INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

本日、新日本vsノア対抗戦 abemaTVでPPV配信



WRESTLE KINGDOM「新日本プロレス vs プロレスリング ・ノア」
ペイパービュー

1月8日(土) 15:30 〜

放送終了後13日間視聴できます

詳細情報
奇跡の実現「新日本VSノア」!全世界独占生中継 ※販売開始は2021年11月21日(日)12:00~となります。



【10%OFF】プレミアム会員の登録はこちら

https://abema.tv/about/premium

本配信の視聴方法はこちら

https://help.abema.tv/hc/ja/articles/360045086291

TVでの視聴方法はこちら

https://help.abema.tv/hc/ja/articles/360045088511

今こそ見せよう、プロレスの力!
新日本プロレス横浜アリーナ大会「WRESTLEN KINGDOM」に、プロレスリング・ノア が殴り込み!
言わずと知れた業界No.1・新日本プロレスと、今や日の出の勢い「プロレスNo.1」を自負するプロレスリング ・ノアの対抗戦がまさかの実現!

ABEMA全世界独占生中継でお送りする、令和の奇跡「新日本VSノア」!
豪華すぎるカードも間も無く発表予定!


abema.tv

なぜ学校の非公然武装勢力のリーダーは「番長」と呼ばれるのか【創作系譜論】

togetter.com

というまとめの中で



まあ、その通りなんだけれども

じゃあ、そもそもなんであれは「番長」なのか。
ウィキペディアがある前は、このネタでぐだぐだ引っ張っていけた気がするのだが(笑)、そこは令和の便利さとせちがらさ。

律令官制における番長

古代の日本で番は交代制勤務の各勤務を意味する。現代語の当番の番である。律令制下の番長は、集団で一斉に交代する際の一つの集団の長で、様々な役職について番長が任命された。出土資料としては、陸奥国多賀城の跡から9世紀の軍団兵士の勤務に関わる番長を記した木簡が複数見つかった[1]。延喜式には左右の近衛府衛門府兵衛府(あわせて六衛府と言う)に数名の番長役が設けられていたことが記される。

キャラクター類型としての番長

20世紀の日本では、中学校や高等学校の不良少年の「リーダー格」を指す語とされる。これは元々の「番長」が武芸に秀でた護衛の統率者という性格の役職であったので、無頼の輩(≒アウトロー)の長ということで名づけられたものと思われる。あるいは、旧日本陸軍の「当番長」から派生した言葉とも云われている。少女の番長は「女番 / スケ番(スケバン)」と言う。一般的なイメージとしては、喧嘩に強いが仁義に篤く、子分の面倒をよく見、弱い者いじめを決して許さないといったもので、弊衣破帽、学ランに下駄履きというバンカラファッションのイメージもある。なお、番長たちのさらに上に君臨し、複数の学校を支配する大番長は「総番」(往々にして「番長連合」が組まれていたりする)、表には出ず陰で支配する番長は「影番」「裏番」と呼称されることがある。小学生以下の場合は、通常ガキ大将と呼ばれる。

しかし、現実における番長は1970年代には既に希少となっており、1980年代には既に時代遅れとなっていた。わずかにプロ野球選手の清原和博(「球界の番長」)及び三浦大輔(「ハマの番長」)や大相撲の千代大海龍二(「角界の番長」)やプロボクサーの宮崎亮(「浪速の番長」)及び多田悦子(「女番長」)、サッカー選手の大久保嘉人(「港の番長」)及び川澄奈穂美板野友美(「おしゃれ番長」)などのほか、白井良明(「ギター番長(ばんちょ)」)の渾名として痕跡をとどめるのみである。20世紀末からは、現実社会において番長という存在はほとんど見られず、不良行為に走る少年犯罪グループの存在の方が目立つ。近年では、リーダーシップを取れる人物、硬派の人物に対しての敬称として使われる場合も多く、マイナスイメージは薄れてきている。逆に、空威張り的な態度を軽蔑して、命名されることもある。

一方で漫画の世界では、その反動からか多種多様な「番長」が生み出されており、「番長漫画」とでも言うべきジャンルを作り上げた。前述の通り「番長」の言葉のマイナスイメージが薄らいでいるのも、「番長漫画」の世界においては現実に有り得ない「正義の番長」が登場し、活躍した事が影響している。現実において番長が時代遅れになる80年代以降においても、時代錯誤を指摘されながらも命脈を保ち、そのアナクロぶりを逆手に取ってギャグのネタとしても使われる事があった。

ja.wikipedia.org

すでに1980年代のメタギャグでは…

f:id:gryphon:20220108092323j:plain
「影の番長」とかは80年代も「まだいたの」「はずかしい」ネタ(優&美衣)

www.mangaz.com



しかしウィキペの説明は説明として、なぜその言葉がチョイスされたの??それはいつから?とかは全くわからない。
まさか江戸時代に、会津藩の藩校「日新館」に番長がいたとは思えない(不良サムライというのは江戸の旗本を中心におりましたが)。近代の学制以降でしょうけど。



ちなみに初出調べ・弐ノ型として知られる「青空文庫内検索」を仕掛けると、
www.aozora.gr.jp

時代劇・捕物帳の言葉としての「番長」のほか「一番長い」などの文章がヒットするので、該当を探す気にはなれませんでした(笑)
番長 site:www.aozora.gr.jp


しかし、番長は古い、ダサい、現実的でない……などと絶滅危惧種扱いされる一方で、例の強大過ぎる権限と強烈過ぎるキャラクターを持つ「非実在生徒会」のほうはなんとなく隆盛っぽい(一方でもちろんベタ扱いされるが)のだがら理不尽なもんです。

m-dojo.hatenadiary.com


この研究、まとめておいて良かったー-
m-dojo.hatenadiary.com
m-dojo.hatenadiary.com



とはいえ、学生がまだ働かないでいいという遊民的な身分である以上、つるんで暴力も含めた逸脱を集団で行う行為は無くなりはしないし、そういう漫画自体は生き残るし人気作も多い。

ひょっとしたら「番長」という言葉だけが、無くなりつつあるんでしょうかね…


【要望】そういうことで、自分ではその任に堪えられなかったが、

・学校でいばってる非公式のリーダーが「番長」という言葉で呼ばれるようになった理由
・その時期
・創作物ではどう扱われ、どういう系譜をたどってきたか……

などを、だれか調べたらおもしろかろうと思います。



【創作系譜論】 ※準タグです。この言葉でブログ内を検索すると関連記事が読めます

相撲の初場所前は「大相撲どすこい研」(BSP)と「大相撲がっぷり総見」(BSフジ)

今回はちょっと時間が重なっちゃうんだけどね


「大相撲がっぷり総見」(BSフジ)

2022年1月8日(土) 14:00~15:25
~令和四年幕開け!!初場所を百倍楽しく見る極意~
2021年は日本中がコロナに翻弄された1年だったが、角界照ノ富士に沸いた1年だった。
照ノ富士は関脇の地位で初場所を迎え、夏場所には大関、そして秋場所横綱と一年で登り詰め、昇進後は二場所続けて優勝。先の九州場所では白鵬の引退で一人横綱となった照ノ富士だったが、その重責を跳ね除け堂々の全勝優勝で一年を納めた。
今回は、九州場所の取り組みを振り返りながら、1月9日から始まる初場所の行方を朝日山親方が徹底分析する!
www.bsfuji.tv

「大相撲どすこい研」(BSP)

「徹底調査!初優勝のウラに○○あり!?」
初回放送日: 2022年1月8日

初優勝が現在6年連続で達成中の場所とは?初優勝の時は14日目に何かが起こる?45回も達成していても初めは大切?視聴者が選んだ「忘れられない初優勝」は果たして誰?

斬新なデータから大相撲の深~い世界をさらに掘り下げる番組。今回のテーマは「初優勝」。力士の誰もが目指す幕内最高優勝、だが実際に手にしたのは全体の1%。どんな努力を重ねたのか、それまでと何を変えたのか、初優勝したての力士や親方が明かす。年間6場所の中で初優勝が生まれやすい場所とは?新入幕から何場所目がチャンス?初優勝が多いのはどの番付から?様々な条件を探りながら次の場所で初優勝しそうな力士を大予想!

1月8日(土)午後3:00ほか 放送予定へ

www.nhk.jp


ロシア料理「ブリヌイ」が宇宙兄弟に登場。旨そうだが「これ冷えるとバラライカが許さない奴だ」とも思った。

宇宙兄弟」では少し前、ムッタたちを月から救出するための宇宙船が到着し兄弟が対面、まさに「宇宙兄弟」が実現した訳ですが、その救援隊(ロシアの宇宙船で来た)と共同生活を送る中で

f:id:gryphon:20220108031212j:plain
ロシア料理「ブリヌイ」が登場した宇宙兄弟381話

「ブリヌイ」来た! それがクレープ様のものだと初めて知った。

だが、「ブリヌイ」という食べ物の名称は知っている。

それは……

f:id:gryphon:20220108031858p:plain
バラライカは冷えたブリヌイを許さない ブラックラグーン

忠告だけしておく。私がこの世で我慢ならんものが二つある。
一つは冷えたブリヌイ、そして間抜けなKGB崩れのクソ野郎だ。
困ったものだ、そうだろう?
弾にだけは当たらんよう、頭は低く生きていけ。

taokasu.com


あとで「ブリヌイ」とはどんなものであるか調べようと思っていたが、諸事取り紛れるうちに年月だけが経ち、こうやって漫画の謎がマンガで解決される羽目になってしまった。
しかし、まだ実際には食べていないので、
味はどうなのか、
本当に冷えると我慢ならないのかなど
謎はまだ残っているのである。

猪木戦からバイオマンの敵役まで……「怪力無双」ストロング小林さんが逝去

アントニオ猪木氏と「昭和の巌流島」と呼ばれる名勝負を繰り広げたことで知られる元プロレスラーのストロング小林こと小林省三さんが死去していたことが分かった。81歳だった。

 近しい関係者によれば小林さんは昨年末に都内の病院で亡くなった。死因は不明だという。
(略)
新日本プロレス、WWWFなどで活躍し84年に引退。引退後は「ストロング金剛」の芸名でタレントとしても活躍。芸能活動引退後は脊髄損傷の重傷を負い、数年前から寝たきりの生活を送って

www.tokyo-sports.co.jp

意外と言えば意外なのかもしれないけど、自分はストロング小林の戦う姿を実際に見たという記憶がない。
ちょっと自分でも不思議に思って再確認してみたけど、なるほどブッチャーの移籍やタイガーマスク登場、維新軍の叛逆、国際はぐれ軍団の悪役人気、 IWGP創設…… などで盛り上がり、新しいちびっこ視聴者がついたあのボリュームゾーンの時代のほんの少し前に、腰痛からセミリタイアしていたんだな。

ただ、その当時はプロレスを見るということは、まだ力道山から続いていた日本プロレス史を最初からおさらいすることが十分可能だった時代である。プロレスと言ったってコンテンツの絶対量がそれほどでもなかったから、おなじみ梶原一騎や桜井康夫の読み物、雑誌が繰り返し語る企画記事などを含めて猪木や馬場の「過去」も…まだ当時では10年程度しか経っていない話だ…十分知ることができた。

ストロング小林vsアントニオ猪木、昭和の巌流島 プロレススーパースター列伝 

その時に必ず「アントニオ猪木ストロング小林、昭和巌流島」の一戦は語られていた。
国際プロレスを離脱し、日本一を決めようとストロング小林が猪木に挑戦(ジャイアント馬場は「逃げた」とされた)、パワー殺法で追い詰めたが「血染めのジャーマン」によって劇的勝利した……。

この神話は飽きるほど語られ、見てない私でも十分にお話を知っているのであります(笑)。

(略)…療養中の猪木氏はコメントを発表。

ストロング小林選手のご冥福を心よりお祈り致します。小林選手との一戦は『昭和の巌流島』と呼ばれ、入り切れないほどの多くの観衆に観ていただきました。小林選手もこの試合を人生最高の試合と言ってくれ、私も格別な思いがあります。お互い、若くベストな時に勝負ができたことが走馬灯のように思い出されます。ストロング小林選手、ありがとう」
https://news.yahoo.co.jp/articles/45acf8acde6039b080784ea4995ad4487e80d800news.yahoo.co.jp

【追記】この試合が無料配信された。(2022年1月現在)


ん-と、新日本プロレスワールドが無料配信のときでも、はてなからの直リンクはできないようだね?上に埋め込んだツイートからのリンクでどうぞ
https://njpwworld.com/p/s_series_00003_1_1



あと、こっちはめちゃくちゃ細かい話で、当然これも見てるわけないけど「日本人初の覆面レスラーは実はストロング小林。デビュー当時『覆面太郎』を名乗り、負けたら覆面を取るというのを売りにしていたが結局無敗のまま自らマスクを脱いだ」という小ネタも、「プロレスものしり百科」的な本でお馴染みの知識でした(笑)。


そういう雑誌記事の「最新情報」として、彼は腰を痛めて戦線離脱し、映画俳優としてその役名を逆に芸名として「ストロング金剛」になったという話もどこかで聞いて納得していたんだな。

さらにこれ Wikipedia で読んで思い出したんだけど、一時、「国際はぐれ軍団」と結託、場外で猪木を押さえつけ、卑怯未練なラッシャー木村アニマル浜口が、我らがアントニオ猪木の髪の毛をハサミで切るのを手伝う振る舞いをした……という一件もありました。どうもこの時期、復帰できるかできないか色々と模索があったけれど、最終的にはプロレスに戻るのを諦めた、ということだったらしいです。国際プロレスの面々とは本当だったらわだかまりもあったかもしれないけど、案外現場的には「離脱するのもわかるよな」なんて同情や連帯感があったりしたかもしれない。そもそも小林、木村、浜口、寺西と善人揃いだしね ……。


ストロング小林のプロレスラーとしての位置づけを、そうやって実際に試合を見ないまま、文件的資料だけで語るんだけど、実はヨーロッパやアメリカでも結構高く評価されたポジションについていたのだから、ボディビルあがりと言うだけではない優れたプロレスセンスを身につけていたんだと思う。
ただそれでもやっぱり日本では、 どうもパワーそれ自体を売りにしたようなファイターはトップ中のトップにはなかなか立っていない…豊登もエースの座を保てなかったわけだし。
「ハラが減っても焼肉もくえん。やるだけソンだ!!」



そういう点で…国際プロレスを飛び出したのは直接的には人間関係などもあった(具体的にはグレート草津との確執)らしいんだけど、自分のブランドを乾坤一擲の大一番である「vsアントニオ猪木」に全額ベットし、もちろん負けと言う結果も受け入れて、その後、長年にわたり「猪木・坂口につぐ第三の男」という役どころに落ち着いたというのは、本人のポテンシャルから逆算して考えても、最高の選択だったんじゃないかな。

例えて言えば 「YouTube 」のような、頭角を現したインディ系の創業者が、その事業を「Google」に 売却したようなもので、確かにそのまま頑張って経営を続けていれば、 YouTube は独立企業としてもっと巨大になり、創業者も大きな富を手にしたかもしれない。だが巨大企業の一部となったことで、失敗リスクも回避し、富や地位でも十分なものを手にすることができた…プロレスラーとしての歩みは、それに近いような、幸せなものだったんじゃないだろうか。

もちろんアントニオ猪木は例によってエグいので(笑)「新日本第三の男」というレスラーを、ここぞという時にはうまく負け役に使った。
「あの小林がボコボコにやられた!この外人はつえーぞ…でもやっぱり猪木が仇をうってくれた!やっぱりアントニオ猪木は地上最強だ!!」みたいな仕事を彼にしてもらったわけが、それも込みでウィンウィンですよ。

ストロング小林vsハルク・ホーガン プロレススーパースター列伝 

【追記】文春オンライン記事をこの後読んだのだが、プロレススーパースター列伝でも描かれた小林vsホーガン戦は、やはり3分での負けという扱いに「気持ちが切れた」「尊厳を傷つけられた」と感じたとのこと

……小林さんの気持ちが切れたのは1980年、「超人」ハルク・ホーガンのテレビマッチの日本デビュー戦の相手をつとめたときのことである。小林さんはまったく自分の技を出せず一方的に攻められ、わずか4分足らずで3カウントを聞くことになった。

「確かに彼はアメリカで売り出し中の選手であったけれど、当時はまだプロレスを知らないグリーンボーイですよ。新日本からも何の説明もなくて、ああ、これがいまの自分の置かれた現実なんだなと思いました。もちろん、腰を痛めていたこともあって精彩を欠いていたのは自分でも分かっていました。でも、どうしても割り切れないところがあったんですね」

 圧倒的な勝利を飾ったホーガンは、たちまち新日本のリングにおけるトップ外国人選手となり、1982年には映画『ロッキー3』にも出演。アメリカンドリームを体現した。考えようによっては、ホーガンを格上げするには相手にも相応の「格」が必要であり、当時の新日本が小林さんを低く評価していたとは必ずしも言い切れないが、3分で試合終了となったことは「国際の元エース」の尊厳を…(略)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a999bae5ac3faf7b64eeb05c14b4312ce209c4ebnews.yahoo.co.jp


そして一般的には「風雲たけし城」となるのだろうけど、自分はそれを見てなかったんだよね。

そしてはっきり、自分が印象に残っているのは「超電子バイオマン」の敵幹部「モンスター」だった。
この時も「元プロレスラーで、恵まれた体格を生かして悪役をやってるんだな」という認識こみで見ていたはずだけど、ごく自然に溶け込んでいて、いわゆる「大男 総身に知恵が回りかね」的な、凶暴だけど間抜けなコメディリリーフでもあるという役どころを上手く演じていた。

でさ、観測範囲の問題もあるかと思いますが、「バイオマン」で戦隊シリーズの中でも屈指に面白かったと思うんですよ。と言うか、この辺から数シリーズ使って、色々実験した結果「うん、やっぱり戦隊シリーズはあんまりシリアスなのはよくねーよな…」となって、もう少し子供向け・コメディっぽいものが中止になったので、なんというかある一時代のスポーツカーのように「そういう傾向を好む人は、この時代のモノしかない」みたいな、そういう「シリアス時代の傑作」ですよネ、バイオマン


で、バイオマンの新基軸の一つとして「等身大の怪人が巨大化して怪獣になるんじゃなくて、巨大ロボの相手は単独の巨大敵ロボット(メカジャイガン)。等身大怪人は、5体のレギュラー怪人(ジューノイド五獣士)が繰り返し出撃する」というのがあった。

そしてさらに、戦隊シリーズお馴染みの「途中で敵がパワーアップし、ヒーローたちが窮地に陥る」という展開の中で、上記5獣士が3獣士に変わる…という展開がありましてね。
それは意図的にその5人を窮地に陥らせて、生き残ったやつらだけ強化する、という冷酷な計画で、5人のうち2人は自力で帰還したのだが、モンスター直属の部下みたいな「ジュウオウ」ふくめ3人は戻ってこられなかった。
しかしモンスターはそれを我慢できず、自らそのジュウオウの残骸を拾い集め、なんとか直してくれとボスに懇願、特例的にジュウオウも復活する……という、ちょっと細かいエピソードがあったんです。
この時のストロング小林の演技は、多分すごく印象的な名演技だったのだろう。なぜならこうやって覚えていて、ソラで語れるんだから(笑)


そんなストロング「金剛」も、最後にもう一度芸名も元に戻し「ストロング小林」として…寝たきりに近い状態となった最晩年(つい最近の話だ)に、思い直したような形で取材を受け入れ、現状を報告し思い出話をもう一度語ったあと、旅だってゆかれた。


激動の人生だったろうが、その存在感は、今の日本のプロレスの土台の、間違いなく大きな一部となっている。おつかれさまでした。

「政策の是非に関係なく、結果としてのコロナ増減で政権支持率は左右される」…かどうか。岸田政権の今後は

増加のスピード上昇
▽先月29日の感染確認は76人。一日の感染確認が50人を下回る日が、73日連続で止まりました。

▽30日は64人、▽31日の大みそかは先月・12月では最も多い78人。
いずれも50人を上回り、前の週の同じ曜日の2倍近くになりました。

年明けはさらに増加し、▽1日は79人、▽2日は84人、そして▽3日は103人で、去年10月8日以来、100人を上回りました。

3日は1週間前の月曜日の3倍近くで、都の担当者は「年末年始で増加のスピードが上がっていて、危機感を強めている」と話しています。
www3.nhk.or.jp


もう、この傾向は間違いなく当分続くだろう。
そこで、この前の仮説・・・・・・・・・
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今後、政権の支持率が、コロナ感染者の増加によってどれぐらい変化していくか。それは下落傾向となるのか。
もっとも、オミクロンで言われる「重症・死亡者数はあまり増えない」という部分も影響していくだろう。


そして、それは夏の参院選まで影響を及ぼすのか。逆に今までの事例でいうと、今度の「6波」は、ずっと夏までそのまま続くとは思えない。
一度下落して、その後どうなるのか……

まあ、とにもかくにも「コロナ感染者が増えれば、まずそれに連動して政権支持率が下がる」、って当たり前な気もするけど、その当たり前が起こるかどうかに注目を。

浅羽通明氏、15日にトークイベント(ゲスト)。配信もあり。「星ゼミ」は23、29、30日。

こんな情報。

どらねこ堂 渋谷へ…(=^ェ^=)
新年明けましておめでとうござい〼🎍
早速ながら来る01月15日午後、浅羽通明、於渋谷ロフトヘブンのイベント「ほぼ月刊#荒木と仲俣」にゲストとして出演。星新一等を若手在野研究者荒木優太氏、ベテラン編集者+ライター仲俣暁生氏と論じ〼。13:00〜15:00(開場12:30)アフター16:00迄。その後新宿御苑前ふるほんどらねこ堂へ移動‼︎
星新一プラグマティズム
出演:浅羽通明・荒木優太・司会:仲俣暁生
会場:150-0002 渋谷区渋谷2-12-13 B-1F
LOFT HEAVEN


《会場チケット》
●会場+配信付きチケット 前売¥2,000 / 当日¥2,200(+order)
●会場のみチケット 前売¥1,500 / 当日¥1,700(+order)
会場チケットは1/4(火)正午12時よりPeatixにて発売開始!!
《配信チケット》
本編¥1,500

  1. 延長戦アフタートーク¥500

配信チケットはキャスマーケットにて発売中!!
本編コチラ 延長戦アフタートークコチラ

ふるほんどらねこ堂アフターアフターは無料/物販多数
詳細はhttps://loft-prj.co.jp/schedule/heaven/202114にて。

日経、朝日以下各紙各誌に書評され増刷決定の『星新一の思想ー予見・冷笑・賢慮のひと』のコアは第7章にある。

千篇を超える膨大な数のショートショートからエッセイまで全作品を読み抜き、本人ですら自覚し得なかった「思想」を浮かび上がらせた本邦初の本格的作品論!

「商人としての小説家」星新一…。文学性などという自己欺瞞を徹底して退け、読者だけと真向かったエンターティナーだった星。その背後には、開拓期アメリカの精神で邁進した実業家父星一がいた。当時のアメリカ思想こそプラグマティズムである。在野研究者を名のる荒木優太氏の新刊は『転んでもいい主義のあゆみ――日本のプラグマティズム入門』(フィルムアート社)。そのプラグマティズムの日本に於ける受容と展開を詳論する。プラグマティズム浅羽通明も『ニセ・マ』以来注目してきた思想潮流。プラグマティズム語りは、昨今浅羽が実践する「店の問題」(©️松岡正剛)とも鋭く交錯せざるを得ない。エッジの効いた語りを、小正月のビット・バレーにて(=^ェ^=)


今月の星読ゼミは23日29日30日。課題は「経路」「うるさい上司」「その女」。『どこかの事件』(新潮文庫)所収です。@hoshiyomizrmi 参照のこと

トークイベント会場へのアクセス
www.loft-prj.co.jp




朝日新聞に載った「星新一の思想」書評
book.asahi.com



星読ゼミ日程。場所のA、B、Cは内容は同じ(スペースの関係で分散開催)だったはず。どこかとかは、説明がややこしいので、たぶん問い合わせ返信に詳細があるのだろう。




イベント主催する荒木優太氏のアカウント
twitter.com


「ふわふわ」を正し、じたばたしながら、「くよくよ」を守れ。
ポジティブになれない日本人のための試行錯誤論、
ここに見参!!

在野研究者・荒木優太が日本のプラグマティズム受容史を探索しながら「転んでもいい主義」をガイドする、待望の新刊!


試行錯誤は人間の最大の武器であるはずなのに、
今の日本には「可謬主義=転んでもいい主義」が足りない──!
「失敗すること」を日本人はどう考えてきたのか?
異様に前向きなアメリカ文化によって開拓されたプラグマティズム思想が日本でどのように受容されてきたのか(されてこなかったのか)、その歴史をたどりながら人間の生の営みのその根本へと手探りで進んでいく。

人生はクソゲー。だけど「七転び八起き」で生きていく勇気がわいてくる、
「八回目に起き上がるための」日本式プラグマティズム入門書。


プラグマティズムって……なに?

・間違ってもいいんだよ、人間だもの。
・習うより慣れろ。
・やってみなくっちゃ分からない!

……だいたいこんな感じのやつ。


もうどうなってもいいよと思うことがある。その失敗は君の財産になるんだよという行儀のいいアドバイスがとてもうるさく感じるときがある。絶対にそうしたほうがいいのにそれでも次の一歩が踏み出せないときがある。そんなときは失敗を正しく捉えるのではなく、捉え損ねた失敗の歴史なかで、それでもそれが歴史である──あるものはある──という事実をただ率直に認めることを本書は勧める。失敗を有効活用する成功の経済の手前で、残骸をただの残骸として眺めることを勧める。それは失敗から正解を引き出してくることに疲れてしまった我々の似姿のように見えるからだ。
ちゃんとオリジナルをコピーできているかどうか定かではない、不格好な日本のプラグマティズムはその目標にとってまさに格好の対象といって差し支えない。
(「序 八回目に起き上がるために」より)

【目次】
序 八回目に起き上がるために
もう起きたくなーい! |失敗は成功の母?|ポンコツイズムと自暴自棄|可謬主義に回収されないもの

第一章 プラグマティズムを大雑把に理解する
プラグマ御三家、きみに決めた! |テオリアvsプラクシス|パース、かわいそうな奴|名づけ親知らず|子供に《硬い》を教えるには|意味から真理へ|モテの永久機関|パースは共同体に開かれている|第三の男|みんなおいでよデューイ学校|御三家から学ぶ三つの教え

第二章 評論×プラグマティズム=田中王堂
日本初のプラグマティスト|師匠には触れない|vsクワッキー|驚くべきこともっとある|エッセイとクリティック|具体理想主義とはなにか?|漱石批判|テオリアは「見方」と訳すべし|具体理想主義と代議制|どちらも哲人主義|アメリカ哲学とは別の仕方で|タゴールに反駁す|味噌汁でパンを食うかのように

第三章 政経×プラグマティズム=石橋湛山
王堂先生、マジ、リスペクト|坊主とジャーナリスト|枝分かれする具体理想主義|電車独学術|無料よくない論|師匠よりもリベラルに|冷笑主義は許さない|象牙の塔としての評論|小日本主義とはなにか|格率ふたたび|資本は牡丹餅、土地は重箱|無力なプラグマティズム?

第四章 教育×プラグマティズム=田制佐重
謎めいた男|デューイに先行するシラー翻訳|巻尺としての人間|ソクラテスソフィスト|ソフィストの在野精神?|スコラは煩瑣|言葉の使用から考える|社会化された教育のために|ゲーリ学校|トルストイはプラグマティスト?|反革命の思想

第五章 スポーツ×プラグマティズム=三隅一成
動くものは動く|G・H・ミードとは?|未来を意識するからアガる|厄介なフィードバック|創発とはなにか|弁証法とは違う|ミードの現在主義|イヌ派の社会論|一般化された他者|行動科学は全体主義か?|労働者の技能を測定する|心だって測れる|プラグマ全体主義?

第六章 倫理×プラグマティズム=清水幾太郎
さらば、三隅野球団|挫折を経て出会うアメリカ|クレアタ・エト・クレアアンス|習慣とエス|習慣改善の技法|自己啓発との距離|習慣と慣習は違う|私のなかの能動面|ヴィトゲンシュタインと教育|子供から考える|戦後思想としてのプラグマティズム|精神的なものが最後のフロンティア|それってつまり侵略ですよね?|堕落するコモン・マン

第七章 『思想の科学』の周辺
古在由重に学ぶ|鶴見和子のデューイ批判|革命よりも離婚を狙え|断ち切れ、循環小数|コモン・マンと生活綴方運動|三段階だから似たようなもの?|人間魚雷で人生終わった|武将の血が流れている?|危険な意味|お願い桑原親分|デューイ芸術論|経験の拡張としての文学|共同研究を組織する|研究は楽しくてよい|多田道太郎とカイヨワ|ゲーミフィケーションとは|遊んでいるのか遊ばれているのか

第八章 哲学×プラグマティズム=鶴見俊輔
不良アコガレ|総理大臣の名前を貰う|マチガイ主義|敵性外国人として|パースの門|測りながら考える|マイナー固有名の群立|サークルの思想|思想の母胎|日本の地下水|三つの学風|煙仲間|攻撃としての書くこと|限界系|自我のくみかえ|時間のなかで変わりうる私|コミュニティのなかで変わりうる私|受け継がれた群れ群れ

終章 試行錯誤のアンチノミーのなかで
歴史から見出されるプラグマティズム|アメリカ限定?|演繹(トップダウン)と帰納(ボトムアップ)|こう仮定するとうまく説明できる|なんか似てる|アブダクティブなあゆみの果てに|試行錯誤の定立命題と反定立命題|誤ること/謝ること|そして測り知れない《私》へ

あとがき