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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

高島俊男氏、逝く~中国学「無差別軽量級」の絶対王者。

 言葉をめぐる人気エッセー「お言葉ですが…」シリーズで知られるエッセイストで中国文学者の高島俊男(たかしま・としお)さんが5日、心不全のため死去した。84歳。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妹、森沢敦子(もりさわ・あつこ)さん。

 兵庫県相生市出身。東京大大学院で中国文学を専攻、岡山大助教授などを経てフリーの文筆家に。中国文学や、その影響を受けた日本語や日本文学についての深い学識を背景に、大手出版社や新聞、学界の権威の誤りを批判する軽妙なエッセーが好評を博し、「週刊文春」に平成7年から18年まで連載した「お言葉ですが…」は、全18巻におよぶ人気シリーズと…(後略)
www.sankei.com


以前から、おそらくあまり体調が思わしくないのではないか、と推測していた。
その思いが強くなったのは
このブログが終了した時だ。

okotobasaishin.blog.fc2.com
おしらせ
 諸般の事情により、ブログ「お言葉ですが…最新版」を終了いたします。ご愛読ありがとうございました。  (管理者)

 終了にあたり、先に収録しました「嗚呼、大ヶ瀬幹人先生」――2018年11月 (1,2)、2018年12月(3,4)――の後編を一挙掲載いたします(5~10)。左の「月別アーカイブ」2020/6の7篇をご覧ください。
なお、これまでのブログ掲載分は一括して連合出版のホームページでご覧になれます。

アナログ人間の高島氏だが、書いた文章をだれかPCに強い知人を通じUPする形でブログを開始。
5年間、自主的にネットに発言の場を持っていたのだ。トータルにすればかなりの数の投稿だよ。

http://okotobasaishin.blog.fc2.com/

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今後はどうなるのだろうね。消滅するかもしれないわけで、この機会に、読んでもらうのもいいかもしれない。


だから今回の訃報は、ああ、やはりか、と感慨深かった。
というか84歳ともなれば十分、人生をまっとうしたと言えるし、最晩年は創作・文筆から離れても自然だろう。とはいえ、それでもさみしく、かなしい。


そもそも当ブログ、はてなブログ内では本当に頻繁に、氏のことを紹介することが多かったんじゃないかな。
いや、1年に1回漢字検定(ことしの漢字)をDisるために同じ文章を再放送している、とかもあるんだけど(笑)、それ以外でも何度も氏の知見や、寸鉄人を指す皮肉な警句を引用させてもらっていた。

たとえば…
m-dojo.hatenadiary.com

がんばって、一部リンクを張る。
m-dojo.hatenadiary.com
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つづく。
後でこの後をかいていきます

あ、タイトルにした「無差別軽量級」ってそれこそ「お言葉ですが…」矛盾した表現じゃないか、と思う人もいるでしょうが……それも、このあとに。

ここから、追記した後半。

追悼のため、氏の著作を少し見てみようと思ったら本棚から次々と出てくる。
それほど多作というイメージはないが、通算してみるとそれなりに出ていたんだな。
しかし目当ての本だけがなかなか出てこない。
目当てでない本を開くとそれはそれで面白いわ、書きたいことがたくさん出てくるわで全然進まない。

なので正確な資料の引用は諦め、全て記憶に頼って、過去記事を紹介しながら「一筆書きのスケッチ」を書くことにしよう。


まず前段で記した「無差別軽量級」 という言葉の種明かしですが、これは高島氏が宮崎市定を紹介した時、中国に関するどんな話題でも縦横に、面白く語ってゆく様を「無差別」、その上でその思想や考察が非常に「分厚い」ものであることを評して「重量級」と選んだわけです。そしてそれを自分に対比させて自分は、中国のさまざまなテーマを縦横に語ることでは同じように「無差別」だが、その語りが比較して「軽量級」だと、謙遜を込めて語っていたわけです。
※ちょっと関連記事
m-dojo.hatenadiary.com

この軽量級は謙遜と言ったが、はたから…少なくとも自分から見ると軽量というよりは「軽妙」であり、その軽妙さこそが高島中国学の真骨頂でした。
語るテーマが深遠なものに繋がっていくという点ではまったく宮崎市定にも引けを取らないので、これは格闘技もそうですが重量級も軽量級もそれが呼ぶ感動は同じなのですな。

学者は自分の学問を、わかりやすい言葉で一般社会に還元するべきである。
それが使命であり、それが出来ない学者は、学者失格だ……との信念を持っていたという。そのお陰で我々は氏の一般向け著作を楽しめるわけである。


本質ではわかりやすいもの、分かりやすくすべきものをこけおどしのように難しく書くことを激しく批判し、唾棄していた。
その代表例が、当方が毎年紹介している「漢字検定のあほらしさ」なんだけれども。
たまたま今回の追悼でページを開いた「漱石の夏やすみ」でも、夏目漱石正岡子規に読ませるために書いた漢文の紀行文「木屑録」を解説している。ここで力説していたのは、この文章は元々、いまでいえば大学の同級生と言った当時の二人の関係性から考えれば、この漢文は「おふざけの戯文」と読むべきであり、それを何か重々しく高尚なものであると捉えるのはおかしい…ということだった。

「ほんとうにこまったことであるのは、こういうシロモノ(※夏目漱石の文章のことではなく、それを重々しく読み下す解釈)を上等だと思い、高級だと思い、ありがたがる日本人がいる、ということなのだ。だからまた、こういうのを持ち出して、人をおどかす連中が出てくる。」


もちろんその博識ぶりは言うまでもないのだけれど、一方で学術論文ではない「コラム」という形式を利用して鎧兜も裃も同時に脱いで、 「自分もよく分からない謎があり、それはこれこれ」「今まで、調べた限りでは…だけれども、読者の〇〇さんからこんな情報が寄せられた」…みたいな”同時進行の考察ルポ”もよく書いていて、それも実に面白かった。

言葉の問題でも流行や変化に妥協しない、なかなかに偏屈な態度を貫いていて、それは文章の表記をめぐる編集や出版との攻防(たとえばそれが「『支那』は悪い言葉だろうか」などの研究に結実している)、あるいは日常生活での企業や役所窓口とのやり取りなどにも表れていたが、一方でそういった読者や知的興味のある市民との交流をとても大切にしていて、”琵琶湖仙人”として滋賀を拠点にした際には、地元の図書館から 講演・講座を依頼され「定期的にやっていいならやります。月一回?それじゃ足りない、週一回なら」とやって、本当に談論風発のサロンが作られていたという。

一度そこにお邪魔したいと思いながら、遠方ゆえ叶わなかったのは実に残念だ。 様々な質問や感想にも、丁寧に返事を書いていたというから、こちらに関しても手紙を出せば良かったなぁと後悔している(聞きたいことは山ほどあったんだがなあ…)

結婚などもしなかったそうなのだが、そういう一般的な家庭生活の楽しみ、しあわせを放棄したことへのかなしみや後悔、みたいなことを向田邦子を論じた「メルヘン誕生」の末尾で率直に書いていたことも印象に残る。



その人の様々な、歴史や「言葉」に関する考察は、…誰か…この訃報に際して一度に紹介しようと思っても、とても不可能であろう。

ここは本当にその都度、ブログで紹介していてよかったと思う。

リンクを貼るの面倒なので、上の当ブログ内「高島俊男」検索結果をつらつらと見ていただければありがたし。

ただ今回もパラパラと開いたコラムの中に…(以下は「お言葉ですが…」11巻より)

ここしばらく、何人もの方から「刺客」についてお話を聞いたり、たずねられたりした。読者からもお手紙をちょうだいした。言うまでもなく、さきごろの衆議院選挙の件である。
郵政法案に反対した人の選挙区に「小泉首相が刺客を送った」とマスコミがはやしたてたらしい。…「シカクという人とシキャクという人がいるけどどっちがいいの」、とか「本当はセッカクが正しいらしいね」とか。
結論をさきに言ってしまうと、みなOKです。どれでもお気に召したのをどうぞ。
(略)
結論だけ聞けばよろしい、というかたは、以上でおしまいです。以下は全て雑談。


まず「客」から参りましょう。
これはもと 「よそから来た人」の意で、それからひろがって「もっぱら~する人」さらには単に「~する人」の意にもちいられるようになった。食客、墨客、棋客………この「客」に音(おん)が二つある。 呉音キャクと 漢音カクである……(後略)

お言葉ですが…第11巻

お言葉ですが…第11巻


この文章のリズム、情報の提示の仕方、散りばめられたユーモアをを見よ。どれもこれも一級品の出来である。
知識と楽しみを 同時に得られる文章の真髄である。





高島氏は、今までの人生を振り返った文章も多々残っており、自分がいかに本が好きになっていったかを振り返る「腹ペコ少年読書録」もたいへん興味深い。…これほぼ同年代の矢口高雄(昨年81歳で亡くなった)の経験と、本当にダイレクトにつながる。最初に矢口の「ボクの手塚治虫」を読んだ時、真っ先にこのコラムを思い出したもの。


そして、 おそらくは現実にならないであろう、自分の理想の葬式風景をユーモラスに描いた「ボクのお葬式」などを、彼の死に際して紹介したいのだが、それを今目の前にある、氏の著作集から探すのはまたまた大変なのである。


今後もおいおい、高島俊男氏の文章には触れていくだろう。それほどまでに自分の血と肉になっているのだから。

あらためて、ありがとうございました。





水滸伝と日本人―江戸から昭和まで

水滸伝と日本人―江戸から昭和まで

  • 作者:高島 俊男
  • 発売日: 1991/02/01
  • メディア: ハードカバー
広辞苑の神話 (文春文庫)

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