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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

結婚は「仲良しの公認」か?…或いは『義兄弟』から、同性婚問題を考える。

同性婚をめぐる法律の話、何度もかいてきたけど、その考察の中で考えるに至った話を、今ブクマがにぎわう石埼学氏の論考に合わせて、もう一回まとめてみよう。

president.jp
この話、学ぶ事も多いし、これとほぼ同じ趣旨のツイートを深く考えてなかったか脊椎反射的に「差別」と認定した香山リカ氏や大学に電話抗議(嫌がらせ?)とかしてた人々は一体なんじゃらほい、と思うが、上の話は主要部分で異論もある。


そもそも結婚というのは、あとから法律(国家制度)が古い慣習、宗教的概念に対抗して営業をかけて割り込み、近代と「法」の範囲で帳尻合わせしたものだから、不整合や「そもそも何のためか」が分かんない部分も多いだろうな、ということを再確認したい。

結婚っていったい何だろう?(結婚するって本当ですか より)



ただし、その近代法制度によって、結婚すると実際に、以下のような権利及び義務を一括して得る。

https://www.dropbox.com/s/smt6kosxwfs3xc0/SHIMIZU_LegalConstruction.pdf の一覧


「なんのためにそうするか」で、石埼氏は裁判所の判決文を引用している。

昭和62年9月2日の最高裁大法廷判決は、「婚姻の本質は、両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯しんしな意思をもつて共同生活を営むこと」
 
令和4年6月20日大阪地方裁判所判決も現行法の婚姻を「男女が生涯続く安定した関係の下で、子を産み育てながら家族として共同生活を送り次世代に承継していく関係」

…と同時に、石埼論文は、今後の道筋についても明言している。

子育て以外にも「婚姻」や「家族」の意義はあるという考え

 
子どもを産み育てること以外に「婚姻」や「家族」の意義を見いだす見解も今日では説かれている。「独立した個人という理念そのものが非現実的で、達成しえない(私は、あえて“望ましくない”とさえ言おう)前提を土台にしていると言える」「依存状態とは、病的な避けるべきものでも、失敗の結果などであろうはずもなく、人類のあり方の自然なプロセスであり、本来、人の発達過程の一部である」(マーサ・A・ファインマン『ケアの絆 自律神話を超えて』岩波書店、2009年、28ページ)という人間観を基礎に「ケアの絆」の保護を唱える見解が代表的だ。

「ケアの絆に着目した保護や支援という考え方に基本的に賛同」する憲法学者もいる(例えば、斎藤笑美子「親密圏と『権利』の可能性」ジェンダー法学会編『講座ジェンダーと法 第4巻 ジェンダー法学が切り拓く展望』日本加除出版、2012年、86ページ)。血縁があろうがなかろうが、生殖可能性があろうがなかろうが、男女のカップルだろうが同性のカップルだろうが、もっといえばカップル以上の複数の人間の集まりだろうが、そこに「ケアの絆」があればそれを「婚姻」や「家族」として承認しようという見解である。

ここは非常に重要でねぇ。

自分も最近、この議論の中で使うボキャブラリーだが「仲良しの公認」と、結婚の間、というのを考えると色々見えてくるわけです。

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阿佐ヶ谷姉妹の生き方も、この一例になると言うてきたではないか。

www.huffingtonpost.jp


歌手の安田祥子さん・由紀さおりさん姉妹の"細かすぎる"モノマネなどで知られる、お笑いコンビ「阿佐ヶ谷姉妹」の渡辺江理子さん(以下「エリコ」)と木村美穂さん(以下「ミホ」)。

木村さんは渡辺さんを「お姉さん」と呼ぶ。いつもお揃いのピンクの衣装に身を包み、見た目もなんだか似ているふたりだが、実の姉妹ではない。

ともに40代半ばで未婚のふたりは、つい最近まで六畳一間のアパートで一緒に暮らし、今はお隣同士だ。

7月12日に共同生活をつづったエッセイ『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』が発売された。この本からは、ふたりが単に"仕事上の姉妹"という関係だけでなく、"家族"として関係を築いていることが伝わってくる。
(略)
―― なんかご夫婦の話を伺っているみたいです(笑)

エリコ 私たちは血の繋がりのない「疑似姉妹」ですけれど、ある意味、家族っぽいんでしょうね。それぞれの親から連絡があったりしても、「ミホさんどう? 元気? 変わりない?」とか言われたりします。ミホさんのお母さんはお母さんで、こちらを気遣ってくださったりとか。


(略)
※取材者のコメント

生き方が多様になる今、結婚を選ばない人が増えている。ふたりの暮らしは、結婚する以外の生き方を選んだ人が家族のありかたを模索する時、ちょっぴり勇気をくれるのではないだろうか。

それに自分は、こうブクマした

http://b.hatena.ne.jp/entry/368727947/comment/gryphon

以前から言っているし他のブクマでも指摘あるけど、異性婚夫婦に「自動パッケージ」で与えられる手術同意権などの権利は、むしろ個別に色々な人と結べるほうがいいのでは。そうすると問題は同性「婚」なのか、となる


そこで思想的補助線として「義兄弟(きょうだい)」が出てくる。

桃園の誓い 三国志 横山光輝 義兄弟(同性婚との違い、を考える)





※これは長い連ツイなので抜粋したが、冒頭クリックしてまとめ読みするのもいい。


ただ「義兄弟」も、だれがアニキ(アネキ)となり誰が弟(妹)なんだ、で揉めたり譲り合ったり、なんなりってのもある。
中村和尚のいうことは実に端的で、自分もこの話をずーーっと言ってはきてるんだが…

要は

・「結婚」すると、財産を相続したり、病院に面会できたり、治療方針をきめたり、何宗で葬式を出したりを決めるという、実務的な権利(それもかなり優先される)と義務がある。
・その権利が便利だから、それを得たい、与えたいという人には、その権利を与える、得られる制度が必要ではないか。
・それが「結婚(の拡大)」である必要も別にないだろう、と。(その区分として、生殖でも摘出推定でもいい、その有無を使うのも一つの定義ではある)

そもそも的にいえば、こっちのほうが「リベラル」だろう(笑)。「同性愛関係にある人間にしか夫婦並みの権利義務関係を適用しません」、より「同性愛関係にあってもなくても、皆さんの選択によって夫婦並みの権利義務関係を与えましょう」のほうが。
恐れることなかれ。それを認めても、明日もまた日は昇ります(NZ議員の同性婚賛成演説より)

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携帯電話でもだ、A社「同性カップルも『家族割』適用!」とB社「誰でも対象者を選んで、割引を適用!」なら、B社のほうがより多様性に配慮したリベラル企業になる、はずだが…
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法的・社会的サービスを相互に受けさせる対象を選ぶというスケルトン、服や肉を除いた骸骨部分を公(行政)は認定したほうが、それも広い範囲に・・・したほうがいいんじゃないか、これのほうが使い勝手がよく、しかも手の届く部分が広い。つまり結婚というカテゴリーに新しく同性カップルを加えるなら、逆にそういうスケルトンな関係に従来の「結婚」のほうを入れさせる(笑)
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こういう形で「家族」になれば、そもそも同性婚同性婚であるべき理由もなくなりましょう。いやそれでもそれを「結婚」とするなら、「いわゆる憲法24条の婚姻とは別でありつつ、そう呼ばれる制度」となりましょう。それでいいんなら、それでかまわんっちゃかまわん。というか、あとは呼び名の問題となる。
※つまり、上記のPDF画像の最後の項目をご覧ください。そこにある「純粋に「結婚したい」という感情の保障」というやつです



結婚とか、養子関係になることを抜いても、「家族」になる、ということだけを選べる…という制度を仮定する。(或いは旧来の義兄弟イメージをやはり適用してもいい)
進撃の巨人」にも出てきたなコレ(笑)


www.youtube.com
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp
note.com


じゃあそれは、「同性婚」(結婚)…ではないとしよう。義兄弟(きょうだい)も上下があろう。養子縁組も同様の問題がある。
これは、それらとは違う新制度だ、と考えるほうがすっきりするのではないか。
これは憲法24条には「両性」「夫婦」と書いてあるだのへちまだの、そういう議論を回避する効果もある。


これに対してシビルユニオンとかPACSとか、そんな名称もあることは知っているが、

ここで自分はそういう新名称として…「ナニカ」がいいんじゃないかなあ、と思いました。



綺麗にオチが付いたところでおしまい。

延長戦〜同性「婚」でないといけないならその区分は「性的関係(エロス)」か?

ブックマークには多数有益なコメントを頂いたが、このコメントは特に重要…というか本来は書かなきゃと思ってたことを疲れて省略した部分ずばりなので、引用して論じたい。

id:circled 三国志のやつは友愛だし、愛にはアガペーやエロスやフィリアがあるしと、議論が雑なのよ。愛の種類が複数あるのに、なんで同性愛を根拠に混ぜようとするのか?その根拠と正義はどこ?って話でもある。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/m-dojo.hatenadiary.com/entry/2023/02/19/131111

しかり、というか、上の話からさらに「それでも同性愛のパートナー同士の関係は、同性『婚』として、元は他人が家族になる”ナニカ制度(仮称)”とは別ものとして…特別に「憲法24条の『婚姻』」と同様に扱われねばならない」と仮定した場合、その区分として使われるものは何か、ということを考えてみると興味深い。


石埼学氏が婚姻を特別なものとして扱う根拠とした「生殖可能性」は使えない…それでも同性愛パートナーシップと婚姻を特に同一カテゴリーとするとしたら「性的な関係、あるいは(つまりは)『愛』によっての繋がりであること」を押し出すしかない、筈だ。

男 おれとカカアの馴れ初めなんざぁなぁ、こん畜生、仲人があって一緒になったんじゃねぇ、自慢じゃねぇがくっつきあいだ!!
 
幸兵衛 そんなことが自慢になるか!
 
男 おめぇじゃなくちゃいけねぇ、お前じゃなくちゃいけないと、好いて好かれて、好かれて好いて一緒ンなった仲でぇ。
(落語「小言幸兵衛」)

それで万事解決する?……いや、そうすると、「じゃあなんで惚れた腫れたを、国家が届け出を受けて管理する必要があるんですか」という難題が飛んでくるんだよ。
考えても見たまえ、結婚届はあるが、恋愛届はないでしょ。バレンタインデーの本命チョコを渡しました、受け取りましたというのを役所に正式に届ける必要がありますか。……あったら面白いかもな!そういうSFショートショートが一本書けそうだ(笑)


※なぜ地雷原からこのイラストを拾い上げた?


そもそも愛とか性のジャンルなんて、お上、公共、権力の眼から一番離しておきたいものなんじゃないか。愛も恋も、ほっとけば自然に発生するし、またほっとけば自然に一部は消滅するし…です。

「逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし」
「愛することに疲れたみたい 嫌いになったわけじゃない 部屋の灯はつけてゆくわ カギはいつものゲタ箱の中 ...」


では、なんで愛、性の範疇を国家に届けなきゃいけないか、といえば石埼的な論拠を受け入れれば、「摘出推定」を適用できて重宝になるわけです。
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なにしろ20世紀も大詰めになるまで、「DNA鑑定による親子認定」という新しい”魔法”は生まれなかった。
「母親になるのは事実である。父親になるのは、世論の結果である」という言葉を残したのはチャーチルだったか。

何しろ「この子は、確かに私の子です」という推定のよすがが無ければ「養育・教育」と「相続」という重大な案件が人間社会でワヤになる。

そこで結婚とそこにまつわる貞操義務が生まれ、それによって摘出が、まぁいろんな例外状態はあるにせよ(笑)推定できるということで人間社会はやってきた。
「『やればできる』は魔法の合言葉」とどっかのブラック経営者が言ったが、(この先、ちょっと面白い文章が続くのだがブログの品位を保つために削除した)。

この関連の記事も、思えばいろいろ書いてきたなァ。
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そして、同性婚だとこの「摘出推定のための婚姻(の国家への届け出)」が幸か不幸か考慮する必要が基本的には無い……ということを認めた上で、また考えなければならないのであります。


ひとつの突破口としては「愛とは神聖で美しくて、とても素晴らしいものなんです。だから偉大なる国家がポン!とそれを”認定”してくれることによって、それが神聖で美しいものであるという箔付けをしてほしい」という、「国家は結婚式の豪華ゲスト論」ですかね。
あるいは柳川次郎の花輪(※「男の星座」参照のこと)

男の星座 柳川次郎とケン玉

あるいは……オープンレターの署名欄的な(笑)


もちろん、結婚制度って愛や性が本当に無くてもかまわんちゃかまわんでしょ。愛なき結婚もあるだろうし、性なき結婚も……ただ「離婚要件」にはなるとかで、その辺から考えを巡らせると、またいろいろありましょう