そろそろ、終了時期が気になってきましたね。東京のはにわ展。
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www.tnm.jp
ところで。
紹介したと思ってたらうかつにも紹介しそびれていたが、東京は上野の、国立博物館での「はにわ展」が表とするなら、
「裏」が、存在することはご存じでしょうか……
ハニワと土偶の近代
会期
2024.10.1–12.22
会場
東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー
展覧会のポイント
展覧会構成・主な展示作品
カタログ
開催概要
古(いにしえ)の地層から出土するハニワや土偶のイメージは日本中に浸透し、いまや押しも押されもせぬキャラクターと化しているといっていいでしょう。出土遺物は、美術に限らず、工芸、建築、写真、映画、演劇、文学、伝統芸能、思想、さらにはテレビ番組にいたるまで、幅広い領域で文化現象を巻き起こしてきました。戦後、岡本太郎やイサム・ノグチによって、それまで考古学の資料として扱われていた出土遺物の美的な価値が「発見」されたというエピソードはもはや伝説化しています。なぜ、出土遺物は一時期に集中して注目を浴びたのか、その評価はいかに広まったのか、作家たちが「遺物」の掘りおこしに熱中したのはなぜか――本展は美術を中心に、文化史の舞台に躍り出た「出土モチーフ」の系譜を、明治時代から現代にかけて追いかけつつ、ハニワや土器、土偶に向けられた視線の変遷を探ります。
www.momat.go.jp
なんで同じ時期に、似た展示を?と思うだろうが、前述したとおり。
真言宗でいえば、裏高野。
公安警察でいえばゼロ。
バチカンでいえばイスカリオテ機関。
表ではできない、ことを暗躍し、やってのける……というのはあれだが、確かにちょっと変化球のコンセプトだ。
展覧会のポイント
1 ハニワ・土偶ブームの裏側、掘りおこします
きっと誰もが子どもの頃に出会い、身近な存在として親しんできたハニワや土偶。それらが歴史教科書の冒頭に登場するようになったのは、実は遠い昔のことではなく、「芸術」として語られるようになったのも近代以降のこと。 美術品を鑑賞しながらハニワ・土偶ブームの裏側が見えてくる、一粒で二度おいしい展覧会です。
2 考古図譜からマンガまで
本展の大きな特徴はとりあげる時代とジャンルの幅広さ。出土品を克明に描いた明治時代のスケッチから、果てはマンガまで。 ハニワと土偶があらゆる文化に連なっていることを知ると、美術館を出た時、景色が少しだけ変わってみえるかもしれません。にぎやかな展示にご期待ください。
3 ハニワと土偶のメガネで未来が見える
遺物をめぐるブームにはいつも容易ならぬ背景があり、今後もきっと繰り返されるでしょう。 本展は過去の回想に留まらず、これから起こり得ることの示唆にもなるはずです。古(いにしえ)から未来が掘り出される!
で、最近の美術館でたいへんいいことだと思うのだけど、フラッシュの劣化を避けての撮影&被写体の著作権問題がないなら撮影が多数OKとなっている。その恩恵を受けて・・・・・いろいろ語ろうと思えば語れるんだが、一点だけ紹介させてもらおう。
それはこの展覧会の、この章。
1章 「日本」を堀りおこす ―神話と戦争と
近代国家形成において、ハニワは「万世一系」の歴史の象徴となり、特別な意味を持つようになりました。各地で出土した遺物が皇室財産として上野の帝室博物館に選抜収集されるようになると、ハニワは上代の服飾や生活を伝える視覚資料として、歴史画家の日本神話イメージ創出を助ける考証の具となります。考古資料としてではなく、ハニワそのものの「美」が称揚されるようになるのは、1940年を目前にした皇紀2600年の奉祝ムードが高まる頃——日中戦争が開戦し、仏教伝来以前の「日本人の心」に源流を求める動きが高まった時期でした。単純素朴なハニワの顔が「日本人の理想」として、戦意高揚や軍国教育にも使役されていきました。
ハニワで軍国教育?
そんなことできるんかい、まあ牽強付会だろうけど…と思ってたんだけど、これがガチなのよ。やはり天然ものは違うわけで……
……今、皇軍の勇士が、あれほど物すごい戦果をあげてゐるのに、一度、戦がやんで、後方の村へ帰って来ると、ジャワでも、マライでも、ビルマでも、又支那でも、小さい子供がよい遊び友だちと喜んで迎へるのも、この古代日本人の子孫だからだと思へます。いくらひげで顔がうづまつてゐるやうな、こはい顔のをぢさんも、心の中はこの埴輪のやうにやさしいのです。昔だってこはい顔の人もみたでせう。しかし心の中は、みんなやさしかったので、埴輪のやうな頬を自然つくりあげるのです。つまり古代日本人の心が、自然とこの埴輪にしみ出てゐるのです。
吾々はこの埴輪のやうな古代日本人の子孫です。ですから、私共の心の奥底には、やはりこの埴輪の現はしてみる心があるのです。それを、ますます育てあげ、それが自然とに、身にまで現はれるやうにしなければならないと、埴輪を見る毎に考へます。それから、埴輪は地方の人がいそいて作ったのだから、さぞ下手なものであらうと、始めに申しましたし、じつさい皆さんも、一寸見ると、ナンダ下手なものだと思ふかも知れません。
ところが、今いった通り、よくよく見てみると、古代日本人の精神が、それも深い深い精神が、その一寸見ると下手のやうな顔の中から、こんこんと湧き出る泉のやうに、わいて来ます。
決して下手な作ではない。これこそ日本美術としては、りつばな作です。日本人は、深い深い心を持つて居り、こまかい心を持つてみても、それを表面に出さないのを尊びます。
たった一人の子の戦死の報を受けても、人の前では、涙もこぼさないお母さん日本人の理想です。
うれしい、悲しいといふ心を、人の前で遠慮なく現はすことが、あたりまへのことにしてゐる西洋人には、よく日本人が分からないと言ひます。皆さんも若しこの埴輪の顔を見て、私の今までお話したやうなことが分からない、これはうそだと思ふやうでしたら、その人は英米人の心になりかかったのであり、心によごれがかかったのです。ようく拭き諦めなければならない。そしてもう一度、埴輪の顔を見ることです。つまり、皆さんの心の鏡になさい。(後略)
うかつにも、どこの誰の文章かメモしてなかったけど、まあすごいものです。あ、パネル画像にあるか。後藤守一という人の文章だ。
たぶん、想像力をたくましくして「いま、ハニワと日本人らしさをおもしろおかしく、こじつけなさい」というお題を出されて、ギャグを狙ってかいてもこうはいかない。
もちろん、これを「反省」して、平和とか古代の美とかを強調した「民主的な教育」のほうのハニワ論もすごい感じのこじつけになりがちだったりさ…。
あと、逆に明治に西洋から近代考古学が入ってくる前の江戸時代などでもハニワは出土したわけで、その時、江戸期の「好事家」、あるいは手探りで生まれた何でも調べて記録したがる「博物学者」たちが、この不思議な土焼き人形をどう扱い、記録したかの記録もおもしろい。
どちらにしても、この国博のはにわ展(表)に対する近美の「ハニワと日本の近代」(裏)も覚えておいてください。
少し長めだが、こちらも年内に企画展は終了する。上の文章の発掘だけでも、見る甲斐はあった(撮影もできるし)