太田牛一と織田信忠
・中央公論社「信長公記」に、このような記述があった。
著者の太田牛一は直接の織田信長の部下であった、非常に筆まめのメモ魔だった――ことも重要だが、何より公記は一貫して「因果応報、天道思想」―行いに、超自然的な報いがあるという思想で貫かれている。そういう思想の持主の上で奥付に「故意に削除したものや創作は一切ない。もしそれが嘘なら天罰を受ける」と断言していることが信憑性を高めている、という。
宗教的感性、超自然信仰が、信頼性の保証になるという逆説。
- 作者:和田 裕弘
- 発売日: 2019/08/20
- メディア: 新書
「信長公記」が思いのほか信用できるとするなら、出来過ぎのような気がするあの逸話も実話であろう…という考察を呉座勇一氏がしている。
…この逸話(斎藤道三が若き信長の器量を見抜いた)はいかにもでき過ぎで、作り話めいている。しかし『信長公記』に収録されているので軽々に退けられない。
周知のように、『信長公記』は織田信長の側近くに仕えた太田牛一の手になる信長の一代記である。信長が足利義昭を奉じて上洛の軍を起こした永禄11年(1568)から本能寺の変で命を落とす天正10年(1582)までの15年間を、1年1冊ずつまとめている。
牛一自身が奥書で「創作はしていない」と宣言しているように、『信長公記』は実録色の強い史料で、信頼性は高い。ただ問題は、前記の逸話が「首巻」に収録されている点である。
この「首巻」は上洛前の信長の事績をまとめたもので、『信長公記』の伝本の中には「首巻」を含まないものも複数存在する(「首巻」を伴う牛一の自筆本は確認されていない)。牛一自筆の池田本(岡山大学附属図書館池田家文庫所蔵『信長記』)の奥書には15帖(巻)にまとめたとの記述があり、首巻は後から付け加えられたと思われる。
事実を淡々と記している本編と異なり、首巻には物語的な面白い話が多く含まれている。私たちにとってなじみ深い信長のうつけ者エピソードのほとんどは、『信長公記』首巻に収録されている。
この相違は牛一の立場を反映していると考えられている。牛一が信長に近侍するようになったのは桶狭間の戦い前後のようなので、それ以前の信長の事績については伝聞情報に基づいて書いた可能性がある。聖徳寺の会見も、牛一が直接経験したわけではないだろう。全くの虚構とは思えないが、噂に尾ひれがついた恐れはある。
しかし歴史研究家の和田裕弘氏は、猪子兵介は後に信長に仕えているので、牛一は……
センゴクと大名復権、利休失脚、海外侵攻計画、秀長死去
・漫画「センゴク」は、間もなく終わりを見据えてる、とかいう話はどこへ行ったの、という展開。北条攻めと大名復帰で終了ではなく、信州小諸の城主になってからも描くのだそうだ。
今週号の解説。秀久は小諸で苛政を行ったという。近世化のインフラ整備で過重労働をさせたのは間違いなかろう。それ程、宿場町として栄えた。が、「苛政イメージは史料の誤読により強調されたものである」…という反論の論文が二十年前に出てるのだが知られていない。いずれ単行本付記にて紹介したい。 pic.twitter.com/Zn2no30EbA
— センゴク (@sengoku_YM) 2020年9月8日
次号予告。平山優先生曰く「依田氏は天正壬午の乱の一番のキーパーソン」。そんなカリスマ領主が治めていた土地に入る新領主の困難が予想される。 pic.twitter.com/tCx6Gsvimn
— センゴク (@sengoku_YM) 2020年9月5日
同時に、秀吉の海外侵攻、そしてカソリック教会と西洋強国との角逐、千利休失脚と切腹―――このへんを並行して描くらしい。まず最初は「大納言豊臣秀長死す」で(・・・・・・あとでまとめて記事にしたく)
今週号の解説。後世の伝聞史料ではあるが「看羊録」によれば三成は唐入り反対派。私見ながら鶴松存命の頃までは秀吉の唐入りの意欲も二転三転と翻る余地があったと思われる。但し秀吉への諫言は「すんなり通る時と、厳罰される時がある」。秀吉の意欲が失せるまで棚上げも策の一つ。…が正解は見えぬ。 pic.twitter.com/KD2S2SUIdE
— センゴク (@sengoku_YM) 2020年8月31日
信長のシェフと「教皇領寄進」
・ちょうど同時期の「信長のシェフ」では、信長と本願寺門主がお忍びで一対一の会談をして「九州では、ついに大名が領土をローマ教皇に寄進した」「なんですと‥‥!」「やつらの宗教的侵攻に対抗するためじゃ。和睦して石山を出てくれ」となっていた。教皇領寄進って戦国に実現してたんだな。それをうやむやに出来たのはまさにその後の日本統一権力の、実力あってのことだったろう
- 作者:梶川卓郎
- 発売日: 2020/11/16
- メディア: コミック
新九郎、奔る!と小領主の領土経営
・センゴク作者は「権兵衛の信州転封と支配開始は、あまり子細には描けない。それはゆうきまさみ先生の「新九郎、奔る!」を読んでくれ」という異例の勝手にコラボ(笑)。
ページの都合上ガッツリは描けませんが、「新九郎奔る!」の荏原編が新領主の大変さを緻密に描いてるのでそれで補完して下さい(卑怯ながら)。(宮) https://t.co/rcgJtswWYO
— センゴク (@sengoku_YM) 2020年9月6日
うん、実は「新九郎」がいま「戦国初期(応仁の乱前後)の小領主の領地支配と、その領地で起きる紛争及び収拾に至る過程」を描くという面白い試みをやっている。つまり「皇国の守護者」が、撤退戦を戦う一部隊に焦点や規模をしぼって面白くしたように、このスケールをあえて小さく、子細にした局地的な紛争勃発とその収拾、領国行政が面白いんよ(あとでまとめて記事にしたく)
本日発売の週刊スピリッツ、『新九郎、奔る!』第十八話載ってます。どうぞよろしくお願いいたします。 pic.twitter.com/8eh6WOxH3y
— ゆうき まさみ (@masyuuki) 2020年1月27日
公式にも「領地経営編」と言ってるみたい(笑)
公式サイトにももう載っていたので…
— 梧 彰 (@aogiriakirabook) 2020年8月31日
「新九郎、奔る!第5集」
10月12日頃発売!!
やったーーーー!!(≧∀≦)
こちらの写真は小学館さんから書店コミック担当に送られてくる冊子の案内でございます(POPとして使用可との事だったので添付しました)。#新九郎奔るhttps://t.co/pYAQXcHKKz pic.twitter.com/DPnAC4jB0k
信長の忍びと、戦国時代の海戦
・重野なおき「信長の忍び」では、鉄甲船の史上初の出現ともされる(諸説あり)、織田水軍と毛利水軍の本願寺補給線をめぐる河口での戦いをかなり詳しく描く。
たぶん、作者が面白がって、好きだから詳しくなったと思しい、かなり詳細な「当時の海上戦闘、艦隊戦のやり方」が武器とともに描写されていて面白かった。
本日ヤングアニマル発売日です。「信長の忍び」257・258話二本立てで載ってます。戦国最強の水軍・村上海賊が登場する第一次木津川の海戦の回です。織田家の誇る海賊大名・九鬼嘉隆も登場します。 #信長の忍び pic.twitter.com/aqk0oHTFEn
— 重野なおき@4コマ漫画家 (@shigeno_naoki) 2018年6月22日
これ2年前のツイートだから、他の同時進行のエピソードも書いてるとはいえ、すげえロングスパンだな…
- 作者:重野なおき
- 発売日: 2019/09/27
- メディア: コミック
- 作者:重野 なおき
- 発売日: 2020/09/29
- メディア: コミック
英雄たちの選択「朝倉義景」回。「戦国大名は別に天下を取りたいわけではない」
・英雄たちの選択「朝倉義景 信長を最も追い詰めた男」。本放送は終わったらしいが、再放送あり。いま話題になってる
togetter.com
[NHKBSプレミアム] 2020年09月16日 午前8:00 ~ 午前9:00 (60分)
戦国時代の越前・一乗谷に都さながらの都市を築いた大名・朝倉義景。その力を頼ってきたのが将軍候補・足利義昭。義景に軍を率いて上洛し幕府再興を助けるよう求めてくる。
エピソードへ
出演者ほか
【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】呉座勇一,真山仁,中野信子,【語り】松重豊詳細
織田信長が足利義昭を奉じて上洛し、天下人への道を歩み始めたことは有名だが、信長の前にそのチャンスを得た大名がいた。越前の国主で、一乗谷に都さながらの都市を築き繁栄を謳歌していた朝倉義景だ。義景は義昭に軍勢を率いて上洛するよう求められるが、みすみす好機を逃してしまう。その後は義昭を奉じる信長と対立、2度も信長を倒すチャンスを手に入れるが果たせず、ついに滅ぼされてしまう。義景失敗の理由を探ってゆく。
信長人気が不動のトップになったいま、そこから逆算して「じゃあ信長最強のライバルは?一番窮地に陥ったのは?」というスポットも確かに当たる。そして、その場合「それは朝倉義景だ」というのは、確かに間違った回答ではない。そして「才能はあったが、保守的で消極的すぎた」も、それでいいんじゃね?天才ではないけど普通だったんじゃね? と言われている昨今
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