「戦後 談話」でのグーグルニュース検索結果
北岡伸一氏らの懇談会でまとめた答申が出たり、閣議決定をしない予定がすることになったり、発表日が14日と決まったり、公明党が注文を付けたりと、まだ時間があると思ったらにわかに騒がしくなった、「戦後70年安倍談話」。
公開前から、期待とはやや違った注目が集まるのは樋口版「進撃の巨人」みたいな…(笑)てな感想はおいといて、この余波でかつての旧作「日本沈没」にも注目が…じゃないや、「村山談話」や「小泉談話」にも注目が集まっている。
それで思い出したんで、ちょっと面白い余談を紹介したい。
よくネタ元にしている
- 作者: 高島俊男
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まず、村山談話の元を外務省のサイトから
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html
(略)
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
漢文学の古典に通じる高島氏は、この最後に出てくる、「杖るは信に如くは莫し」という、あまり馴染みのないであろう言葉の出典を紹介する…と、その前に、これは普通の日本語の指摘だが
たしかに「記念する」というのは…よいほうにもわるいほうにも使っていいリクツだけど、実際には結婚記念日とか創立記念日とか「このめでたい日」の意味で用いるのがふつうである。
まあ、たしかに(笑)。ま、ここは氏の専門領域が発揮される話ではないので、本題に進もう。
「杖るは信に如くは莫し」は、春秋左氏伝(左伝)が基。
それはいいんだが、さらにその言葉が出てきたエピソードを紐解くと…おやおや?
…妙なことばを持ってきたものである。
(略)
…これはあまり重みのあることばではない。それについては少しお話をする。紀元前六世紀、鄭という国があった。小さくて弱い国である。これが困ったことに、大きくて強い国二つにはさまれていた…晋と楚は仲がわるい。この二つがどちらも鄭に「おれの子分になれ」と要求する。
(略)
南の楚が攻めてきた。国の指導部の意見が二つに割れ…「とりあえず楚に降参してこの緊急事態を切り抜けよう。晋が聞いたら怒って攻めてくるだろうが、その時はまたそっちに降参するのだ(略)」
これに反対したのが…子展という男で、この男の主張の中にトンちゃんの引いた言葉が出てくる。
「(略)楚も強いけど、晋のほうがもっと強い。あちらに従いましょう。杖るは信に如くは莫し、というではありませんか。ここは晋をたよることにしましょうよ」つまり子展がいう「信」とは、どっちかを主ときめてそのほうに操を立て通す、ということ…(略)親分が助けに来てくれる、というのである。それを「杖るは信に如くは莫し」と言うのだ。
妙なことばを引いたものだ、とはそういう意味である。もちろんトンちゃんの秘書はそこまで知ってではなく、格言辞典か何かを見て、「あ、これこれ」と書きうつしただけだろうけど。
ああそれで、子展の主張は結局通らず、鄭は楚に降参し、おこった晋が翌年攻めてきたらまたそっちに降参しました。
(文庫版115-116P)
ははは。
むしろ「安倍政権はアメリカ一辺倒だ!」と怒る側が、安倍批判で引用しそうなエピソードという気もする。
まあ、故事成語はふつう、言葉の意味だけを取り上げるのが精一杯で、その原典で展開されるエピソードや意味まではわからんものであり、分かる人だけがにやっとすればいい、ということでしてね。
「香炉峰の雪」は有名で罪の無い話だが、
http://manapedia.jp/text/1671
これを痛烈な皮肉や批判の武器にするやつも多い。
「張士誠」の命名とかね……
wikipedia:張士誠
彼の名前「士誠」は、儒者から「帝王にふさわしい立派な名前」として送られたものだが、その真意は「士、誠小人也(士、誠に小人なり)」という『孟子』からの語句に由来し、張九四を「一丁字もしらないごろつきからの成り上がり者」に過ぎないと暗に誹謗したものである。この逸話は、後に洪武帝(彼も張士誠と同様に、もともとの身分が低い)が儒者(士大夫)に対する猜疑心を生じさせる結果となり、文字の獄を誘発した。
「文字の獄」は焚書坑儒以上に陰惨な知識階級の粛清劇であるが、その遠因が「張士誠」という知識人のいたずらなら……こういうの好きなんだけどね、ただしちょっとばかりは自業自得かな、と思わないでもない(笑)
そしていまだに、議論されているのが、周恩来が田中角栄に贈った色紙。
http://www.chichi-yasuoka.com/episode06.html
思い出すのは、田中角栄さんが周恩来から「言必信行必果(げんかならずしん・ぎょうかならずか)」という色紙を贈られて得意満面の姿が新聞紙上をにぎわしたときの話です。一見、素晴らしい人物評価に見えるんですね。しかし安岡先生がすぐに、それは『論語』の人物評の一片で、三流の人物を表わすことを見抜かれて、周恩来の非礼を指摘されました。
「大平君がそばにおりながら、そういうことがわからないというのは、恥ずかしい話だ」とおっしゃったんです。大平さんのことは先生も非常に買っておられたんですね。それで、私はすぐ大平さんのところへ行ってそのことを伝えたら、大平さんは、
「いや、参りました。言われてみれば、まったくその通りだ」
とおっしゃったんです。http://kanbun.info/keibu/rongo1320.html
言必信。行必果。硜硜然小人也。抑亦可以爲次矣。
口に出したことは必ず実行する、やり出したことはあくまでやりとげる、といったような人は、石ころみたようにこちこちしていて、融通がきかないところがあり、人物の型は小さいが、それでも第三流ぐらいのねうちはあるだろう
こっちは「悪い意味では(少なくとも近代中国では)ないよ」の論
http://www.21ccs.jp/macheng/index-ma-04.html
現代の中国では「言必信、行必果」を、「言行一致」として称賛の意味で使われている。この使い方は、一般的読者を対象とする『成語辞典』だけでなく、日本の文部省に当たる国家教育委員会(現在は教育部)が「精神文明」教育の一環として学者グループに編集させたテキスト・『中国伝統道徳』(規範卷)にも記載されている
その後、毛沢東は田中角栄に「楚辞註集」を贈った。
専制皇帝マオが、何の意味を込めてそれを贈り物にしたか、その解釈もやたらとあるが略す。
安倍首相の話も出しておきましょうか。
http://newsphere.jp/politics/20130930-4/
首相はNYSEで、日本の技術力や成長戦略を語り、「Buy my Abenomics」(アベノミクスは『買い』だ)と述べて、積極的な投資を呼びかけた。これは、1987年の映画「ウォール街」に登場するセリフのアレンジだ。実際、首相は、ゴードン・ゲッコー(映画の主人公)が金融界にカムバックしたときにように、「Iapan is back」(日本が帰ってきた)とも述べている。ただしゴードン・ゲッコーは、最後にインサイダー取引で逮捕される。日本経済をそれになぞらえたことは、菅官房長官が釈明に及ぶ事態を招いた。
http://www.afpbb.com/articles/-/3000271
26日午前の記者会見で、映画の登場人物とはいえ犯罪者が首相のスピーチの題材として適切だったのかと質問された菅官房長官は、「総理が一番言いたかったのは『ジャパン・イズ・バック』、このことを一番言いたかったというふうに思います」と述べ、「ゴードン・ゲッコーは第2作目には社会復帰をされていたのではなかったでしょうか」と付け加えた
Japan defends 'Gordon Gekko' line by prime minister Shinzo Abe | Business News | Business and Finance News | | The Courier-Mail http://www.couriermail.com.au/business/japan-defends-gordon-gekko-line-by-prime-minister-shinzo-abe/story-fnic6klz-1226727942017?sv=7f58c204ecc03899e5ebef10530a682e
もっともゲッコーはオリバー・ストーンの意図を超えた悪の魅力を放ち、たとえば「ハリウッド映画悪役100」を選ぶとしたら入るような強烈なキャラクターなので、たとえば「仁義なき戦い」のセリフを引用したらそれはヤクザ肯定か、みたいな話となってちょっとまたややこしくなる。
何にせよ、名言を引用した際に、その名言そのものの意味にくわえ、意識したり無意識だったりにかかわらず「その名言が出てきた出典のストーリーや意味」が重層的に論じられる場合がある、と。
「村山談話」が二十年ぶりに話題に上がることが多くなったこの機に、同時期に指摘されたちょっとした閑話をば紹介させていただいた次第。
「村山談話」、実際に筆をとったライターは誰なんだろう?
ブレーンの文人や学者がいたのか、外務省あたりの官僚か…「杖るは信に如くは莫し」を引いた経緯なんかも含めて、別に糾弾するわけじゃないけど、歴史の証言として、「どこの誰が実際の文案(の基礎)をつくった、それにXXさんやXXさんが意見を入れた」という話は記録に残してほしいものだ。
それは今回の安倍談話や、60年の小泉談話もしかり。
…と思ったので、賞金つきで人力検索はてなに質問しました
戦後50年の村山談話&戦後60年の小泉談話の【中心的な起草者】を… - 人力検索はてな http://q.hatena.ne.jp/1438990033
お答えをご存知のかたはよろしく。
終戦の詔勅だって、関わった人の自慢話という経緯もあったようだけど、「私が●●という言葉を提案した」みたいな話が伝わっているのだから。
wikipedia:玉音放送
大まかな内容は内閣書記官長・迫水久常が作成し、8月9日以降に漢学者・川田瑞穂(内閣嘱託)が起草、さらに14日に安岡正篤(大東亜省顧問)が刪修して完成[7]し、同日の内に天皇の裁可があった。大臣副署は当時の内閣総理大臣・鈴木貫太郎以下16名。第7案まで議論された。
喫緊の間かつ極めて秘密裡に作業が行われたため、起草、正本の作成に充分な時間がなく、また詔書の内容を決める閣議において、戦争継続を求める一部の軍部の者によるクーデターを恐れた陸軍大臣・阿南惟幾が「戦局日ニ非(あらざる)ニシテ」の改訂を求め、「戦局必スシモ好転セス」に改められるなど、最終段階まで字句の修正が施された。