横山秀夫原作の話題作「ロクヨン」のタイトルの由来は、宣伝されているとおり。
昭和天皇の崩御により、わずか7日で終わった昭和64(1989)年。その間に起き、迷宮入りとなった少女誘拐殺人事件、通称「ロクヨン
当たり前だが、昭和天皇の病気が重くなった1988年、崩御された1989年の様子を覚えていないという世代も多い。
ところで。
この前話題になったtogetterで、
ソ連からアメリカへ亡命し異文化に触れたベレンコ中尉の仰天っぷりが話題に「ブッ飛んでる」「これが当時の常識か」 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/972569
がある。
これは、突発的に異文化の国へ行った人のノンフィクションが、今人気の「異世界(転生)ファンタジー」「タイムスリップもの」のように読めるということで評判になり、おかげで当方の過去まとめ
「まるで異世界召喚」「内政チートや」…名著「ルワンダ中央銀行総裁日記」は「ライトノベル的に面白い」という切り口に反響 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/876831
なども再読されました。
で、上べれんこまとめ記事のコメントに、
儀狄@乙提督 @giteki 2日前
1986年、トヨタカップでステアウア・ブカレストが来日すると、栄養士から『絶対に譲れないこととして、毎食パンを付けてくれ。それから、毎日とは言わないができるだけ夕食には肉を加えてほしい』と言われた http://web.archive.org/web/20050305011430/http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/toyotacup/2004/column/200412/at00003161.html
というのが寄せられた。
ルーマニアだとね…というか、社会主義国なら普通こういう国威発揚のチームは、逆に不当に優遇されることもあるもんだがな。
にしても。
これは、今やサッカー門外漢の当方ですら知っている「トヨタカップ」の誕生、制作秘話だ。
——(略)……PSVとナシオナル・モンテビデオ(88年)では、確か昭和天皇崩御の直前でしたよね。当時の自粛ムード(※4)の中、やはり開催が危ぶまれたのではないですか?
「9月に突然倒れられて、それからずっとだったから。中止にするのか、延期にするのか、延々会議をしていたね。崩御のタイミングが前日だったら、キックオフ直前だったら、試合中だったら——といった感じで、11月の半ばくらいに危機管理マニュアルを作ったわけ。確かその年だけ、トヨタの看板が赤ではなく緑になっていたと思う。冠スポンサーとしても『やっぱり赤は使えないよね』って判断したんだろうね」
(※4)自粛ムード:1988年9月、発熱のため吹上御所で療養していた昭和天皇が、数回にわたって吐血したため、宮内庁によって公式に重体と発表される。その後、国内に自粛ムードが漂い、派手なイベントやテレビのお笑い番組は軒並み見合わされる事となった。翌年1月7日、昭和天皇が崩御。享年87歳。
■常にリスクとの戦いだった
——その危機管理マニュアルは、両クラブにはどのように伝えられたんでしょうか?
「試合前には必ずゼネラル・マネージャーズ・ミーティングというのがあって、UEFA、CONMEBOL、両クラブの監督、審判団、そして(主幹の)日本サッカー協会で、試合のさまざまなレギュレーションやセレモニーを確認をするんだ。たとえば試合前のフォトセッションのタイミングとか、トロフィーは誰が受け取るのかとか、MVPの選手は賞品のトヨタ車の前に立ってくれだとか、細かい取り決めをするわけ。
これは余談になるけど、大会が始まってしばらくの間、南米諸国では日本車の完成品を持って帰ることが禁止されていたのね。で、南米のチームが優勝したら、車を現金にして渡すという話もそこでしていたんだけど、第2回大会のMVPのジーコ(当時フラメンゴ)は『いいよ、僕、大統領に電話するから』って(笑)、彼だけは賞品の車を持って帰っていったの。だから今も、あの当時のセリカはブラジルで一台しかないはずだよ」——さすがはジーコ。やっぱりスケールが違いますよね(笑)
「話を戻すと、そのゼネラル・マネージャー・ミーティングで、もし天皇が崩御した場合には、選手は喪章を付けて試合前に1分間の黙とうをするという話になったんだけど、そこでPSVが『それはできない』って言ってきたわけ。つまりオランダでは、昭和天皇は戦犯だと認定されている、と。だからわれわれは、黙とうもしないし、喪章も付けないって主張していたね。結局、もし試合前に崩御となったら、ナシオナルだけが黙とうして、そのあとにPSVが入場するという段取りに、その時はなったけどね」
どうですか、このサッカー秘話。
そこから四半世紀を超えた年数が過ぎ、歴史はさらに歴史になった。
今後、オランダからの出場チームがこのようにふるまうかどうかはわからない…というか追悼される当事者はすでにこの世の人ではないので、再現しえないだろう。
だが、当時のオランダの雰囲気、それを思い出すことができる貴重なる回想だ。
このへんって、このインタビューはたいへん貴重ながら、もっと学問的なオーラル・ヒストリーの分野として証言を取ることもできるんじゃないかな?
主催者の「儀礼決定権」とは。
一般的に、催しの主催者や施設の管理者は、「ここでは被り物を取るように」とか「一礼してからお通りください」とその催しや施設の利用に対して儀礼を命じる権利があろう。
再掲載 裁判所は傍聴人に、たとえば「帽子を脱げ」と命じたり、起立、礼を強制するなどの「儀礼の強制」が存在している。 @Hideo_Ogura pic.twitter.com/uVCX3wXaXu
— gryphonjapan (@gryphonjapan) 2014年8月23日
言われた側は最終的には「そこに参加しない」「そこに入らない」という選択肢を持てる。
ただしその人の参加に価値がある場合は、こういうふうにギリギリのせめぎあいというのが出てくるのであろう。
さて、オバマの広島訪問はいかに(この場合、訪問のあれこれは両国の共同で意思を決定するもので、日本が主催者の位置には必ずしも立たないからちょっと違うのだが)