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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

学問的にも検討されている「秀頼は秀吉の実子か」問題、「センゴク権兵衛」でも描かれる

直近のヤングマガジン3号から「センゴク権兵衛」を紹介します。

豊臣秀吉の子供が欲しい」と熱望する(愛ではなく、おのれの野心から)お茶々が、側近に示唆されて「子宝を得るために、お寺に『尾籠り』をしたい」と秀吉に応じて、認められる。
だが、その一連の描写が…

 

 


なんともね、…なんつうか、描写される”雰囲気”だけで、ただごとでないと分かる。そこは作者の力量なのだろうけど。

さて、雰囲気は伝わっても、やはりよくわからない、すっと理解できないという方のために、過去の記事を抜粋、紹介しましょう。

「この子は本当に俺の子?」王も庶民も、過去に男が逃れられなかった疑念と悲劇〜井沢元彦「暗鬼」や豊臣秀頼の話 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160512/p4

…ただ、ここに関しては、もっと下世話なるテーマがある………

(略)


http://www.yamakawa.co.jp/product/detail/2090/

河原ノ者・非人・秀吉

河原ノ者・非人・秀吉

河原ノ者・非人・秀吉

価格:本体2,800円+税在庫: 在庫あり 解説:第66回 毎日出版文化賞(人文・社会部門)を受賞しました
社会の重要な役割を担いながらも,差別に耐え,誇りを持って生きてきた人びと。中世史の観点から差別の歴史を叙述。

だが、
ナニコレ…
 ↓

第十一章 秀頼の父
 一 疑い
 二 豊臣鶴松の場合
 三 拾(豊臣秀頼)の誕生
 補論一 秀吉実子説がある朝覚、石松丸、
       および養子金吾(小早川秀秋)らについて
 補論二 軍陣と側室 − 茶々の行動と名護屋
第十二章 秀吉と陰陽師
 一 声聞師陰陽師・舞々
 二 声聞師狩り、京・畿内からの追放

元ネタは、まじめな学術書。めちゃくちゃ大部の本ですぜ。
これに若手歴史学者ホープ磯田道史氏が反応してコラムを書いているので、一度紹介した記事から再録。

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150409/p4

gryphonjapan@gryphonjapan
本日の読売新聞磯田道史「古今あちこち」はヒジョーに下世話で面白い話(笑)をしている。「豊臣秀頼は、秀吉の実子なのか。」
実は、歴史上いつでも通用する法則がある。「その子の誕生日の十月十日前、ご夫婦は部屋を共にされましたか?」と…。秀頼誕生は、1593年8月29日。
ところが、その前年、1592年6月5日、秀吉は朝鮮出兵のため、肥前名護屋城に来てずっと滞在してるんや。いわば長期出張。簡単にいえば淀殿はこの時、名護屋に来てたのか。というか来てなきゃ、自動的に秀頼は…。

磯田氏はいう「淀が名護屋に来たならば当然、来たという記録が残っているはず。だがその記録が無い!確認できる資料は1つ、それも縁の薄い田舎侍の伝聞。太閤関連の記録係は、あの名ジャーナリスト太田牛一(「信長の忍び」にも登場)。淀殿名護屋に来たるという記録の『無い』ことで、自分(磯田氏)は「淀殿名護屋に来なかった」説をとる。太田牛一著の「太閤様軍記の内」に記述が無いのが致命的だ。そうなると自然と、1593年8月29日生まれの豊臣秀頼豊臣秀吉の子ではない、という結論に到達する。誰の子かは、詮索しないが…(談)」 

その後の報告として、磯田道史氏の新聞コラムは単行本(新書)にまとめられ、より入手しやすくなったことを報告しておきます。

内容紹介
豊臣秀吉徳川家康が転機を迎えた「史上最強のパワースポット」とは。秀頼は本当に秀吉の子なのか。著者が発見した龍馬や西郷の書状の中身は。「昭和天皇を育てた男」の和歌集に秘められた思い――。当代随一の人気歴史家が、日本史の謎の数々に迫る。古文書の中から見えてくる、本当の歴史の面白さがここに!

おどろ
おどろ
しい。
…だがだが、さらにオカルトチックというか、「センゴク」に描かれたような、妖艶な話もある。

豊臣家と狐と陰陽師…そして秀吉と淀君と、秀頼の話 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/973692

自分は安倍晴明に代表される「陰陽師」のブームに関してかなり乗り遅れて、今でもあまり関心がないのが正直なところなんだけど、それでも「織田信長が忍者を畏れ、伊賀甲賀を弾圧した」的な意味で「秀吉vs陰陽師」という構図は、いろいろいじくれそうである。
信長vs忍者は、KOEIでなんとかっていうゲームになった。秀吉vs陰陽師もそうならないかね。

http://emiyosiki.hatenablog.com/entry/20121231/1356925654
 子ができない夫婦に、どのようにして子ができるのか。民俗事例でいえば参籠(さんろう)がある。
 子宝が授かるように神仏に願掛けをして、通夜参籠(おこもり)をする。
 毎日毎夜の読経三昧で宗教的な陶酔が頂点に達すると、妻が法悦を体験し、やがて子が授かった。
 参籠の場がしばしば男女交情の場になったと指摘している。
 どうしても子に恵まれない夫婦にも、いよいよのときは子が授かる仕組み・可能性が民間につくられていた。

 母子面会のひと月半後からは悲惨なばかりが続く。
 秀吉留守中に起きた不祥事に関して、唱門師(陰陽師)が追放された。
 これがこの先、数年に及ぶ唱門師大弾圧の始まりである。
 唱門師はシャーマンとして心理を操り、トランス状態を招くことができ、霊的処術が可能だった。いかがわしい魔術もあったかもしれない。
 発端は女房不祥事
 女たちは大坂城内の全員ではない。「若公ノ御袋家中女房衆」すなわち淀殿周辺にいる女房らだと明記している。

 唱門師追放の翌日からは淀殿付き女房の処刑が開始された。

なんとも、な話だが、近代人の目から当時の価値観を見ている偏見かもしれぬ。
当時、「嫡男がいない」というのは、(養子はもちろん可能とはいえ)家が絶え、秀吉にとっては、せっかく泥まみれ血まみれで握った日の本の「天下の権」が自分の命と共に雲散霧消するということだ。
それは、ちょっとした地方の名家でも同じこと。
さらにはDNA鑑定による親子の確認法もない時代(これが超超革命的な変化であることは、何度もこのブログの過去記事で述べた)。

通常の夫婦関係で子供がいないなら、通常ならざる関係で子供ができるのも、たとえば養子縁組的なものよりはまだましだ……みたいな感覚もあったの、かもしれない。



で描かれたような、アルスラーン戦記の、王子の「出生の秘密」にまつわる話も「貴種流離譚をひっくり返した」とか「テンプレの打破」とも評価され、確かにその意義も、作者の意図もあったのだろうけど、何か横溝正史的な、おどろおどろしい血縁や出生をめぐる説話が下敷きにあるような気もします。

ともあれ、最初に戻ると、まずこのあとゆるぎない事実として「豊臣秀頼」をお茶々は懐妊し、出産する。(あれ、今回で子供を産むとしたら、その前の夭折した「鶴松」のほうかな?たぶんそうだろう)
そして秀吉は、その子を溺愛する…。

その史実と、上の作品中の描かれ方はどのように結びつくのか。要注目です。



作者とのやりとり