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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 報道、記録、文化のために

『支那』を巡る、高島俊男のこの言葉を、引用しやすいよう独立エントリにしとく

「本が好き、悪口いうのはもっと好き」より

「・・・だれもあなたに「中国をやめて支那を使え」と言いはしない。「支那」に不快を感じ「中国」に愛着をおぼえるあなたの選択をわたしは尊重する。それなのになぜあなたは、「支那」に愛着を持ち、もしくはこの語の使用に合理的理由があると考える者に対して「やめろ。中国と言え」と要求するのか。故人の著作の復刊に対してまで、「支那」を「中国」と変えて出せと言うのか。どこからそんな権限をさずかったのか。」

(「支那は悪いことばだろうか」より)

本が好き、悪口言うのはもっと好き 支那問題

また別のこととして、「中国」は「国」という字が含まれているために、国家の連想にみちびきやすい。対して「支那」は民族文化圏を指す語である。だから、民族文化的なことがらについて言う時は「中国」は使いにくい。ごく短い表現を例にあげるならば、「支那美術」や「支那陶磁」、あるいは「支那靴」や「支那服」、あるいは「支那の文人」や「支那の典籍」、これらはこのままのほうが厳密であり、正確である。

また、これはまったく個人の感覚だが、わたしは「支那」ということがばが好きである。大きく、ゆたかで、奥行きがあり、詩情がある。少なくともわたくしはそう感じる。現に「支那」なら詩にも俳句にも短歌にもしっくりするが、「中国」ではぶちこわしだろう。言うまでもないことだが、わたしの「支那」に蔑称などあろうはずがない。にもかかわらず、常に、かならず、「中国」と言わねばならない。おのずから、目に見えぬ圧力によって「言わされている」という不快感がつきまとうことになる。

それからまた、「中国」が中華人民共和国の意に用いられている現在、「支那」を用いることは実際的便益もある。、中国は中華人民共和国の領域全体であり、「支那」はそのまま、西、および南の地域を除いた本来の支那である。したがって「中国人」には当然ウイグル人なども含まれるが、「支那人」には含まれない。モンゴル語は中国語の一つであるが、支那語ではない。「中国思想」といえばチベットの仏教思想も入るが、支那思想には入らない。両方を使い分けることができれば、まことにわかりやすく、便利なのである。


「おまえが何と言おうと、支那なんてことばは絶対に使いたくないよ」という人が多いであろう。御安心ください。だれもあなたに「中国をやめて支那を使え」と言いはしない。「支那」に不快を感じ「中国」に愛着をおぼえるあなたの選択をわたしは尊重する。

それなのになぜあなたは、「支那」に愛着を持ち、もしくはこの語の使用に合理的理由があると考える者に対して「やめろ。中国と言え」と要求するのか。故人の著作の復刊に対してまで、「支那」を「中国」に変えて出せと言うのか。どこからそんな権限をさずかったのか。

戦前上海で三十年生活しその間支那全土をくまなく歩き、戦後帰国して金沢大学の教授をしておられた小竹文夫さんという学者が、昭和二十二年に出した「支那の自然と文化」という本の序文で、あえてこの題をつけたことについて書いておられる。

「言うまでもなく支那は古代の大帝国たる秦の発音が印度を経て出来た言葉であり隣邦自身でも支那撰述本など近代まで仏教界では盛んに用いた文字である。『支那』が悪いなら西洋人のChina、Chineも悪いということになる。シナという発音が悪いのではない。べく『支那』の文字が不可ないといふのなら上述の如くそれ自体に軽侮の意味はない。結局、従来日本人に軽侮の念を以てシナの語を使ったものがあったといふことになるが、それでは心の持分が改まらなければ中国でも民国でも、はたまた中華民国でも不快なこといになるかも知れぬ。私は従来多く隣邦の人に接し先方の言葉で話すときは中国を用ひるが日本語で話す場合は多く『支那』を用ひそれで軽侮の念を以て軽侮感を有ったと感じたことが無い。要はこれを用ふる心持如何の問題で私は嘗て軽侮の念を以てこの用語を用いたことが無いのみか寧ろ一種無限の愛稀をさへ感ずるのである。」

小竹氏はだいじなことを言っている。いけないのは戦前のすくなからぬ日本人の「持」ないし態度なのである。『「支那」はいけない』と言う人は、それをことばの問題にすりかえてみずから気づかない。実は「これを用ふる心持や態度が如何の問題」なのだ。

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文合第三五七號 

昭和二十一年六月六日
外 務 次 官(官印)
  内閣書記官長   殿

   支那の呼稱を避けることに關する件

 本件に關し外務省總務局長から六月六日附で都下の主な新聞雜誌社長に對し念のため寫のやうに申送つた。右參考のため御送りする次第であるが、機會があつたら御關係の向へも同樣御傳へを得たい。

本信送付先 各省次官、内閣書記官長、法制局長官、統計局長、内閣審議室、各都道府縣、終戰聯絡地方事務局長

 中華民國の國名として支那といふ文字を使ふことは過去に於ては普通行はれて居たのであるが其の後之を改められ中國等の語が使はれてゐる處支那といふ文字は中華民國として極度に嫌ふものであり,現に終戰後同國代表者が公式非公式に此の字の使用をやめて貰ひ度いとの要求があつたので今後は理屈を拔きにして先方の嫌がる文字を使はぬ樣にしたいと考へ念のため貴意を得る次第です

 要するに支那の文字を使はなければよいのですから用辭例としては

  中華民國、中國、民國。

  中華民國人、中國人、民國人、華人。

  日華、米華、中蘇、英華

 などのいづれを用ひるも差支なく唯歷史的地理的又は學術的の敍述などの場合は必しも右に據り得ない例へば東支那海とか日支事變とか云ふことはやむを得ぬと考へます

 ちなみに現在の滿洲は滿洲であり滿洲國でないことも念のため申添へます

  昭和二十一年六月七日

岡 崎  外務省總務局長

おまけ