何度もこれまで書いている話ですが、ひとつの実例がはてブの人気エントリーなので、それを例に挙げて語ると早いだろう。
40代未婚、六畳一間でふたり暮らし。お笑いコンビ「阿佐ヶ谷姉妹」が語る新しい共生のカタチ https://www.huffingtonpost.jp/2018/08/01/asagaya-shimai_a_23493638/
歌手の安田祥子さん・由紀さおりさん姉妹の"細かすぎる"モノマネなどで知られる、お笑いコンビ「阿佐ヶ谷姉妹」の渡辺江理子さん(以下「エリコ」)と木村美穂さん(以下「ミホ」)。
木村さんは渡辺さんを「お姉さん」と呼ぶ。いつもお揃いのピンクの衣装に身を包み、見た目もなんだか似ているふたりだが、実の姉妹ではない。
ともに40代半ばで未婚のふたりは、つい最近まで六畳一間のアパートで一緒に暮らし、今はお隣同士だ。
7月12日に共同生活をつづったエッセイ『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』が発売された。この本からは、ふたりが単に"仕事上の姉妹"という関係だけでなく、"家族"として関係を築いていることが伝わってくる。
(略)
―― なんかご夫婦の話を伺っているみたいです(笑)エリコ 私たちは血の繋がりのない「疑似姉妹」ですけれど、ある意味、家族っぽいんでしょうね。それぞれの親から連絡があったりしても、「ミホさんどう? 元気? 変わりない?」とか言われたりします。ミホさんのお母さんはお母さんで、こちらを気遣ってくださったりとか。
(略)
※取材者のコメント生き方が多様になる今、結婚を選ばない人が増えている。ふたりの暮らしは、結婚する以外の生き方を選んだ人が家族のありかたを模索する時、ちょっぴり勇気をくれるのではないだろうか。
それに自分は、こうブクマした
http://b.hatena.ne.jp/entry/368727947/comment/gryphon
以前から言っているし他のブクマでも指摘あるけど、異性婚夫婦に「自動パッケージ」で与えられる手術同意権などの権利は、むしろ個別に色々な人と結べるほうがいいのでは。そうすると問題は同性「婚」なのか、となる
過去に何度も論じてきた話だけど、二つ代表的な過去記事を紹介し、再録しませう
「婚姻制度」は一種の”パッケージ契約”。それは可能か?個別契約は不可能か?そもそも「公」に定めるべきか? - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150222/p3
「これ『病院面会権』等を誰にでも自由に与える制度こそ必要では?」〜文京区議カミングアウトで再論す。同性婚も部分的解決、ではあるが。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170710/p1
前略
…根本というか、以前から言われているちゃぶ台ひっくりかえしの話だが…
「結婚」とはそもそも何か。
「永遠の愛を誓う」だの「申す 七珍万宝投げ捨てて 身ひとつにて山を下りし みめうるわしき乙女なり いかーに」
「申す 雨露しのぐ屋根もなく 鈍感愚物のオノコなり それでもよければお入りください」
(「風立ちぬ」より)とか、そういうのはいいんだけど、もっと即物的にいうなら
●配偶者相続権(一)●税制・社会保障における優遇(二)●病気療養時などにおける権利・利益(三)●夫婦財産制(四)●パートナーシップ解消時の法的保護(五)●不法行為や犯罪による死亡時の損害賠償請求権など(六)●刑事法上の権利・利益(七)●性同一性障害特例法の非婚要件(八)●外国人パートナーの在留資格・帰化(九)●子を育てる権利(十)●その他家族法上の権利義務(十一)●住宅の確保(一)●勤務先からの手当支給,休暇取得など(二)●生命保険金の受取人指定など(三)●銀行取引など(四)●その他身近なサービス(五)
https://www.dropbox.com/s/smt6kosxwfs3xc0/SHIMIZU_LegalConstruction.pdfの契約を2者が結ぶ、ということにすぎない。そしてそれには国家の後ろ盾がつく、と。
逆にいうと、国家権力が
「あなたとあなたが、好き同士で一緒になることを『国に認定』してもらいたいなら、両人は、上の契約を一括して結ばなきゃいけませんよ?」
となり、さらに
「同性同士」「近親の間」「一人と複数の異性、あるいは複数同士」では、この契約はなぜか結べない、と……
しかっしですな。たとえば
「夫婦だからって自分が亡くなったら、配偶者に財産を相続してもらいたいとは思わないよ。その財産は前妻前夫の子供に…」なんて人もいるでしょう。実際の話、人生の最晩年に、配偶者に先立たれたもの同士が寂しい暮らしではなく、再び知り合って一緒にすごしたい、という話は昨今多くなりましたが、その時、子供たちから祝福されないことも多いのは、この問題があるからとも聞く。
「色で老人を喰う」裏稼業を描く戦慄の犯罪小説妻に先立たれた後期高齢者の耕造は、六十九歳の小夜子と同居しはじめるが、夏の暑い日に脳梗塞で倒れ、一命を取り留めるも重体に陥る。
だか、裏で小夜子は結婚相談所を経営する前科持ちの男、柏木と結託していた。
病院へ駆けつけた、耕造の娘である尚子、朋美は、小夜子の本性を次第に知ることとなる――。
結婚相談所の男と、結婚したパートナーと、死別を繰り返す女につきまとう黒い疑惑。
恐るべき“後妻業”の手口と実態。
「黒川節」炸裂、欲に首までつかった人々が奔走する。犯罪小説の手練れが、身近に忍び寄る新たな「悪」を見事に炙り出す。こんなんじゃないけど、「弁護士のくず」や「家裁の人」にもこの問題は出てきたはず。
あと、結婚は相互に貞操義務を民法上持つそうですけど「結婚はするが、貞操義務などを持ちたくない。なんでそんな義務がいるんだ」という人もいるそうで(笑)。そういうのは「オープン・マリッジ」といって、アメリカの大統領予備選でニュート・ギングリッチ候補が妻にそれを持ちかけたというのがスキャンダル視されてましたよ(笑)
http://www.afpbb.com/articles/-/2851971
共和党候補指名争いで重要なサウスカロライナ(South Carolina)州予備選を2日後に控えた19日、同党の指名獲得を目指すニュート・ギングリッチ(Newt Gingrich)元下院議長の元妻が、同氏からオープンマリッジ(夫婦が互いに婚姻外の性的関係を持つことを認める結婚)を要求されたと語ったインタビューが米ABCテレビで放送され、大きな波紋を広げている。
(略)
ギングリッチ氏と18年間にわたる結婚生活を送った2番目の妻、マリアン・ギングリッチ(Marianne Gingrich)さんはこのインタビューで、「彼からオープンマリッジを求められたが、私は拒否した」と述べた
これだって「多種多様な家庭のあり方」のひとつっちゃひとつじゃないかね。でさ、別姓の問題も含めて
上に挙げた「パッケージ契約」を、そもそもパッケージ契約で結ばなきゃいけない、という制度自体が、いわゆる「多様な生き方」を阻害してるんじゃないっすかね。・結婚はするけど、姓を同じにするというオプションは選ばないわー
・結婚はするけど、互いの財産の相続権はないってことでひとつ。
そんなふうに選んで「契約」すればいいし、ギャクにそういう「契約」を結べれば、それが同性間であろうと、近親間であろうと、一対複数、複数対複数であろうと結果的に実質上の「結婚」になる。でしょ?
それ以上の神聖な何ものか、権威や美意識としての何ものかとしての「結婚」を求める人は、そういう真善美の価値観を供給する本職である「教会」「神社」「ディズニーランド」のたぐいで供給してもらえばよろしい。
国家とはもっと無味乾燥に、上のような契約を制度として保証すればいいのだ。
…と、思うのですな。
くだくだ書いたが、端的に言うと「公としての『結婚制度』って必要なの?」という一文に集約される。
(略)
http://togetter.com/li/531566
にも転載した、大屋雄裕氏の過去の文章だが婚姻とは『(1)共同体形成機能と(2)嫡出推定機能が混在した不純契約』と言っている。
かなりの長文で、前後関係も本来は必要なのでリンク先での全文閲覧を推奨。
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000122.html
(前略)・・・私自身は同性間の「婚姻」というのは筋の良いアイディアではないと思っている。何故なら、(日本法上の)婚姻は(1)共同体形成機能と(2)嫡出推定機能が混在した不純契約だから。同性間において(2)の機能は意味がないのだが、元々両者を結合させておく論理的必然性はなく、いわば悪質な抱き合わせ販売である。
従って(1)(2)を別々の契約類型として整理した上で、同性間だろうが多人数だろうが問題のない(1)を開放すれば良く、(2)は論理的に1対1の男女のあいだでしか成立しないのでそのような限定は維持すれば良い(生計をともにするつもりはないが特定の相手としか安定的な性的関係を持たないと決めた場合など、(2)のみを締結するパターンもあり得るだろう)。
私個人としては好いた女と所帯を持ちたいと思っているので(1)(2)をセットで購入する所存であるが、人様がどうするかはご自由ご勝手に決めれば良いと思う。つまり私は自由主義者であり、共同体の拘束を肯定するアメリカ流のcommunitarianでも日本のオヤジ保守でもないし、国家の役割を重視しているのでlibertarianでもない。まあold liberalとかtrue liberalとか呼びたまえ。(後略)
あ、自分の「結婚って結局、細かい権利の包括契約じゃないの?それを個別に選んで選択できないってのはOKなの?」
という疑問は、たぶんこの話がヒントだったんだろうな。
追記 東浩紀の憲法案
http://genron.blogos.com/d/%bf%b7%c6%fc%cb%dc%b9%f1%b7%fb%cb%a1%a5%b2%a5%f3%a5%ed%a5%f3%c1%f0%b0%c6%c1%b4%ca%b8
第二四条
基礎自治体は、住民の生存、生活、出産養育の支援および教育の実施など、地域共同体の運営と維持に関する事項について条例を制定し、その事務を行う。ただし、法律で国に授権された事項についてはそのかぎりではない。
引用もとがちょっと今削除されているのだが、この理由について東氏は
現24条を削った理由「婚姻という極めて私的な関係を、国民および住民から国家へ与える制約である憲法に記述することが適切でないと考えた」
と語っていたのだという。
追記2 「みやきち日記」より
渋谷区の「同性パートナーシップ証明書」条例案についてずーっと考えてるんですけど。 - みやきち日記 http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20150228/p1
「賃貸物件の貸し主は、借り主(候補)が非親族同士であることを理由に入居を拒否してはならない」
「医療機関は、非親族であることを理由に面会を拒否してはならない」
……みたいな条例を作った方が、よりたくさんの人が恩恵を受けられるんじゃないの? むしろ、なぜそうしないの?
平等っていうのは…(略)「誰でもジェンダーや性的指向を問わず、また性愛関係の有無を問わず、住みたい人と一緒に暮らせ、会いたい人に最期に(または、最期じゃなくても病気のときに)会える」ということ……そっちを目指した方が、幸せになれる人の数が増えるんじゃないすか。
ほんと、即物的な議論としては「親子でも夫婦でもないけど、”具体的な権利”はそれらに準じるものを持つ関係」を認めればいいんじゃない?
「心から信頼しているXXXがいる。この人に手術の判断、葬式の取り仕切り、財産の分与、ビザ発給…など、家族や夫婦に準ずる権利を持ってほしい」という、そんな制度をつくる。
その中に、同性パートナーもいるかもしれない。ずっと自分や複数の法哲学者(はてなのパブリックエネミーを含む)が、同性婚とパラレルな関係だと指摘している「法では結婚を認められない、近親間のパートナー」「法では結婚を認めらられない、複数の妻や夫」などなども、ここにいるかもしれない。【友人同士、師匠と弟子、おじおばとめい、碁がたき、メル友…】がいる。
それって何か問題かね?
重要なことは、こういう形での個別契約の集積と考えるなら「通常の結婚」もこの中に呑み込まれ得る、ということ。それであって問題があるとも思えないし、あるとするなら結婚にまつわる「神聖さ」がそこにはない、ということではないかと思う。
ただ、たかだか国家の一行政制度に、そんな「神聖さ」が有ってそもそもいいのか、とも言えるわけで。
おまけ 後日のコメント欄での対話より
コメント欄は機能的な安定性が多少欠けていて、何かの拍子にリンクが消える可能性があるのと、「もっと見る」を押さないと目に触れないので、テキストとしてコピペしておきましょう。
椅子
こうした制度にしない理由は、変えるのが面倒だから と悪用する輩がいるから に尽きると思います
網目をついて悪用する人たちは必ずいるはずです
そうした網目を全てカバーするのは難しいですし、面倒だからじゃないですかね
むちょ (id:muchonov) ※複数投稿をひとつにまとめ化
はてブだと文字数制約がきついのでこちらで。このエントリでgryphonさんが提案されている内容に近い発想は、自分がLGBT研究界隈にいた90年代後半かもっと以前からあり、立場としては、ラディカルというよりむしろ古典的なものです(同時に、そうした立場から反同性婚制度を主張する当事者も少なくありませんでした)。
もともと性解放運動ともリンクしながら発展してきた米国のレズビアン/ゲイ・アクティヴィズムの内部では「モノガミーと家父長制を内包する婚姻制度を同性愛にも拡張する」というアイディアに対してずっと賛否両論があり、全国レベルの運動体の中で同性婚が重要課題として認識されるようになったのは80年代後半〜90年代にかけてのことです。HIV/AIDSで多くのゲイ当事者が命を落とし、ゲイコミュニティがボロボロになった時期に「どうやって自分たちの生活を守るか」「異性愛者が利用できる諸特権(特に国・自治体・企業が夫婦単位で付与している補助や保護)を自分たちが利用できないのはなぜか」という問題意識の転回がありました。
で、複数の当事者カップルと弁護士が各州で勝利を勝ち取ることで、LGBTコミュニティの同性婚への意識も徐々に変わって行った、という流れがあります。法廷において法の下の平等の観点から行政に戦いを挑み、現行制度の修正や拡張を勝ち取るのは、常に「具体的な困難を抱える当事者の声」でした。
今日本で起きてるのも同じ、具体的な困難を抱える当事者の具体的なアクションです。現実には、我々は民法を「1から制度設計」することはできません。今の当事者の生活をどう保護するかという観点で、結婚制度の同性への拡張、あるいは同等水準の別法制度確立、公正証書による部分的な権利保護(病院面会権や相続含む)、みたいなアプローチを模索するようになっていったんです。
いま困っていない非当事者から見れば、同性婚はさまざまな点で「筋の良いアイディアではない」かもしれないし、「そもそもパッケージ契約で結ばなきゃいけない、という制度自体が、いわゆる「多様な生き方」を阻害してる」「結婚って結局、細かい権利の包括契約じゃないの?それを個別に選んで選択できないってのはOKなの?」と結婚制度の根本的問題について大所高所から気分良く論評できるんでしょうが、当事者はそうではない。結婚という「有り物」を援用したり加工したりしながら、現実の困難をどう軽減・解消していくのかということで、みなさん頑張っているわけです。
gryphonさんが繰り返し書かれている近親婚への(オブセッションにも近い)情熱は自分にはよくわかりませんが、近親者の結婚を妨げる民法734条~736条によって具体的な生活上の困難を抱えている当事者たちが、当事者運動として裁判所で法律改正を訴えるなら、それはそれでよろしいんじゃないですか、と自分は思いますし、もしgryphonさん自身が切実に困難を抱え、その解決方法として近親婚を希求されている当事者なら応援もするかもしれません。
一方で、同性婚をめぐる当事者の真摯な運動と成果を、gryphonさんの車輪の再発明的な思考実験や、「同性婚もOKなら近親婚もOKだよね? なんか反論ある?」という一種の挑発のダシにされるのだとしたら、かつてそうした課題に一定のコミットもしてきた自分は、id:kuborie さんと同様、正直いい気分はしません。以上です。
gryphon
コメントありがとうございます。
その話、大変よくわかります。というのは以前から書いてましたから。要は「政局論」という言葉でまとめられる話ですね。政局論として「同性婚」を進め、そして近親婚との相似云々は議論の訴状に載せないのが、最大の利益になる、ということは傍目から見てわかるのです。だから過去記事にこう書きました。
【そもそもの「定義」として、結婚とは男女で行うものであり、 仮に結婚と同じような制度が男性ー男性、女性―女性の間に今後誕生したとしても、それは辞書的な定義としての『結婚』ではないではないか。たとえばいわゆる<シビルユニオン>でも何でもいいけど、そういうものは「結婚」と呼ぶべきではない、というのも<論のスジ>としては極めて真っ当なものだと思います。(結婚という制度に紛れ込ませる、というと悪いか、追加させる方がハードルが低いという政局論は、これまたわかる)】
【これもまた、同性婚推進派の方々が「現実の政局、政治動向としては誰も関心を持たない…あるいは反発を招くイッシューだから語らない」という戦略を取るの自体は「さもあろう」と理解するのです。しかし政局論と別の<論のスジ>の問題】
【現行憲法の24条「結婚は両性の合意において成立し…」を「この条文は同性婚を禁止するものではない」という解釈は可能であろうし、「成立時は賛成も反対もなくそもそも『想定外だった』」というのが 真実だと思うが、「想定外だからこそ明文で改憲し、たとえば「両者」などの文面にすべきだ」という方が、<論のスジ>という点においては、 より勝っていると思う。(実際の政治上のハードルが、憲法改正から行うよりは、解釈の方が楽にやれるという政局論としては理解する)】
gryphon
その「大所高所から議論の筋や整合性を考えるより、実質面で一歩でも二歩でも(自分たちが考えるところの)成果を得ることこそ優先されるべきなんだ!はたから論理の面で論評されようと、俺たちはまず実質的な成果・制度を勝ち取るんだ!」という点では同性婚推進も、安倍政権の「安保法制」も似た面がありますね。あれも、本当は推進者の内心的には「本来なら堂々と改憲が筋なんだ」と思いつつ、具体的な問題解決のために具体的アクションを優先した…のでしょう。どちらも『政治』にかかわるという点で、相似に見えたものでした。
gryphon
>近親者の結婚を妨げる民法734条~736条によって具体的な生活上の困難を抱えている当事者たちが、当事者運動として裁判所で法律改正を訴えるなら、それはそれでよろしいんじゃないですか、と自分は思いますし、もしgryphonさん自身が切実に困難を抱え、その解決方法として近親婚を希求されている当事者なら応援もするかも
ここもまさに重要で、
近親婚の問題が、構造上・論理上はいかに同性婚とそのまんま同じであっても、現実の話題になりにくいのは、まさにこの問題に直面する人間の絶対数としての少なさであろうと思っています。これも過去に書いた文章より。【…切実な当事者の、絶対数的な視点で考えれば、たとえばLGBTが起こしたようなムーブメントを現実社会で行うには圧倒的に人数も足りないだろう。
だからAmazonの規制?が現実にあるとして、LGBT運動のような形でそれが撤廃されるとは考えにくい。】LGBT運動は世界の運動史・ロビイング史においてもその大きな成果が特筆されるものですが、それは「マイノリティとしては、比較的勢力が大きいから」であったことも事実でしょうね。
近親婚問題はそんな後ろ盾がなく、マイリティの中のマイノリティでしょう。そして自分がその切実性を抱えているかというと、残念ながらゼロであります。
ただ論理と思考を以て、「…が正しいとおもひました」というだけ。例に挙げたような、いくつかの裁判例や、それを肯定する人間は脳に問題があるとまで口走るような輩の偏見や迫害がないように祈りますが『それを主張する切実さや当事者性を比べて、それで正しさを決めようぜ!』というルールなら、一次予選で負けますと宣言はしておきます。それが「いい気分はしない」なら、それはひたすらあいすみませんと申し上げるしかございません。
ただ、それだと「神の国」「神の定めたもうた掟」を心から信じて同性婚阻止のために体を張る信仰者が一番強くなると思いますが…
といったことを、我ながらとりとめなき筆致でございますが、読んでの感想とご返信とさせていただきます。
むちょ (id:muchonov)※複数投稿をまとめ
一応言っとくと「近親婚の問題が、構造上・論理上は同性婚とそのまんま同じ」だとは私は思ってませんよ。同性婚は「個人が生育家族から分離して新たに創設家族を作る」という婚姻の基本構想を維持しますが、近親婚はこの構想に抵触します。また現実問題として「意志決定能力・行為能力が限定的である未成年の子に対して持続的に強い影響や関与をしうる親や兄弟姉妹ほか同居家族が、子が結婚可能年齢になった時点で婚姻関係を結ぶ」という行為における自由意志の問題、身体的精神的虐待の危惧なども当然議論の遡上に乗るでしょう(「自由意志を持つ個人同士の結合」への抵触)。法律論的にも「既存の法律を修正、または新たな法律を作る話」(婚姻関係の拡張またはシビルユニオン的な代替枠組の制定)と「存在する禁止法をなくす話」(民法734条~736条の廃案)という違いがあります。
両者を分け隔てる論点は色々あり「『愛があるなら相手が誰でもいい』なら近親婚も同じでは?」程度の話で両者が「構造上・論理上そのまんま同じ」とするのは、いささかグリッドが粗い考察だと思います。gryphonさんはそれぞれに反論するかもしれませんが、私はその反論の正当性を検証する気はありません。自分が「真剣に検討すべき、リアルな保護法益」を感じられない空論だからです。
それから、同性同士の持続的関係を保護したいと考える人達が「政局論として「同性婚」を進め、そして近親婚との相似云々は議論の訴状(sic)に載せないのが、最大の利益になる」とか「同性婚推進派の方々が「現実の政局、政治動向としては誰も関心を持たない…あるいは反発を招くイッシューだから語らない」という戦略を取る」という風に、あたかも「政局を考慮して」「あえて近親婚について触れていない」ように繰り返し書かれていますが、それはgryphonさんが近親婚というイシューに魅せられているからそう見えるだけですよ。
憲法24条の立法者意思が同性婚を想定していないのと同じく、同性間パートナーシップに関わるLGBT当事者やアライは、自分たちの構想の中では近親婚を想定していません。だってそこに近親婚を求める当事者がいないんですから。そこに意図的なネグレクトがあるように書くのはgryphonさん個人の問題意識による誤認ですし、もしそうした運動に関わる方々に「なぜ近親婚のことも視野に入れないのか」と非当事者たるgryphonさんが訴えても、それは当事者運動に対する茶々入れやノイズとしか受け取られないでしょう。実際、乏しいリソースをそんな茶々入れ的議論に割かせるというのは運動に関わる当事者達から見れば妨害行為でしかありませんよ。
むちょ (id:muchonov)
ついでに言うと、アクティヴィズムというのは一貫した統合的主体的意思を備えて「AかBかのどっちかを戦略的に選択する」という風に行動するものではないです。公正証書によるパートナー契約も養子縁組制度の活用も自治体レベルのドメスティックパートナーシップ制度の推進もシビルユニオン的制度の推進も、そして憲法24条に定める「婚姻」自体の同性関係への拡張適用も、それぞれ重なり合ったり異なったりする問題意識を持った多様な当事者とアライ達が、それぞれの思いを持って各々せいいっぱい進めています。そうした試みの総体が、結果的に世の中でのLGBT受容を進めていっているわけです。誰かコマンダーのような立場にいる人間達が「政局論」や「戦略」でそうしたアクションを統御しているわけではありません。
gryphonさんは「近親婚というコンセプトの法的可能性に魅せられた非当事者」として、「論のスジ」として、近親婚禁止の根拠を広く世間に問い続ければいいと思います。
でも、それを執拗に同性婚の話題にバインドして語ったり、同性婚を推進する運動(体)に対して問いかけようとするのは、すごく奇異に感じますね。
むちょ (id:muchonov)
もうひとつ、別エントリで語られている内容にもコメントしておきます。
>「自治体独自の同性パートナーシップ」の思想的父(俺)
については、gryphonさんが「同性婚(結婚)制試論」をお書きになった2012年から10年以上遡る1999年時点で、さまざまな当事者団体の連合である東京都人権施策推進指針対策連絡会が、東京都に対し「東京都人権施策推進指針に対する要望書」で:
「3.同性間パートナーシップ登録制度の導入などにより、異性間と同性間のパートナーシップの間に存在する格差を解消すること。例えば、同性間パートナーや性同一性障害の当事者等を含むパートナーに都営住宅の入居資格を付与すること。」という要望を明記しています。
http://www.waseda.jp/sem-fox/memb/02s/shimamura/sayo.index.html結果的には都指針から「同性愛者の課題」が削除されて運動的成果は何ら得られませんでしたが、この顛末は当時の石原知事のホモフォビックな言動との関係もあり、当時の性的少数者の権利運動に関わる人々の間では広く知られたものでした。つまり「まず自治体レベルでドメスティック・パートナーシップ認証をこじ開ける」という発想は、セクマイ当事者の間ではずっと前から存在したんです。
法曹系も含むマイノリティ当事者達が過去に地道に進めてきたそうした取り組みを見ないまま、「頭の体操」として出てきた自分のアイディアが他に先駆ける画期的なものであったようにアピールするのは、カッコ悪いからおやめになったほうがいいです。
gryphon
コメント再度ありがとうございます。
「同じではない」論は基本、討論なさる気は無いということなので一部のみごく簡単に
>「個人が生育家族から分離して新たに創設家族を作る」という婚姻の基本構想を維持しますが、近親婚はこの構想に抵触
従来の婚姻の「基本構想」をそう要約するのは正直「本当かなあ」ですが、仮にそうだとして…
近親婚がそれに”抵触”するというのは、ソレ【多様性が増す】と言い換えられますね。
また、その後の論点にも繋がりますが、そもそも現在の近親婚は一緒に生育したかどうかに関係なく戸籍上の等身で決まっていますからね。ずっと離れて暮らし、持続的な強い影響・関与や生育家族と無縁な叔母と甥、叔父と姪も、あるいは生物学的血縁を超えて一度養子関係になっていた人間まで対象ですし。また自由意志や精神的虐待は以前「公衆浴場に泥だらけで入ったり、洗濯する迷惑行為を(習慣の異なる)R国人が多く行う」と「公衆浴場にR国人お断り」の違いで語ったことがあります…ただこれらも「反論を検証する気はない」とのことで紹介だけに留めましょう。※関連を検索していただければ読みたい人は読めます。
そういう人たちが「リアルな保護法益を感じてないから想定もしてない」「その主張を言われても茶々入れや空論に聞こえる」「乏しいリソースをそこに割く気になれない」というのた、前の喩えに絡めて言えば、安保法制の推進実務者も似たことを感じてるかも、と思いました。「自分たちは安保法制でどれだけ同盟を強化できるかで忙しいんで、安保法制はそもそも立憲的な問題が、とか言われてもなあ。ノイズにしか聞こえんよ」 それでも外部からは言うべきことを言えばいい、というのも似てると思います。
政局論が「統合的主体的意思」によるものではない、はそうだろーと思いますよ。それは近親婚の法哲学的な論議を「茶々入れ・ノイズ扱いせよ」とか「妨害行為とみなせ」とアクションを統御する『統合的主体的意思』『コマンダー』はたぶんいないであろう…なのに、そちらが総体として話されているのと同じような意味合い(での推測)です。
gryphon
もう一つの99年要望書の話。
まず、その情報は大変ありがたく、記事にも収録しておきたいと思いますが、
そのリンク先にある引用情報を見る限り(要望書原文を見ればまた違うかもしれません)
そこでは、要は当時欧州に存在したシビルユニオンにかなり寄った…というか、「存在する格差を解消すること」に眼目が置かれているようですね。
当方が重視したのは(自治体レベルで可能な措置自体は妨げませんが)金八先生を例に挙げたように、
「宣言」「ごっこ」による象徴的な意味合いでした。
そしてそれを、SNS経由であるが<世田谷区政>に具体的に提言し、レスポンスをもらった。そのリンク先に名前が出てる区議に(笑)。
そして反応を見る限り、少なくともその区議よりは先に行ってたようですね当方。あの区が、渋谷区に先を越されたのはさもありなん。枳棘は鸞鳳の棲む所に非ず。
最後に具体的提案。保坂展人世田谷区長よ、国・都に先駆けて「同性婚(ごっこ)」を区で認証せよ!!
https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/20120512/p4「自治体単独で(実際は無効力でも)同性婚を認める公文書は出せないか?」への世田谷区議・上川氏の意見
https://togetter.com/li/541239【抜粋】(「3年B組金八先生」1部に出てきた)「大真面目な結婚式ごっこ」。 これを世田谷区でもやったら?という話です。同性のカップルに、区役所に届出をしてもらう。んで、区のほうは大真面目にそれを登録して、なんか証明書みたいなのを渡す。もちろん、まったくそれに効力はなくていい。
https://twitter.com/gryphonjapan/status/361982707145777152
そして、渋谷区が2015年に出した条例は…
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG31H7P_R30C15A3CZ8000/証明書に法的な効力はなく、区側は「憲法が定める婚姻とはまったく別の制度」としている。
すいません。自称「思想的父」やっぱり名乗り続けさせていただきます(笑)団体は要望書を世田谷区や渋谷区に対しても、あらためて直接出したりしていたのかな?そのへんはよくわからぬ。
…てかね、そのへんは解釈だから、その界隈が「99年に意見書で提案していた我らこそが元祖/本家」を名乗られるとしても全然結構なんです。
ただ、その場合「ふーむ、その専門団体が討議考察を重ねて到達した意見に、片手間でまさに…なんだっけ『当事者性なし』『切実性なし』『ただの思考実験』の立場から片手間に数年考えただけのアイデアが到達しちゃったってすごくね?(ドヤア)」と。 そっちの立場であっても、大いに自慢したいなあ。そして「当事者性や切実性の無い思考実験の重要さ(有益さ)」もPRできそうだ。
むちょ (id:muchonov)
>そこでは、要は当時欧州に存在したシビルユニオンにかなり寄った…というか、「存在する格差を解消すること」に眼目が置かれているようですね。
公的機関による同性間パートナーシップの認証というシンボリックな効果と、自治体レベルでできるような具体的格差の解消の両方が意図されていました(gryphonさんの提案にも「区の権限でやれているような補助金や割引に関するようなものは認めざるを得ないかな」と書いてて、両者を包含してますね)。これは国家単位で法律婚に準じる法的保護を目指していた欧州各国のシビル・ユニオンやDP制度とは懸隔があります。
>団体は要望書を世田谷区や渋谷区に対しても、あらためて直接出したりしていたのかな?
渋谷区のパートナーシップ証明は、東京都人権施策推進指針をめぐる運動体とは違う流れで出ました。渋谷区議会で初めて提案されたのは2012年6月8日、現渋谷区長の長谷部健区議(当時)による定例会質問です。長谷部氏とFtM当事者の杉山文野氏が、NPO団体グリーンバード(2003年設立)や区議選活動(2007年・2期目)を通した交流のなかで、2010年頃から温めてきたパートナーシップ証明の可能性を問うものでした(エスムラルダ・KIRA『同性パートナーシップ証明、はじまりました。』ポット出版 2015)。長いですが、質疑応答を引用します。
長谷部健「国際都市として、ダイバーシティの要素を含んでいるというのは丸必です。多様性を受容する都市として、LGBT、これはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーという頭文字をとった総称なんですが、それをLGBTといいます。そのLGBTの方々についても考えていきたいです。僕の友人知人にもLGBTの人がいます。まあ全くもって普通だし、むしろいろいろな分野でその感性が生かされ活躍しています。昔に比べてだんだんと市民権を得てきていますが、国際都市の中では東京はこの分野ではまだまだ遅れをとっています。特に結婚ということではいまだに意見が割れているというのが現実です。日本の法律でも結婚は認めていません。そこで、渋谷区は、区在住のLGBTの方にパートナーとしての証明書を発行してあげてはいかがでしょうか。いまだに式場で同性同士は断られることがあるそうです。行政がパートナーとして認めているとなれば、その壁を崩すいい材料になるでしょう。また、法律でICU、集中治療室にも家族、つまり一親等の親族しか入れないため、自分のパートナーがICUに入った場合、断られるというケースもあるようです。病院関係者に話を聞くと、臨機応変に対応はしているといいますが、断る場合もあるということ。非常に難しい問題ですが、区が証明書を出すことで少なくとも渋谷周辺の病院に区が掛け合い、証明書を持っているカップルは安心して暮らすことができる環境を整備してはいかがでしょうか。この証明書を発行することでLGBTの方々の区民が増えると思います。ファッション、アートを盛り上げるには、彼らの感性は大きな要素となるでしょう。「おかまやおなべが近所に住んでいて嫌だ」という声も上がるでしょうが、もうそんな時代じゃありません。パートナー証明を発行するということを御検討されてはいかがでしょうか。区長の御所見をお伺いします」
桑原敏武区長「それから、LGBT、難しいんですけれども、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーのパートナー証明についてというお話でございました。渋谷区では、平和国際都市として多様な方々を受け入れる中で、その中ではLGBTの方々も含め て、この方々を受け入れる共生社会でなくてはならない、このように思っている次第でございます。今日では、国においても平成十六年七月には性同一性障害の性別取り扱いの特例に関する法律が施行されまして、家庭裁判所の審判により戸籍の性別変更が認められるようになってきた、それも一つのこのステップかなと、このように思いますけれども、議員提案のこのパートナー証明の発行でございます。これが一体どういうような意味を持つのか、あるいはこれを、難しいことを言うようでございますけども、自治事務の範囲内として考えることはできるのかどうか、その辺についても研究する必要があるだろうと、このように思っております。貴重な御意見として承らせていただきたいと存じます。」
この質問に到る経緯については上記書以外にも複数のインタビューや論文で語られており、少なくとも「長谷部氏がgryphonさんのブログを読み、その半月後に渋谷区議会で定例会質問をした」という流れではないことが確認できると思います。
むちょ (id:muchonov)
>そして反応を見る限り、少なくともその区議よりは先に行ってたようですね当方。
上川区議のやりとりからどうしてそう思えたのか不思議なんですが、gryphonさん、「自分が先に行ってた」という先入観と食い違う部分を意図的に読み飛ばしてませんか。まず、上川区議はリプライで「大いに賛同します^0^v ご提案のように出来たらいいなーと私も考えてきました☆ 区の窓口で知らぬうちにリジェクトは嫌なので「区に届を出すなら知らせてね~!」とは何度もw」と書いてますよね。このリプライからわかることは、①類似のアイディアを上川区議も腹案として持っていたこと、②現実の(法律上の)同性当事者カップルには「区に届出を提出する場合は、窓口でのリジェクトを防ぐために事前に一報してほしい」ということも具体的に呼び掛けてきた、ということだと思いますけど、これをご自分が「先を行ってた」という風に読まれちゃうんですか?
私は上川区議の初選挙(2003年)のときに1度だけ選挙事務所に手伝いに行ったことがありますけど、先の「東京都人権施策推進指針に対する要望書」に関わった人達も含めて多数のLGBT当事者が彼女と交流し、バックアップしていました。上川区議はその時点で、自治体単位の登録パートナーシップ制度も含め、当時アクティヴィズム界隈で共有されていた論点・主張はほぼ押さえていたように思います。同性パートナーシップ制度についてはその後も研究されていたようです。例えば:
https://twitter.com/KamikawaAya/status/13111498645
gryphon
おお、渋谷区条例に至る、現区長の市議時代の議会質疑という貴重な資料ありがとうございます。
女性団体の都への1999年要望書をどう評価するかは別にして、この質疑はLGBT運動史、ロビイング史に残る出来事でしょう。
で、そんな政治の専門家が数年間「温め」たもの(温め、ということは、こういうのは質疑のインパクトや新規性、だれかに先取りされないように保秘することが多いから、この質疑までは広言、発信をおそらく控えていたと推測します)と似た内容のことを、すこし前に、数千人単位の公衆の眼に触れるところに書いたんだな俺…「長谷部氏がgryphonさんのブログを読み」かどーかは、そんなの知りませんし、どっちでもいいですよ(笑)。ただ、ほぼ同時期の公への発信だったこと、現区長に敬意を表する次第です。
>どうしてそう思えたのか
強大な力を持つ政治家、権力者として「やるかorやらないか」の流れでtogetterを見ると、最終的には非常にシオシオなお言葉だったのでね…あれ、議員として行政に質問し答弁がアレだったら、どの新聞でも「消極的だった」「色よい返事はなかった」と書くでしょうね。ですが、ただそれでも…政治家・権力者の言葉を100%真に受けるのもあれですが、「大いに賛同します^0^v ご提案のように出来たらいいなーと私も考えてきました」という言葉を正しかったとしましょう。記録・歴史に残るSNS上で上川区議に、区単位の象徴的パートナーシップに「賛同する」「私も考えてきました」という言葉を2013年「”引き出してあげた”」「”記録に残す機会を与えてあげた”」のが、わたくしだったのですねえ。そのささやかな貢献に、満足した次第です。
まあ、さらにいえばもうそのへんの数か月・数年の差を云々する必要もございません。
法然、親鸞、一遍、日蓮、道元、栄西の生年没年、活動時期、「新しい宗派」を立ち上げた時期……それぞれに幅はありますが、まとめて「鎌倉仏教の父」と称しても不自然じゃないでしょう? わたくしも2012年6月8日に議会質問をした渋谷区の長谷部区議やそれに応えた区長ら、或いは私の質問に賛同を表明した世田谷区議らとひとまとめのグループ、ワンオブゼムとして扱っていただいても一向に構わんッ、ですね。みんなまとめて、思想史の中にささやかなる貢献をできましたでしょう。