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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「過去の偉人と現代の価値観」と言えば、ムハンマドは9歳の(弁士中止)



かつて偉人とされた方々も、今の価値観からその言論・行動を見れば、これは問題だろう!というものがあるだろう、と。それをそのまま顕彰していいのか、と。いかさま、さよう。


とこ
ろで。


ja.wikipedia.org

ムハンマド奴隷解放

ムハンマドは当時の有力者と同じく奴隷を所有したが、その取り扱いは当時の基準に照らせばかなり寛容なもので、奴隷解放を勧めていたとされる。クルアーンハディースでは奴隷の所有それ自体は禁じられていないが、なるべく奴隷を解放することに徳を見出し、奴隷に対しても自分が食べるものを食べさせ、自分が着るものを着せ、無理な仕事をさせず大切に扱うべきだと説かれている。ムハンマドアブー・バクルにより粗暴な主人のもとから解放された黒人奴隷ビラールは、初期のムスリムの一人である。

クルアーン:やさしい和訳

クルアーン:やさしい和訳

  • 発売日: 2019/02/07
  • メディア: 単行本

まあ、ここも議論するといろいろあれなんだけど、またさらにもうひとつの話題があります。

アーイシャとの婚姻をめぐる議論

ハディースなどの伝承によると、最初の妻ハディージャが没した後、ムハンマドヒジュラ後のメディナ居住時代に寡婦サウダとアブー・バクルの娘アーイシャと結婚している。ムハンマドの妻たちの多くは結婚経験がある者がほとんどで、ハディースなどの記録による限り結婚時に処女だったのはアーイシャのみであり、特に当時のアラブ社会でも(現在でも中東や東欧など第三世界でもそうだが)他の地域と同じく、良家の子女にとって婚姻以前の「処女性」は非常に重要視されており、アーイシャの場合も処女で婚儀を結んだことがムスリムの女性の模範のひとつとして重要視されている。

ただ、当時の習慣により、このムハンマドの最愛の妻と呼ばれたアーイシャは、結婚時9歳であり、対してムハンマドは50歳代に達していた。そのため反イスラーム主義者の一部はこれを口実に(一部(略))とムハンマドを攻撃する姿勢を見せている。

これに対して、前近代の人類社会では有力家系の子女が10歳前後で結婚することはありふれており、このこと自体は歴史的事実として確認されている、という反論がある。豊臣秀吉は10歳の幼女を側室にしたことなど、歴史上の人物は、ほとんどがこの例に倣っており、ムハンマドだけを攻撃する理由が不明である。その場合は結婚してもおおよそ初潮後の適齢になるまでセックスは行わないのが通例であった。インドのイスラーム学者マウラナ・ムハンマド・アリーアーイシャムハンマドと初夜を迎えた年齢は15歳であったと主張している[13]

これは
危険が
やばい。

だが、良くしたもので、
偶像崇拝禁止の見地から、似姿としてのムハンマド(彼の魂に平安あれ!!)の像は無い。
ここでも指摘されている。



だが、悪くしたもので
彼の言葉…いやいや違う、預言者ムハンマド(彼の魂に平安あれ!!)の口を通して、唯一の創造主であるアッラーの言葉を記した聖なるクルアーンは、現実の状況として、物として神聖不可侵の扱いをされている。

www.afpbb.com
www.newsweekjapan.jp
www.afpbb.com



かつて、日本の元勲伊東博文公…いやいや、少々周旋の才の有った俊輔とかいう孺子の像がつくられたことがあったんですが、こやつが長じて稀代の助平親父として名を知られまして、こんなデモンストレーションが行われた。

『…各々六尺褌を外づして縄になひ、其縄を(伊藤)博文の銅像に打ちかけて引き倒し、一同エンヤエンヤのかけ声にて市中を引廻せし上、斯かる好色老爺の銅像を置くに好適の場所ありとて、福原遊郭の門内に引ずり行て…』

遊郭のあるところの交番前に置かれた、というのが気が利いてるじゃないか!!
m-dojo.hatenadiary.com


これにならって、もし、仮に、IF、シミューレーションとして、こういう場面を敢えて想像します。
『…其縄をコーランの書に打ちかけて…、一同エンヤエンヤのかけ声にて市中を引廻せし上、斯かる好色老爺の妄言の書を置くに好適の場所ありとて、…』
どこに置けば「好適の場所」でしょうかね??


むろん、これは逆説的な夢想、「こうあってしまってはよろしくない」という警告を込めたシミュレーションである。
「当時の慣習として、10歳前後で婚姻をするのは、今の価値観からみて良くないものであっても、その時代は普通であり、そのことで預言者ムハンマド(彼の魂に平安あれ!)を批判するにはあたらない」
と、たしかに思うのです。


だが、ひとつだけ厄介なことがあって
預言者ムハンマド(彼の魂に平安あれ!)の教えや言動は、その時代・地域の制約があるとか、その当時は正しかった、ではない。全知全能の神が、時代も地域も超えてお示したもうた永遠の真理である」という立場に、信仰者として立つ人もいるようなのである。まあ、不信心者として、その立場に立たない、とすればなんでもないんだけどね。


しかし、そんなわけで、いろんな議論で「ムハンマド(彼の魂に平安あれ!)」を代入すると、それまでの理路が大胆にバグる、あるいはシャレにならなくなるのは困ったものであります(じゃあ触れるな)

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あんたはこの件に以後一切ふれるな(神聖モテモテ王国

追記 ほんとに似た事例が勃発してた

伊著名ジャーナリストの像に抗議の落書き、エリトリアで12歳少女と結婚
6/17(水) 9:50配信

CNN.co.jp
ミラノ(CNN) 伊ミラノにある著名なジャーナリストの像に対し、赤い塗料をかけたり、「人種差別主義者」や「強姦(ごうかん)魔」といった文言を落書きするといった汚損行為が17日までに確認された。像をめぐっては現在撤去を求める活動が展開されている。

像の人物のインドロ・モンタネッリは、1935年から36年にかけてアフリカ北東部のエリトリアに従軍。現地で12歳の少女と結婚したとされる。

69年のインタビューでモンタネッリは、当時26歳で12歳の少女と結婚した理由について、少女を「買った」からだと説明。現地にはそうした慣習があり、エリトリアの兵士の間で浸透していたと語った。

少女を強姦したのかとの問いには直接答えず、結婚したのだから強姦などという問題は発生しようがないと抗弁した。この結婚については、2000年に出版したエッセー集でも自身の立場を記している。

モンタネッリは2001年に死去した。ミラノ中心部の公園にある像に対しては、現在撤去を求める請願が寄せられている。
news.yahoo.co.jp