「耳だけを射抜く」話

小笠原貞宗、行き掛けの駄賃で何人か弓の的にして帰らないあたり、かなり紳士的で、流石弓馬四天王と謳われた小笠原長清の末であるなあと感服しちゃいますよね。
— 猫怖大夫牧野さん (@mknhrk) 2021年3月9日
ちなみに耳を狙って矢を放つ威嚇仕草は、軍旗物語にめちゃくちゃよくあるやつで、その気になったら首でも目でも眉間でも撃ち込めるが、今のところはこれで勘弁してやるよっていう武士仕草で、弓が上手いやつは大抵やる。
— 猫怖大夫牧野さん (@mknhrk) 2021年3月9日
しかしもう小笠原貞宗が出てくるとは思わなかった。信濃舞台ならラスボス寄りの中ボスですよ、この人。
— 猫怖大夫牧野さん (@mknhrk) 2021年3月9日
地味だけどめちゃくちゃ強いんですよね。この後新田軍も破るし、各地の戦でも活躍してそれぞれ十分に軍功あげてる。
— 猫怖大夫牧野さん (@mknhrk) 2021年3月9日
後に時行くん、一回盛大にこの人にフルボッコにされるんですが、この漫画の場合彼の勝利条件は逃げて生き延びることなので、捕まえられなかった貞宗の敗けって判定なのかな?
— 猫怖大夫牧野さん (@mknhrk) 2021年3月9日
その基準はドリフターズの島津豊久が「斬りかかる前に大将首なのか確認するとは(薩摩基準では)慎重で冷静でごわす。というか、ちょっと女々しかでごわすな」みたいな。https://t.co/ZnBUS9J6fqhttps://t.co/NOHqPFgOj6
— INVISIBLE DOJO (@mdojo1) 2021年3月9日
へー、知りませんでした。ちょっと「耳鼻削ぎの日本史」という本を思い出したのですが、「耳と鼻を削いだ」という話は実にそれをやった人が残酷、猟奇的なふうなイメージを持たれますが、実は「殺すのは忍びないので、減刑して耳鼻を削ぐだけにしてあげる」……、という主観で行われることも多いそうです。
それゆえに、「情状酌量・減刑してあげましょう」な対象は女性や僧侶がなることが多いので、結果的に「僧侶の耳・鼻を削いだ」「女性の(以下同文)」という記録が残りやすいという…

- 作者:克行, 清水
- 発売日: 2019/04/10
- メディア: 文庫
「哀れな獣は、肉を食べることで浄化してあげる」という思想。特に諏訪神社はその本場?

このシーンも……
「松井優征」がトレンド入りなので「逃げ上手の若君」で気付いた小ネタを。前回、若君らが必死で狩った肉を諏訪頼重が勝手に食べて「私の聖なる腹で浄化したのだ」というシーンがあったけど、あれ単なるギャグじゃなく、本当に諏訪神社にその種の伝承あるからすごい。「肉食妻帯考」って本より。 pic.twitter.com/ccTY2ObSJD
— INVISIBLE DOJO (@mdojo1) March 10, 2021
以前からとても面白かったので紹介する機会をうかがっていたこの本。
もう少しだけ待っていたかったが、ビッグウェーブが来たので乗る。
日本仏教の大きな特徴にして到達点とされる「肉食妻帯」はいかにして形成され、定着したのか。国家宗教として仏教が日本にもたらされてから孕みつづけている最大の問いを考究し続けた著者の研究成果のすべて。
- 作者:中村生雄
- 発売日: 2011/11/23
- メディア: 単行本
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
中村/生雄
1946年静岡県生まれ。1969年京都大学文学部卒業。静岡県立大学国際関係学部教授、大阪大学大学院文学研究科教授、学習院大学文学部教授を歴任。専攻は日本思想史・比較宗教学。2010年逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
同書より、諏訪神社に関する記述を一部抜き出してみよう。
…『神道集』に所載された諏訪縁起の話などでは、諏訪大社の神前には鹿とかあるいは猪とか魚などが供えられているけれども、諏訪の明神というのはもともと本地は仏であるはずで、仏がそのような殺生をするのはなぜなのかと、あるお坊さんが問うわけです。
するとそのお坊さんの夢に、諏訪の神前に贄として供えられた動物たちが金色の姿になって天に昇っていく夢が示されたと。そのような形で諏訪の贄として捧げられた動物たちが成仏をしていくということが説かれているわけです。
これも日常的に殺生肉食を生業とせざるを得ない狩猟民に対して、その罪を免じ、また狩猟民たちが日々殺している動物たちが結局は諏訪の神の功徳によって成仏することになるんだ、というような形"で彼らの罪を免罪していくというようなことを説いているわけです。この類いの話はほかにもいくつかございますが省略いたします… (57P)
諏訪神社以外にも、この本では『沙石集』などに、日ノ本根本道場たる比叡山の僧侶が、琵琶湖で体験した奇譚なども紹介している。
そういうのをまとめて、翻案も加えて、唐突に漫画化してみた。

ちなみにちなみに漫画化に際しては、松井優征先生の教え↓を自分なりに生かしたつもり(笑)
jump-manga-school.hatenablog.com
それ以前でしょうか。
で……、
自分が、逃げ上手より先に「肉食妻帯考」でこの種の説話を読んだ時思ったのは、漫画の最後の一行に尽きる(笑)。
さまざまな教義が生まれるのは多様性の面で大変いいことでございますが、時々「それ、あまりにもご都合主義じゃね?」と思うことありますな。
ザイナブ・ビント・ジャフシュとの結婚に関して
………当時の慣習では養子であっても息子の妻を父が娶ることを禁止されていたが、イスラームにおいては、養子が実子を名乗ることは禁止され、血がつながっていない養子の妻は離婚後であれば、父親が娶ることは問題がないとしたクルアーンの見解を、預言者自らが実際に実現し、慣習を払拭するために、クルアーン第33章37節の啓示により、「養子は本当の親子と同じものではない」[26]、「養子の妻は養子が彼女を離婚した後は自分の妻としても問題はない」…(中略)…必要な離婚手続きを完了した時は、自分の養子の妻でも、(結婚にも)差し支えないことにした。アッラーフの命令は完遂しなければならない。」と明示された。高貴なザイナブは離婚後……・627年に妻となった。ちなみに、このザイナブ・ビント・ジャフシュは結婚の後、預言者ムハンマドの寵愛を巡ってアーイシャと競った事で有名だが、上記の啓示の事を引き合いにして結婚式の当日「あなた方を嫁がせたのはあなた方の親達ですけれど、わたしをめあわせたのは七つの天の彼方にいますアッラーフに他なりません」と…
このことに対して、反イスラーム主義者は、『セックスに対する欲望のあまり養子とはいえ息子の嫁を奪った男』とムハンマドを攻撃する姿勢を見せている。またクルアーン第33章37節の文言もムハンマドが自身の欲望を満たすために作り上げたものとしている。たとえば9世紀にアンダルスで殉教したコルドバのエウロギウスは自著の中で登場人物に『同国人のザイドの妻ザイナブの美しさに目が眩み、まるで理性のない馬やラバのように、野蛮な法を根拠として彼女を奪って姦通し、それを天使の命令で行ったのだと主張した人物が、どのようにして預言者の一人とみなされるのか、又どうして天の呪いで罰せられずに済むのか。』といわせ、ムハンマドに罵倒とも思えるほどすさまじい批判を加えている[22]。
まあ、上で示したのはまた別の地方の一神教なんだけど「妻」を巡る話についても「肉食妻帯考」にはえーっ、その話ほんとうなんですかあ、的な逸話が載っている。いつか機会あったらご紹介しましょう。ちょっとネタバレすると親鸞・法然にまつわる話。