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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

桜田門外の変「牛肉の恨み」説をご存じですか~そして、豚肉も。(豚公方・徳川慶喜)

1:本題に入る前に、かなり長く前フリ話をします。早めに読みたい方は【本題】へ

「青天を衝け」自分は早々に脱落したんですが、「桜田門外の変」だったんですね。この回だけは見ればよかった…土曜の再放送かNHKプラスをアレするか。

なんで知ったかと言うと、例によって過去記事へのアクセス増加にて。永遠の名作、昭和から令和にまたがる大長編連載「風雲児たち」紹介過去記事、お読みいただき、ありがとうございます。
※現在、同作品は作者の体調の都合により半年以上の中断中!!みなもと太郎氏に、みなで元気玉を送って!!!
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桜田門外の変を描いた「風雲児たち」の集中レビューはこちら。本日の回、二刀流の護衛や拳銃での狙撃は出たかしらん?

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風雲児たち 幕末編 20 (SPコミックス)

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風雲児たち 幕末編 21 (SPコミックス)

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風雲児たち 幕末編 22巻

風雲児たち 幕末編 22巻

風雲児たち」は大大大長編(通称「無印」と呼ばれる関ヶ原からペリー前夜までのシリーズと、ペリー来航以降の「幕末篇」がある)…ですが、幕末篇17巻~21巻を「安政の大獄桜田門外編」という短期シーズンとみなして読むと結構ちょうどいいと思っています。
安政の大獄」含めた前後の関連記事はこちら
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再説
『黒船来航が1853年(いやでござるペリー殿)。大政奉還が1867年(一夜空しく大政奉還)で14年。これを「幕末」とするなら1860年桜田門外の変は、ちょうど折り返し点』

以上、隙あらば風雲児たちを宣伝するマン参上のまき。

そして本題へ…



2:【本題】桜田門外の変、牛肉の恨み説とは?そして豚肉も…(熊田忠雄「拙者は食えん!」筒井康隆「万延元年のラグビー」ほか)

案外有名な話っちゃ話なんだけど、
こんな本があります。

幕末~明治初期、初めて「洋食」に出会ったサムライたち。「ボートル(バター)塗りつけ、油ばかり」、それでも開国のため、ひたすら我慢して食べ、挙句の果ては「いかなる事の報いか。神仏に祈るほかなかりけり」……。日本人と洋食との邂逅がこれほど劇的だったとは! 読み出したら止まらない面白歴史エッセイ!


この作品の本題はペリー来航時の祝宴や咸臨丸使節団、その後欧州へ渡った使節団や留学生などの「洋食体験」を紹介するものだけど、少し余談として、タイトルにうたった「牛肉をめぐる水戸-彦根の遺恨」が紹介されている。50Pから…

牛の屠畜と牛肉生産を公に認めている藩が全国で一つだけあった。墓末に大老井伊直弼を送り出した譜代名門の彦根藩である。彦根を含む近江地方(現滋賀最)では古くから牛を飼い、肉を食べる習慣があり、先に紹介した高山右近なども近武甲賀郡の生まれである。今でも近江牛と言えば、神戸牛、松阪牛米沢牛などとともに日本を代表するブランド牛である。それだけに近江には牛肉にまつわるエピソードが数多く残っている。たとえば忠臣蔵大石内蔵助彦根産の牛肉味噌漬を堀部弥兵衛(安兵衛の義父)に贈ったという手紙が残っている。

「可然方より内々到来にまかせ進上いたし候、彦根之産黄牛の味噌漬、養老品故其許には重量かと存候」(「彦根市史」中冊・中村直勝編)
大石も浪士中の最長老である弥兵衛に対し、細やかな気遣いをしていたものとみえる。養老品とは健康増進のために効果がある養生薬という意味である。

またこんな話もある。井伊家では赤斑牛のロース部分を味噌漬けにし、毎年将軍家を三家老中など幕府の要路へ養生品(薬)として献上することを習わしとしていた

水戸の烈公こと斉昭などは彦根産の牛肉をことのことのほか気に入り、毎年井伊家から届く牛肉を首を長くして待っていた。ところが嘉永三(一八五〇)年に井伊直弼彦根(一八五〇)年に井伊直弼彦根藩の第15代藩主に就くと、仏法の生禁断の教えを厳格に守って牛を殺したり、牛肉を食べることを一切禁じた。当然井伊家からの牛肉献上も廃止となったが、諦めきれないのは斉昭である。家来を通じ井伊家に対し、引き続き牛肉をいただきたい旨を再三申し入れるが、直弼は聞く耳をもたず、うるさ型の斉昭の要望をはねつけた。


ここから桜田門外の変の遠因は、この時の牛肉にあり、つまり食べ物の恨みほど怖いものはないという話が出てきたとか、まことしやかに噂された。
この顛末については明治末年に出版された「史籍雑纂」という本に収められている。「水戸藩党争始末」(筆者不詳)に詳しい。少々長いが、興味深い両者のやりとりゆえ、原文をここに紹介する。

老公と大老の不和   
老公(斉昭)牛肉を好み給ひければ、年々寒中に彦根より献ずる事なりしに、直弼家督後はこれを献せず、其故は、直弼はもと僧になりたる事あり、仏法を信じける故、国中の牛を殺す事を禁ぜしなり、然るに公(斉昭)にはこれを知らせ給はず、其年寒中に待せ給へども献ぜざれば、御使を遣はされ、毎年相楽しむ所、今年参らせず、何卒諸らるべしと有しに、彦根侯答へに、今年より国中にて牛を殺す事を禁じ間、牛肉献すべきなし、御断申上ると有り、公尚又御使を遣はされ、仰られけるは、国中牛を殺す事を禁じたりとあれば是非に及ばされど、是迄年々用ひたる事にて、殊に江州の牛肉は格別の事なれば、我等が為にのみにても、別段詩へられ度演もなりと有しかど、承知せずして、何分国禁に致し候事故相成不車、立て断甲上るとの答なり、斯の知く、公より度々御頼みありし事を、更に承知せどりしかば、流石に不快に思名されしとなか

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桜田門外の変は牛肉の恨み?「拙者は食えん!」より

安政の大獄によって直弼から水戸での永蟄居を命じられた斉昭と、これに反発した水戸藩浪士らによって暗殺された直弼。政治的にはことごとく敵対した両者だが、政治的には牛肉を通してかすかな接点があったとすれば、歴史もまた面白い。
(※引用者註;あ、元ネタ本もあるらしい)

史籍雑纂

史籍雑纂

  • メディア:


ところが肉にまつわる両者の因縁話はなおも続く。斉昭は生肉ばかりでなく豚肉も喜んで食べていた。

その豚肉とは薩摩藩から贈られてくる黒豚の塩漬け肉で、島津斉彬が 弘化二(一八四五)年五月、斉昭へ宛てた書状にも「豚肉進上仕候」と記されている。 斉昭は豚肉が届く度にたいへん喜びいつもながらの美味しい肉をじっくり味わって食べたという丁重な礼状を返している。


薩摩藩では労役に使う牛や馬の肉を食べることは禁じていたが、豚肉については制約 がなく、領民の間では古くから「歩く野菜」などと称し、広く食べられていた。 薩摩の豚肉にまつわる話もまた多く残っており、たとえば斉彬の曾祖父にあたる八代藩主島津重豪が江戸在府中、幕府の知恵袋である林大学頭を屋敷に招き、豚料理でもてなしたとか、幕末、江戸の薩摩藩邸でも豚が飼育され、屋敷内で食べていたとか、西郷隆盛は無類の豚肉好きで、しかも脂身部分をことのほか好んだなどなどである。 斉昭の七男で、のちに一五代将軍に就く慶喜も若い頃から父親に輪をかけた豚肉好きで、家臣たちから「豚肉好きの一橋殿」をもじって「豚一殿」と呼ばれていた。おそらく薩摩から父親のもとへ贈られてくる豚肉を口にしたのがきっかけで、すっかり味をし めたのだろう。

この豚一殿が政治の表舞台に登場して来るのは、病弱な一三代将軍家定の継嗣問題が浮上した時である。斉昭と斉彬らは豚一殿を推す一橋派の中心人物として、紀州藩主の徳川慶福を推す南紀派のリーダーの直弼と激しく対立した。世間は両派の抗争を自おかしく牛と豚との遺恨試合などと囃し立てた。
結果は南紀派が勝利し、慶福改め家茂が一四代将軍に就くが、二〇歳で天折したため、慶喜がすぐその跡を継いだ。晴れて将軍となった豚一殿だが、今度は世間から「豚将軍」とか「豚公方」と呼ばれたという。

しかし斉昭と慶喜の父子二代に豚肉を贈り続けた薩摩藩もやがて長州藩と手を組んで 打倒徳川に走るのだから歴史とは皮肉なものである。後年慶喜は「予は薩摩を好きになれぬ」と繰り返し語ったとされるが、豚肉でご機嫌をとったり、最初のうち幕府の味力のような振りをして結果的に裏切った薩摩の変節ぶりがよほど腹に据えかねたのだろう。 慶喜の本心は「予は薩摩の黒豚肉は好んでも、薩摩の腹黒い連中は好きになれぬ」とい うことではなかったか。
話がだいぶ脱線してしまった。

豚将軍といっても金日成金正日金正恩ではないですよ、まちがえないように。
また、「のらくろ」の豚勝将軍でもないっ。


それはそれとして、この情報に初めて接したわけでは無かった。
筒井康隆「万延元年のラグビー」で、この話ははっきりと載っている。
この文庫に収録されてるはずだが…

将軍が目醒めた時(新潮文庫)

将軍が目醒めた時(新潮文庫)


だが、最初に読んだ時は「あー、筒井先生さすがだ、こんなに根も葉もない話か、あるいは針小棒大な話をでっちあげるとはなあ」と思ったんだけどね。ちゃんと資料にある話だったとは…すいません(笑)
ちなみに、なぜ「万延元年のラグビー」なのかをネタバレすると、これも実際にあった話だが、井伊直弼は暗殺されただけでなく、首を浪士団に奪われてしまった。これは、藩全体が取り潰される可能性が高い大不祥事になってしまうのである。さらに幕府は、そういう大不祥事にならないよう井伊直弼を「病気」扱い、暗殺されたのも建前上は「その後の病死」にしようとする事なかれの対策を取ったため、ますます首を取り戻さなければいけなくなった……その「首」を、無理やりにでも奪い取るのが、なぜかラグビー的なそれに……いや紹介してると、この話のむちゃくちゃさが分かるな(笑)。自分はこのパロディの元ネタである大江健三郎氏の「万延元年のフットボール」のほうは全然しらねーや。



そもそものちにフランス贔屓になった徳川慶喜はともかく、超保守的で、攘夷の急先鋒だった水戸藩徳川斉昭が牛肉好きだったとは面白いものだが、もともと水戸藩は攘夷急先鋒ではあるが、たとえば武器や軍船の洋式化は、結構積極的だったんだよな。海流の関係で、西洋船の接近は以前から多かったことも関係しているらしいし、水戸藩の水戸学は儒教の変形であり、そこから「反仏教・脱仏教」であったことも大きいようだ。(神道も獣肉に関しては穢れ信仰では?とあるだろうが、そのへんはそれほど整理されてなかったのでしょうか?)

しかしまあ、それ以上の大前提として「牛肉・豚肉うめえ」しなあ(笑)。

自分、この牛肉話はさほどではないけど、慶喜が豚肉を好んでたべて「豚一様」「豚公方」と呼ばれていたという話を読むと、いつも豚肉食べたくなるんです。だから、いま食べたい(笑)。
慶喜は小鍋仕立てで自ら料理して食べることを好んだとか(使用人も豚の料理を嫌がるので)。


この話も「風雲たち 幕末篇」に出てきます。