この記事読んだ。
「私はゲイです」文京区議がカミングアウト 死別したパートナーへの思い https://www.buzzfeed.com/jp/kazukiwatanabe/20170706
「(パートナーが)救急車で病院に運ばれたとき、集中治療室の前で生死もしらされずに待たされました」「葬儀でも(略)喪主になれませんでした。高齢の親戚が理解できないということで、私は親族席にもいられませんでした」https://t.co/YZxMWjVkMd @_gl_hfさんから
— アルテイシア@オクテ女子のための恋愛基礎 (@artesia59) 2017年7月7日
うん、ここに焦点が当たっているね。
「(パートナーが)救急車で病院に運ばれたとき、集中治療室の前で、生死もしらされずに待たされました。私は幸い、相手の両親と仲が良く、両親が『家族です』と言ってくれたので、面会謝絶にはなりませんでした。しかし、『単なる同居人』では面会できず、看取ることもできなかった」
「また、葬儀でも、配偶者なら喪主になれるが、喪主になれませんでした。高齢の親戚が理解できないということで、私は親族席にもいられませんでした。遺品も好意で引き渡してもらえましたが、そうでなければ何も手にできなかった。賃貸住宅も、相手方の名義なら、追い出される可能性もありました」
実に、残念な話である。
で、
はてブも多くのブクマがついているが、一方で当方はこう書いた
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.buzzfeed.com/jp/kazukiwatanabe/20170706
gryphon
これ、もっと普遍的に「病院面会権・手術同意権・遺産相続権…など、家族(夫婦)に認められる権利を家族以外にも与える制度」が必要、って話じゃないの? 親友とか親代わりの師匠とか色々あるでしょ
ああ、100字制限のなかで完璧に要点を述べてしまった(笑)。
以下蛇足だが、そもそもそういう話を、以前からずっとしている。きのうきょうこの問題を論じるおあにいさんとは、おあにいさんのできがちがうんでえ。
蛇足と言うか…過去の記事を再紹介する。
「婚姻制度」は一種の”パッケージ契約”。それは可能か?個別契約は不可能か?そもそも「公」に定めるべきか? - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150222/p3
要約・抜粋しようかと思ったが、いいや、ぜーんぶ再録しちゃえ!!
渋谷区の同性カップルに「結婚に相当」という証明書を出すという報道から続いて
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150218/k10015560981000.html
結婚するときに夫婦別姓を認めていない民法の規定が憲法に違反するかどうかが争われた裁判で、最高裁判所は15人の裁判官全員による大法廷で審理することを決めました。
夫婦別姓について最高裁が初めて憲法判断を示すものとみられます。民法の規定では、夫婦は結婚するときに夫か妻のどちらかの姓を選ばなければならないと定められています。
これについて、いわゆる「事実婚」などの男女5人が「同じ姓にしなければ婚姻届が受理されないのは、婚姻の自由などを保障した憲法に違反する」と主張して国に賠償を求める裁判を起こしていました。
1審と2審はいずれも「結婚した2人が別の姓にする権利が憲法で保障されているとは言えず、国会が夫婦別姓の実現に向けた立法を怠ったともいえない」などとして訴えを退けたため、原告側が上告していました。
そこで根本というか、以前から言われているちゃぶ台ひっくりかえしの話だが…
「結婚」とはそもそも何か。
「永遠の愛を誓う」だの「申す 七珍万宝投げ捨てて 身ひとつにて山を下りし みめうるわしき乙女なり いかーに」
「申す 雨露しのぐ屋根もなく 鈍感愚物のオノコなり それでもよければお入りください」
(「風立ちぬ」より)とか、そういうのはいいんだけど、もっと即物的にいうなら
●配偶者相続権(一)●税制・社会保障における優遇(二)●病気療養時などにおける権利・利益(三)●夫婦財産制(四)●パートナーシップ解消時の法的保護(五)●不法行為や犯罪による死亡時の損害賠償請求権など(六)●刑事法上の権利・利益(七)●性同一性障害特例法の非婚要件(八)●外国人パートナーの在留資格・帰化(九)●子を育てる権利(十)●その他家族法上の権利義務(十一)●住宅の確保(一)●勤務先からの手当支給,休暇取得など(二)●生命保険金の受取人指定など(三)●銀行取引など(四)●その他身近なサービス(五)
https://www.dropbox.com/s/smt6kosxwfs3xc0/SHIMIZU_LegalConstruction.pdfの契約を2者が結ぶ、ということにすぎない。そしてそれには国家の後ろ盾がつく、と。
逆にいうと、国家権力が
「あなたとあなたが、好き同士で一緒になることを『国に認定』してもらいたいなら、両人は、上の契約を一括して結ばなきゃいけませんよ?」
となり、さらに
「同性同士」「近親の間」「一人と複数の異性、あるいは複数同士」では、この契約はなぜか結べない、と……
しかっしですな。たとえば
「夫婦だからって自分が亡くなったら、配偶者に財産を相続してもらいたいとは思わないよ。その財産は前妻前夫の子供に…」なんて人もいるでしょう。実際の話、人生の最晩年に、配偶者に先立たれたもの同士が寂しい暮らしではなく、再び知り合って一緒にすごしたい、という話は昨今多くなりましたが、その時、子供たちから祝福されないことも多いのは、この問題があるからとも聞く。
「色で老人を喰う」裏稼業を描く戦慄の犯罪小説
- 作者: 黒川博行
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妻に先立たれた後期高齢者の耕造は、六十九歳の小夜子と同居しはじめるが、夏の暑い日に脳梗塞で倒れ、一命を取り留めるも重体に陥る。
だか、裏で小夜子は結婚相談所を経営する前科持ちの男、柏木と結託していた。
病院へ駆けつけた、耕造の娘である尚子、朋美は、小夜子の本性を次第に知ることとなる――。
結婚相談所の男と、結婚したパートナーと、死別を繰り返す女につきまとう黒い疑惑。
恐るべき“後妻業”の手口と実態。
「黒川節」炸裂、欲に首までつかった人々が奔走する。犯罪小説の手練れが、身近に忍び寄る新たな「悪」を見事に炙り出す。こんなんじゃないけど、「弁護士のくず」や「家裁の人」にもこの問題は出てきたはず。
あと、結婚は相互に貞操義務を民法上持つそうですけど「結婚はするが、貞操義務などを持ちたくない。なんでそんな義務がいるんだ」という人もいるそうで(笑)。そういうのは「オープン・マリッジ」といって、アメリカの大統領予備選でニュート・ギングリッチ候補が妻にそれを持ちかけたというのがスキャンダル視されてましたよ(笑)
http://www.afpbb.com/articles/-/2851971
共和党候補指名争いで重要なサウスカロライナ(South Carolina)州予備選を2日後に控えた19日、同党の指名獲得を目指すニュート・ギングリッチ(Newt Gingrich)元下院議長の元妻が、同氏からオープンマリッジ(夫婦が互いに婚姻外の性的関係を持つことを認める結婚)を要求されたと語ったインタビューが米ABCテレビで放送され、大きな波紋を広げている。
(略)
ギングリッチ氏と18年間にわたる結婚生活を送った2番目の妻、マリアン・ギングリッチ(Marianne Gingrich)さんはこのインタビューで、「彼からオープンマリッジを求められたが、私は拒否した」と述べた
これだって「多種多様な家庭のあり方」のひとつっちゃひとつじゃないかね。でさ、別姓の問題も含めて
上に挙げた「パッケージ契約」を、そもそもパッケージ契約で結ばなきゃいけない、という制度自体が、いわゆる「多様な生き方」を阻害してるんじゃないっすかね。・結婚はするけど、姓を同じにするというオプションは選ばないわー
・結婚はするけど、互いの財産の相続権はないってことでひとつ。
そんなふうに選んで「契約」すればいいし、ギャクにそういう「契約」を結べれば、それが同性間であろうと、近親間であろうと、一対複数、複数対複数であろうと結果的に実質上の「結婚」になる。でしょ?
それ以上の神聖な何ものか、権威や美意識としての何ものかとしての「結婚」を求める人は、そういう真善美の価値観を供給する本職である「教会」「神社」「ディズニーランド」のたぐいで供給してもらえばよろしい。
国家とはもっと無味乾燥に、上のような契約を制度として保証すればいいのだ。
…と、思うのですな。
くだくだ書いたが、端的に言うと「公としての『結婚制度』って必要なの?」という一文に集約される。ずっと前からこの議論というのはありまして、前も書いたが戦後間もなく、ある作家が偽悪を気取って「いまや貞節は時代遅れ。既婚者でもばんばん浮気していい」と書いたら、保守主義者福田恆存が、「君、そんな微温的なこといわず、よろしく乱婚制を主張したまえよ」とからかったことがあった。
また、岡田斗司夫氏も「結婚制度は時代遅れ」的なことを書いた。こちらはある意味実践した(笑)
だが、プレイボーイの言い訳?とかは別にして、上のような話…結婚という制度で、なんで包括パッケージ契約を結ぶんだ、という話はある意味、逆方向からの証明で……
「近代的な権利義務や選択の自由、契約の概念が出来る前から『結婚』という枠組みがあった。その伝統の枠組みを踏襲、包摂する形で民法は作られたから、本当に厳密に近代的な視点で見ると、わけわかんなくなる」
ということなんだと思いますね。
たとえば皆さん、本当に伝統や歴史を考えないまっさらな人間集団の社会の仕組みを一から考えられる権限があったとします。
「結婚制度」は今のような形にしますか?
同性婚や別姓、それを認めるかはいろいろありますが、やはり今のように、「婚姻を国家権力に届け出ると、パッケージの契約を自動的に両者が結ぶ」という制度をつくりますか?
http://togetter.com/li/531566
にも転載した、大屋雄裕氏の過去の文章だが婚姻とは『(1)共同体形成機能と(2)嫡出推定機能が混在した不純契約』と言っている。
かなりの長文で、前後関係も本来は必要なのでリンク先での全文閲覧を推奨。
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000122.html
(前略)・・・私自身は同性間の「婚姻」というのは筋の良いアイディアではないと思っている。何故なら、(日本法上の)婚姻は(1)共同体形成機能と(2)嫡出推定機能が混在した不純契約だから。同性間において(2)の機能は意味がないのだが、元々両者を結合させておく論理的必然性はなく、いわば悪質な抱き合わせ販売である。
従って(1)(2)を別々の契約類型として整理した上で、同性間だろうが多人数だろうが問題のない(1)を開放すれば良く、(2)は論理的に1対1の男女のあいだでしか成立しないのでそのような限定は維持すれば良い(生計をともにするつもりはないが特定の相手としか安定的な性的関係を持たないと決めた場合など、(2)のみを締結するパターンもあり得るだろう)。
私個人としては好いた女と所帯を持ちたいと思っているので(1)(2)をセットで購入する所存であるが、人様がどうするかはご自由ご勝手に決めれば良いと思う。つまり私は自由主義者であり、共同体の拘束を肯定するアメリカ流のcommunitarianでも日本のオヤジ保守でもないし、国家の役割を重視しているのでlibertarianでもない。まあold liberalとかtrue liberalとか呼びたまえ。(後略)
あ、自分の「結婚って結局、細かい権利の包括契約じゃないの?それを個別に選んで選択できないってのはOKなの?」
という疑問は、たぶんこの話がヒントだったんだろうな。
追記 東浩紀の憲法案
http://genron.blogos.com/d/%bf%b7%c6%fc%cb%dc%b9%f1%b7%fb%cb%a1%a5%b2%a5%f3%a5%ed%a5%f3%c1%f0%b0%c6%c1%b4%ca%b8
第二四条
基礎自治体は、住民の生存、生活、出産養育の支援および教育の実施など、地域共同体の運営と維持に関する事項について条例を制定し、その事務を行う。ただし、法律で国に授権された事項についてはそのかぎりではない。引用もとがちょっと今削除されているのだが、この理由について東氏は
現24条を削った理由「婚姻という極めて私的な関係を、国民および住民から国家へ与える制約である憲法に記述することが適切でないと考えた」
と語っていたのだという。
追記2 「みやきち日記」より
渋谷区の「同性パートナーシップ証明書」条例案についてずーっと考えてるんですけど。 - みやきち日記 http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20150228/p1
「賃貸物件の貸し主は、借り主(候補)が非親族同士であることを理由に入居を拒否してはならない」
「医療機関は、非親族であることを理由に面会を拒否してはならない」
……みたいな条例を作った方が、よりたくさんの人が恩恵を受けられるんじゃないの? むしろ、なぜそうしないの?
平等っていうのは…(略)「誰でもジェンダーや性的指向を問わず、また性愛関係の有無を問わず、住みたい人と一緒に暮らせ、会いたい人に最期に(または、最期じゃなくても病気のときに)会える」ということ……そっちを目指した方が、幸せになれる人の数が増えるんじゃないすか。
ほんと、即物的な議論としては「親子でも夫婦でもないけど、”具体的な権利”はそれらに準じるものを持つ関係」を認めればいいんじゃない?
「心から信頼しているXXXがいる。この人に手術の判断、葬式の取り仕切り、財産の分与、ビザ発給…など、家族や夫婦に準ずる権利を持ってほしい」という、そんな制度をつくる。
その中に、同性パートナーもいるかもしれない。ずっと自分や複数の法哲学者(はてなのパブリックエネミーを含む)が、同性婚とパラレルな関係だと指摘している「法では結婚を認められない、近親間のパートナー」「法では結婚を認めらられない、複数の妻や夫」などなども、ここにいるかもしれない。【友人同士、師匠と弟子、おじおばとめい、碁がたき、メル友…】がいる。
それって何か問題かね?
同性婚の議論が深まると同時に、複婚や近親婚がその議論の延長上にあるという認識も浸透してきた。 http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170503/p2
もし、国の制度がこういうものをつくれないなら、「渋谷区方式」でやったらどうかね?
この制度を何と呼べばいいかはしらぬ、仮に「ウルトラパートナー」とか「スペシャルリレーション」でも……なんだっていいんだよ、呼び名は「あんにゃもんにゃ」でも「あらばかべっそん」でも。
そういう関係、戸籍的には夫婦でも親子でも兄弟でもないけど、それに負けないぐらいの強いきずながあり、病院の面会や、葬儀の取り仕切りや、遺品の形見分けなど…一切を、そういう関係並みに扱ってほしい、と、そう希望する関係だという証明書を自治体が出し、各企業やら機関には、そう扱ってくれるよう「お願い」すると。
私は渋谷区条例の構想発表前から、ほぼ同じ制度の創設を主張したので、その制度の「思想的父」を自称している(自称しているだけで広がらないのは遺憾である)。
「自治体独自の同性パートナーシップ」の思想的父(俺)が上から目線で語る、この制度のアレコレ。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150806/p2
このように、2013年に区議に具体的提案をしたこともあったのだ
togetter.com
しかしこの思想的父は、たゆまぬ思索の末に、さらにこのように数歩先も進んでいるのである。
都民ファーストでもセカンドでもサードでもピッチャーでもよろしいが、どこぞで目玉政策にしたいといえば喜んで譲ってあげましょう、この「グリフォン条例」案を。