最近、ちょっとびっくりした話のメモ。
先週分のヤンマガに掲載された(ヤングマガジン 2020年26号、2020年05月25日)んだけれども、この作品…。仙石権兵衛秀久という実在の武将を主人公にした『センゴク』シリーズは「北条が敗れる小田原戦役で一区切り」とも聞いていたが、「もうちょっとだけつづくんじゃ」で、この後の戦後処理や豊臣政権絶頂期後の権力闘争も描かれるそうな。
で、いわゆる宇都宮仕置、小田原のあとの戦後処理は北条家が潰れたり、徳川が関東に転封されるだけではなく……織田信長の次男で、徳川家康と組んで豊臣秀吉に一時対抗、小牧長久手の戦いで知られる(最終的に和睦)織田信雄が…
豊臣政権期の改易から晩年
天正18年(1590年)の小田原征伐にも従軍し、伊豆韮山城攻めから、小田原城包囲軍に転属し、武功をあげる。しかし、家康が関東へ国替えになった跡地の三河・遠江への転封を命じられ、父祖の地の尾張からの移動をいやがり拒否したことから、秀吉の怒りを買って改易される。改易されたのは7月13日とされる。7月14日から8月4日の間が正しいのではないかとの説もある[22]。また京都舘に天皇行幸啓のための「内府屋形」を建設中だったのを危険視されたとの説もある[23]。改易後は下野国烏山(一説に那須とも)に流罪となり、出家して常真と号した。
これも、一挿話としてけっこう有名なのだけど、たいていは「まあ信雄だからね、しかたないね」「転封を拒否しちゃなー」ぐらいの評価が普通だったのだけど、センゴクの評価はちょっと違う。
・織田信雄は外交官(取次)として優秀だった
・徳川家康、佐々成政が抵抗をやめ臣従する時に功績があった
・対北条外交でも活躍した
・外交で取次をした相手とは、ひとつの派閥を作る
・官位も内大臣と、秀吉に次いで高い
・もし秀吉が逝去したら、彼が旗頭になる恐れもあった
・それを、秀吉はおそれた___
という見立てだ。
これは、おどろきでした(続く)
※毎回の話ですが、この回は既に店頭の雑誌では読めないが「コミックDAYS」https://comic-days.com/会員ならまだ読めます
この前紹介した司馬遼太郎「覇王の家」では、
「「不覚人」といえば、旧織田家家臣団のなかでの信雄の異称のようなもののであった」
「他とまるでちがった政治的幻覚の中に生きていた」
「その能力はともかく、その所領はぼう大なもので」
「それにしても織田信雄の不覚人ぶりは、一通りではない」
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と……センゴク権兵衛への司馬遼太郎評を紹介したことあるけど、それに勝るとも劣らない2coldなディスのライムでリリックです(言葉の意味はテキトー)。
※仙石権兵衛秀久を司馬が評した話はこれ。
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実際、軍事指導者としての力量の不足ぶりはその小牧長久手で証明済みであり、また家康をほっぽっといての単独講和は外交で妙手だったとも言い難い。
しかし……今回のセンゴクで描かれた話も、またファクトなのである。
「取次で活躍したっていっても、織田信長の子という血統の七光りや無駄に高い官位が役立ったんだろ」
と言われるかもしれない。
しかし、そうであっても結果は結果でね。
ひょっとしたら、軍事外交は苦手でも、平時の外交には才能があったのかもしれない。
タレーランがナポレオンの才能がある必要、必ずしもないのだ。
足利義政も、以前は「足利幕府を滅ぼした無能の将軍」扱いだったけど「そもそも自前の武力も無い条件で、外交能力ひとつで、あらゆる勢力の利害を調整、諸問題を解決し『信長包囲網』を作った外交能力だけで、一代の英雄と言えるのではないか?」と最近は言われております。
しかも、このへんよく分からないんだけど、(友好関係を結んだ)大名と大名の「取次」役になった者は、単なる使いではなくその対象国の政治顧問、コンサルタント、アドバイザー、ロビイスト…的な役割を持ち、その国との派閥を、たしかに形成するものらしいんですね。実際、両国から領地を頂く慣習もあったとか??
「戦国大名の「外交」」にそんな話があったはず。
明智光秀が本能寺の変を興したのは、明智が取次役だった長曾我部と、織田が断交から武力衝突になりそうだったためで、それはすなわち明智自身の勢力沈下や、或いは失脚の危険まであった…とも言われたり。
もし織田信雄が、あのまま…あるいは転封を受け入れて、大大名としての地位を保ったままで秀吉の死を迎えたなら。
吉法師と名乗った物心つかない時代から秀吉が天下人であり、それを違和感なく受け入れた岐阜城主(名前忘れた)とは違い、関ヶ原に至るまでの過程で一方の旗頭となったのだろうか。
とはいえ、「そもそも外交の才があったのなら、秀吉の勘気に触れて改易にはなるまいよ」とも言えます。
センゴクは、もともと『動機』の部分で創造的な飛躍(逆に言えばフィクション)を構築するのにたけている。だから「秀吉は外交の才にたけた織田信雄を恐れ、排除したいがために『言いがかり』に近い形で改易をしたのだ」というそもそもが、どれぐらい専門家の主張などにあるのか、わかりません。
少なくとも自分は初めて聞いた話だった。
フィクションならフィクションで、これまたあっぱれであります。(了)
今週号の解説。「守るべきもの」が生まれたことで不安も生ず。織田信雄は「軽い神輿」。故に秀吉の死後に諸大名に担がれるやもしれぬ。そこにかつての臣下が、能舞台の「業を背負った怨霊の如く」現れる。「もし政権が斃れ鶴松が自分の業を背負うようなことになったらば…」その先見性故に不安も増す。 pic.twitter.com/EHsLGbspOJ
— センゴク (@sengoku_YM) May 18, 2020
今週号の解説。最終章は政局フェイズ。派閥だ何だとっつき難いと思う方もいるやもしれない(僕もそうだった)。がこの辺を知るようになると人生が豊かになる…とまで言わずとも「世の中何で正しい道に進まないのだ?」という悲嘆も「色々としがらみがあるのだなぁ」と知れば世を見る視点も変わってくる。 pic.twitter.com/heiqq40pfX
— センゴク (@sengoku_YM) May 25, 2020
今週号の解説2。地政で見る信雄の立ち位置。信長が重視しただけあって伊勢は経済拠点。信雄の持つ北伊勢は南下すれば東西要衝の大湊に到る。そこはかつての家臣の九鬼氏の統括(後の関ヶ原合戦ではここで伊勢湾を封鎖する)。秀吉としては信雄と家康との海路の連携を断ちたいというのもあろうか。(私見) pic.twitter.com/pY8mbldS2q
— センゴク (@sengoku_YM) May 26, 2020
今週号の解説3。織田信雄が配流された翌月、信雄は家康を頼って秀吉の許しを請い、秀吉の「勘気」は融和したもよう。(勘気による配流かも疑わしいが)信雄が出家したこともあり「もう…ええねや」ということで二年後には御伽衆として復帰する。本編で描く機会がなさそうなのでここに記しておきます。 pic.twitter.com/dARq7kWPtO
— センゴク (@sengoku_YM) May 27, 2020
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