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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「この子は本当に俺の子?」王も庶民も、過去に男が逃れられなかった疑念と悲劇〜井沢元彦「暗鬼」や豊臣秀頼の話

大ベストセラー(1〜10万VIEW以上)を次々出している出版社の「gryphonjapan・togetter出版」(という「ごっこ」意識がある) http://togetter.com/id/gryphonjapan の中では超人気作ではないのですが、じわじわと読む人が増えている…のが最新のまとめ

豊臣家と狐と陰陽師…そして秀吉と淀君と、秀頼の話 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/973692

自分は安倍晴明に代表される「陰陽師」のブームに関してかなり乗り遅れて、今でもあまり関心がないのが正直なところなんだけど、それでも「織田信長が忍者を畏れ、伊賀甲賀を弾圧した」的な意味で「秀吉vs陰陽師」という構図は、いろいろいじくれそうである。
信長vs忍者は、KOEIでなんとかっていうゲームになった。秀吉vs陰陽師もそうならないかね。


ただ、ここに関しては、もっと下世話なるテーマがある………

上のtogetterの後編部分に収録した話だ。


http://www.yamakawa.co.jp/product/detail/2090/

河原ノ者・非人・秀吉

河原ノ者・非人・秀吉

河原ノ者・非人・秀吉

価格:本体2,800円+税在庫: 在庫あり 解説:第66回 毎日出版文化賞(人文・社会部門)を受賞しました
社会の重要な役割を担いながらも,差別に耐え,誇りを持って生きてきた人びと。中世史の観点から差別の歴史を叙述。

だが、
ナニコレ…
 ↓

第十一章 秀頼の父
 一 疑い
 二 豊臣鶴松の場合
 三 拾(豊臣秀頼)の誕生
 補論一 秀吉実子説がある朝覚、石松丸、
       および養子金吾(小早川秀秋)らについて
 補論二 軍陣と側室 − 茶々の行動と名護屋
第十二章 秀吉と陰陽師
 一 声聞師陰陽師・舞々
 二 声聞師狩り、京・畿内からの追放

元ネタは、まじめな学術書。めちゃくちゃ大部の本ですぜ。
これに若手歴史学者ホープ磯田道史氏が反応してコラムを書いているので、一度紹介した記事から再録。

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150409/p4

gryphonjapan@gryphonjapan
本日の読売新聞磯田道史「古今あちこち」はヒジョーに下世話で面白い話(笑)をしている。「豊臣秀頼は、秀吉の実子なのか。」
実は、歴史上いつでも通用する法則がある。「その子の誕生日の十月十日前、ご夫婦は部屋を共にされましたか?」と…。秀頼誕生は、1593年8月29日。
ところが、その前年、1592年6月5日、秀吉は朝鮮出兵のため、肥前名護屋城に来てずっと滞在してるんや。いわば長期出張。簡単にいえば淀殿はこの時、名護屋に来てたのか。というか来てなきゃ、自動的に秀頼は…。

磯田氏はいう「淀が名護屋に来たならば当然、来たという記録が残っているはず。だがその記録が無い!確認できる資料は1つ、それも縁の薄い田舎侍の伝聞。太閤関連の記録係は、あの名ジャーナリスト太田牛一(「信長の忍び」にも登場)。淀殿名護屋に来たるという記録の『無い』ことで、自分(磯田氏)は「淀殿名護屋に来なかった」説をとる。太田牛一著の「太閤様軍記の内」に記述が無いのが致命的だ。そうなると自然と、1593年8月29日生まれの豊臣秀頼豊臣秀吉の子ではない、という結論に到達する。誰の子かは、詮索しないが…(談)」 

そこで井沢元彦の傑作歴史推理「暗鬼」を紹介するのだ。

そのtogetterに着けた自己コメント。

DNA鑑定の発明される前、「この子は俺の子かよ」という疑念の話は、権力者の後継争いにまつわると実に陰惨になる。井沢元彦の「暗鬼」という短編は、だれでも知ってる超有名戦国武将の、実際の歴史、行動ともうまく絡めた実に傑作でした。/そしてTの書いたAという架空歴史小説(アニメにもなった)は、この実子の問題が絡んできますよね。後半になって明かされるのでイニシャルトークですが…

暗鬼 (新潮文庫)

暗鬼 (新潮文庫)

ブログをやる前、過去に「暗鬼」を紹介した当方の文章が見つかったので、これも再録します

もともと彼がデビューしたのは江戸川乱歩賞受賞作「猿丸幻視空」でのミステリーの俊英としてのものである。彼は「歴史推理」「時代推理」を分けて定義している。歴史推理は史料などから、歴史の事実を探り当てる、「逆説の日本史」に繋がる作品(「忠臣蔵元禄十五念の反逆」「義経はここにいる」など)で、時代推理は歴史上の人物が探偵役となって活躍するもの(「信長推理帳」「ダビデの星の暗号(芥川龍之介が探偵役)」など)であるが、猿丸はその両方の合わせ技。

筆者の意見としては、歴史ミステリーは現在の事件とからめて書かねばいけないというお約束があるらしく(子供向けのSFでは、必ずロボットが出てくるようなものか?)、それで完成度が低くなりがちなことと、「逆説の」とネタが重なることが多いことが気になる(対話形で論述されて理解しやすくなることもあるが)ので、時代推理のほうを推薦したい。時代推理の良いところは、時代設定が過去なので現代を舞台にしたら科学捜査や、通信テクノロジーで解明できるるはずのトリックを、文字通り自分の頭だけで解決しなければならないところにある。

これは捕り物帳全てに共通することではあるが、時代推理の場合、探偵役は実在の有名人物だから、その人の特性や背景を謎にからめねばならない。そこが井沢はべらぼうに上手い。(信長なら、敵の多さやその権力、芥川はその古典教養を推理にからめている。その一つの頂点を極めたのが「暗鬼」(新潮文庫)だろう。これは時代推理というジャンルとは実は微妙に違う何と言うべきか、実際の歴史に沿いながらも「実は・・・だった」というジャンル――。「伝奇小説」という人もいるが……例の「影武者 徳川家康」や「帝都物語」のような、そういう小説の最高傑作だ。

表題作では「信長が今川義元の大軍を奇跡的な奇襲で撃破した」「家康が自分の子供達になぜか冷たかった」「しかし信長の命で処刑した長男の信康だけは生涯惜しんだ」という歴史の「事実」を、ある一つの虚構に沿ってそのまま組み込み、ものすごく説得力のある物語を作りあげた。そのリアリティ、巧みに張られた伏線、合理的な展開、そして驚くべきどんでん返しと、それによって今までの見方が全て逆転する鮮やかさ。そして人間のどうしようもない「業」をかんじさせるこの傑作、本来の探偵vs犯人という意味ではミステリーではないが、しかしそれでもこれを日本ミステリー短編の指折りの傑作と数えて何の異論も出まい。これに勝るとも劣らないのが同じ本に収録された「賢者の復讐」である。日本で最高の金と権力を持った太閤秀吉を、死ぬまで後悔させる復讐とはなにか。これを読めばミステリーのかなめが、トリックだけにあるのではないのが
よくわかるだろう(トリック自体は単純)。

同じく人間の業を見すえた、寓話的色彩の強いこの好短編、マジで教科書に採用すべきだと思う。他も好篇ばかりだが、この2つだけでも読む価値有り。


上ではイニシャルトークにしたけど、よく考えたら二転三転するのだから、最初の「一転」は紹介してもいいと思う。
上で書いた「TのA」は、「田中芳樹アルスラーン戦記」でした。


上のコマは

そして5巻が出てるでやんの。


アルスラーン戦記は「血統」にまつわる因縁をうまく使って、そこから「王の正統性(あるいは正当性)とは」という大きなテーマにはめ込んだ手腕も見事だったが、ストーリーとしての「実は……だった」というミステリーとしてもすごいもので、もともとミステリーでデビューした作者の全盛時の手腕が縦横に発揮されている。
そしてまた、一回転して、上の話に出てきた史実、歴史研究と接点ができている…似た構図になっている、というのがね(笑)。


そして王じゃなくても庶民でも、…仮にDNA検査が可能になっても、この問題は続く。

本日「DNA親子鑑定」判決。法の発想に無かった「DNA」を科学が生んだのだから、そりゃ混乱するわ。歴史よ、科学にひれ伏せ。 - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140717/p3

「DNA鑑定・親子関係裁判」最高裁で僅差判決…この裁判は「人類社会の常識が、科学で覆る」というSF的状況なのだ - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140718/p3



足利義満の子が、後小松天皇なのではないか?という疑惑(を、当事者たちは持っていたのでは、という説)

海音寺潮五郎氏も語っているが…

http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/taiheiki/jiten/ko2.html
後円融と義満の険悪な関係は誰もが知るところ…(略)…前年末に女子出産のため実家に里帰りしたまま、後円融からの度重なる呼び出しにもなぜかずるずると2ヶ月も帰参を遅らせていた寵妃の三条厳子がようやく宮中に帰って来た。後円融はさっそく厳子を寝所に呼び出したが、厳子は「急のお召しで袴や湯巻の用意ができませぬ」との理由で呼び出しを断った。これを聞いた後円融は激昂し、太刀を手に厳子の部屋に乗り込んで、峰打ちで厳子の背を激しく何度も打ちすえた。女官たちが後円融を必死に止め、その隙に厳子は流血の重傷を負ったまま実家へと運び出された。後円融は太刀を手に一室に閉じこもったが生母の仲子が駆けつけ酒をすすめて気持ちを落ち着かせ、その間に女官たちが太刀を取り上げてひとまず事態は落着した。

 それから間もない2月11日、後円融の寵妃・按察局が上皇の御所を追い出され、出家するという騒ぎがあった。あとで後円融自身が母・仲子に告白したところによれば「按察局が義満と密通している」と後円融に告げたものがあったためだという。先の厳子への暴行も含めてこうした宮中スキャンダルは京の人々の間に噂として広がり、しかも「義満が上皇丹波へ流すそうだ」とのまことしやかな風聞まで飛び交い、これが後円融自身の耳にも入ってしまう。2月15日に義満からの使者として日野資康・広橋仲光の二人が上皇の御所へやって来ると、後円融はいよいよ自分が流刑にされると思いこみ、錯乱状態になって持仏堂にこもり「自害する」と騒ぎだした。ここでも生母の仲子が登場して後円融をなだめすかし、仲子はひとまず後円融を仙洞御所(小川殿)から移し、仲子の住む梅町殿へ連れ帰ることになった。
 このあとも後円融は二条良基ら義満に媚びる重臣たちを処分しない限りは御所には帰らないとわめきもしたが、結局2月末に義満が按察局とは何も関係がなかったことを誓う起誓文を提出して後円融の怒りをしずめ、3月3日の後円融の御所への帰還には義満が後円融の牛車に同乗して両者の和解を世間にアピールした。しかし世間の目には勝者と敗者は明らかであり、女性がらみのスキャンダル、しかも上皇の自殺未遂という前代未聞の事態もあって後円融の権威失墜ははなはだしいものがあった。

 直接言及する史料はないが、前後の状況から按察局のみならず厳子も義満との密通が疑われたのだろうと推測されている。義満の正室・日野業子はもともと後円融の後宮典侍として入っていた女性であったし、義満の側室にも後宮出身の女性は多い。このため厳子や按察局が義満と密通した可能性は高いと見られている。さらには想像を一歩進めて、厳子が生んだ後小松は実は義満の子だったのではないかとの疑惑の声も一部にある。後年義満がこの後小松の父親代わりをつとめること(晩年には自身の妻を後小松の公式の「准母」にまでした)、義満について「源氏物語」の光源氏に例える表現が公家たちの間で頻出すること(光源氏天皇の妃との不義の子を天皇にすえる)など、状況証拠は少なくない。さすがに歴史学者は直接的言及を避けているが、作家・海音寺潮五郎は史伝「悪人列伝」の義満の項でこの説を断定している…