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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「宇宙軍大元帥」(野田昌宏)と「琵琶湖仙人」(高島俊男)の邂逅。

唐沢俊一検証ブログからで、いや唐沢氏とは直接関係がない話なのだが

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20090911

こないだ野田昌宏の本を読んでいたら、・・・(略)・・・野田昌宏高島俊男が何回か手紙のやりとりをしていた・・・(略)・・・ビックリだった

えっ、どーゆーシチュエーションやろ?
高島氏は年齢にしてはそれなりに柔軟なところがあって、たとえばみなもと太郎風雲児たち」を高く評価、絶賛する書評を書いている。あと横山光輝が書いた「水滸伝」を「これじゃ台無しだ」みたいな批判的な筆致で紹介したことがあったか。・・・だが私の知る限り、サブカルチャーに目配せをしたような記述はほとんど無いような気がするのだが。
考えられるとしたら1937年生まれの高島氏と1933年生まれの野田氏が世代的なことで「なつかしのXXX」「あのときのXXX」を研究したりするような場面だったのか。あるいは高島氏は三国志などの中国戦記はもとより第二次大戦の軍記的なことはそれなりにしっているから、スペースオペラも実際の戦争や軍事を下敷きにしたものが多いと考えればそういう接点はあるかな。
まあ、同ブログの主催者に内容をくわしく聞いたり、「野田昌宏の本」の書名を教えていただけばいいのだが、あまりに意外な取り合わせなのでしばらく想像を広げようと思う(笑)


そういえば高島俊男週刊文春での連載終了後、諸君!に少しまとまった分量を書ける連載コラムを持ってくれたー!と思ったら同誌休刊だろ。雑誌界にジャイアニズムというかダナ・ホワイト的というか、「最強のコラムニストは全部おれの雑誌に集めたい」というような野心のある編集長はいないのか。

と書いた後で両者のやりとりの主題が判明。

別にぜんぜん期待してたわけではないが、書いたついでに、その名前のはてなキーワードやウィキペに行くということを何の気なしにやっていたら、大元帥vs仙人の顛末が書いてあったよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E4%BF%8A%E7%94%B7

SF作家の野田昌宏が、岡山大学勤務時代の高島の著書『水滸伝の世界』を読んで感嘆し、「この人はスペース・オペラの面白らがわかる人ではないか」と考えて手紙を出し、親しく文通していたことがある(『スペース・オペラの書き方』参照)。

うーんいいセンスだ。
そしてパワフルに「同好の士」を増やし続けた50-60年代SFファンらしいエピソードだ(笑)
しかし「この人はXXXXが分かる人だ!」といきなりその世界の重鎮から手紙がきたら、どうなりますかね(笑)

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gryphon

特に日本人の感覚ではねえ。
結果的に、後世の日本人は「なぜ宋江はリーダー足りえるのか?」を自分の創作で補うことで、いろいろオリジナリティを生むことができましたが(笑)

11年前 Add Star
kokada_jnet

こんにちわ。ちなみに、WIKIPEDIAのその記述は私が書いたものです。
さらに、うろおぼえですみませんが、高島先生の著作(「お言葉ですが・・」以前)にも、確か野田さんのことが言及されていた記憶がありますね。

11年前 Add Star
kokada_jnet

>野田氏のこと、あったかな?同シリーズは索引もあるので調べれば分かるでしょうけど
私も手元に「お言葉ですが・・」の最終巻がありますが、巻末の索引には野田氏は掲載されていません。
不確かな記憶で申し訳ありませんが。野田氏が言及されていたのは、『本が好き、悪口言うのはもっと好き』『ほめそやしたりクサしたり』あたりだったかと・・。

11年前 Add Star
通りすがり

文字通りの通りすがりですが、一言。

水滸伝と日本人」のあとがきで、お母様が亡くなられたショックで
『放心と抑鬱』状態におちいった高島先生が、『ともかく外にでろ』という妹さんの
言葉で東京にでて、一度も会ったことのない『丸谷才一先生や、SF作家の野田昌宏
さん』などを訪ねた、といったことが書かれていました。

高島先生と野田大元帥がどういうお知り合いだったのか、不思議だったのですが
そういうことだったのですか。