盛り上がってますね
日本よ、この期に及んで「古文・漢文」が必要だというのか 749 users https://anond.hatelabo.jp/20180104132743
漢文学習がどんな役に立つのか、なるべく簡単に解説してみます: 不倒城 370 users http://mubou.seesaa.net/article/455988153.html
漢文を教える意味はあるのか? - そりゃあるんだろうけど… - シアワセ... 5 users http://mazmot.hatenablog.com/entry/2017/04/06/233342
まあ、古文漢文は要らないよね。ブコメをスプラトゥーンと差し替えると... 315 users https://anond.hatelabo.jp/20180105123031
「古文・漢文」を大学受験から外すより、「英語」を外すべき理由 http://pulcinella-sato.hatenadiary.com/entry/2018/01/06/005302
私見をまとめたかったので、過去の引用を中心にまとめて
まず、昨年4月にかいた記事が漢文そのものを論じている。人はそれを、「漢文塩鮭論」と呼ぶ。提唱者は中国を見て、深く知ったうえで「漢文は(帰国の途中に)、玄界灘に投げ捨てた」という。
「漢文教育なんかやめちまえ」。BY百田尚樹…はその辺にほっといて(笑)、高島俊男と倉石武四郎の論の紹介(※片方は孫引き) -
d.hatena.ne.jp
訓読は、支那の文章の中から、もつぱら国語と同じところを取り出して教へる方法であつて、この方法が用ひられるかぎり、何年漢文を学ばうとも、一年英語を学んだだけの語学的効果を奏しない筈である。語学教育は、国語と違ふところを取り出して教へなければ、更に効果を見ない。
まーねー。
僕流に、いわんとすることを英文に置き換えてみると、たしかに I love you は英語に暗いぼくでも、いちおう アイラブユーという音で受け取って脳内で意味を解するのであって、返り点をつけて「アイは ユウをラブする」と言い換えて、脳内変換して意味を取るというのはちょいと非効率であり、少なくとも語学の本道ではないわねえ、というのはわかる。いや、アイだのラブだのは上等で、漢文というのは、「ONE DAY」を「オネダイ」と読み、PEOPLEをぺオプレと読み、それで読んでいけば不自由なかろう、と思うようなものだ、と…(高島俊男「漱石の夏やすみ」 文庫本108P)
でも漢文はそれこそいいじゃないか、というのを、倉石氏は業界では有名らしい「あの」喩えで語る。
それは「漢文塩鮭論」として知られる。(もう旧かなづかひはタイプしにくいので無視します)持ち味を棄て、平面化したものになれると、そのほうが好くなるのは、恐るべき麻痺であって、いわば信州に育ったものが、生きのよい魚よりも、塩鮭をうまいと思う様なものである。
唐突に信州Disがはじまり、その土地の方には申し訳ないが、これは倉石氏の出身である越後方面の当時の共通認識に近かったらしい(笑)
以上、これらは倉石氏本人の著作ではなく、高島俊男氏の
から孫引いたものです。
ここでは高島俊男・呉智英の対談を紹介しているが、ここでの是非論が、そのまますっごくわかりやすいと思う。
高島氏
(※倉石氏という、漢文は読み下しではなく、中国語での発音と文法で教えるべきだ、という論者がいる…リンク先参照。その人の考え方は)「当然そうあるべきだと思った。言葉というのは耳で聞いて口で話すものだからね。だから自分が教師になってからも、入門段階では漢字は出さなかった。」
呉氏
「倉石先生の考えはもっともだと思うけれども、日本の場合、漢文訓読みが千年以上にも亘って日本語の独特の読み方として文化の中で血肉化している面がある。それが日本語をつくっているわけです。『子曰』は『シノタマワク』であって『ツーユエ』とは読まない。少なくとも教養人といわれるひとたちは何らかの形でそれを継承していかないと、日本語はやせ細る。」
高島氏
「それは非常に難しい問題で、ぼくは支那語を日本式に読むというのがもともと好きでないし、長年中国語の教師をしてきて、漢文訓読はダメだぞと言ってきた者ですからね。まあなかなか一概には言えないんだよ。そういうものに愛着を持っている人がいる事実は認めます」
実に判りやすいでしょう。自分は最終的に呉智英に賛同するけど(リンク先参照)、ただ、上のリンクでも『漢文を読むことが必要だというなら、(現代)中国語の文法と発音で理解すりゃいいじゃん。内容を深く知りたいなら翻訳を読むべきじゃん』という論は死角でしょ?ギリシャ古典思想やローマの文藝、サンスクリットの宗教論を読むとき、われわれはどうやっているか、と。
そして「教養」「何を学校で教えるべきかは最終的には神学だ」、という話はこれ。
若者の「寅さん離れ」…当然ではあろう。なら「教養」として(例えば学校で)教えるべきか?というか教養って何? - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20151207/p2
「漢文」を「今の子は『寅さん』を知らない。学校でその作品を見せて、教えるべきだ」という議論や「海外に行った時、銃の安全装置の外し方ひとつもしらないようではいけない。学校で教え、みなが銃に対して一通りの知識を持つべきだ」という議論に仮定して考えると、また面白いのではありますまいか。実を言うと、どれもこれもそれなりにもっともではあるのですよ。あとはどれを選ぶかの「神学」でしかない。
そう思うと気楽なはずです。どれも完全なはずれはなく、どれも唯一無二の正解ではない。
ぶっちゃけ、漢文で出てくる、その考えが訓練として役に立つ、というのは
記憶力その他では
「教育勅語の暗記」も「日本国憲法前文の暗記」でも、それなりに訓練としては役立つはずです。
ユダヤ人が知的な職業関係で成功した理由に、そうでないと食えなかったから、のほか「タルムードを訳も分からず暗記する、という宗教的慣習が、知的訓練につながった」という説もあったっけ。、
■「そもそも教育では、リスクとの兼ね合いで何を教えるべきか」について
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101219/p2
■武道必修化の議論の続き。そも「体育」は必要か。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110607/p2
■我々には「銃という教養」が欠如している。それはいいことか悪いことか。
m-dojo.hatenadiary.com
■学校教師の脱線・個人的主張授業をどうする
かhttp://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110828/p4
■腕がらみ、腕十字、フロントチョーク、脇固め、三角絞めを、学校教育で教えたら -
2023年追記 河野有理氏の論(X投稿)
※個別に埋め込んだが、その後にまとめも。そっちにも同じツイートが収録されています(より詳しい)
togetter.com
漢文廃止を唱えながら保守党を名乗っちゃうの、大和心を讃えながら英語横文字をタイトルにしちゃう長渕剛みたいなもんで笑っちゃうけど、これは本邦の思想史の割と本質的な問題に接続してるので、すぐに真顔になる。
— 河野有理 (@konoy541) September 15, 2023
ここで高島俊男先生が習ったという倉石武四郎先生のご議論がこれですね。「日本漢文学史の諸問題」 pic.twitter.com/fnyHCZwjhD
— 河野有理 (@konoy541) September 15, 2023
「日本の漢文学はあまりよい星の下に生まれなかった」という倉石武四郎の述懐はなかなか痛切なのですが、この意味での悪い星の生まれの影響は西洋語の受容にも連続し、柳父章のいわゆる「カセット効果」にまで及んでいるかもしれないと考えると、まさに切実な現代的課題でもあるということになります。
— 河野有理 (@konoy541) September 15, 2023
しかし、高島俊男・呉智英対談、よく見ると小見出しが「訓読みか、現代中国語読みか?」になっていて、当時の『世界』の編集者にしてすでに「訓読」についての知識が皆無であることがうかがえて切ない。
— 河野有理 (@konoy541) September 15, 2023
訓読についてはこれを読もうな。https://t.co/Jnhiuazv4X
— 河野有理 (@konoy541) 2023年9月15日
「訓読」はなぜ、私たちにとって「課題」であり続けるのか―「訓読」という異文化理解の方法を再考し、日本伝統文化の形成、日本人の「知」の問題として位置づける。また、「訓読」という手法を、東アジア世界の文化交渉から見つめ直し、漢字・漢字文化圏の成立、その内部での個々の文化形成のあり方を論じる。
目次
第1部 異文化理解の「課題」としての訓読(「訓読」の思想史―“文化の翻訳”の課題として;近代における「漢文直読」論の由緒と行方―重野・青木・倉石をめぐる思想状況;ピジン・クレオール語としての「訓読」 ほか)
第2部 訓読と日本語・日本文化の形成(日本における訓点資料の展開―主として音読の視点から;近世における漢文訓読法の変遷と一斎点;漢文訓読体と敬語 ほか)
第3部 訓読論の地平(“訓読”問題と古文辞学―荻生徂徠をめぐって;表現文法の代用品としての漢文訓読;日本漢文の訓読とその将来 ほか)訓読が育てた日本語への葛藤、今思えばピジン・クレオール的な混淆(ハイブリッド)として肯定的に捉える道もあったと思うが、一時期の国民国家論(批判)はやたらとネイションを立ち上げる「閉域」としての日本語みたいなことを言い募っていたのである。今思うとそれ自体が面白いけど。
— 河野有理 (@konoy541) September 15, 2023