77)に「『立花隆が持っていた本が欲しい人』でなく、本の内容そのものに興味がある人の手に渡るようにしてほしい」と言い残していた。自身の名を冠した「文庫や記念館などの設立は絶対にしてほしくない」と厳命していたという。
「ネコビル」と呼ばれた東京都文京区の事務所は部屋と階段の壁面にびっしりと書棚が並んでいた。さらに周辺や大学に部屋を借り、書籍を保管していたこともあったという。蔵書を引き取った古書店は「単行本だけで約5万冊。新聞、雑誌、冊子などを合わせると膨大な点数になる」と話す。
(略)
詩人の立原道造に関する蔵書は、長野県軽井沢町の軽井沢高原文庫に寄贈するなど、一部の書籍は関連する施設や研究者などに贈られた。〔共同〕
www.nikkei.com
www.dailyshincho.jp
猫ビルが売りに出されたのは6月のこと。登記簿を見ると、3年前に立花氏の子息が相続し、今年1月に都内の不動産会社に売却。さらに4月に東京・中野区の別の不動産会社が取得している。そこが売りに出したのだ。価格は一棟売りで1億5800万円…(略)同社がビルを手に入れた時は、ほとんど残っていなかった。
「生前、立花さんは“市場で得た書物は、市場に返す”と言っていました。だから、書籍のほとんどは古書店に引き取ってもらい、資料は立花さんと親交があった茨城県筑西市の事業家に渡されました」(立花氏の知人)
谷沢永一
関西大学に寄贈。98冊を「谷澤永一コレクション」と名づけ、箱、カバー、帯等を残す「原装保存」にて所蔵。
寄付総数は13万冊?
渡部昇一氏の15万冊、立花隆氏の10万冊の蔵書はどうなったのだろうか?!
— 真 京極🇯🇵トランプ大統領×イーロン・マスクの革命が世界を席巻する (@showken0429) October 15, 2025
谷沢永一氏の20万冊は、関西大学へ13万冊余りが寄贈されたみたいである。 https://t.co/Zm0xfkR9dF
opac.lib.kansai-u.ac.jp
谷澤永一コレクション
谷澤永一(1929年6月27日-2011年3月8日)は、日本近代文学専攻で、文芸評論家、書誌学者として著名である。関西大学卒業後、関西大学文学部で教鞭をとり、平成3年3月退職の前後から、図書館はたびたび蔵書の寄贈を受けたが、平成19年6月に受領した98冊を、特に「谷澤永一コレクション」と名づけ、箱、カバー、帯等を残す「原装保存」にて所蔵することになった。その内容は、以下の4種に分けられる。
堀口大学訳『月下の一群』関係:13冊
福田英子関係:2冊
藤村操『煩悶記』:1冊
ルバイヤット関係:82冊
合計:98冊1は、堀口大学による訳書『月下の一群』のさまざまな版および刷を集めたものであり、2は、『景山英女之傳』の異装本2種で、珍書として知られる。また、3は天下の奇書としてつとに名高い。ちなみに、谷澤永一著『遊星群 明治篇』(和泉書院 2004年12月刊)にてその全文を読むことができる。4が最も多く、片野文吉、矢野峰人、森亮等による歴代の名訳書が、原書のめずらしいものとあわせてほぼ揃っているといってよい。これほどのルバイヤット資料が一堂に会しているのは他に類を見ないはずである。
詳細については、「谷澤永一コレクションリスト」を参照されたい。
とり・みき
有名なビデオテープコレクションなどを「ジャカスカ処分」。
m-dojo.hatenadiary.com
このところ知人・同業者で話題の記事。規模は違えど皆同じ悩みを抱えている。うちは本だけでなく報道録画や吹替ビデオをどうするか(おそらく廃棄になると思う)
— TORI MIKI/とり・みき (@videobird) October 16, 2025
約2万冊の大半が「ゴミ」に…知の怪人・荒俣宏が蔵書を処分して感じたこと https://t.co/lYTRp5qOft
中村幸彦
関西大学に寄贈
日本近世文学研究の泰斗、中村幸彦先生は平成3年8月に、先生が所蔵する図書資料を関西大学図書館に譲渡される旨約束してくださった。平成10年5月7日、先生は長逝される。その年の7月、ご遺族は生前のお約束に従い、ただちに学校法人関西大学との間で、譲渡を前提とする寄託の覚書を交わされたのであった。船 越 一 英 巻、中央公論社刊)の全巻完結を待たず61年度「朝日賞」を受賞。62年には「大阪文化賞」を受賞されているが、聞くところによると、先生はこれらの後にも先にもその他種々の栄誉受賞を固辞されていた。 昭和48年10月から3年間、本学の図書館長をつとめられている。 関西大学は、この寄託された先生の旧蔵書を「中村幸彦文庫」と名称して、平成10年7月から関西大学図書館内に保管し、これの特別利用については平成12年12月より本学図書館ホームページ上で学内学外のかたがたに案内してきた。 平成13年3月、ご遺族の本学に対する深いご理解によって、先生の全蔵書が関西大学に譲渡されることになったのである。本学は同年3月12日をもって、図書館内に「中村幸彦文庫」を創設した。
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F3510068&contentNo=1
西牟田靖
「本で床は抜けるのか」
拙著「本で床は抜けるのか」にも記したが、蔵書家が遺した凄まじい数の本をどうするかは、遺族にとって悩みの種。荒俣宏さんのように生きているうちに自ら終活をされるというのは、家族にとって助かること。
— 西牟田靖@万博パビリオン全制覇済み (@nishimuta62) October 15, 2025
草森紳一氏のように3万冊の本に埋もれたまま、行方知れずで亡くなると家族が大変。 https://t.co/hzBwZnuLrk
野田昌宏
#早川書房 #野田昌宏
— taizanbocu (@taizandequien) October 15, 2025
野田昌宏氏の蔵書を引き受けた早川書房の英断たるや…
その活用法も含め、これがメセナ。 https://t.co/VT1xpR5MOV
野田昌宏文庫には、作家・翻訳家として著名な野田昌宏氏より、早川清文学振興財団に寄贈された書籍が収められています。 当財団では、寄贈された書籍の整理を行ない、順次、一般読者に閲覧公開してまいります。
www.hayakawa-foundation.or.jp
藤子・F・不二雄
※川崎の藤子・F・不二雄ミュージアムにて再現されている
koikesan.hatenablog.com
■先生の部屋(1F)
F先生愛用の仕事机を展示。頭上に設置された巨大な本棚には、膨大な資料の数々が。大好きな恐竜のフィギュアに囲まれて、先生がまんがを描いている姿が見えてきそうです。
fujiko-museum.com
宮武外骨
da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp
明治・大正・昭和にかけて活躍した反骨のジャーナリストの宮武外骨(1867~1955)が発行、執筆した新聞・雑誌、図書の資料群です。稿本類、書類、来翰、 メモなどを含みます。
丸山真男
図書自体は「東京女子大」が所蔵。ネット上にアーカイブあり(ただし「蔵書」でなく「草稿」の。参考までにこの一覧に)。
maruyamabunko.twcu.ac.jp
東京女子大学丸山眞男文庫は、戦後日本の代表的知識人であった丸山眞男(1914-1996)が遺した各種草稿類や図書・雑誌などを所蔵しています。これらは1998年9月に丸山家から寄贈されたものが中心であり、約6,200件の草稿類、約18,000冊の図書、約18,000冊の雑誌等からなります。東京女子大学図書館で公開しています。当文庫について詳しくは、丸山文庫ホームページをご参照ください。このデジタルアーカイブは、丸山文庫所蔵資料群のうち、図書・雑誌を除いた、草稿類の資料検索と画像の公開を目的としたものです。
このデジタルアーカイブについて
2009年の草稿類・閉架図書の公開以降、資料の管理・保存等の観点からこれまで閲覧を1日につき1人に限定しておりました。他方で、現在までに丸山文庫所蔵資料の閲覧者は年々増加しています。そこで、資料の保存をはかりながら、より多くの方に当文庫所蔵草稿類を活用していただくため、このデジタルアーカイブを構築しました。
目黒考二
5万冊の蔵書を逝去後「本の雑誌スッキリ隊」が処分。(そういう組織があるらしい)
荒俣さん家に「本の雑誌」スッキリ隊が向かえば良かったのに‥流石に2万冊は無理か‥でもそのレポートだけで別冊になりそう。
— kaymiyazaki (@kaymiyazaki) October 15, 2025
ほんとに本の雑誌スッキリ隊にご依頼いただけたらあんな廃棄になりません。目黒さんの蔵書5万冊を整理しているので2万冊は整理できます!みなさま本の整理に困ったら本の雑誌スッキリ隊にご連絡ください!https://t.co/AlEnV9Q6h7 https://t.co/kuS3BcdNLj
— 本の雑誌 (@Hon_no_Zasshi) October 15, 2025
ああ、目黒さんちは五万冊だったですね(笑)、荒俣さんの2万冊は意外に少ないな、とも思ったんですが、以前は本の為だけに家を2、3軒借りてると仰ってたので、今までも大分に減らして来られたのかもしれませんネ。
— kaymiyazaki (@kaymiyazaki) 2025年10月15日
ああ、本の雑誌スッキリ隊をご存知だったらと悔やまれます。 https://t.co/yUhdwncIzF pic.twitter.com/WoZBqWjZ53
— kiyo 穏やかな元理事長、マンション管理士宅建等資格有。 (@kysolana) October 15, 2025
山口昌男
これは衝撃。貴重な雑誌は全滅?
— あんとに庵 (@antonianjp) October 15, 2025
同じ本狂いの山口昌男先生の本は札大学長就任時に図書館地下で「山口昌男文庫」として管理してたけど、まだ大丈夫かな?いい財産だよねぇ https://t.co/14u0Q1QEVh
山崎正和
いま、ネット上にアーカイブができている。
もう本当に衝撃…「あの」荒俣宏氏が「あの」蔵書2万冊を処分。半分は『産業廃棄物』扱い…一戸建てからマンションに。もちろん「終活」【記録する者たち】 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-b.hatena.ne.jp最近、山崎正和が蔵書とか全部アーカイブ化されてたなと思い出した、バーチャル書棚で見られる。なかなか出来ることではないが…<a href="https://archive.yamazaki-masakazu.jp/" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://archive.yamazaki-masakazu.jp/</a>
2025/10/15 16:55
山田五郎
対談で言及?
先日の山田五郎 × 諏訪敦 対談でも山田さんが蔵書や美術コレクションを今後どうするかという話をされていた。あえてヤフクオクやブックオフに流してそれを見つけた人が「とんでもないもがあるぞ!?」と驚かせるのも良いかもみたいな事を言われていた。 https://t.co/wmefKhWjwd
— 瀧川虚至 (@K_T0084) October 15, 2025
「ユーリー」さんが紹介する名前不明の文筆家
何十年と大きな新聞のミニコーナーを担っていた文業家。その人が引退と同時に時事ネタを調べるために買ってきた本がごまんとありましてね。あまりにも多かったのだけど、うまく蔵を改装したカフェを作った人に拾われたと言う話を思い出しました。無料開放図書館みたいになってました。 https://t.co/aql1EkwcGx
— ユーリー (@Otyakonomi) October 15, 2025
米沢嘉博(プラス内記稔夫の「現代マンガ図書館」)
米沢嘉博記念図書
www.meiji.ac.jp
マンガやアニメ、ゲームの歴史や広がりを明らかにしていくために必要となる体系的かつ複合的な資料の収集は、現在、公的な機関でもほとんどなされていません。学術的研究の対象として、また、文化的資料として、次世代にわたり多面的に活用するために、保存・整理が急務とされています。 明治大学は、国際日本学部を中心にこの分野の研究・教育を推進するとともに、2009年には大学全体の取り組みとして、世界最大級となるマンガ・アニメ・ゲームのアーカイブ施設を設置する計画を発表しました。この「明治大学東京国際マンガミュージアム」(仮称)の計画は、これまで主に有識・有志の方々の個人的なご努力により収集・維持されてきた資料を、各位の協力を得て複合的に保存し、研究や文化的活用のために広く資することを目指すものです。同2009年には故・米沢嘉博氏の蔵書の寄贈をご遺族より受け、これを核にマンガとサブカルチャーの専門図書館である「米沢嘉博記念図書館」を先行施設として開館するとともに、翌2010年からは故・内記稔夫氏が築かれた「現代マンガ図書館」を引き継ぎ、運営し
渡部昇一
最後どうなったかの情報は無いが、そもそも書庫や蔵書の購入に銀行から多額の借り入れをして「死んだあとは銀行が何とでもするでしょう」だったとか(笑)
本というのはその人が持っていてこそ生産手段になるところがあるから、意外と汎用性がないのですよね。こうなると定年退職後に銀行から何億も借金ができて書庫を拡充し蔵書を維持した渡部昇一氏は際立つ。「死んだ後は銀行が何とでもするでしょう」と完済の意志が最初からなかった。実にアメリカ的。
— オッカム (@oxomckoe) October 15, 2025
彼は「若い頃から借金のない日はなかった」と言ってましたね。銀行が金を貸してくれるということは社会的信用くらいの発想で日本人が震える「借金」が気にならなかった。政治思想は傍に置くと、本書けば30万部をコンスタントに売ってましたからね。銀行も金貸すわけですね。回収の見込みもあった。
— オッカム (@oxomckoe) 2025年10月15日
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渡部先生の書斎に案内していただきました。
2階建ての書斎には膨大な本が並べられており、英語の稀覯本もたくさんありました。伝説の『ブリタニカ百科事典』第1版の初版をはじめ、歴代のブリタニカもすべて全巻揃っていました。ちなみに先生の蔵書は約15万冊だそうです。これは間違いなく日本一の個人ライブラリーでしょう。
ああ、幸せです・・・・・・
わたしたちはチョーサー『カンタベリー物語』やパスカル『パンセ』の初版本などをはじめ、日本に1冊だけ、世界でも数冊しかない貴重な書籍の数々を見せていただきました。珍しい黄金の鷲(等身大!)の書見台もありました。それから、渡部先生の本に対する想いを聴かせていただきました。心に沁みました。まるで夢を見ているようでした。憧れの「知の楽園」についに足を踏み入れることができ、本当に幸せでした。
(略)
書庫の奥にも稀覯本が・・・
奥にはさらに巨大な書庫があり、仰天しました。
ボタン1つで扉が開き、その全貌が見えた瞬間、わたしは「ここはサンダーバードの基地か!」と思いました。滝も流れ落ちていますし・・・・・・。
ここには、先生が普段お仕事をされておられる机が置かれていました。
(略)
何よりもわたしが感銘を受けたのは、この素晴らしい書斎および書庫を先生はなんと77歳で作られたということです。もう凄すぎる!
一応、ブクマとXの引用リプライで得た情報は一覧化完了。今後も何か情報有れば。

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