「どうする家康」そして少し前の「おんな城主直虎」で、ある意味再評価されたキャラクター。
Eテレ「知恵泉」でも特集され、再放送です(てか配信も今やってる)
「今川氏真の生き残り術 華麗なる転身 再び表舞台へ」
再放送 12月14日(木) 午後1:30>
桶狭間の戦いで父を失い領土も奪われた今川氏真。北条・徳川・織田とわたりあい、戦国大名として復活をとげていく。名門ならではの教養を生かし、徳川家の中で重みを増していた新事実も。しかし豊臣秀吉の天下統一で旧領駿河を取り戻す道は閉ざされる。一転、京都の公家たちと親交を結び、独自のコネクションを構築する。これが今川家の子孫に活路を開く。「高家」として若年寄として、幕府内で活躍するその後の今川家の運命は。
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「戦国ちょっといい話・悪い話まとめ :」でも今川氏真のカテゴリあるんだけど]
Category[ 今川氏真 ] - 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ
たとえば上の蹴鞠話も紹介されている。
氏真の蹴鞠
2016年07月31日 19:30
今川氏真
21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/31(日) 19:14:33.69 id:dTisZ1jN
天正三年2月下旬、織田信長は岐阜を立ち、3月2日に上洛して、相国寺に滞在した。
同月16日、今川氏真が駿河より上洛して信長のもとに出仕し、千鳥の香炉、宗祇香炉などを進上した。その後信長は、氏真が蹴鞠の上手であると聞き、蹴鞠の興行を行ってそれを見物した。
氏真に対し、三条大納言父子、烏丸殿、藤の宰相殿、飛鳥井殿父子、広橋殿、五辻殿、庭田殿といった
蹴鞠において名のある錚々たる人々が入れ替わり立ち変わり挑戦したが、氏真の足さばきは、
どこで区切りがあるのかすらわからないものであった。
(甫庵信長記)今川氏真、信長の前で想像を絶する蹴鞠の実力を見せつけたらしい、というお話。
それはともかく、けっきょく敗れたり、家臣に天下の権を奪われた利した後の旧覇王の家の扱いは難しい。案外、完全に攻め滅ぼすという扱いはしにくいものだ、という話は「銀河英雄伝説」でも登場したし、実際にゴールデンバウム朝最後の女帝となった赤ちゃんは、保護者がたっぷりと年金を与えられておとなしく退位宣言書にサインしたものだった。
劉備の息子・劉禅や氏真はそうだったわけだけれども、
豊臣秀頼はそうせずに、滅びの道を選んだ。
まさかそういう資料は無いだろうけど、山岡荘八はその頑強な抵抗ぶりを、こう見立てたりしている。
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しかし、秀頼的な道を選ばなかった今川氏真・劉禅は、そのぶん歴史講談の中で「骨なしのヘタレバカ息子!」扱いをされている。どちらがいいのか、悪いのか…
天下 英雄の気 千秋尚お凛然
勢は三足の鼎を分ち
業は五シュ(金に朱)銭を復す
相をえては能く国を開き
児を生んでは象賢ならず
凄涼なり蜀の故妓
来たりて舞う魏官の前
ただ、氏家の生き方を見て、結果的には「長寿、夫婦仲円満、陰謀と戦乱に満ちた時代から距離を置く、食うに困らず趣味満喫、子孫は幕府の儀礼担当の重職」……これこそ理想じゃないか?周辺の織田、武田、北条、上杉などとくらべても最後の勝者じゃないか?……という見立ては、大河ドラマに先立ってSNSで見た気がするんだよね。
あー、ピクシブ大百科でも…
先述の通り、戦国大名としての今川家は没落したとはいえ今川氏自体は高家として存続はできたし、政略結婚とはいえ奥さんの早川殿とは夫婦円満だし、他の大名が血で血を洗う凄惨な戦いに明け暮れている中ずっと京都に滞在して大好きな歌会に参加しまくって「京都から離れたくないな〜」という歌まで残したり、挙句のはてに家康以上の長命を保って一年先んじた愛妻の後を追うように畳の上で死ぬと他の戦国大名と比較してもずっと充実した人生送っているように見えることから、「戦国最強の勝ち組」「戦国最強のリア充武将」と捉える人もそれなりにいる。
あと、そもそもでいえば、そもそもいきなり敵側に回って今川家崩壊の引き金を引いた家康が「氏真ちゃん、どーしてっかな?行くところもないのはかわいそうだよなー、悪いことしたなー……家屋敷与えて保護してやっか」と思わせたってことは、今回の「どうする家康」でも描かれた通り、今川家にとって家康は「人質」であったのは間違いないけど、「と同時に、味方につければ頼もしい三河の有力国衆の貴公子であり、ある意味で留学生であり、氏真の藩屛として期待してた存在」だったのだろうと思う。
そして氏真個人も、その幼き日の家康にとって、5歳上の彼にはやっぱりいい思い出があり、個人的には好印象の善人だったんじゃないだろうかね。というのは、家康が遠江や駿河を支配した時、その幼いころに意地悪された家には復讐した、というはなしがあるんでね。
※この記事は、その人にも言い分があるんじゃね?という珍しい記事。
mag.japaaan.com
だから、二代目社長とかにもありそうな話で、部下が”裏切って”独立起業して大発展、元の会社は倒産に追い込まれたけど、二代目社長本人は(その独立起業した元部下にとっては)邪気の無い親切な”善人”だったので、コンサルタント契約とか顧問に就任してもらって、生活の心配ないようにして、その元社長も自分の人脈を使ったりしてそれなりに役立つ…みたいなのは、企業小説などでもできそうなストーリーラインじゃないかな。
「中々に世をも人をも恨むまじ、時にあはぬを身の科にして」氏真
しかし、ほどがあんだろ(笑)↓
「ゴブリンスレイヤー」蝸牛くも幻のデビュー作!
コミカライズも同時期発売!第六天魔王・織田信長が桶狭間で討った今川義元。その義元の佩刀、「義元左文字」は「それを持つ者は天下を取る運命にある」という。
信長のいる京までその刀を届ける密命を徳川家康より授かったのは、義元の息子――大名としての今川家を滅ぼしたとされる天下御免の無用者、今川氏真であった。「己は駿河彦五郎。飛鳥井流と、新当流を少々」
今は彦五郎と名乗っている氏真は、和歌と蹴鞠を愛し、その妻、蔵春とともに京へと向かう。
その旅路を阻むは「甲賀金烏衆」。
剣風吹きすさぶ京への街道に剣聖直伝の彦五郎の剣が、鍔鳴る!
コメント欄雑談
流転
今川氏真の蹴鞠を信長が見たというはなしに関連して興味深い記録があります。「イエズス会がみた「日本国王」」(松本和也著吉川弘文館発行)という本に載っていたイエズス会日本通信の一節なのですが、それによると最初の謁見の約束は信長から一方的にキャンセルされてしまったのだそうです。事態を重く受け止めたイエズス会は手を尽くして調べたところ、信長は京の貴公子たちと蹴鞠をしていて捻挫してしまい、信長は自分の不体裁なことを他者に知られる事を大変嫌うのでこのことは秘密になっている・・・だとするなら信長は氏真に蹴鞠のコーチをしてもらったというのが真相なのでは・・・氏真とすれば駿河を奪還するバックアップをしてもらうためならコーchくらいお安い御用だったのでは・・・実際にその日に居合わせた宣教という公家の日記には氏真と信長は一緒に蹴鞠をしたきさrているようですし・・・
gryphon
イエズス会もホントに無駄な情報収集と記録の努力をしてくれてて、それが後世に役に立つんだから何が幸いかわかんないよなあ。明の皇帝やフィリピンの部族長の動向や言動とかも報告書に残ってるのかしら