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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

同性婚裁判の話題に関連して、過去の論考を再掲載

まず、うちには「同性婚」に関する記事はやまほどある。「同性婚」で検索すると出てくる出てくる
時折リンク集も作ったりしてるが、それでも多すぎる・・・・・

それで、今回は過去のなかでもまとめっぽい文章をいくつか選んだ。




過去記事もリンクもちょっと多すぎるぐらい多いので、
意見を改めてここに簡単にまとめてみよう

同性婚の合法化には、実務的には何の問題もないと考える。決めてしまえば、それによって多くの人々が”夫婦関係”(この用語がそのまま使えるかどうかはともかく)を新たに結ぶことになるだろう。そこになんの「すべきでない」という価値観は感じないし、抵抗もない。


・ただし以下のような点に関しても申し上げたい


A:現行憲法の24条「結婚は両性の合意において成立し…」を「この条文は同性婚を禁止するものではない」という解釈は可能であろうし、「成立時は賛成も反対もなくそもそも『想定外だった』」というのが 真実だと思うが、「想定外だからこそ明文で改憲し、たとえば「両者」などの文面にすべきだ」という方が、<論のスジ>という点においては、 より勝っていると思う。(実際の政治上のハードルが、憲法改正から行うよりは、解釈の方が楽にやれるという政局論としては理解する)
補助材料として「独立行政委員会の合憲性」の議論を考えてほしいと思う。その存在と日本国憲法【第六十五条 行政権は、内閣に属する。】との整合性というのは長年議論になっていて「合憲」という解釈も多々あり、
独立行政委員会の合憲性について
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1503/gyouseiiinkai.html
そして何より現実として存在しているけど
「なんかいろいろ苦しくねーか」「そんな解釈論をぐだぐだこね回すならシンプルに、65条の文面を変えればいいんじゃね?」ともやっぱり思うわけですよ。




B: そもそもの「定義」として、結婚とは男女で行うものであり、 仮に結婚と同じような制度が男性ー男性、女性―女性の間に今後誕生したとしても、それは辞書的な定義としての『結婚』ではないではないか。たとえばいわゆる<シビルユニオン>でも何でもいいけど、そういうものは「結婚」と呼ぶべきではない、というのも<論のスジ>としては極めて真っ当なものだと思います。(結婚という制度に紛れ込ませる、というと悪いか、追加させる方がハードルが低いという政局論は、これまたわかる)


C:またこういう同性結婚を、たとえば宗教的側面から「認めない」あるいは「罪である」と定義することも、また自由でありましょう。豚肉たべたり酒飲んだり、ギャンブルしたりハエを殺すのだって「罪」と定義する宗教があるのだから、こればかりはいい悪いというより「しょうがない」といえる。


D:同時に、法哲学者の中でもよく議論されている「同性結婚を認めるべきだという議論の中身は、そのまま「近親結婚を認めるべきだ」「複数婚を認めるべきだ」という議論として成立する」という点が、個人的には一番興味あるし今後もこのブログ記事で追っていきたい(笑)。これもまた、同性婚推進派の方々が「現実の政局、政治動向としては誰も関心を持たない…あるいは反発を招くイッシューだから語らない」という戦略を取るの自体は「さもあろう」と理解するのです。しかし政局論と別の<論のスジ>の問題として、この件をどうか考えるのか、ひとりひとりに聞いてみたいのです。特に法哲学者と憲法学者と弁護士には、答える義務があると勝手に決めたい(笑)

現行憲法下で同性婚制度ができれば「憲法24条に基づく”婚姻”ではない、別の何か」になる

やはり、「両性」とか「夫婦」という言葉がネックで、両性や夫婦を男性と男性/女性と女性も含まれる、あるいは「第三の性」なども含むと解釈したりするのは難しい。
いや、当時としては「想定していない」であり、想定していない以上、禁止するという発想もなかった、というのは100%間違いないと思うんですよ。それ賛成。

聖書だってクルアーンだって、「輸血」という概念や「テレビ受像機」という概念は執筆者になかった……いや執筆者は全時代を見通す万能なる神だっけ?いやその設定はともかく、リアルには当時の執筆者は想定してなかった。だから輸血は「血を食べるな」に相当するか、とかテレビに映し出された画像は「偶像」なのかって言うても定義論でしかない。
あるいは、親子関係類推の話。あれを作った時に、DNAを分析すればだれでもいつでも、親子関係が100%判明する…という大前提がなかった。
だから、その前提が無い時代に定めた法制度は当時は合理的でも、いまは合理的ではない。めっちゃわかる。


で、あるが。
いや、だからこそ。
それを放置したまま、制度を作ると……

<「両性」など男女を想起させる文言を用いていることにも照らせば,同条は異性婚について定めたものであり,同性婚について定めるものではないと解するのが相当>

ならば、同性婚制度は、仮に成立しても「憲法24条に基づく”婚姻”ではない」という状態で生まれるのではないでしょうか。


それで何か困るか。
実際上は、たぶん困らない。

「雑煮と汁粉の平等」とは(たとえばなし)

ある食堂では、雑煮とお汁粉がメニューに並んでいた。
そこはもともと雑煮がメインメニューで、お汁粉はついでの添え物。
だがあるとき、お汁粉が権利意識に目覚めて声を上げた!(浦沢俊雄脚本かよ)
 
汁粉「私たちも雑煮との平等を!雑煮のほうが高い品質の餅を使っているのは許せない。自分らも同じ品質の餅を」
店主はリベラルな人だった。
「なるほどもっともだ。すぐそうしよう」
 
お汁粉 「器も雑煮のほうが豪華で、差を付けられています。同じ器を」
店主「了解した」
 
お汁粉「メニューにも同じ大きさの文字で書いてください」
店主「分かった」
  
お汁粉「というか我々も『雑煮』と呼んでください。『豆甘雑煮』でも可」
店主「えっ?・・・」

そもそも「(法的な)結婚」とは何かというと、さまざまな細かい権利が得られる「パッケージ契約」。しかし、それはなぜパッケージなの?「夫婦」にならないとなぜダメなの?


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即物的にいうなら

●配偶者相続権(一)●税制・社会保障における優遇(二)●病気療養時などにおける権利・利益(三)●夫婦財産制(四)●パートナーシップ解消時の法的保護(五)●不法行為や犯罪による死亡時の損害賠償請求権など(六)●刑事法上の権利・利益(七)●性同一性障害特例法の非婚要件(八)●外国人パートナーの在留資格帰化(九)●子を育てる権利(十)●その他家族法上の権利義務(十一)●住宅の確保(一)●勤務先からの手当支給,休暇取得など(二)●生命保険金の受取人指定など(三)●銀行取引など(四)●その他身近なサービス(五)
https://www.dropbox.com/s/smt6kosxwfs3xc0/SHIMIZU_LegalConstruction.pdf

の契約を2者が結ぶ、ということにすぎない。そしてそれには国家の後ろ盾がつく、と。逆にいうと、国家権力が
「あなたとあなたが、好き同士で一緒になることを『国に認定』してもらいたいなら、両人は、上の契約を一括して結ばなきゃいけませんよ?」

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「…(日本法上の)婚姻は(1)共同体形成機能と(2)嫡出推定機能が混在した不純契約だから。同性間において(2)の機能は意味がないのだが、元々両者を結合させておく論理的必然性はなく、いわば悪質な抱き合わせ販売である」(大屋雄裕

 
 

だから自分は、そういう「スケルトン」の部分を公は認定する。それを「結婚」と呼ぶかは、その人たちの定義次第とし、あるいは「教会」らの認定に任せる、という制度が理想的かと思う。同性婚も含め「そういう制度はあっていいと思う。だけどそれ『結婚』とは呼ばないんじゃない?」という定義の問題も重要です。

でさ、別姓の問題も含めて
上に挙げた「パッケージ契約」を、そもそもパッケージ契約で結ばなきゃいけない、という制度自体が、いわゆる「多様な生き方」を阻害してるんじゃないっすかね。

・結婚はするけど、姓を同じにするというオプションは選ばないわー
・結婚はするけど、互いの財産の相続権はないってことでひとつ。


そんなふうに選んで「契約」すればいいし、ギャクにそういう「契約」を結べれば、それが同性間であろうと、近親間であろうと、一対複数、複数対複数であろうと結果的に実質上の「結婚」になる。でしょ?


それ以上の神聖な何ものか、権威や美意識としての何ものかとしての「結婚」を求める人は、そういう真善美の価値観を供給する本職である「教会」「神社」「ディズニーランド」のたぐいで供給してもらえばよろしい。


国家とはもっと無味乾燥に、上のような契約を制度として保証すればいいのだ。

「結婚」という制度は、なぜなのかその正当性は一から吟味されないまま、両者が相互にこれらの権利(義務)を『一括して』与えるようになっている。バラ売り、なぜか不可。
そういう「結婚=権利の一括抱き合わせ販売」こそが問題なのではないか。

「結婚しないと病院で面会する権利もないんです!」という問題があると。
そのときに「じゃあ同性同士でも結婚できる制度が必要だ」より「夫婦以外でも、本人の意思によって、万が一の重病や手術の時に面会や手術に同意する権利をあらかじめ与えておく制度が必要だ」のほうが、より合理的かつ広範囲に恩恵がいきわたるのではないでしょうか。



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