忘れてしまわないうちにメモ的に記事をかいておこう。
今年の漫画のキャラクター全体を見ても、なぜか記憶に残ったのは伝聞描写の一コマのみで、一言の台詞もないこの「自称秀吉の弟」だった。「センゴク権兵衛」、ヤングマガジン平成30年1号掲載。
↓
この時、秀吉は権力を一身に集め、身分も「太政大臣」に就任。
残るは九州と関東、東北を服属させることだけ…だった(実は仙石権兵衛に任せた九州遠征軍が手ひどい敗戦をしているのだが)
そんな折に、突然「自分は弟でございます」と名乗り出た男に対して
となる。
いまは良くも悪くも「DNA鑑定」という文明の成果によって「こいつが自分の子?親?きょうだい?」かどうかは100%わかる。
そのことが革命的変化であることは何度も論じてきた。
「DNA鑑定・親子関係裁判」最高裁で僅差判決…この裁判は「人類社会の常識が、科学で覆る」というSF的状況なのだ - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140718/p3
本日「DNA親子鑑定」判決。法の発想に無かった「DNA」を科学が生んだのだから、そりゃ混乱するわ。歴史よ、科学にひれ伏せ。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140717/p3
「子供は本当にその父親の子か」、外からじゃ分からなかった時代が数千年。「分かる」時代の法制度とは… http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20131225/p4
それがない時代の「血縁」…。源頼朝が義経に京都方面軍を指揮させたように、また秀吉本人も豊臣秀長を柱と頼み、豊臣秀次がダメであっても引き立てたように、本来、弟がいれば1人でも欲しかったろう。
だが、一緒に生まれ育ったわけでも、まだ織田配下の一武将だったときにはせ参じたわけでもなく、本当に文字通り「位人臣を極め」たあとにのこのことやってきた「弟」、そりゃねえ‥‥(笑)
こう感慨を持つのも、けだし当然だろう。
「豊臣秀吉は、天下を取って人格が変わったのか?それとも以前からああいう素養があったのか?」という議題は、実はtwitter歴史クラスタの中でけっこう語られる話題で、とくに「司馬遼太郎史観」ではしばしば、天下を取る前の秀吉は魅力的だが、その後の秀吉はほとんど病気で人格が変化したのかと思わせるほど人が変わっている…というテーゼが描かれた。
Twitter クラスタはむしろ、いや秀吉というのは若い頃から、三英傑の中でも飛びぬけて恐ろしい感じの人だなと言われていて…だから「真田丸」の描写も非常に高く評価された。
なんでも三谷幸喜は「狂王ヘンリー」とかいう芝居を参考にしたらしいが…
この件について、作者がtwitterで語っている。
今週号の解説。権力は当然悪とみなされがち。が悪い人でなくとも周囲の環境がそうさせてく部分もある。権力者に感情移入できるのはの権力者のみ。誰にもわかってもらえない。能好きな秀吉はかつて栄華を誇った者達が蒙った呪いも知っている。良心を保とうと抗うも…権力について回る呪いが描けたらと。
— センゴク (@sengoku_YM) 2017年12月4日
フロイスの記述が元ネタですが、なにぶん彼の記述ですので真偽半々ぐらいに思って頂ければ。(宮) https://t.co/Njgj1MOx85
— センゴク (@sengoku_YM) 2017年12月5日
フロイスだったんですね!
— ドラドラまた会う日まで〜 (@doradora8510) 2017年12月5日
あの弟エピソードは初めて知りましたので勉強になりました🙇
ググってもどうしても秀長の事ばかりで、思わず質問させていただきました
元ネタ当たってみます
本当にありがとうございました
センゴク大ファンなので、これからもお身体に気をつけて頑張ってください🙇
フロイス日本史秀吉編Ⅰ十二章です。(宮) https://t.co/RLitzQp3mW
— センゴク (@sengoku_YM) 2017年12月6日
故郷の姉妹(とされる人達)を呼びだして亡き者にしたという記述もありますが、なにぶんフロイスの記述ですので話半分で。(宮) https://t.co/htoHUwsBVS
— センゴク (@sengoku_YM) 2017年12月6日
やはりそういう心持ちで描写されていらっしゃいましたか。
— ナリ @ 動画投稿済 (@garouspecial) 2017年12月9日
栄華を誇る描写でしたが、自分には何の嫌味もルサンチマンも感じず好意を抱いてしまう為政者でしたw ってか天一坊事件が秀吉時代にもあったのは記憶の彼方にありましたがこの時期だったとは……。
天一坊事件というのは存じませんでしたが古今東西ある話ですね。秀吉自体自称ご落胤ですしね。(宮) https://t.co/g8VFQY9nj7
— センゴク (@sengoku_YM) 2017年12月9日
平清盛・源頼朝にしろ武家政権のトップに君臨する者の背負う業ですね。 聚楽弟落書き事件・秀次事件と秀吉の残虐性はエスカレートしていきますね。
— まつばら じょうかん (@1LAS85yDuucnEFi) 2017年12月5日
中国毛利攻略の方面司令の時分ならいざ知らず、位人臣を極めてから「私は親族です」と言って来ても信用される筈もなく、甘い密を集りに来た輩としか見られないのも当然。権力を握った端からそういった輩が次から次へと来てしまうのも、仕方ない事かと。
— 鬼 (@onioni0033) 2017年12月4日
まさに大組織の頂点 秀吉ですね。しかも完全独裁組織なので、天下人の孤独も強烈。「出世はええが…」以降の秀吉のセリフがそれを物語ってます。 その権力の鉈を、ゴンが浴びるとなると「恐怖」の一言しかありません。
— ベルベット (@v_revolver_rock) 2017年12月4日
いきなりカリスマにされてしまったミュージシャンがライブで神になり、直後に宿に帰り孤独に眠る、のギャップの繰り返しに耐えられず自らを追いこむ方向に進んでしまったり、普通の感覚じゃないのだと想像します。(宮) https://t.co/1YptBXkDq9
— センゴク (@sengoku_YM) 2017年12月5日
該当記述は、フロイス日本史秀吉編Ⅰ十二章。
ルイス・フロイスの「日本史」ネットに全文とかないかなー、と思ったけどなかったですよ(笑)
とにかく、この挿話は「センゴク」でもほんの1、2ページしかない枝葉の挿話であり、この自称「秀吉の弟」も歴史上、なんの影響を与えたかもわからない「歴史の脇役」である。
だけれども、史料からこの男を呼び出し、権力を極めた秀吉の変化を象徴させた作者の手腕も含め不思議なほど印象的だった。
逆に、一人称をこの男にして、この男の視点から見たらどうだろう。
もちろん「ニセ兄弟」を前提にして
「弟よ!と歓迎されて、大権力者の懐で栄耀栄華を極められるか、詐欺師め!と打ち首になるか……一世一代の大勝負!!!! あちゃー、やっぱりダメだったか……」
ただ、そんな人生のすべて番を賭けた大勝負に臨み、敗れたとしても「歴史上の一瞬の脇役」の地位を得て、優れた漫画家に漫画のキャラとして描かれた(笑)この男、平々凡々と日々を送り、歴史の脇役にもなり得ないだろう大多数の人間の一人として、……なにかふと、思うところもある。
この人を主人公にちょっと長く描くとしたら、みなもと太郎が描いたモーリス・ベニョヴスキーのようになるかな…