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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

石川数正の出奔を、司馬遼太郎はこうノリノリで描いている(覇王の家)

NHKプラスで無料配信中

どうする家康(33)裏切り者

8/27(日) 午後8:00-午後8:45
配信期限 :9/3(日) 午後8:44 まで
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023082715562


家康(松本潤)は小牧長久手で秀吉(ムロツヨシ)に大勝。しかし秀吉は織田信雄(浜野謙太)を抱き込んで和議を迫り、さらに人質を求めてくる。その上、秀吉が関白に叙せられたという知らせが浜松に届き、家康は名代として数正(松重豊)を大坂城へ送る。そこで数正は、改めて秀吉の恐ろしさを痛感。徳川を苦しめる真田昌幸佐藤浩市)の裏にも秀吉の影を感じた数正は、決死の進言をするが、家康の秀吉に対する憎しみは深く――。

史実に基づくドラマは、どうしても大筋はネタバレなんだけど、これは教科書に載るような出来事ではないから、今回のドラマ放送で初めて知って衝撃を受けた人も多いでしょう。
何しろミニコーナーのナレーションも担当する(メタ言うな)徳川の重鎮。それが、外交交渉の使者を務めるうちに篭絡され?豊臣秀吉の元に奔ったというのだから。



さて、この場面は司馬遼太郎が描く徳川家康伝「覇王の家」でも描かれている。
それも司馬の筆はノーリノリ。
なにしろ大阪生まれの大阪育ち、書いてる戦国ものはたいていうっすら豊臣びいき…の御仁だ。(笑)

しかも、覇王の家の基本コンセプトは「家康が天下を取った基盤は、中世的郎党関係を色濃く残す三河かたぎ。それは経済的な合理性によって育った尾張や京より忠義や節義に満ち溢れているが、異分子を敵視し排除する傾向がある。それがのちに300年権力を握り続けたため、日本社会の背骨を形作ってしまった」というものだからなあ。

その視点で書く石川数正出奔。
それは、こう描写される………

……家康といえども知らなかったのは、三河衆のなかにおける数正という世間広い人物が持った孤独というものであるにちがいない。というより、三河衆は、数正が世間広い感覚をもっているがゆえに、ただそれだけで猜疑し、
「誑かされておるわ」
と、ただちに、数正が秀吉に内通しているものとうけとり、数正の言動のひとつひとつをその目で見るというおそるべき作業を集団でやりはじめた。三河衆はなるほど諸国には類のないほどに統一がとれていたが、それだけに閉鎖的であり、外来の風を警戒し、そういう外からのにおいをもつ者に対しては矮小な想像力をはたらかせて裏切者ーーというよりは魔物ーーといったふうな農民社会そのものの印象をもった。
この集団が、のちにさまざまな風の吹きまわしで天下の権をにぎったとき、日本国そのものを三河的世界として観じ、外国との接触をおそれ、唐物を警戒し、切支丹を魔物と見、世界史的な大航海時代のなかにあって、外来文化のすべてを拒否するという怪奇としか言いようのない政治方針を打ちだしたのは、基底としてそういう心理構造が存在し、それによるものであった。
石川数正というこの徳川的閉鎖体制の犠牲者は、徳川時代を通じて、形と規模を変えたものながら無数に出た。ひとびとの外にむかっての好奇心を天下の法によって禁圧し、それに触れた多くの科学者やあたらしい思想家を殺したり、流したりした。
数正は、これ以上この三河衆の世界に居ればどういう疑いをうけ、どういう破滅を見るかもしれないと思い、いわば居たたまれずに出奔を決意したのであろう。
(504P)

司馬遼太郎「覇王の家」 石川和正出奔の描写


…うむ、こんな孤独を感じては、グルメどころではないではないか(笑)
まあ、どこまでこの見立てが正しいかはともかく、日本社会の、たとえば学校の教室や職場で起こり得る情景を思い浮かべやすいことは間違いない。
大河ドラマの今回の書き方はまた違ってくるだろうけど、だからこそ読み比べ見比べが面白いわけです。

徳川三百年――戦国時代の騒乱を平らげ、長期政権(覇王の家)の礎を隷属忍従と徹底した模倣のうちに築き上げた徳川家康三河松平家の後継ぎとして生まれながら、隣国今川家の人質となって幼少時を送り、当主になってからは甲斐、相模の脅威に晒されつつ、卓抜した政治力で地歩を固めて行く。おりしも同盟関係にあった信長は、本能寺の変で急逝。秀吉が天下を取ろうとしていた……。 ※当電子版は『覇王の家』(上)(下)の全二巻をまとめた合本版です。