http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120111/p3 の後半部分で川柳?に仕立てた話の、再論です。
まず過去のtwitterから
ブクマとか本日ブログでも書いた話を再論。大河ドラマ「王家」関連の議論を、問題ないとの立場からまとめるとこうだ。/
(1)当時も使われてた資料もあるし、学問的にもそれを使う場合がある。悪い意味を込めてはいない
(2)一方で、一段落とす為の用法「も」無い訳ではなく、存在はする。
(3)・・・だけど、(2)のような例があるからといって(1)までひとしなみに「やめろ」「使うな」と言われてもたまったもんじゃない。つーかそんなこと聞いてられねーーぞ。・・・一応これが「王家」という言葉に問題ないという論者の立場だと思う(ほかの人も勝手に忖度するが)。
<結論> この論理は例えば「王家」のみならず、近年の「暴力装置」や「支那」についての議論にも適用される、ですよね??ここでまとめて「支那と王家と、暴力装置」と、ライトノベルのタイトルっぽくまとめたい所存であります(笑)。
===完==
「・・・だれもあなたに「中国をやめて支那を使え」と言いはしない。「支那」に不快を感じ「中国」に愛着をおぼえるあなたの選択をわたしは尊重する。それなのになぜあなたは、「支那」に愛着を持ち、もしくはこの語の使用に合理的理由があると考える者に対して「やめろ。中国と言え」と要求するのか。」
(講談社エッセイスト賞受賞作「本が好き、悪口言うのはもっと好き」文庫版P165)
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そして、下のこのエントリにつづく。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120115/p4